山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

美空ひばり(北原白秋作詞、山田耕筰作曲・砂山)

2018年11月26日 | 音楽
2018年11月17日(土)
『美空ひばり』
<北原白秋作詞、山田耕筰作曲・砂山>
昨晩、24時が廻ったころ、ラジオの電源を入れるや否や流れ始めたのは、美空ひばりの歌声であった。
砂山という曲名で、作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰との解説があった。
しかしその曲は僕が知っている砂山ではなかった。
数分のことであり残念ではあったが、僕が持っている美空ひばりのCDに入っていない曲であったのと、
美空ひばりが歌う初めて聴く曲ゆえ、何か新鮮な心持ちで歌声を楽しんだ。
さて、昨晩の歌声は、美空ひばりが何歳のときの作品であったのだろうか。
ところで、ここのところ僕が聴き続けている美空ひばりのCDには、
「江戸ッ子佐七」から始まって「思い出の鞄」まで14曲が入っている。
なかでも今気に入って度々聴いている曲は「哀愁平野」と「ある女の詩」だ。
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オカタツナミソウ(比良山系・神璽谷)

2018年11月22日 | 植物
2018年11月14日(水)
『オカタツナミソウ』
<比良山系・神璽谷>
先日の4日、神璽ノ滝を見たいと思いやって来た比良山系・神璽谷。

降り続いた雨は神璽谷の後半には止んでくれた。
しかしトラロープが張られた急傾斜の上り下りやトラバースが続いたため、
泥濘んだ足下のみを見て慎重に歩き続けなければならなかった。
そんなとき、足下に淡い青色の小さな花があるのに気付く。
この日の山行で花に出合ったのはこのときに撮影したこの[オカタツナミソウ]のみであった。
気付いたそのときには瞬時にタツナミソウだと思ったのだが、
同時にこの季節ゆえタツナミソウである筈がないとも考えた。
それは、タツナミソウが咲くのは5月、6月だからだ。
立った儘の姿勢の我が老眼では、足下に咲く花をしっかりと捉えることが出来ない。
腰痛ゆえ屈むのが苦手なのだが、
腰を下ろして具に見るとその花は間違いなくタツナミソウであった。
季節を違えて咲いたようだ。
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生駒山系縦走路・私市駅より黒添池経由で交野山へ(ゆったりとした心持で歩ける道)

2018年11月19日 | 山野歩
国見山からの景観

2018年11月11日(日)
『生駒山系縦走路』
<私市駅より黒添池経由で交野山へ>
[コースタイム]
[京阪電鉄・私市駅]7:41→[月ノ輪滝]→8:26[すいれん池]8:43→9:07[黒添池]9:21→10:09[八ツ橋]→[くろんど園地ゲート]→11:43[交野山]12:15→12:32[白旗池]→13:08[国見山]13:34→14:58[JR津田駅]
◆所要時間:7時間17分
<ゆったりとした心持で歩ける道>
今日は山に行く予定はなかった。
ところが昨日の夕飯時になって、夕方までなら僕の自由になる時間を持つことができるということが分かった。
そこでやって来たのが、私市駅より黒添池経由で交野山へと向かう道であった。
この道は、嘗ては走っていた道でもあるのだが、今までに幾度となくやって来ている道で、
必要とする時間もある程度分かっている道ゆえ、また、交野山辺りを除けば起伏のあまり無い道が続くので、
秋の景観を楽しみながらゆったりとした心持で歩ける道でもあった。
併しだ、今日は何事も無く歩けたのだが、
交野市駅方面へ至る道との分岐点より少し前進した小途で写真を撮っているときに、
後方よりやって来られた里村さんという方がおっしゃるには、
台風21号で生じた倒木で、“くろんど園地”内であっても通過できない処が以前にはあったそうで、
今日も台風21号の影響とみられる倒木が其処彼処にあったが、行政がきっちりと道を確保してくれていた。
僕が歩く予定のルートと同じそれを歩くという里村さんとはその快適なハイキング道を交野山まで御一緒した。
第二京阪道路がもう其処という下り道を歩むとき、やはり下る老人がおられた。
その後方上手に池があって、其処では数人の方が釣りをしておられた関係で、
その老人も釣り人かなと思ったのだが、老人は網を持っておられるのだが釣竿を持っていない。
不思議に思って「何を採っておられるのですか」と尋ねてみると、
「むかごです」とおっしゃった。
「むかご?」と訊き返すと、老人は「自然薯です」と応じ、
「食べてみますか」と言いつつ1cm位の丸い実を取り出し僕に渡した。
頂戴すると、柔らかい感触でほんのりとした甘さが口中に拡がった。
「昔は日本アルプスへも行ったが、歩けなくなった今は、
一週間に2~3日森にやって来て、木の実や茸を採って楽しんでいます」と続けられた。
「僕はご主人さんのような知識がないので、残念ながらそのような楽しみを持つことは出来ません」と答えた。
老人は近場に住んでおられるという様子であった。
交野山が近づいたころ急峻な下り階段を歩くときに、何かに足を引っ掛けバランスを失うが、
直ぐ下におられた里村さんが僕の身体を支えてくださったお蔭で、僕は転倒することはなかった。
階段を造るために使用している丸太を固定している鉄杭が、
丸太がずれてしまったことにより鉄杭のみが残り頭をもたげていたのだが、
それに足がとられたのではないかと里村さんはおっしゃった。
今日は其処彼処で秋に出合うという嬉しい山行となったのだが、
八ツ橋の並びに作られている[カタクリの森]にやって来たときに、
そこに立っている縦札を見て、「カタクリが咲く来春にやって来よう」と、
昨年の暮れに考えたことをすっかりと忘れてしまっているのに気付いた。
またもう一つ、「来春にやって来よう」と思ったことがあった。
それは、“くろんど池”の辺に浅香山部屋の大阪場所稽古場(土俵)があったからだ。

春場所の稽古場

すいれん池前のニシキギ

くろんど池辺
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ミヤマセンキュウ(槍沢左岸を歩くときに出合う)

2018年11月15日 | 植物
2018年11月07日(水)
『ミヤマセンキュウ』
<槍沢左岸を歩くときに出合う>
書籍に記載があった
「葉は2~3回3出羽状複葉」「小葉は羽状に深く裂ける」「先は長く尖る」が決めてとなり、
2008年09月18日に次女と槍沢左岸を歩くときに、僕が出合ったセリ科の花は[深山川芎]であることが解った。
「芎」に如何なる意味があるのだろうかと漢和辞典を紐解くと、
字義として「芎藭は、おんなかずら。セリ科の多年草で香気が高く、強壮剤などに用いる」と書かれていた。
前日は横尾山荘に泊り、朝に山荘を出立し槍ヶ岳へと向かったのだが、

写真(上)横尾山荘

[深山川芎]を見た時には降っていなかった雨が、槍沢最後の上りに差し掛かったころに降り始めた。
娘と二人で歩くあのときはほんとうにしんどかった。
当時の山日記に僕は次のように記している。
「J子がトイレに行きたいというので一旦殺生ヒュッテに入ることにする。それは僕にとって救いであった。
何故ならそのときの僕の体力と精神力では其処より肩の小屋まで一気に上り切れない状態にあったからだ。
殺生ヒュッテと書かれた道標に導かれ懸命に歩む。
俯き足下のみを見て必死に足を前へ進める。
J子の姿を懸命に追う。時折J子の姿が霧中へ消える。
我が身体は冷え切り疲労困憊の状態にあった。」と。

写真(上)上高地
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比良山系・イン谷口~神璽谷~金糞峠~中峠~坊村(神璽ノ滝)

2018年11月12日 | 山野歩
2018年11月04日(日)
『比良山系』
<イン谷口~神璽谷~金糞峠~中峠~坊村>
[コースタイム]
◆[イン谷口]8:35→9:24[釈迦岳へとの分岐]→9:50[神璽ノ滝]9:56→12:07[前山(コンクリート製休憩場)]12:23→12:52[金糞峠]→14:17[中峠]14:27→15:03[ワサビ峠]→15:14[御殿山]→17:04[坊村バス亭]
<神璽ノ滝>
ゴアテックス仕様のヤッケを着てきて正解であった。
イン谷口でバスより下車したときには既に雨が降っていて11時頃まで降り続いた。
雨が上がった後も、樹林などに残る雨粒で衣類は濡れて乾くことはなく、
坊村に到着したときにも衣類もザックカバーも濡れていた。
雨が止んだ後も、陽射しが届かない曇り空が続き身体は然程温まることがなかった。
また足下は泥濘み、急傾斜の上り下りやトラバースでは慎重に歩く必要があった。
なかでもトラロープが続く神璽谷の後半は、
これを下るのは平衡感覚が鈍っている僕にはちっと辛いよなと思いつつゆっくりと足を運んだ。
今日の山行の目的は、神璽ノ滝を見たいと思い計画したものであった。

それは、昭文社の地図に記載されている滝のなかでも、
八淵の滝と神璽ノ滝のみが〇で囲まれ色彩を変えて強調されていたからだ。
しかし滝の上部の様子がどのようになっているのかが分からないので、
滝下に立つ僕の眼には平凡なそれにしか見えなかったのが残念であった。

今日の山歩きのなかでもっともしんどかったのは中峠への上り道であった。
これまでに利用したことがないヨキトウゲ谷沿いのこの道を歩いてみたいと選択したのだが、
此処でかなりの脚力を消耗したようで、途中で小休止にして芍薬甘草湯を服用した。
次に芍薬甘草湯を服用したのは御殿山が過ぎてからであった。
小休止するときに下山して来られた方と一緒に坊村まで様々な話しをしながら、僕にとっては速足で歩いたので、
17時21分のバス時刻ギリギリにしかバス亭に着かないだろうと思っていたのだが、17時過ぎには到着することとなった。
その下山時に出会った僕と同年代の堅田に住いを構えるMさんは何事にも詳しい人で色々と教えてもらった。
その方が話された話題の中に山に於ける二つの遭難にかかわる話があった。
二つとも最近に比良山系で発生した死亡事故で、一つは奥の深谷、二つ目は夫婦滝で起きたもの。
一つ目の奥の深谷での滑落事故の原因は台風21号で発生した倒木にあったとおっしゃった。
70歳くらいの御夫婦が御殿山から坊村へと続く道を歩くときに、
倒木により登山道が塞がれ道が判然とせず迷い、
知らず知らずのうちに奥の深谷に至り滑落してしまったとのことであった。
また夫婦滝辺りで起きた滑落事故も70歳台の方だったそうで、
これらの話しを聴くうちに僕は、三重県の某山域で2013年に僕自身が起こし、
大勢の方々に迷惑を掛けてしまった滑落事故を思い出してしまった。
また、倒木が原因で道に迷うのだろうかと考えるときに思い出したのは、
先日の10月21日に京都の八丁平へ行ったときの光景であった。
それは峰床山より八丁平へと下るときに出合った夥しい倒木で、
根っこよりドサッと倒れてしまうという信じられない倒木が連続して現れ、
暫くの間、判然としない道が続いたのを思い出した。
今日出合った花は、
神璽谷を歩くときに足下に咲いていた背丈5cm足らずのオカタツナミソウのみであった。
咲く姿を見つけたときには「タツナミソウが今?」と瞬時我が眼を疑い、腰を下ろしてつくづく見ることになったのだが、
その淡い青色の花は間違いなくタツナミソウであった。
それは[タツナミソウ]は5月から6月にかけて咲く野草だからだ。
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ミヤマシオガマ(八ヶ岳・大同心ルンゼ二度目の下降時に眼に留まる)

2018年11月08日 | 植物
2018年11月01日(木)
『ミヤマシオガマ』
<八ヶ岳・大同心ルンゼ二度目の下降時に眼に留まる>
2013年7月14日、
八ヶ岳・大同心ルンゼ二度目の下降時、
紅紫色の花弁をしっかりと拡げている[ミヤマシオガマ]が眼に留まる。
茎先に上向きの花を密につけている。
上唇の先端下部に2本の小さなとげ状突起があるのが特徴だ。
下唇は3裂し中央裂片は小さい。
[ママコナ]や[オオイヌノフグリ]と同じ[ゴマノハグサ科]の仲間だ。

大同心
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ダイモンジソウ(仁川渓谷で咲いていた)

2018年11月03日 | 植物
2018年10月29日(月)
『ダイモンジソウ』
<仁川渓谷で咲いていた>
この写真の[ダイモンジソウ]は、
2006年10月29日に兵庫県の仁川渓谷のムーンライトという岩場で
山仲間と岩登りに興じるときに気付き撮影したものだ。
この時の山日記に僕は次のように記している。
「決して華やかではないが秋爽に似合うその清楚な花は、
陽射しが届かない微かに暗い渓谷の湿った岩上に無数の花弁を開いていた。
我が眼が追える範疇の上流渓谷岩上に点々と群生する白色の花弁は、
傍まで近づき初めてそれが大文字草だと確認できたのである」と。
また先日の10月14日には、
比良山系(八淵の滝から八雲ヶ原へ)に行ったおりにも、
貴船ノ滝を過ぎて間も無い処で、足下に咲いている大文字草が眼に留まった。

仁川渓谷
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