山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

京都北山・花背高原前~雲取山~芹生の里~貴船口(外販母子の痛みが生じる)

2018年08月29日 | 山野歩
2018年08月26日(日)
『京都・北山』
<花背高原前~雲取山~芹生の里~貴船口>
[コースタイム]
[花背高原前バス停]9:12→10:15[寺山峠]→10:27[一ノ谷出合]→11:05[雲取峠]11:15:→11:28[雲取山]12:15→13:19[一ノ谷]→13:28[二ノ谷出合]→13:57[三ノ谷出合]→(林道)→[芹生の里]→15:46[芹生峠]→16:54[貴船神社奥宮]→[貴船神社]→17:58[貴船口駅]
<外販母子の痛みが生じる>

貴船神社にお参り出来たことは嬉しかったのだが、芹生の里に入ったころより始まった舗装道路、
なかでも芹生峠から貴船口駅まで続いた舗装道路のそれなりの勾配のある下り道に閉口する。
それは我が左足の外反母趾が痛み始めたからだ。靴中の足が前へ前へと片寄り続けるからだろうか。
何年か前に外販母子対応の補修をmont・bellにて行なってもらって以降、
外販母子の痛みが生じることはあまりなかったゆえ、
今日穿いた靴下の所為かも知れないとも考えたが、正確なその原因は分からない。
芹生の里で道を間違え、暫くの間、舗装道路を下り続けた結果、
引き返さなければならなかったのも、外反母趾に影響したのだろうか。
花背高原前でバスより下車したのは僕を含めて三人であった。
しかし、歩く準備をしている間に二人の中高年女性は寺山峠方面へと伸びる登山路へと進み、
僕がその道を歩き始めたときには、前方には既に二人の姿はなかった。
その結果、下山して芹生の里に入るまで誰ひとりとして人に出会うことはなかった。
併しだ、人ではなかったが、山中で一頭の鹿に出合ったときには一驚を喫した。
それは、雲取山から二の谷を目指して歩くときのことであった。
大きな倒木の陰に鹿が居ることに気付いていなかった僕は、
それより突然現れ倒木を跳び越えたものが瞬時何ものであるかが分からなかったのだ。
雲取山まではしっかりとした道標があり、道しるべとなるテープも再三現れ、
[雲取山北峰 やく900m]と書かれた標識があるところまで自然と僕を連れて行ってくれた。
その標識の右端に「花背山の家」という添書きがあったゆえ、
「花背山の家」関係者が雲取山周辺の山道の道標設置や伐採等をしてくださっているのだろう。ほんとうにありがとうございます。
雲取山より二の谷へと向かう道はテープが極めて少なくなる。
踏み跡らしき処を歩き、テープを見落としてはいないかと時折振り返りながら前進する。
二の谷へ向かったつもりであったが、到着した沢は一の谷の流れであった。
それより直ぐに二ノ谷出合が現れ、三ノ谷出合を通り過ぎると道は林道へと変化した。
出合った花は、歩き始めて間がない時に見掛けたベニバナボロギク、
またヤマトリカブトが、三の谷出合を過ぎた処辺りで極めて僅かに咲いていたが、
其処には、これから咲くのだろうと思われるヤマトリカブトが群生していた。
林道に入るとマツカゼソウが杉林下や沢沿いに群生し、その姿は芹生の里を過ぎ芹生峠へと至る杉林下にも群生していた。
また、雲取山に到着する頃に、一頭のヒオドシチョウが我が足下にとまってくれたが、
翅を開いていたのはホンの暫くで、写真機を準備し終えたころには閉じてしまい、飛び立つまで二度と開くことはなかった。
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ホテイアオイ(熱帯アメリカ原産)

2018年08月25日 | 植物
2018年08月22日(水)
『ホテイアオイ』
<熱帯アメリカ原産>
2009年8月15日、明日香村を訪れたときの写真だ。
淡紫色の花弁と丸みのある葉っぱが水田一面に拡がり壮観であったのを覚えている。
書籍によると、
熱帯アメリカ原産で明治中頃に観賞用として輸入されたものだそうだ。
[ホテイアオイ]を見たのはこの時が初めてで、そして最後だ。
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京都北山・桑野橋~四等三角点~桑野橋(登山者が殆ど入らない山域なのかも知れない)

2018年08月22日 | 山野歩
2017年08月19日(日)
『京都北山』
<桑野橋~四等三角点~桑野橋>
[コースタイム]
[桑野橋バス停]9:05→(イバリ谷)→11:34[四等三角点548m]12:19→14:18桑野橋バス亭]
<登山者が殆ど入らない山域なのかも知れない>
あることが切っ掛けとなり、2017年の4月よりダイアモンドトレールを歩き始めた。
昭文社の地図を購入し、その解説小冊子に記されているルートからピックアップして歩き始めた。
昭文社の地図にはコースタイムが記載されていて、このタイムを目標として計画を立てるのだが、
しかしこのタイムで歩くことは今の僕には不可能だということが解る。
2017年の7月からは、嘗て楽しませてもらった比良山系を、やはり昭文社の地図を購入し縦走コースを歩いた。
そして現在、5月からは北山(京都)を歩きつつある。
北山を歩くのは今日で三度目、今回選択したルートは桑野橋をスタートして、鷹ヶ峰から烏帽子岳、そして白倉岳へと進む道だった。
しかし烏帽子岳どころか鷹ヶ峰にも達することが出来ず、四等三角点(548m)を確認して引き返さざるを得なかった。
今日出合った唯一の道標は、下山して来てもう其処に国道が見えるという処に立っていた。
この道標に従って進めば、素直に国道に出られるのだろうと思ったがけっしてそうではなかった。
動物の侵入を防ぐための金網が張り巡らされていて通り抜けられない。結局、今朝通った出入り口まで道無き処を歩かねばならなかった。
また、引き返すときに尾根道からイバリ谷へ下る最後の処はかなりの急勾配で、
道は判然としなかったが、次回やって来たときの為に、その場所(沢の様子)をしっかりと頭に叩き込んだつもりだ。

道標は帰路で見付けた一つのみで、テープも至極少なかった。入山時より道が分からなくて苦労する。
昭文社の解説文章に「イバリ谷を渡って急な尾根道に取り付く」とあるのだが、登れそうな処がなかなか見つからなくて、
一旦だいぶん谷の奥まで進むが違うようだと引き返し、ここなら何とか上れるだろうと思う処を、
トレッキングポールを支えにし、樹木を掴みながら急斜面を懸命に上った。
急斜面を上り切り、踏み跡らしき処を、尾根を外さないように暫く進むとテープが現れホッとしたのを覚えている。
しかしそれ以降もテープは少なく、引き返すときの為にやって来た道を、振り返り振り返り後の景色を確認しつつ前進する。
漸く四等三角点548mに辿り着き安堵し一休みとする。時刻は既に11時半が廻っていた。
その時刻には鷹ヶ峰に到着している計画であった。
地図上では、ここから鷹ヶ峰までは今まで歩いて来たのと同じくらいの道程があるゆえ、前進するのか引き返すのかと躊躇する。
しかし兎に角、鷹ヶ峰までは行きたいと思い10分ほど前進するが相変わらずテープが見当たらない。
判然としない道が今後も続くなら、鷹ヶ峰到着はいったい何時頃になるのだろうか。
道に迷うことなく到着出来るのだろうか。もし迷ったときに、迷うことなく引き返すことが可能なのだろうか。
バスの時刻までにバス停に着くことが出来るのだろうかなどと考えると不安になった。
結果的には、17時05分のバスが来るまで3時間近く停留所に腰掛けていることになったのだが、
山の情報を頂戴しようと近くの水泳場へと赴き受付におられた方に、「鷹ヶ峰へ行こうと思ったのですが、道標も無く道が判然としなかった」と問うと、
60歳くらいの男性の方が「山道の世話をする人がいなくなってしまった」「私は鷹ヶ峰へ行ったことがない」
「最近、死亡事故があったんですよ、気を付けてくださいな」と続けた。この山域は登山者が殆ど入らない山域なのかも知れない。
またその死亡事故とは、今年に入って近くの比良山系の村井という処で発見された二人の登山者の遺体の件のことに違いないだろうと思った。
今日出合った蝶は、コミスジとクロアゲハ、そして久し振りのモンキアゲハだ。
引返す道で出合った大型で美麗な一頭のモンキアゲハが、現れたかと思うや否や軽快に滑るが如く樹林中へと消えてしまった。
蝉はミンミンゼミの声のみ、秋の花であるマツカゼソウがイバリ谷を前進する道で僅かだが咲き始めていた。
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生駒山系縦走路・ほしだ園地~むろいけ園地(クロコノマノチョウとの出合い)

2018年08月18日 | 山野歩
ガマ(堂尾池にて)

2018年08月13日(月)
『山野歩』
<生駒山系縦走路>
<ほしだ園地~むろいけ園地>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]7:16→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→8:02[ピトンの小屋]8:16→(さえずりの路)→(つつじの小路)→8:52[展望デッキ]9:00→[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →10:10[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内(大休止)]10:58→11:16[ビオトープ田原の里山・車止め]→12:02[堂尾池(大休止)]12:37→13:19[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→(森の工作館)→(むろいけ園地内散策)→[むろいけ園地出口]17:20→(蟹ケ坂ハイキングコース)→18:33[JR・四条畷駅]
<クロコノマノチョウとの出合い>
堂尾池上手、階段を上り切った処で腰を下ろし坐り込み、立派な写真機を触って居られる30歳台後半くらいの方がおられた。
「何を撮っておられるのですか?」とお訊ねすると、「昆虫です」と言う。
そこで、今日僕が撮影した蝶と蜻蛉の名称を教えてもらおうと思い、小さなデジカメの映像を見せると、
蜻蛉については「オオシオカラトンボのメス」、
蝶については「クロコノマノチョウ」「ウスイロなら珍しいのやけど」と語った。
それよりホンの少し歩いて出会った方は、先の方の昆虫にかかわる先輩であった。
今一度、僕のデジカメを見せることになり、蝶の映像を見るや否やその方は「クロコノマノチョウや」と断定的に仰った。
僕は[クロコノマノチョウ]という名称の蝶と出合うのは初めてのことであった。
否、初めてではないのかも知れないが、写真機に収めるのは初めてで、[クロコノマノチョウ]という名前も聴いたことがなかった。
“ほしだ園地”で出合ったこの[クロコノマノチョウ]は、
フワフワと微かに飛び少し離れた林中の葉っぱに停まったので、
僕が使用しているカメラ(オリンパスSTYLUS SH-50)であっても明確に捉えることが出来た。
もし動いてなければ、僕は其処に蝶が居ることに気付くことはなかったに違いない。
そしてその蝶は暫く待っても翅を拡げてくれることがなく、
閉じた状態のみの姿しか撮れなかったゆえ、
帰宅して蝶図鑑を参照しても、僕が出合ったのが何という蝶なのか分からないかも知れないと思っていたが、
昆虫に詳しい方に出会ったことで心配は無用となった。
[クロコノマノチョウ]と[オオシオカラトンボのメス]の姿を写真機に収めたことで満足してしまったのかも知れない。
また二人の昆虫に詳しい方に出合ったことで、今日の山歩きが集結したような気持になったのかも知れないが、
何れにしてもこのときには既に、歩く気力を喪失してしまっていたようだ。
次にやって来た“むろいけ園地”の湿性花園では、
もしかすれば何か新しい出合いがあるかも知れないと期待し、
今まであまり歩くことがなかった木橋上を散策することにする。
しかしホンの少しのガマとオオバギボウシを見掛けたのみで期待した新発見はなかった。
それより“森の工作館”に入り一休みする。
ここで嘗て“オオムラサキ”を飼育していたのを思い出し探してみるが何処にも居なかった。
“森の工作館”を出るときには、計画通り生駒山へ向かう気力がなかった。
今まで知らなかったことや経験したことがない事象に出合え、新しい発見が出来るかも知れないと思い、
“むろいけ園地”内の今までに歩いたことがない道を散策することにする。
暫く歩くとちょっとした広場に到着し、其処にあった石造りの腰掛けにザックを拡げてその上に転がった。
かなりの時間そこで仰向けになって、眼前に拡がる空と樹木と葉っぱをぼんやりと眺めていたようだ。
森中に夕暮れが訪れる気配を感じ始めたころになってまた歩き始める。

高積雲・羊雲(堂尾池にて)
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僕の最期のとき(ご飯作りと会社の経理事務が出来なくなったとき)

2018年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム
僕が利用している、NHKみんなの料理のレシピの一つ
2018年08月08日(水)
『僕の最期のとき』
<ご飯作りと会社の経理事務が出来なくなったとき>
朝スタジオに入り、最低限の仕事を済ませ、我が家に戻って来たのが8時半頃だっただろうか。
今日は昼飯を作る必要もないというところで、二階の机前に坐ったのだが眠ってしまう。
目覚めたのが11時頃。
直ぐにベッドに横になりまた眠ってしまい、
上さんの「ごはんですよ!」という声で目覚め三階に上がって行くと13時であった。
孫達は、上さんが作ったカレーライスをお代わりして食べていた。
僕と上さんは昨晩の残り物で昼食を済ませる。
今日は夕飯も作る必要がないので、
15時頃二階に下りてきて暫くしてまたベッドに横になり眠ってしまう。
孫のK子の「ご飯だよ!」という呼び声で目を覚まし三階に上がって行ったのは19時がかなり廻ってからであった。
今日はほんとうによく眠った。
先日までと比して気温が下がり、日中であってもエアコンを稼働させる必要がなかった。
何もすることが無ければ、今日のような生活が続くのだろうか。
そして死んでゆくのかも知れない。
今朝、津川雅彦さんが亡くなったというニュースがあった。
奥さんである朝丘雪路さんが亡くなってまだ然程月日が経っていないと思うのだが、
認知症が進んでいたという奥様が亡くなり、
津川さんは生きていなければならないという気概を失ってしまったのかも知れない。
ところで、僕にとって今やらなければならない事柄は、
家族の為のご飯作りと娘夫婦の為の会社の経理事務なのだが、
それらをやる必要がなくなったとき、或いは出来なくなったときが、
僕の最期のときなのだろう。
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亡き娘(お前が高校三年のときに描いた絵画だよ)

2018年08月12日 | 絵画
2018年08月05日(日)
『亡き娘』
<お前が高校三年のときに描いた絵画だよ>
娘が眠るお墓に今日行ったのだが、
奇しくも今日は、100回記念大会である夏の高校野球が甲子園で始まった日でもあった。
甲子園にて行なわれる高校野球が始まるこの時期に必ず思い出すのは、
長女が描いた絵画だ。
高校三年のときに、
「全国高校選手権大会・ポスター用原画コンクール」に応募し、
朝日新聞社より「賞」を頂戴した絵画だ。
朝日新聞紙に娘の名前が載ったのを20数年経つのだが今の如く覚えている。
数年後、長女が亡くなり絵画の返還希望を朝日新聞社に伝えると、
原画は廃棄して既に無いということであったが、
朝日新聞社は原画から作成した写真を額に入れて送ってくれた。
現在その写真を仏壇横に飾っている。
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ヤマアジサイ(折立より太郎兵衛平へと向かう道)

2018年08月06日 | 植物
2018年07月30日(月)
『ヤマアジサイ』
<折立より太郎兵衛平へと向かう道>
この写真の[ヤマアジサイ]は、
2003年08月13日、
折立より入山し太郎兵衛平へと向かう道で、写真機に一番目に収めた花だ。
この三泊四日の山行では、二日目は一日中かなりしっかりとした降雨であったゆえ、
また四日目の鏡平からの下山道は咲く花も少なく只管歩き続けるだけの単調な道であったゆえ、
残りの二日間で400枚を超すシャッターを切っていた。
当時はまだ、一眼レフ(フイルム)に交換レンズ、そして携帯三脚をぶら下げて写真を撮りながら歩いていたわけだから、
まだまだ僕にも身体力があったのだろうが、今の僕には、三千㍍級の山岳を歩くこと自体に無理がある。

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マルバダケブキ(常念岳より蝶ヶ岳へ)

2018年08月02日 | 植物
2018年07月26日(木)
『マルバダケブキ』
<常念岳より蝶ヶ岳へ>
この写真の花は[マルバダケブキ]だ。
2005年08月15日に、常念岳より蝶ヶ岳へと歩むときに出合ったキク科の花だ。
当時の山日記に次のように記している。
「次から次へと出現する低木林に包まれた狭い面積の草原に咲き乱れる花々に魅了され…、
青紫の九蓋草、黄花の丸葉岳蕗、晒菜升麻、伊吹虎の尾、鳥兜、アザミ、車百合そして当薬竜胆と…、
常念より蝶ヶ岳へは予定より小一時間多く費やしてしまう」と。
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