山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

横谷の岩場(リードしなければ享受できない)

2017年06月01日 | 岩登り
2017年4月23日(日) 
『山の会』
<横谷の岩場>
■参加者:安部ちゃん、最くん、ゆうさん
<リードしなければ享受できない>
石川の支流である深い谷川がいつの間にか手が届くところを滾滾と流れる清冽な流れへと変化していた。登攀後その川原へと降り、流れが奏でるひびき音に耳を欹てながら、何事も無く下山出来たことに安堵しつつ一休止して帰路に着く。其処は滝尻バス停から然程遠くない処であった。
懸命に攀じ登り一息つく時に眺めた、眼前に拡がる山塊を彩る萌え出た若葉と常緑樹の深緑、そして春の眩いばかりの青空のコントラストは殊の外美しく、可能なら娘や孫達にも見せてやりたいとつくづく思った。
[横谷の岩場]に最くんは過去にやって来たことがあるのだろうと思っていたがさにあらず、ここだろうと思い最初に取り着いた一つ目の踏み跡は間違いで、積もった落葉に足を取られながら、足下等の安全を確認しつつ前を行く最くんと僕の安全を見守ってくれる安部ちゃんに挟まれて、バランスを必要とする急斜面を1時間あまり彷徨することとなった。目的の岩場への登り道は、それよりももう少し上手の道が正解で、明確な踏み跡があり殆ど時間を費やすることなく岩場に到着する。
全て最くんのリードで一本目のⅢ級ルートからスタートする。合計3本4ピッチを登ったのだろうか。2本目の左スラブルートを攀じ登り始めたとき、非力な安部ちゃんや僕には取り付きの被ったところを乗り越すのが無理だろうという最くんの判断で直ぐに中止する。残念だが今の僕では仕方がないところだ。
[横谷の岩場]は、我々が持っている古い資料では参考にならいと言っても過言ではないくらいの変貌ぶりで、数多の新しいピンが其処彼処にあった。また新しいプラロープもあり、地元の方々が整備しておられる様子を垣間見ることとなった。下山するときに「満足できなかったのではなかったか?」という最くんの問いに僕は、「岩登りはやはりリードしなければ享受できない」と応えたように思う。
最くんと安部ちゃんの間で、「秋になったらまた来よう」という話があったようだが、そのときには、リードが可能なまでに我が心身は蘇っているのだろうか。僕にとっては昨年6月の京都金毘羅以来のクライミングであった。
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仁川(何を目的として山に行くのか)

2016年07月28日 | 岩登り
2016年6月26日(日)
『山の会』
<仁川>
■参加者:中島くん、安部ちゃん、梅安さん、最くん、ゆうさん
<何を目的として山に行くのか>
自宅に戻って来て玄関で腰を降ろして靴を脱ごうとしたときに、腰が痛いのはいつものことなのだが、左足脹脛に異常なほどの痛みを感じた。何時何処で脚を痛めたのだろうかと考えたが分からない。
「ムーンライト」でのトップロープによる登攀が4本、「三段岩」での「右ルート」の登攀が2本だけではないか。その内、ロープや登攀具が入っている重いザックを担いで2本登ったことが脚に応えたのだろうか。また、仁川駅から仁川渓谷岩場まで往復1時間ほど歩いただけではないか。そのぐらいの行動でこれ程までに左足脹脛に痛みが生じるとは信じられなかった。
今日、電車中で思考したこと、それは「何を目的として山に行くのか」「何が目的で岩登りをするのか」であった。
半年前には、来年正月に嘗てのように日本アルプスに独りで行きたいと考え、脚腰を鍛える目的で生駒山系を歩き始めたのだが、しかしそれも挫折したという恰好だ。それは「僕の身体力では不可能」「鍛える時間と精神力が無い」と認識したからだ。
先日の金毘羅の「Mフェース」と「ビビリフェース」では、トップロープであってもクライミングをしているという充実感が味わえた。以前は、ホンチャンがあって初めてその為のゲレンデでのクライミングという発想であったのだが、もしかすれば、ホンチャンが無くてもよいのではないかも知れないと考えた。ゲレンデの登攀難度が我が身体力と技術のワンランク上、否、我が実力に見合った登攀であっても、そのときの登攀がフリーで、しかもリードができれば十分に充実感が味わえる筈だと考えた。しかしそれにはパートナーが必要だ。
山の会では、夏季には沢登り山行が加わる。しかし、この7月末に計画している「川迫川神童子谷」のように、腰まで水に浸かってしまう沢登りは、身体を冷やすことを苦手としている今の僕には向かない。また、我が会では泊りは天幕使用の山行が主体なのだが、天幕生活は僕の脚腰が許してくれそうにもない。
また、スタジオを経営する娘家族や三人の孫の世話を司る上さんの生活を考えたとき、僕が家に居ることが必要不可欠であるのは間違いのない事実で、僕に許される自由日数が殆ど無く、正月を除くと泊りの山行が駄目なのは明白だ。
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京都・金毘羅山(老化を如実に感じる転倒)

2016年07月23日 | 岩登り
2016年6月11日(土)~12日(日)
『山の会』
<京都・金毘羅山>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、最くん、聖子さん、ゆうさん
<老化を如実に感じる転倒>
昨年と同様、戸寺のバス亭近くにある民宿を利用する。幕営と違って、脚腰がしっかりと伸ばして寝ることができ、しかも二食&お風呂付の、僕にとっては嬉しい一泊であった。
登攀したのは、初日は「北尾根」と「Mフェース」。二日目は「ワイケン尾根」と「ビビリフェース」で、「北尾根」と「ワイケン尾根」は兎も角、「Mフェース」と「ビビリフェース」は手強かった。「Mフェース」では「Mのクラックルート」を、「ビビリフェース」では「ビビリ沢奥壁」を攀じった。
なかでも「Mフェース」では、取り付きにおられた、先客の中高年御夫婦の励ましがあって全員がトップロープで完登する。奥様が我々の眼前で見せてくれた華麗でしなやかな登攀を観た僕は、一度目の登攀で満足出来なかったゆえ二度目のトライを行なった。しかしやはり、奥様のようなしなやかな登攀はできなかった。そのクラックは僕の身体にとってリードが可能なそれではなかった。クライミングはリードしないとそれを享受できないと思うのだが、今の僕には仕方のないことである。「ビビリ沢奥壁」も、最くんがセットしてくれたトップロープで全員が登攀を楽しんだ。
併しだ、壁の登攀よりも我が身体力の老化を如実に感じたのは、下山時の転倒であった。足が滑ったのだろうと思うのだが、ポールを握っていたにもかかわらず平衡感覚を失い仰向けに転んでしまい、暫く起き上れなかった。脚の踏ん張りが利かなくなってしまっているのも転倒の大きな原因なのかも知れない。まだヘルメットを被っていたのと、背中のザックがショックを和らげてくれて大事に至ることはなかった。
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裏六甲・不動岩(リードしなければ享受することはできない)

2016年07月16日 | 岩登り
2016年5月29日(日)
『山の会』
<裏六甲・不動岩>
■参加者:安部ちゃん、最くん、ゆうさん
<リードしなければ享受することはできない>
東壁の中央部のルートは、ピンが多いしクライミングそのものは平易だからと、最くんと安部ちゃんの許可があって、昨年の11月1日に蓬莱峡でⅡ~Ⅲ級ルートをリードして以来、七ヶ月振りのリード登攀を楽しむ。2本2ピッチをリードし、計2本3ピッチの岩登りをする内にポツリポツリと降雨があり、14時には不動岩を離れ帰路に着いたのだが、僅かな本数と少しの時間の岩登りであったにもかかわらず、その帰路では、我が脚腰にかなりの疲労を感じていた。
2013年の藤内壁前尾根前壁ルンゼ滑落事故で迷惑をかけてしまった安部ちゃんと最くんに、二度と迷惑をかけてはならない、二度と事故を起こしてはならないという思考が働き、至極慎重にゆっくりと登り続け、何事も無くリードできたことに安堵する。先日の仁川では半年ぶりのクライミングゆえリードすることはなかったが、クライミングとはどんな平易なルートであってもリードすることに意義があるように思うし、クライミングはリードしなければ、それを享受することはできないようにも思う。
一本目の登攀をするとき、上部より「ラク!」という声が聞えると同時に、岩らしきものが僕の頭上を通り過ぎ落ちて行った。後に聞いたのだが、結果的には、誰かが落したのは石ではなく、一度目は靴、二度目はカラビナであったそうで、取り付きに居た人間が「ええ加減にせえ!」と叫んだ。
我が眼に止まった生き物は、東壁を攀じるときに岩から岩へと飛翔する一羽のテングチョウと、帰路不動岩下の車道を歩くときに、林中に咲く白花のウツギくらいであったろうか。
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仁川(手指や腕が脆弱化)

2016年07月09日 | 岩登り
2016年5月15日(日) 
『山の会』
<仁川>
■参加者:梅安さん、最くん、聖子さん、ゆうさん
<手指や腕が脆弱化>
ムーンライトから見上げる新緑に包まれた狭い空には絹雲が棚引く。新緑の渓谷中を、クロアゲハやキチョウやコミスジが心地好く飛翔し、初夏の候を満喫している様子であった。また仁川渓谷入り口辺りでは、子供達が水遊びに興じていた。
ムーンライトにやって来たときには先行パーティー(6~7人)が居た為、我々は空いている「右端のルート」を最くんがリードしトップロープをセットし、先ずは梅安さんと聖子さんが楽しんだ。その間に今度は左端の「ハングルート」をやはり最くんがリードしトップロープをセットしてくれて僕も攀じった。その後、先行パーティーが三段岩へと移動したので、中央の俗に言う「ヘソルート」や、その左側の「ちょっとしたレイバックルート」、またその左の「ピンの乏しいルート」を、やはり最くんがリードしトップロープをセットしてくれて全員が楽しませてもらう。ムーンライトで岩登りを楽しむとき僕は我が手指の異変にまだ気付いていなかった。
我々が三段岩へと移動すると、先行パーティーが「右ルート」を占領して居た為、左側の「リッジルート」を最くんが登り、最初のテラスにある二つの支点を利用してトップロープをセットして下降する。そのときビレイしていた僕の左手指に酷い痙攣が生じ、上手くビレイできなくなってしまったのだ。その後も何度も両手指が、挙句は左腕までが酷い痙攣に襲われる始末で、最くんから頂戴した「シャクヤクカンゾウトウ」を服用したお蔭か、15時頃には「三段岩」を離れ帰路に着いたのだが、それ以降我が手指が痙攣することは無かった。
今年の初めより、出掛けられる環境にあり、山の会の例会が無いときには独りで生駒山系縦走を行なうのが僕の日曜日の過ごし方であり、その度に我が脚力の無さを痛感していたのだが、今日は手指や腕までが同じ状態に陥った。昨年の11月1日(蓬莱峡)以来の半年振りのクライミングであったのだが、これ程までに我が手指や腕が脆弱化しているとは思いも寄らなかった。
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蓬莱峡(久し振りのリード)

2015年11月16日 | 岩登り
2015年11月1日(日)
『T山の会』
<蓬莱峡>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、最くん、聖子さん、ゆうさん
<久し振りのリード>
最近の健康診断のコレステロール値と、ここのところの運動不足に不安を懐いている様子の梅安さんは、今日は蓬莱峡にやって来たにもかかわらず、クライミングをせず座頭谷から大平山、東六甲縦走路を経て宝塚駅への縦走に勤しむため、早々に独りで蓬莱峡を離れた。ザック中には2㍑のポリタンを入れていると聞いた。
残った我々4人は計画通り、意外と登攀者の少ない蓬莱峡のクライミングを楽しんだ。最くんと聖子さん、僕と安部ちゃんが組んで、小屏風1本と大屏風を5本、何れも平易なⅡ~Ⅲ級ルートを登ったのだが、久し振りにリードする僕は、1本目の小屏風と6本目最後の大屏風で、瞬時躊躇する場面もあったりしたが、概して容易に登ることができて安堵することとなった。
一週間前の「私市駅~くろんど池~交野山~津田駅」間の山野歩(山野走)で痛めた左足、走ったのは僅かな距離であったにもかかわらず、膝裏部分(ハムストリングス?)に痛みが生じ、始めていた「スクワット」ができなくなっていたのだが、今日岩場を下降するときにも、膝を折り曲げると痛みが生じた。また帰路、蓬莱峡から生瀬駅の車道を歩くときには、左足首に痛みがあった。登攀と岩場下降で思いの外、足首や膝周辺の筋肉を使っていたのかも知れない。
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京都金毘羅山(眼下には長閑な大原の里の景観)

2015年11月02日 | 岩登り
2015年10月18日(日)
『T山の会』
<京都金毘羅山>
■参加者:安部ちゃん、最くん、ゆうさん
<眼下には長閑な大原の里の景観>
6月13日~14日の金毘羅山岩登り山行において、金毘羅山から尾根を下降し寂光院を経て三千院バス亭へと下山したおり、我が両脚には酷いこむら返りが生じ難義をしたが、今日は両足首と大腿四頭筋に微かな痙攣はあったが大事に至ることはなかった。しかし我が脚が、かなり疲労していたのは間違いのない事実だ。
大阪からの金毘羅山山行は遠方ゆえ、日帰り山行では時間不足で、限られた時間の中で今日目指したのは「北尾根」のみであった。ただ上部は先行クライマーのグループが居たゆえ、それを回避するためにトラバースをしてワイケンを登攀することとなった。全てを最くんがリードし、安部ちゃんと僕は絶好の秋日和の中、登攀を楽しませてもらったのだが、僕はまだまだリードができるという精神状態ではない。雲量は「2」で眩しいくらいの青空中に積雲が浮かび、眼下には長閑な大原の里の景観が拡がった。
帰路は、行楽シーズンゆえ戸寺バス亭からでは座れない可能性が高いと考え、6月山行時と同様に、東へと伸びる尾根を下降し寂光院を経て三千院バス亭へと下山したのだが、6月と比して意外と短く感じたのは、今日は6月の時ほど疲労していなかった所為なのだろう。
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裏六甲・百丈岩(面白くないがスクワット)

2015年10月21日 | 岩登り
2015年10月4日(日) 
『T山の会』
<百丈岩>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、最くん、聖子さん、ゆうさん
<面白くないがスクワット>
不動岩から百丈岩へと変更した最くんの真意は何処にあったのだろうか。道場駅前に居るときに、「不動は人が多そうだ」という言葉があったが、単にそれが理由だったのだろうか。しかしそれは横に置いておくとして、普段余り登ることがない百丈岩を選択したのは、結果的には僕にとって正解であった。
トップロープを二ヶ所セットするとき、「リードする?」と最くんが僕に尋ねたのだが、立っていて湿っている岩壁に、それも余り登った記憶がない岩壁に対して、我が現在の身体力では心許なさを感じ不安感を抱いた。その証拠に、どのピッチを攀じっているときであったのかは忘れたが、伸ばした脚に痙攣が生じ、手指にも痙攣が起こるという始末であったのだから。
最くんが2本トップロープをセットし、全員がその2本を登る。その後、左の岩壁へと移動し、1ピッチ目も最くんがリードし、2ピッチ目(Ⅱ級)は最後に登った僕にリードするよう最くんが指示を出した。最後の1本も最くんがリードしたのだが、然程傾斜がないその壁に僕は苦労する結果となった。
北野で談笑するときに、先日の北岳における我々の歩行速度がハイカーよりも遅いという苦言が最くんよりあった。それが我が会の現状でその是正が必要なことは明確なのだが、僕の身体を強化するには、「走るのは腰に悪いのではないか」「面白くないがスクワット」「72時間経つと運動効果が失せ、また一からの運動となる」という最くんの言葉が我が脳裏に残った。
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仁川(技術不足と体力不足)

2015年09月29日 | 岩登り
2015年9月13日(日) 
『T山の会』
<仁川>
■参加者:ABちゃん、BAさん、YUさん
<技術不足と体力(指力)不足>
ムーンライトをBAさんがリードで三本登る。今までBAさんがリードする姿を見ることは少なかったが、今日は果敢に攀じていた。さて、彼の現在の如何なる精神がそうさせたのだろうか。
ABちゃんはユマール等を利用した登攀の練習を試みるが、なかなか上手くゆかない。BAさんもやってみたが、同様の結果に終わり、体力の消耗が余りにも激しいゆえホンチャンで使用するのは難しそうだ。もしかすればアブミ利用が有効なのかも知れない。
僕はトップロープで二本登り、三本目のホールドとスタンスの乏しいルートで、技術不足と体力(指力)不足を痛感し直ぐに諦め登攀を中止する。その後、ABちゃんとBAさんは三段壁へと移動したが、僕はムーンライトの下で横になり二人が帰って来るのを待った。その間、ウトウトッと瞬時眠ってしまったようだ。
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不動岩(僕の活力源)

2015年09月14日 | 岩登り
2015年8月23日(日) 
『T山の会』
<不動岩>
■参加者:ABちゃん、MOくん、SEさん、YUさん
<僕の活力源>
19日の午後から、著しく体調が思わしくなかった。目眩が生じ気分が悪く食事が喉を通らない。二年前の滑落事故の後頭部内出血や内耳骨折で数ヶ月間続いた目眩が、今になってまた再発したのだろうかと心配になった。21日も目眩が続き、今の体調では「日曜日の不動岩における岩登りに出席できそうもない」と考えていた。昨日もやはり昼食も夕食も殆ど食べられなかったのだが、ところが不思議なことに目眩が消滅した。それでなんとかなるのではないかと思い今日不動岩にやって来た。
しかし、皆の話によると、僕の様子に元気がないと判じたようだ。その所為だろうか、最くんの意見により僕のリード登攀はなくなった。東壁二本四ピッチをセカンドで攀じる内に漸次体調が回復したように思う。暑いことあり年齢のこともあり、早めに帰路につき、大阪のいつもの居酒屋で山仲間と談笑するときには自分でも意外なほどに食事が進んだ。
山に行くことと、山仲間との交流が僕の活力源なのかも知れないと考えた。日常の生活では決して味わうことができない岩と対峙するという緊張感が、日常の生活からの気分転換になっているのだろう。
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