山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

フリージア(大石山の家にて)

2020年12月31日 | 植物
2020年12月26日(土)
『フリージア』
<大石山の家にて>
このフリージアの写真は2007年04月15日に大石山の家で撮影したものだ。
当時の日記に「それと比して華やかな花が門扉を正面に見た左側溝傍に咲いていた。
ひとつは山吹色のフリージア、もうひとつは花被、副冠ともに白色の立派な水仙であった。
何れも園芸品種でお父さんが嘗て植えたものなのだろう」と記している。
その時には既に義父は亡くなっていたのだが、Mお母さんが花名を教えてくれたのかも知れない。
そして、そのMお母さんも今はいない。
ところで、書籍によると[フリージア]はアヤメ科に属している。
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僕のご飯作り(もう10年間作り続ける必要がありそうだ)

2020年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム
2020年12月22日(火)
『僕のご飯作り』
<もう10年間作り続ける必要がありそうだ>
僕は、日々パソコンで日記を付けているのだが、一年前の日記が即座に見ることが出来るように仕組んでいる。
先日、その一年前の日記に次のような記載があった。
「色彩が無い上さんの眼ではどのように見えているのかは僕には判らないのだが、夕飯時に上さんが『栄養満点!』と呟いた。
今晩のご飯献立は、“豚肉のチーズ巻き”“大根&玉葱&豆腐の味噌汁”“椎茸&わかめ&胡瓜の酢の物”
“大豆水煮で簡単煮豆(蓮根.人参.昆布)”“夏野菜の揚げびたし(南瓜. 茄子. ピーマン. ミニトマト. 土生姜)”の五品で、
使った食材は、味噌汁の味噌まで含めると19種類だ。
僕が普段夕飯の為に作る料理のなかでも、今日は特段、食材が多かったのだろうが、
15時過ぎより作り始め、調理が終わったのが19時前頃ゆえ4時間近く掛かっている。
一向に上達しない包丁捌きや、レシピを見つつ作るゆえ、時間が掛かってしまうのは仕方がないのかも知れない。
そのレシピとは、パソコンからとり出したものが殆どなのだが、今日作った“豚肉のチーズ巻き”は、上さんに教えてもらったものだ」と。
眼前に霧がかかり、色彩が無く、視力が極めて弱くて、照明などで明る過ぎると眼に負担がかかるゆえ、屋外に出るときにはサングラスを掛けている上さんの眼。
普段より眼鏡を幾つも準備していて、再三眼鏡を換えている上さんに代わって、僕が台所仕事を担い、ほぼ6年が経過した。
「料理をしているのは僕ではなく、レシピが作っている」と僕はいつも上さんに表現している。
また、僕が台所仕事を担い始めたのは、近くに住む娘夫婦が商いを始めたことも大きな理由だ。
それまでは、娘が仕事先から帰るのが遅くなるときのみ、上さんが作って、預かっている孫共々、住いまで運んでいたのだが、
二人が商いを始めてから、台所を担う筈の娘があまりにも仕事が忙しく、仕事から解放されるのが、22時や23時、ときには24時が廻るときもあるゆえ、
また、上さんの眼では、7人分のご飯を作るのは無理だろうとの判断に至った。僕のご飯作りは、娘家族、孫も含めて5人の為に作っていると言っても過言ではない。
二人目の孫のK子がご飯作りの手伝いことが出来るようになるには、後、10年近くが必要だろうと思われるゆえ、僕は後10年ほど作り続ける必要がありそうだ。
ところで、この料理の写真は、今日のお昼に作った“茄子と豚肉のしぎ焼き”だ。
この料理は、NHK みんなの料理にて、2011年6月29日に放送されたもので、2017年10月12日にパソコンより取り出し印刷したレシピを見ながら作ったものだ。
さて、後10日余りで2021年を迎えるのだが、来年もご飯作りを頑張らねばならない。
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キバナハタザオ(伊吹山の高原にて)

2020年12月27日 | 植物
2020年12月17日(木)
『キバナハタザオ』
<伊吹山の高原にて>
この写真の[キバナハタザオ]に出合ったのは、
2003年06月08日に、伊吹山北尾根・山行を愉しんだときだ。
否、北尾根ではなく、14時に伊吹山頂を踏み休憩もそこそこに、
南西面ルートを懸命に駆け足で下り、3合目に広がる高原で出合ったのだ。
この度、書籍を参照する中で、
この書籍に滋賀県伊吹山で1975年の7月8日に、
佐藤さんという方が撮影した[キバナハタザオ]の写真が載っていた。

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キバナノコマノツ(太郎兵衛平を過ぎ薬師沢小屋へと向かう道で)

2020年12月24日 | 植物
2020年12月11日(金)
『キバナノコマノツメ』
<太郎兵衛平を過ぎ薬師沢小屋へと向かう道で>
2003年08月13日、
折立より入山し太郎兵衛平を過ぎ薬師沢小屋へと向かう道で
[キバナノコマノツメ]に出合ったのは13時が廻ったころだったようだ。
僕は山日記に次のように記している。
「白花の唐松草が緑の中からそっと顔を覗かせる。日光黄菅が草原いっぱいに広がる。
雲間苦菜、深山金鳳花、黄花の駒の爪と華やかな黄色の花が続いた」と。
この度、書籍と我が写真を参照する中で、
もしかすればタカネスミレかも知れないとも思ったが、
解説文にあった「葉の光沢」が決め手となった。


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カメラの寿命

2020年12月20日 | 写真
2020年12月06日(日)
<カメラの寿命>
長年使用していた一眼レフ・フイルムカメラが、いつの日にか日本アルプスに行ったおり、岩に当ててしまい一部分が破損してしまう。
しかしそれ以降もそれなりの期間使用出来たのだが、2013年に動かなくなってしまう。
それを機会に初めてレジタルカメラ(OLYMPUS・SH-50)を2013年7月6日に、ヨドバシカメラで売り場の店員さんに勧められて購入したのだ。
山によく行く僕には、そのレジタルカメラは、それまでのカメラと比して軽くてかさばらなくて使い勝手のよい品であったが、昨年12月初め頃から調子が芳しくなかった。
時折モニターが真っ暗になり撮影出来なくなってしまうのだ。ところが、軽く叩いたり振ったりしていると、いつの間にか復活しているという状況が続いていた。
しかし、歩き初めで今年の1月2日に、生駒山系縦走路山行を愉しんだおりに撮影出来なくなってから、二度と復活しない状態に陥ってしまった。
そこで1月4日にヨドバシカメラへ行きカメラの修理に関わる話をするなかで、メーカーに一部の部品が既にない状態で、もし修理が可能だとしても、2万数千円が必要ということであった。
一旦帰宅し熟慮した結果、ヨドバシカメラの店員さんに勧められたデジタルカメラ(Canon・G9XMarkⅡ)を購入する。
思い出すのは2013年9月14日の某山域での滑落事故だ。あのときカメラは、登攀後下山時に僕と一緒にルンゼを20㍍も落ちたのは間違いが無い。
そのときカメラを僕は、いつものように胸前にぶら下げていたのか、それともザック中に入れていたのかが記憶にないのだが、
現地の病院で半月暮らし、帰宅し暫くして、山仲間が持って帰ってくれたのであろう山の道具を整理していると、その中からカメラが現れたのだ。
しかしそのときには、滑落するまでに撮影した映像がモニターに表示されることはなく、壊れたのだろうと考えていた。
ところがそれよりいつの日にか触っていると復活したのだ。そしてあれから6年あまり活躍してくれていた。
ところで、この頃のカメラの寿命は何年くらいなのだろうか。使い方にもよるのだろうが。あのときの滑落事故が原因となり、寿命が縮まったのだろうか。
もしそうでなければ寿命が短過ぎるように思えてならないのだが、フイルムカメラと違って、レジタルカメラの寿命はそんなものなのだろうか。
ところでこの見出し画像の写真は、「OLYMPUS・SH-50」で撮影出来た最後のもので、生駒山縦走路にある十三峠の仏像だ。

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四石山~昭和山(三角点名・三等 靭峯)

2020年12月18日 | 山野歩
2020年11月29日(日)
『山野歩』
<四石山~昭和山>
[コースタイム]
[JR山中渓駅] 8:40 → 10:29 [四石山] 10:45 → 11:03 [槌の子峠] → (川上新道) → 11:58 [鉄塔] → 12:40 [昭和山] 13:20 → (楠畑川沿いの道) → 14:54 [桜地蔵・バス停]
◆所要時間:6時間14分
<三角点名・三等 靭峯>
今日の目的の頂は“四石山” と“昭和山”であった。前回の山行でマキ谷を詰めて、“四石山”に行く計画であった。
しかし倒木などのために進めず、やむなく撤退したため、“四石山”の頂を踏むことが叶わなかったからだ。
また、地図を眺めていて、四石山の南方にある昭和山が眼に留まる。
“昭和”という名称に何でか分からないのだが、気が引かれたのだ。
そしてもし時間が許すなら、“つづら畑”より、葛畑谷沿いの道より“ボンデン山”を往復したいとも考えていた。
しかしそれはならなかった。その原因は、昭和山頂を踏んだ後、“つづら畑”を目指して下山しているつもりだったのだが、楠畑川の上流に下りてしまったのだ。
何処で間違ったのだろうかと振り返るが分からない。
川上新道を進んだ心算だったが、僕が歩いた道は、踏み跡が途中より明瞭でなくなり、二度引き返す場面があった。それまでと比してテープが少なかったのも事実だ。
山中で出会った人は、昭和山頂で一休みし、もうそろそろ出掛けようかと準備している時に、槌の子峠方面より登って来られた、中年の御夫婦二人だけだった。
お二人は、スマホのヤマップというアプリを利用して、山歩きを愉しんでおられるらしく、「道を間違ったら直ぐに分かるんです」と仰る。
スマホ自体が上手く使えない僕は、このとき初めて、そのアプリ名が“ヤマップ”であることを知る。
僕が歩き始めるとき、「後から追いかけます!」と仰ったのだが、
「堀河ダムの処に車を置いてきた」とも仰ったゆえ、僕と同じ川上新道より下山される予定のようだと認識したのだが、
後から考えると彼等は、“ヤマップ”のアプリ利用ゆえ、僕のように道を間違えることなく下山されたんだろうな、
僕もしっかりとスマホの使用方法を習得しなければならないよなと思うばかりであった。
今日の山行で、どの道を選択すればよいのだろうかと躊躇したのは何度かあるのだが、先ずは、JR山中渓駅から四石山へ向かうときだ。
入山口が分からないので、丁度駅前におられたハイカーと思われる中高年男性に尋ねると、“わんぱく王国”への入口まで連れて行ってくださった。
“わんぱく王国”に入って行くと、イベントの準備をしておられるスタッフさんがおられたので、「ここから四石山へ行けるのですか?」と問うと、
「四石山という山は分かりません」という返事、しかし先ほどの中高年男性が仰った如く、その儘暫く坂道を上って行くと、
四石山と書かれた道標が現れたので、安堵して進むこととなった。
併しだ、四石山へは予想外の時間を要してしまう。予定所要時間が1時間20分の筈が1時間50分も掛かってしまったのだ。
今朝は何となく体調が芳しくなかったのだが、その所為か、最初からかなりしんどい歩きとなった。
次は、“槌の子峠”より“昭和山”へ向かう時だ。
まったく視界の利かない樹林中の道、林中の道が続き、途中、道が判然としない処が何度かあった。
それ故、撤退するときの為に、後を振りかえり振り返り、テープを確認しながら歩いたのを覚えている。
そして最後は前述のように、昭和山からの下山時に、川上新道を進んでいる心算だったのだが、
結果的には“つづら畑”に到着出来ず、桜地蔵着になってしまったのだ。ほんとうに情けない思いが心中に溢れた。
ところで、昭和山の頂に“三角点名・三等 靭峯”という名札が掛かっていたのだが、この“靭峯”とはどういう意味なのだろうか、解らない。

(写真・上)昭和山からの展望


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アオヤギバナ(“蓮信寺”というお寺の石垣に咲いていた)

2020年12月14日 | 植物
2020年11月24日(火)
『アオヤギバナ』
<“蓮信寺”というお寺の石垣に咲いていた>
この写真の黄花は、一昨日に“犬鳴山温泉”から“城ヶ峰”経由で“お菊山”へと山歩きを愉しんだときのものだ。
“←お菊松・金熊寺→”という道標から東小学校へと向かうときにあった“蓮信寺”というお寺の石垣に咲いていた。
ところでこの度、我がパソコン中を見ると、この[アオヤギバナ]には2006年10月29日に、
仁川渓谷のムーンライトで、山の会で岩登りに興じるときにも出合い撮影したものがあった。
渓谷に群生するダイモンジソウに夢中になるときに、
その傍らの湿った岩上に僅かだが開花しているのが眼に留まり撮影していた。


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犬鳴山温泉~城ヶ峰~お菊山(笹峠でテングチョウに出合う)

2020年12月11日 | 山野歩
2020年11月22日(日)
『山野歩』
<犬鳴山温泉~城ヶ峰~お菊山>
[コースタイム]
[犬鳴山温泉] 8:30 → 10:10 [城ヶ峰] → (鎌尾根) → 11:29 [ササ峠] 11:45 → (殿尾山) → 14:00 [お菊山(お菊松)] 14:15 → 15:07 [蓮信寺] 15:28 [東小学校前・バス停] → (マキ谷) → 16:50 [東小学校前・バス停]
<笹峠でテングチョウに出合う>
昭文社の地図と現地の道標とが、何となく一致しない山行となったように思う。
僕が道標を見落としたのかも知れないのだが、地図にある“滝ノ池分岐”も“昭和池分岐”も、そして“畔ノ谷分岐”も確認していない。
先ずは入山時であった。
犬鳴山バス停から、車道を500㍍ほど歩いた処右手に、“林道・生草線”と記された高さ30cmほどの小さな石柱が立っていて、それより細道が右手山手へと斜上している。
地図に、“生草谷”とあるのだが、これが“城ヶ峰”へと続く道だという確信は無かった。
しかし、もし間違っていたなら、戻って来ればよいとの思考で前進すると、10分くらい歩いたときに、“城ヶ峰→”と書かれた道標が現れホッとする。
ここが地図にある“鎌尾根”みたいやなという尾根筋を歩き、順調に笹峠までやって来たが、その後の道は、地図のどの辺りを歩いているのかが分からなくなる。
それ以降、関西電力による工事現場が三ヶ所に亘り点在していて、其処には借歩道が設けられていた。
この関係で分岐地点や道標が見えなくなっているのかも知れないよなと思いつつ歩き続けると、“← 絶景です 馬の背・殿尾山”と書かれた板が眼に留まった。
その方向へとホンの少し歩みを進めると、大阪南部の街と大阪湾、そして関西空港が一望のもとに見渡せる処に飛び出した。
此処が殿尾山なんだろうかと思ったが、何ら標識が無かった。
それより1時間余り、やっとのことでお菊山に到着したのだが、お菊山が近づいた処で、二組の中年男女二人連れが前方よりやって来た。
彼等は今日歩き始めて初めて出会う人であった。併しだ、彼等4人ともがリュックサックなどのバックの類を何にも携えていなかった。
お菊山には、僕と同年代と思われる堺から来たという、女3人と男1人の4人連れのハイカーがおられ、ホンの少し言葉を交わす。
暫くすると彼等は西方へと進まれた。間も無く僕も西方へと歩き始めたのだが、直ぐに現れた道標に、真っすぐは“堀川ダム”、右手は“新家”と書かれている。
ここが“畔ノ谷分岐”なんだろうかと思ったが分からない。
僕の目的地は東小学校ゆえ、さて、どちらを選択すればよいのだろうかと、地図を眺め躊躇していると、僕と同年代と思われる独りの男性がやって来られた。
其処で男性に、「東小学校という処に行きたいのですが?」と訊ねると、
「東小学校なのかどうかは分かりませんが学校はあります」と言って、“←お菊松―金熊寺→”と書かれた道標まで連れて行ってくださり、
「この道を一度歩いたことがあるのですが、途中にお寺があり、急坂を下って行くと、学校の近くに出ます」と教えて戴く。
地図を見ると、“金熊寺”は東小学校から至近距離ゆえ、安堵して男性が仰る通りに、その道を愉楽の精神で歩いた。
それより40分ばかり進むとお寺が現れ、男性が仰った通りの急坂を下り、暫くで東小学校前バス停到着。
予定よりも半時間ほど早く到着したので、計画通り、マキ谷に沿って、四石山を目差した。
“老人施設せんわ”という建物の裏を通って山中に入って行ったのだが、それからが大変だった。
最初はそうでもなかったのだが、途中より、倒木が現れたり、雑木林に行く手を阻まれたりして、それらを潜ったり跨いだりの連続となったのだ。
前進するのを諦め引き返そうと決断したのは16時が廻ってからであった。
足下に水溜りというか池があるようにも見えるのだが、薄暗くて明確に見えない事態に危険を感じ、この儘前進しても日没前に“四石山”に着かないだろうとの判断があった。
“四石山”に行けなかったことを残念に思いながら、“東小学校前”バス停のベンチに坐り、18時06分のバスがやって来るのを待った。
しかしバスがやって来るまでに1時間以上もあるし、寒気を覚えたので、歩いて“和泉砂川駅” へ行けば身体は温まるだろうと思い、
次のバス停を通り過ぎ暫く歩いたのだが、現れた交差点で、どちらの道を選択すればよいのかが分からない。
とっぷりと日が暮れてしまい、老眼の我が眼では道路標識の文字が読めない。仕方なく、金熊寺のバス停まで戻り、バスがやって来るのを待つことにする。
ところが、ポツリポツリと雨粒が落ち始めたのだ。さて如何したもんかなと道路の向こう側を見ると、駐在所があるではないか。
其処で、バスが来るまで駐在所で雨宿りさせて戴こうと、駐在所に飛び込んだ。
すると、警察官が住いより出て来られ、バスが来るまでの少しばかりの時間ではあったが、警察官より周辺の情報を頂戴することとなった。
「“老人施設せんわ”という処から山に入り、“マキ谷”を詰めたのですが、道が分からないし暗くなってきたので、戻って来ました」と警察官に話すと、
「戻って来られたのは、懸命な判断です」「いつの地図を見ているのですか?」「老人ホームの裏の道はあきません」などと仰った。
その警察官が仰った話題の中に、近くの山で最近起こった二つの遭難事件があった。
一つは、僕よりの年配の男性が、二晩下山できなかったという遭難事件。
もう一つは、小学生を連れた30代の男性が、自宅に戻らないので、捜索した結果、展望台で見つかったという事件であった。
また、どの辺りからだったのだろうか、笹峠の手前くらいから、延々と続いた松茸山、そこには「入山禁止」や「入ったら罰金」などと書かれた張り紙が掲示してあったのだが、
僕が、“畔ノ谷分岐”と思われる処で、どちらの道を選択すればよいのだろうかと躊躇しているときに、“←お菊松―金熊寺→”と書かれた道標まで連れて行ってくださった男性が、
「山主に質の悪いのがいて、ハイキングコースに、わざと松茸を置いといて、
それを取った人に、警察に行くか、それとも罰金を払うか!と脅して、100万円請求するらしい」と仰ったのだ。
「それはほんとうの話ですか?」と返すと、「ほんとうです」と答えた。
今日、僕の眼を捉えたのは二つの生き物だ。その一つは、“笹峠”で一休みするときに、一頭の蝶が翔んできて近くの葉っぱに停まった。
その蝶とはテングチョウで、11月末に生きているなんてと思うと愛らしく思えて仕方がなかった。
もう一つの生き物とは、“蓮信寺” の石垣に咲いていた黄花の“アオヤギバナ”だ。



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ビワ(交野の白旗池辺に花咲く)

2020年12月04日 | 植物
ビワの花とキタテハ

2020年11月21日(土)
『ビワ』
<交野の白旗池辺に花咲く>
2018年11月11日、京阪電鉄・私市駅より黒添池、交野山経由でJR・津田駅へと歩くとき、
交野山より30分程でやって来た白旗池。その辺にこの写真の[ビワ]の白花が咲いていた。
このコースは、昔より何回となく走ったり歩いたりしている処なのだが、
[ビワ]の花が咲いているのに気付いたこともないし、黄色い果実が生っているのも見たことがなかった。
この白旗池の辺には、館があって、その館にも何度か訪れている。
蝶などの昆虫の標本展示や、野草や鳥の写真が掲げてあったのを記憶している。
白旗池では渡り鳥などの鳥達が集う姿が見られる。
あのときは丁度お昼時ということもあり、大勢の方々がお弁当を拡げておられた。

(写真・上)くろんど池辺の紅葉

(写真・上)睡蓮池辺のニシキギ

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ツワブキ(石蕗)

2020年12月02日 | 植物
2020年11月18日(水)
『ツワブキ』
<石蕗>
この写真の[ツワブキ]に出合ったのは、この11月14日の午後に街中歩を愉しむときだ。
否、そうではなく、腰痛を治したいという一念で歩くときだった。
あの日はいつものように、朝にも歩いていたのだが、娘家族の夕飯を作る必要がなく、
上さんと僕の二人分のみを用意すればよいというので、午後からも歩きに出掛けたのだ。
そんな中、三井が丘の住宅地が終わろうとするところの花壇に、この黄花が花開いていた。
そして、この黄花には半月前の10月31日にも、
山の会の皆と大阪南部を歩いたときにも出合っていたのだが、あのときは花の名前が解らず仕舞いであった。
この度改めて、植物図鑑を参照するなかで、この黄花が[ツワブキ]であることが判明した。

(写真・上)10月31日、大福山にあった、花写真掲示板
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