山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

八ヶ岳(大同心&小同心)

2013年07月27日 | 岩登り

P7140093

◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳にて

(大同心)

2013713日(土)~15日(月) 

『T山の会』

<八ヶ岳(大同心&小同心)>

■参加者:ABちゃん、MOくん、YUさん

[コースタイム]

◆一日目

[大阪梅田]2230→(夜行バス)→520[小淵沢]→(タクシー)→[阿弥陀岳への道]700→[八ヶ岳山荘]730820[赤岳山荘]850940[堰堤広場]→1115[赤岳鉱泉]1205→(大同心稜)→1430[大同心直下幕営地]

◆二日目

[大同心直下幕営地]430→[大同心基部]→450[小同心クラック取付]510645[横岳]→(大同心ルンゼ)→[大同心南稜取付]805920[バンド]→(大同心ルンゼ)→[大同心直下幕営地]

◆三日目

[大同心直下幕営地]520635[赤岳鉱泉]700840[美濃戸山荘]9001020[八ヶ岳山荘]

<ルートファインディング>

「歩くことができたら今回の山行は八割方成功したようなもの」とMOくんは語った。それは、入山日に20kgを超えるザックを担いで赤岳鉱泉を越え、急登の大同心稜を大同心直下幕営地(予定)まで登るところに理由があった。

今年1月上旬に再び腰痛に陥り、6月初旬まで殆ど運動らしきことを行なっていなかった僕は、入山日に7時間近くも歩き、中でも急登の大同心稜を上り切る自信は殆どなかった。5月中旬になって気温の上昇と共に腰痛が改善し始めた僕は、一念発起して619日に街中走(約6.3㎞)を実施した。その後山野走も含めて本チャンまでに走った距離は100㎞を越したのは間違いがない。また、77日に25kgを超すザックを担いで座頭谷より東六甲縦走路経由で宝塚まで、夏山参加メンバー3人で歩荷を行なったことも自信につながった。その甲斐あってか、ABちゃんとMOくんに然程迷惑をかけることもなく大同心直下幕営地に辿り着くことが可能となったのだが、それは僕が勝手にそう思っているだけで、ABちゃんとMOくんは「会長は遅いな!」と終始思っていたのかもしれない。

ところで、今回の山行で痛感したこと、それはルートファインディングにおける自身の経験不足であった。それに比してMOくんのそれは称賛に値するものであったと考える。なかでも、横岳登頂後、大同心ルンゼを下降するのだが、先行くMOくんは僅かにコマクサが開花する処より、硫黄岳へと向かう縦走路を離れ微かな踏み跡らしき処を平然と下った。其処に至るまでに降り口らしき踏み跡が何箇所かあったが、それらに一度も足を踏み入れることなく迷うこともなく大同心ルンゼへの途を正確に選択し下った。また、小同心クラック取付への道も然りで、迷うことなく辿り着いた。僕は、MOくんの的確な判断力に感嘆するばかりで、僕ならけっしてそうはいかなかっただろうと思う。

大同心南稜登攀においても僕のルートファインディング力不足が露呈した。「大同心南稜登攀は会長のための企画」とMOくんは当初より語り、僕にリードを任せてくれたのだが、1ピッチ攀じたところよりクライミングダウンせざるを得ない事態に陥ってしまった。その原因は自身のルートファインディン力を信頼することができなかったからだろう。

雨はしっかりと降ったが、ある意味では天候に恵まれた山行でもあったように思う。入山日、大同心稜を懸命に上るときに降られなかったことを感謝した。もし降っていたなら僕は足下の悪路に疲労困憊したに違いないと思う。また曇天ゆえ夏の陽射しが殆ど届かなかったことも幸いしたように思う。天幕に入ったころより落ち始めた雨は夜半になっても降り続き、登攀を半ば諦めていたのだが、起床時(130分)にはあった雨音がいつしか消え、幸運にも登攀開始時には岩壁は乾いていた。

幕営地は3人用天幕がギリギリ納まるという額ほどの面積の凹凸のある傾斜地で、一本の樹木の幹のお蔭で斜面を滑り落ちることなく、かろうじて天幕がその場に踏み留まっているという恰好であった。坐る(ABちゃんやMOくんの配慮で僕は脚を伸ばすことができた)ときも、また、就寝時も脚を折り曲げた状態で身体を伸ばすことができず、長時間に亘り辛い姿勢を余儀なくされる天幕生活であった。ところで、MOくんの提案により就寝時にウールの下着を身につけたお蔭で、シュラフが無くても寒気を感じることはなかった。

今回の山行目的は、僕にとっては「岩登り」だけではなく「6年振りの高山植物を愛でる山行」でもあった。そして八ヶ岳は僕の期待に十分に応えてくれた。

幕営地周辺で開花していたシャクナゲはハクサンシャクナゲだろう、花弁の中央部に淡紅色の色彩を持つ透明感のある美しい白花が天幕を包むように咲いていた。大同心稜の途ではキバナノコマノツメが度々顔を覗かせ、ゴゼンタチバナの白花も再三姿を見せた。シロバナヘビイチゴの白花にも度々出合ったし、大同心稜入口から暫くの処では結実した赤色も目に留まった。また、大同心稜中間辺りだったと記憶するが、懸命に脚を前へと進める僕の左傍らを僅かに一輪のみだがコイワカガミが通り過ぎて行った。薄紅紫の花があったが名称は分からない、ウチョウランのようにも見えたがきっと間違っているだろう。次に現れた白花の名称も分からない、花弁の形状はイワカガミに似ているが花の色も葉っぱの形状もまったく違う。ほんの僅かな草叢に白花のムカゴトラノオが伸び上がっていた。

小同心クラック取付でハクサンイチゲに出合い、大同心ルンゼを下るとき、一塊りのイブキジャコウソウを見かけたが、後にも先にもそのときのみで、後になって写真機に収めなかったことを後悔したが始まらない。その直ぐ下方で青紫色のウルップソウの群落に出合い、その至近距離に紅紫色のオヤマノエンドウが拡がる。その傍らの岩場には黄花のイワベンケイがしっかりと岩に張り付いていた。

大同心ルンゼを二度目に下るときには、紅紫のミヤマシオガマ、その傍らには雄しべが黄色で8枚の白色花弁を持つチョウノスケソウ。下方には大きな青紫色の花弁のミヤマオダマキの群落があり、その傍らで白花を咲かせていたマメ科の花はシロウマオウギだろうか。それより暫くで、ウスユキソウと思われる植物があったが、開花まではまだ日数を必要とする様子であった。その近くにミヤマキンバイと思われる黄花が僅かにあった。

帰路、赤岳山荘付近でカメラに収めた花は白花のオダマキ、それから直ぐのところにホタルブクロが開花していた。

僕の足下から両手に余るぐらいの石塊がルンゼを転がり落ちる。大声で「ラ~ク!」と叫ぶと、下方より「ワ―」というABちゃんの驚殺の声が聴こえた。否、聴こえたように思った。静寂の時が過ぎ…。

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ほしだ園地(羨望の眼で)

2013年07月19日 | 山野走

Si001

◆撮影:2012年10月13日、ほしだ園地にて

(キンミズヒキ)

201376日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]74300→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→80343[ピトンの小屋]80800(さえずりの路)82241[やまびこ広場]82800(まつかぜの路) 85805[飯盛霊園・境界鞍部]90000 (せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→73737[私市駅]

◆所要時間:1時間5437

<羨望の眼で>

“星のいわふね” を過ぎ“かわぞいの路”を行くとき、20匹近くのハグロ蜻蛉に出合った。ゆらゆらゆら、ヒラヒラヒラヒラと右へ左へと揺れながら、僅かな距離を飛んでは直ぐに葉っぱに停まる姿を見るとき、我が走る様子はまさにハグロ蜻蛉のそれではないかと思った。しかし僕の傍らに次から次へと現れ前方へと僕と並行して飛ぶ姿を見続けるとき、「のっしのっしのっし」という僕の走る姿とはまったく違うのではないか、僕の走り方はけっしてハグロ蜻蛉のように軽やかではなく傍目には重い感じがするのではないかとも考えた。

ところで、「山野走」にしろ「街中走」にしろ、走っている間に様々な事柄が我が脳裏を掠めるのが常なのだが、今朝我が脳裏を駆け廻ったのは、一昨日偶然見つけたホームページ(http://www7b.biglobe.ne.jp/~hawaii_8011/muroike_now/muroike_now.html)であった。作者の豊富な知識に感銘しつつ羨望の眼で繰り返し眺めた。それは“むろいけ園地”で撮影した鳥や昆虫、植物などの生き物の写真を載せておられるもので、簡単な説明文も記されている。昨年の720日がスタートという様子で、その作者が生き物の全般に亘り名称やその生態をよく知っておられることに、僕は感嘆するばかりであった。例えば蝶は、成虫だけでなく幼虫であっても、それが如何なる成虫のそれであるかを理解しておられることに驚くばかりであった。

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京都・金毘羅山(大原の風景)

2013年07月12日 | 岩登り

Sii378

◆撮影:2010年1月15日、洛北より

(比叡山)

2013630日(日) 

『T山の会』

<京都・金毘羅山>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOん、MKさん、SEさん、YUさん

<大原の風景>

S山岳会当時、MOくんは金毘羅へは前夜発でよく来たそうだが、殆ど記憶に残っていないという。そんななかで一昨年、MTさんの案内でTのメンバーと一度やって来たことがあったそうなのだが、MTさんの道案内に頼って行動していたので覚えていないという。しかし北尾根や、ホワイトチムニー、ゲートロックについてはそれなりに記憶があったのだろう、僕達の実力で対応可能なルートを選択し彼はリードしてくれた。ところで僕は、35年余り前にMNさんに連れられて一度やって来ただけで、今回が二度目の金毘羅であった。それゆえ記憶に残っていないと言っても過言ではない。

北尾根でⅠ~Ⅲ級ルートを3ピッチ楽しみ、次にやって来たのはホワイトチムニー、この壁で僕達が唯一登攀可能な、また今夏山の練習にもなるであろう“チムニールート(Ⅳ)”をMOくんは選んだ。MOくんとMKさん、そしてABちゃん組が攀じ上った後、僕とUMさんが上った。MKさんはチムニーに入る処で少々手こずったのだが、その理由としてMOくんは「足が使えてない」と表現した。

「もう少し時間がある」というところで、下方のゲートロックに移動する。この壁は見るからに立っているという様子で如何にも手強そうであった。MOくんが選んだルートは“ノーマルルート(Ⅳ)”、このルートはこの壁ではもっとも易しいものであったが、ポイントは取り付きで微妙なバランスを必要とした。僕は二度目の挑戦でリードが可能となったが、僕の現在の実力ではⅣが限界のようだ。

金毘羅山は、北尾根のようなⅠ~Ⅲ級ルートからⅥ級ルートまでのルートがあり、また、壁が其処彼処に点在している所為だろうと思うのだが、不動岩(六甲)のように混雑し順番待ちが生じることはないようだ。また、易しいルートから難易度の高いものまで、フェイスからクラック、チムニー、ハングと、様々なルートが楽しめるのも魅力のようだ。それからもう一つ、バス亭(戸寺)より岩場までそれなりの距離があり、荷物を担いで北尾根を上るコースを筆頭に、岩場から岩場へと移動することで、丁度よい歩荷の訓練にもなる様に思われた。ただ難点は、昔のように泊ることが不可能で、駐車場も無く、また京都駅からバスで戸寺まで一時間くらいを要するところであった。人が少なかったのはそれらが理由なのかもしれない。唯一僕の脳裏に残っている三十数年前の風景、それは北尾根から見降ろす大原の里のそれであった。

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星のブランコ(吊り橋怖くないもん)

2013年07月09日 | 山野逍遥

A106_2

影: 1999年6月、ほしだ園地にて

2013629日(土) 

『山野逍遥』

<星のブランコ>

[コースタイム]

[私市駅]940→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→1050[ピトンの小屋]1130→(管理道)→(ぼうけんの路)→1150[星のブランコ]→(ぼうけんの路)→[ピトンの小屋]1500→[星の里いわふね]→1654[私市駅]

◆所要時間:7時間14

<吊り橋怖くないもん>

腰の状態はまだ芳しくはないが、7月連休の夏山に向けて617日より走り始めた。17日と22日は私市における山野走、19日、25日、27日、28日と、そして今朝も街中走を楽しんだ。併しだ、山野走や街中走の疲労が今日のJ太郎との山野逍遥に如実に現れ、J太郎に申し訳ないことをしてしまったと後悔すること頻りであった。それは、“ピトンの小屋”で、また“星のブランコ”の南側で時間を無駄に費やしてしまい、またひと時ではあったが、J太郎の存在が僕の脳裏から消滅していたからだ。“星のブランコ”を南へと渡った処の木陰に銀マットを敷き、余りにもしんどいので横になったのだが、うっかり眠ってしまい意識が無い時間が暫しあったように思う。J太郎に起されたのかもしれないのだが目覚めたとき、瞬時のことではあったが右足に腓返りが生じた。また、帰路の“ピトンの小屋”なかでも、奥の本棚前の椅子に腰掛けるときにうとうとと眠ってしまったのだ。

帰路、“星のブランコ”を南側から北側へと渡り始めたときに、僕は敢えてJ太郎を後ろに残し足早に前進してみた。一人になった穣太郎が吊り橋上で如何なる反応を示すのかを見てみたいと思ったからだが、耳を澄まして後ろの様子をうかがっていると、歩く気配が無い。そっと振り返ると、そこには立ちすくむJ太郎の姿があった。今朝自宅で「吊り橋渡れるかな?」と訊くとき、「吊り橋怖くないもん」と答えていたJ太郎であったのだが、「怖い」と小声で呟き僅かに泣き顔になった。それより私市駅に辿り着くまでJ太郎は、僕の手をそっと握りにくることが多くなったように思う。そんなとき僕はJ太郎の手をしっかりと握り返しゆっくりと歩いた。

鉄道風木橋を歩く時や“星のブランコ”を渡るとき、眼下に薄紅色のネムノキの花が拡がっていた。“ピトンの小屋”横では華やかな薄紫の紫陽花、小屋前にはシモツケや錦糸梅、散策路の其処彼処ではヒメジョオンが白花を咲かせていた。出合った蝶は、モンシロチョウ、テングチョウ、キチョウ、コミスジ、そしてJ太郎が好きだというジャノメチョウ(コジャノメ)、その他、多くの蛾や蝶を見かけたが名称は分からない。“ピトンの小屋”より少し上手でオニヤンマ、“かわぞいの路”ではハグロ蜻蛉に出合った。見上げる我々の頭上を周回するオニヤンマを見て、「行ったり来たりしている」とJ太郎は表現した。名称が分からない様々な生き物を見かけたが、中でももっとも多かったのは黒蜘蛛だろう。頭部と尻部に分かれまん丸い形をした身体の色彩は見事なまでに黒色であった。

ところで、“ピトンの小屋”中でかなり長い時間を過ごしたのだが、生き物にかかわる本がこれ程までに沢山あるとは今日まで僕は知らなかった。J太郎と僕は暫しの間、二冊の昆虫図鑑を楽しませてもらうこととなった。

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旧福知山線・廃線歩行(遺作の一枚)

2013年07月08日 | 山野歩

Kc3z0010

◆撮影:2013年6月23日、旧福知山線にて

2013623日(日) 

『T山の会』

<旧福知山線・廃線歩行>

■参加者:UMさん、MOくん、MKさん、SEさん、YUさん

[コースタイム]

[JR武田尾駅]1303[エントランス広場]1450[廃線・終了地点]→1512[JR・生瀬駅]

<遺作の一枚>

7月の夏山を想定して、不動岩でザックを担いで懸命に登攀している筈であったが、僕とMKさん組は、東壁Ⅲ級ルートを一本攀じ上ったのみで、またMOくん、SEさん、UMさん組は僕達よりも右側のやはりⅢ級ルートを一本攀じただけで不動岩を後にした。それは1本目を上る途中より僅かだが雨が落ち始め、時間の経過の中で岩が確実に濡れ始めたからで、MOくんの判断で「歩荷に変更」ということになった。また、何処を歩荷するかという話の中で、誰の提案であったのかは記憶にないのだが“旧福知山線の廃線”と決まる。そのとき僕は、岩登りを中止することに後ろ髪を引かれる思いではあったが、結果として、歩荷に変更したことが正解となった。それは雨が止むことがなかったからだ。廃線を歩くとき、「止むんではないか」「不動岩を後にするんではなかった」と、後悔するときもあったりしたが、決して強くはなかったが傘が必要なくらいにシトシトと降り続いた。

この“旧福知山線の廃線”を僕は過去に何度か歩いたことがある。それはもう20年以上も昔のこと、その中で僕が明確に記憶しているのは、二人の娘とハイキングにやって来たときのことである。今は亡き長女が、僕が撮影した“旧福知山線の廃線”の写真をもとに数年後に、高校一年になったときに油絵を一枚画き遺作の一枚となっているからだ。我が家は家族でよく山や森中へ行ったものだが、そして多くの写真が残っているのだが、絵を画くのが好きであった長女が僕の撮影した写真を絵にしたのは、この武庫川沿いの廃線と、小学三年生の夏に訪れた上高地岳沢の流れを後に画いた二作品のみだから、トンネル中の「闇」と、トンネル中から出口の向こうに見える「光の煌き」が娘の脳裏に深く刻まれていたのかもしれない。

生瀬駅に辿り着いたとき、僅か二時間ほどの歩荷にもかかわらず、僕は当然のことながら全員疲労していたように思う。新岩始め嘗て攀じたかもしれない武庫川対岸の岩を見ながらの歩荷は、廃線に這入って直ぐに現れたちょっとした広場で休んだ以外は、僕にとってかなりの速歩であった。この廃線を歩いた二時間足らずの間に出合った廃線ハイキングを楽しむ人の数は、雨にもかかわらず軽く百人を上回っていたのではないだろうか。

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ミドリヒョウモン(羨ましいくらいの俊敏な舞い)

2013年07月05日 | 山野走

Sii141_2

◆撮影:2010年7月10日、くろんど池にて

2013622日(土) 

『山野走』

<くろんど園地>

[コースタイム]

[私市駅]73600→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→80958[くろんど池]81400(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)82631[展望台]83000→(管理道)→85053[キャンプ場]85900→(管理道)→(やまごえの路)91748[水舞台]9220092852[草原広場]93100→[すいれん池]→95435[私市駅]

◆所要時間:2時間1835

<羨ましいくらいの俊敏な舞い>

“くろんど池”に着いたとき携帯をみて愕然とした。それは私市駅をスタートしてから“くろんど池”に至る時間に34分も費やしたからだ。「今まででもっとも遅いタイムになるかもしれない」と考えながら走っていたのだが、案の定それが現実となってしまった。

上り階段以外で歩いたつもりはないのだが、前に伸びない我が足を見つつ私市の森中を走る中で、20数年ほど前のことを思い出していた。「私市駅~くろんど池間の往路(上り道)は21分台、復路(下り道)は18分台で走ったよな」「普段殆ど走ることが無くてもそれなりのタイムで走れたよな」と。私市駅より “くろんど池”への道では楽しかった筈の山野走が、“キャンプ場”への上り道(管理道)を駆けるときには、至極しんどい辛い山野走へと変化していた。「昨晩の睡眠時間が5時間足らずで睡眠不足気味だよな」「曇天にもかかわらず暑いな」などと、走れない理由を探しながら、しかし懸命に腕を振り続け疲労困憊で私市駅に戻って来たときには全身びしょ濡れという状態であった。

展望台に上り遠景を眺めると生駒山は雲の向こうに霞む。奈良県方面の峰はまったく見えない状況だ。我が家窓から見上げた6時前の空は、青空中に美しい白い絹積雲と絹層雲が拡がっていた筈だがいつの間にか曇天となり、今にも雨が落ちてきそうな様子であった。突然、二頭の蝶(ミドリヒョウモン)が緑の絨毯上を勢いよく滑空した。羨ましいくらいの俊敏な舞いに暫し眼を奪われた。

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