山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

酷い腰痛の中・打上川治水緑地から寝屋川公園へと歩む

2020年10月30日 | 我が街中歩
2020年10月11日(日)
『酷い腰痛の中』
<打上川治水緑地から寝屋川公園へと歩む>
今日は山の会の例会山行があり、参加できる環境へと、事務仕事や台所仕事を整えた。
ところが、9日の午前中のパソコンを前にした4時間近い仕事を終え、椅子より立ち上がろうとしたときに素直に立てないのだ。
それは久し振りに経験する酷い腰痛が原因だった。
なんとか立ち上がったのだが、痛みが生じ腰を伸ばせず上手く歩けない状態であった。
その時点で、山の会の例会出席を諦める。
前回と前々回、二度続けて山の会例会に出ていないので、是非出席したと思い、
歩く予定のコースを地図で眺め楽しみにしていたのだが、残念であった。
我が家に戻って、腰痛については黙って、何とか昼飯と夕飯を作り終えた時点で、
上さんに腰痛のことを伝え、掛け布団を1枚増やして貰う。
お風呂で身体を温め、長パッチを穿いて、電気炬燵を入れて布団に潜り込んだのだが、昨日も同じような状態が続いた。
昨日は、朝の最低限の事務仕事やり終え、食材購入の為に車でスーパーに出向き、
昼飯と夕飯をなんとか作って、お風呂で身体を温めて布団に入ると、
今朝、ベッドから離れるときの腰の状態が僅かばかり改善している。
それゆえ、街中歩に出掛けることにする。
それは、家中でじっとしているよりは腰痛には良いに違いないだろうとの判断だった。
4時56分のスタート。いつもの道を行く。
スタートするときにはTシャツ上に一枚羽織っていたが、三井が丘に入った処で、Tシャツ1枚になる。
打上川治水緑地には東方より入り、先ずは外周を、続いて内周を一周ずつ歩く。
東方より緑地を離れ、十月桜の道を通ると、ホンの僅かだが、開花する桜が見られる。
寝屋川左岸の道を進み、いつもの道で帰路につく。
背筋を伸ばしてゆっくりと歩いたのだが、終始右腰に痛みが生じる。
しかし昨日のような痛みからは少しは脱出したかも知れないという具合であった。
そこで、午後も街中歩に出掛けることにする。
上さんが見えない眼で、朝から懸命に作ってくれた、
僕には作れない上さん流のカレーライスを頂戴して13時22分のスタート。
打上川治水緑地に到着したのが、13時50分が廻ったころであった。
日曜日の午後の治水緑地は、中高年が主体の早朝の光景とは違っていた。
けっして大勢でないのだが、家族連れが主体で、幼い子供達が芝生上を走りまわっていた。
その活動的な姿を羨望の眼差しで見ながら、内周を一周だけ歩き、寝屋川公園へと向かうことにする。
それは、上さんが作ってくれた大量のカレーライスがあるからで、家族7人が夕飯にも頂戴できるからだ。
治水緑地で僕の眼を捉えたのは、1本のアキニレの紅葉であった。
14時半が廻ったころに寝屋川公園に到着し、反時計廻りで外周を歩くことにする。
先ず目指したのは、中央広場の南方にある陸橋だった。
それを東へと下るところに位置する法面花壇にどんな花が咲いているのかを見るのが目的であった。
そして其処には7種類の花を見ることになったのだが、
名前が分かるのは、フサフジウツギ、ヤブカンソウ、ヒメジョオン、ヤブランで、
白花と紅花、そして紫花の三種類の花の名前が分からない。
前回やって来た夏場と比して、あまり変化の無い景観中をゆっくりと歩き、
管理事務所前を通り、打上川に架かる橋を渡り、
寝屋古墳がもう其処という処のちょっとした斜面上に立っている樹木に生っていた薄黄緑色のカリンの果実をカメラに収める。
それより、寝屋川支援学校を右手に見て進み、
打上寝屋線を北方へと進んだところの野球場で行われている、中学生くらいの若人の練習風景を暫く見てから、
テニスコート横を通り階段を上り、クラブハウス前から芝生広場を通り、15時半前頃に寝屋川公園を離れる。

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オシロイバナ(寝屋川右岸の道に群生)

2020年10月28日 | 植物
2020年10月07日
『オシロイバナ』
<寝屋川右岸の道に群生>
この写真は、2020年9月19日に撮影した[オシロイバナ]だ。
併しだ、一年前にも撮影しているのだが、名前が分からず、宿題となったままであった。
先日、改めて植物図鑑をみるなかで、
もしかすれば、この花ではないだろうかという花を、図鑑中に見付けたのだが確信がなかった。
そんな中、この9月30日に、寝屋川右岸の道で群生しているこの花の前で、
この花を触りながら話をしておられる二人の女性がおられた。
其処で僕は、よい機会だと思い「この花はオシロイバナでよろしいんですか?」と訊ねると、
「そうですよ」という快い返事があったのだ。
今朝、寝屋川左岸の道を歩くときにも何度か見掛けた。
「8月以降長く咲き続ける」「胚乳は粉状で白く、白粉花の名はこれによる」
「メキシコの原産で、世界各地に広く栽培されている」
「日本には江戸時代に入る」などと図鑑に記されている。

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ママコノシリヌグイ(くろんど園地の尺治川沿いにて)

2020年10月25日 | 植物
2020年10月02日(金)
『ママコノシリヌグイ』
<くろんど園地の尺治川沿いにて>
2019年10月13日、打上川治水緑地で知り合った僕と同年代の女性と二人で、“くろんど園地”散策を愉しんだ。
そのときに尺治川沿いのハイキングコースを歩くときに、この写真の[ママコノシリヌグイ]に出合っているのだが、
あのとき僕は、このタデ科の[ママコノシリヌグイ]を彼女に「ミゾソバだ」と説明してしまった。
帰宅してデジカメよりパソコンに写真を取り込むと、
現場では我が老眼にはミゾソバに見えたその小さな花達は[継子の尻拭]であったのだ。
後日、早朝に打上川治水緑地で彼女に出会ったときにその旨を伝えたと日記に書いている。

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打上川治水緑地・ヒガンバナ(曼珠沙華)が群生

2020年10月23日 | 我が街中歩
2020年09月27日(日)
『打上川治水緑地』
<ヒガンバナ(曼珠沙華)が群生>
今朝の目覚めは4時30分頃、屋外には雨音があった。
ところが暫くすると雨音が消えたので、傘を持って街中歩に出掛ける。いつもの道を行く。
寝屋川右岸の道より十月桜の道を通り、打上川治水緑地には東方より入り、
外周を一周歩いてまた東方より治水緑地を離れ、三井が丘の街中道を貫けて帰路につく。
打上川治水緑地の西方にやって来ると、府道沿いの土手40㎡くらいの面積に、
ヒガンバナ(曼珠沙華)が群生していた。赤だけでなく、昨年同様、白のものもあった。
24日から26日の三日間、僕は街中歩を愉しんでいなかった。
4日前の23日には、治水緑地北側の外周直線路に今秋初めて彼岸花を見たのだが、
その数はまだ数えられるくらいのホンの僅かだったと思う。ところが4日間で見事に増えたのだ。
打上川右岸の道を歩くとき、二種類の小さな花が眼に留まりカメラに収める。
また、南側の道に入った直ぐの処の左手の樹木の葉っぱが、紅く染まっているのに気付き、やはりカメラ収める。
併しだ、帰宅して植物図鑑を紐解くが、残念ながら名前が分からない。
紅色の彼岸花や紅く染まった葉っぱを見ると、深まりつつある秋を感じる。



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十月桜(花開く)

2020年10月19日 | 植物
2020年09月21日(月)
『十月桜』
<花開く>
5時10分のスタート。いつもの道を行く。
打上川治水緑地には東方より入り、先ずは内周を、続いて外周を一周ずつ歩き、
東方より治水緑地を離れ、十月桜の路を通ると桜が咲いていた。
その姿を写真機に収め、寝屋川左岸の道を行き、上観音橋を渡り、いつもの道で帰路につく。
ところで、“十月桜の道”とは、治水緑地の東方より府道を渡り、
寝屋川左岸の遊歩道へと繋がる100m余りの道のことだ。
その道を僕が勝手に“十月桜の道”と呼んでいるのだが、
それは、その道沿いに植樹されている樹木の一本に“十月桜”と書かれた名札が掛かっていて、
その辺りに植樹されている数本の樹木が“十月桜”に違いないだろうと思っているからだ。
“十月桜”という存在を始めて知ったのは、
寝屋川左岸の道に立っている『「サイクルロードはちかづき」に色づくサクラ』という掲示版に、
“神代曙”始め、“染井吉野”や“十月桜”、“寒緋桜”、“冬桜”など5種類の桜の名称とその説明が記されている。
“染井吉野”は有名なのだが、それ以外の桜は、僕にとっては初めての桜ゆえ、
どんな花が咲くのだろうか、何処にあるのだろうかなどと思っていた。
そんなとき、いつの日だっただろうか、早春だったと思うのだが、
寝屋川右岸の道を歩くときに、白い桜が咲いていた。早春ゆえ、これが冬桜なのだろうと思うことにした。
また、“神代曙”は打上川治水緑地にある1本の樹木に“神代曙”という名札が掛かっていて、
その後、咲いている姿をカメラに収めたことがある。
しかし“十月桜”と“寒緋桜”は眼にすることはなかった。
そんなとき、それまで歩いたことがない道を、昨年のいつの日にか歩くときに、
一本の樹木に『十月桜』という名札が掛かっているのに気付いたのだ。
それ以降、その道を歩くときには、その樹木に花が咲くのを愉しみにしていたのだ。
そんななか今日、その樹木にほんの僅かだが、小さな花弁が開いていた。
それはほんとうにささやかに、申し訳なさそうに開いていた。


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ほしだ園地・星のブランコ

2020年10月16日 | 山野逍遥
2020年09月20日(日)
『山野逍遥』
<ほしだ園地>
[京阪・私市駅] → [星の里いわふね] → (かわぞいの路) → [ピトンの小屋] → [星のブランコ] → [やまびこ広場] → [展望デッキ] → [星のブランコ] → [ピトンの小屋] → (かわぞいの路) → [京阪・私市駅]
<星のブランコ>
9月に入った頃、娘夫婦が仕事から離れられる次の日曜日に、家族で私市に行こうという話が持ち上がった。
ところが、降雨の予報で残念ながら中止となる。
その後、如何なる経緯で、僕が孫三人を連れて、山に行くことになったのかは覚えていないのだが、
その場所を“ほしだ園地”にしようと決めたのは僕であった。
それは、J太郎は過去に、まだ幼いときに、“くろんど園地”と“ほしだ園地”には、
合わせて十数回行っているのだが、“星のブランコ”を渡ったのは一回のみ、
またK子も、“くろんど園地”には三回くらい行っているのだが、“ほしだ園地”には行っていない筈ゆえ、
山に行くのが初めてのH子は兎も角、“星のブランコ”の高所より、緑に包まれた景観を三人に見せてやりたいと思ったからだ。
上さんと娘にお弁当を作って貰って、9時前に我が家をスタートして帰宅したのは16時前頃だっただろうか。
家を出たときより、僕が担ぐ筈だったザックを5年生のJ太郎が背負い、
J太郎が担ぐ筈だったリュックサックを3年生のK子が背負い歩き続けた。
なかでも、J太郎が担いでいるザックには、4人分の弁当と二本のスポーツドリンク、医療品、備品などが入っている。
その上に、僕が使う予定だったトレッキングポールと傘も入っているので、
しっかりとした重量だった筈なのだが、最後まで「重たい」という言葉を発することはなかった。
また、学校のクラス中で背丈順に並ぶと前から三人目だというあまり大きくないK子のリュックサックには、
冷たい麦茶が入った大きな保温性水筒始め、三人分のカッパや手拭き、着替えなどが入っていた。
このリュックサックは本来ならJ太郎が担ぐ予定ゆえ、
これまたK子にはそれなりの重量になっていた筈なのだが、何も言うことなく終始背負い歩き続けた。
そしてだ、保育園年長組のH子も「抱っこ!」と言うことなくよく歩いたし、星のブランコも怖がらずに渡ったのには感心するばかりであった。
三人の歩みはしっかりとした歩みであったが、しかし僕は、背中に何にも背負っていないにもかかわらず、
3人について行くだけで精一杯で、H子の面倒を見る余裕なんてなかった。
前を歩く三人を見ながら、4日前の霊仙山山行の疲れがまだ残っているのかも知れないなんて考えていた。
やまびこ広場で弁当にするとき、「吊橋が見える展望台があるよ!」と言うと、
昼食後「展望台に行こうよ!」とK子が言う。
しかし動くのが嫌だった僕が、「あそこを右の方へ上って行けば、直ぐに着くよ!」とK子に伝えると、
三人は僕を置いて展望台へと向かった。
往路でも遊んだのだが、帰りも、ピトンの小屋前のクライミングウォール横の子供用の人工壁で暫くの間、三人は遊んだ。
また連休だからだろうか、ハイキングを愉しむ人も多く、
ピトンの小屋横には杵屋が車両を持ち込み、杵屋キッチンを開店していた。孫三人は其処でかき氷や白玉善哉を愉しんだ。
孫三人に連れられての“ほしだ園地”は花を愉しむどころではなかった。
シュウカイドウやハギなどが眼に留まったが、立ち止まることさえなかった。


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秋に咲く花の色彩は、淡いものが多い

2020年10月12日 | 我が街中歩
2020年09月19日(土)
『我が街中歩』
<秋に咲く花の色彩は、淡いものが多い>
5時04分のスタート。いつもの道を行く。
寝屋川右岸の道より寝屋川左岸の道を進み、
打上川治水緑地には西方より入り、外周を一周歩いて帰路につく。
昨日が最も酷かったのだが、今朝も、この16日の霊仙山山行の筋肉痛が残っていた。
寝屋川右岸の道に入ると、三種類の花が繁茂している。
それらは、川に沿って張ってある金網に絡みつき咲いている、
朱赤のマルバルコウと空色のノアサガオの二種類と、
金網の下部の其処彼処から顔を覗かせている紅色の花はオシロイバナだろう。
そして、打上川右岸の道に入ると、川沿いの草むら中に咲く二種類の花を撮影し、
帰宅してパソコンに取り込み拡大して植物図鑑を参照するが名前が分からない。
外周路の南方では、どんぐりが生る樹木も撮影するがこれもやはり名前が分からない。
春の花と違って、秋に咲く花の色彩は、淡いものが多いように思われる。


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滋賀・霊仙山(29頭の鹿に出合う)

2020年10月07日 | 山野歩
2020年09月16日(水)
『山野歩』
<滋賀・霊仙山>
<榑ヶ畑~今畑~笹峠~霊仙山~経塚山~榑ヶ畑>
[コースタイム]
[榑ヶ畑・駐車スペイス]9:12 → 9:49 [榑ヶ畑・登山口] → 10:00 [売店小屋] → 10:19 [汗フキ峠] → 11:04 [落合] → 11:10 [今畑] → 12:18 [笹峠] 12:33 → 13:44 [近江展望台] → 14:53 [霊仙山最高点] → 15:05 [霊仙山] → 15:28 [経塚山] → 16:04 [霊仙神社] → 17:07 [汗フキ峠] → 17:31 [榑ヶ畑・登山口] → 18:06 [榑ヶ畑・駐車スペイス] 
◆所要時間:8時間54分
<29頭の鹿に出合う>
初めて霊仙山にやって来た。
昭文社の地図と小冊子を見て、案内にある通りに歩こうと決め、榑ヶ畑登山口より入山し、
一旦今畑へと下り、それより笹峠から西南尾根を辿り霊仙山頂を踏み、
経塚山経由でスタート地点である榑ヶ畑登山口へと下山する計画であった。
小冊子では、榑ヶ畑登山口まで車が入れるとのことであったが、
その手前で、林業関係者以外は乗り入れ禁止と書かれたゲートが設けられ、
それが叶わなかったことで、車を止めた処より、榑ヶ畑登山口まで舗装道路を歩くことになり、
それに37分も費やしてしまったのは、計算外であった。
閉まっている売店小屋を左に見て右折し上って行くと、間も無く汗フキ峠に到着したのだが、
それより落合へと向かう傾斜気味の下降路が至極怖かった。
トレッキングポールと設置してあったプラロープとが無ければ、僕の足腰では恐らく下れなかったに違いない。
今畑より笹峠への上り道で、予定以上に時間を費やしてしまい、
笹峠に到着したときには、既に12時が廻っていたので其処でお昼にする。
立った儘の姿勢で菓子パンを食べ、スポーツ飲料を呑み、15分後にはまた歩き始めた。
間も無く森林限界を過ぎ西南尾根に入ると、これまた歩き難い上り道が続きかなり疲れてしまう。
やっとのことで近江展望台に到着し、前方に連なる緩やかな山容を眺めると、
これでしんどい上り道から解放されるという安堵感が、我が心中に拡がったのだが、
それがそもそもの間違いだったのかも知れない。その安堵感の所為で二度も道を間違ったのだ。
今歩いている道は、踏み跡はあるのだが、どうも本来の道ではないようだと思い始め、
いずれも、来た道を引き返し、眼前のピークを目指すことにより解決したのだが、
予定外の時間と身体力を費やすることとなった。
それは、のっぺりした丘のような、同じような標高の山が周辺に幾つも連なっていて、
しかも其処彼処に道らしき道があるのが、道を間違った原因のように思えた。
道を間違ったお蔭でよいこともあった。それは29頭もの鹿に出合えたことだ。
霊仙山最高点前後くらいからだっただろうか、足下に沢山の黒くて丸い糞がころがっているので、
どうも鹿がいるようだと思っていたのだ。それは、道を間違えた二度目のことであった。
眼前のピークを目指し懸命に戻るときに、三頭の鹿が左手の尾根から僕の方を見ているのに気付いたのだ。
そしてだ、それより本来の道に戻り、これで今日中に我が家に帰れそうだと、愉楽の気持で歩き始め暫く経ったときのことであった。
眼前の尾根に沢山の鹿がいるのに気付く。
彼等は、好天を愉しんでいるが如くゆったりとした歩みで東へと進んでいる。
そうこうしているうちに軽やかに駆け始めたのだ。慌ててその頭数を数えると、なんと26頭にもなった。
それは既に15時半が廻っている時刻のことであった。鹿が我が視界から消えるのを待って帰路につく。
29頭もの鹿に出合えたことに嬉しさを感じ、それまでの疲れが吹き飛んだようだ。
歩き始めると、左手より鈴の音が聴こえてくるので、その方向に眼をやると、
30㍍ほど離れた処を僕と同方向へと進む独りの人がいたが、直ぐに僕の視界から消え去った。
鈴の音を聴いたときに、入山時に“熊出没”という看板があったのを思い出した。
今日の山行で見掛けた人はこの人も含めて三人で、笹峠より近江展望台へと懸命に上るときに、
南方を上から下りて来られた人と、今畑より笹峠へ向かうときに出会った人との三人だ。
今畑より笹峠へ向かう道で出会った男性とは言葉を交わす。
その中高年の男性は「彦根から来ました」「トレーニングが目的です」などと仰った。
今日の山行では、こむら返りに陥ることはなかった。
しかし、歩き難い西南尾根を懸命に上りやっとのことで近江展望台に到着したときに、
こむら返りの予感があったので芍薬甘草湯を一袋服用した。
この一袋が最後まで効いたのかも知れないし、終始、我がペースで歩いたからかも知れない。
車を止めた処より榑ヶ畑登山口へと舗装道路を歩くときに、我が眼を愉しませてくれたのは、
マツカゼソウとヘツカリンドウ、そしてタンナトリカブトだ。
なかでもマツカゼソウは、榑ヶ畑登山口より、今畑経由で笹峠までの森中では再三姿を現した。
その笹峠では、アケボノソウが眼に留まる。この花が咲くのに気付いたのは、後にも先にも此処だけであった。
汗フキ峠より落合へと向かう至極怖かった下降路では、足下にミズヒキが咲いていた。
笹峠より近江展望台へと続く傾斜のあるしんどい上り道は、ベニバナボロギクの天下といっても過言ではなかった。
それは花だけでなく白色の冠毛がかなり目立っていた。
その間隙に時折、黄花のカタバミが現れ、そしてもう一つ、ほんとうに小さな唇形の淡紅色の花にも何度か出合ったのだが、名前は分からない。
近江展望台より、石灰岩のカレンフェルトの道(小冊子による)を進むときには、トキワハゼやヒメフウロが眼に留まる。
また、エゾムラサキに似た小さな紫花も僅かに見ることができたのだが、残念ながら正確な名前は分からない。
霊仙山より経塚山への道ではタンナトリカブトがまた現れる。
それ以降は、陽が落ちるまでになんとか榑ヶ畑・登山口に着きたいと思い、花どころではなくなり、先を急ぎ歩き続けた。

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我が夢・“美空ひばり”が現れる

2020年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム
2020年09月13日(日)
『我が夢』
<“美空ひばり”が現れる>
我が夢に“美空ひばり”が現れた。それは目覚め前の6時頃のように思う。
我が夢に芸能人が現れるのは、もしかすれば初めてのことかも知れない。
原っぱで、“美空ひばり”の誕生日会が行なわれている様子であった。
ファンが“美空ひばり”を10㍍ほど離れ取り巻く。
歌う姿は無くて、司会者らしき人と“美空ひばり”が語っている姿であった。
その姿は10代だ。
僕は最前列で原っぱに腰を下ろして“美空ひばり”の姿と語らいに夢中になっている様子であった。
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