山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ミゾソバ(むろいけ園地・湿生花園)

2018年09月30日 | 植物
2018年09月24日(月)
『ミゾソバ』
<むろいけ園地・湿生花園>
この[ミゾソバ]の写真は、
1999年9月26日に、
私市駅から むろいけ園地経由で四条畷駅まで走ったときに撮影したものだ。
当時の山日記に僕は、
「室池の湿生花園で暫し佇む。
夕刻の森は静寂そのもの。
軽やかなせせらぎと心地よい虫の声のみの世界である。
木橋に腰を降ろし
湿原一帯に咲く赤いツリフネソウと白とピンクの小さなミゾソバの群落の花の高さに目線を合わせると、
僕の心身は森と一体となる。」と記している。
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生駒山系縦走路・ほしだ園地~むろいけ園地&“森の工作館”を訪問(お袋の姿が現れる)

2018年09月27日 | 山野歩
むろいけ園地“湿生花園”にて

2018年09月23日(日)
『生駒山系縦走路』
<ほしだ園地~むろいけ園地&“森の工作館”を訪問>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]7:44→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→8:47[ピトンの小屋]9:00→(さえずりの路)→(つつじの小路)→9:24[展望デッキ]9:30→[やまびこ広場]10:55→(まつかぜの路) →11:38[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内(大休止)]12:24→12:43[ビオトープ田原の里山・車止め]→13:15[堂尾池]→14:00[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→(森の工作館)→(むろいけ園地・散策)→16:00(蟹ケ坂ハイキングコース)→17:11[四条畷駅]
◆所要時間:9時間27分
<お袋の姿が現れる>
目眩から一週間が経った。我が身体に自信がなかった。
「しんどくなれば山行を中止し、時間をあまり要することなく何処かに下山することが可能」
「歩いている方が多く、人が居る建物も数多あるので最悪の場合は助けを求められる」などと思考し、
我が身体力のバロメーターになり得る生駒山系縦走路にやって来た。
また、“森の工作館”を訪問する目的もあった。
“森の工作館” が造っているのではないかと思われるホームページ(里山サロン・ナウ「自然情報」)、
普段より楽しませて戴いているそのホームページの造り手に御目に掛かりたかったからだ。
“むろいけ園地”の植物や昆虫、鳥などの自然をテーマとしているそのホームページの造り手に御目に掛かって、
先月の13日に“むろいけ園地”にやって来たときに撮影したものの中で、
名称が分からない植物の名前を教えてもらうのも目的の一つであった。
体調に問題はなかった。
しかし今の我が歩みでは、高安山どころか生駒山頂へも行けそうにもないなと思った。
“むろいけ園地”を散策するときに脚に痙攣が生じ始めたので、
蟹ヶ坂ハイキングコースを下り始める前に暫くの間ベンチに坐り脚を休ませ、芍薬甘草湯を服用する。
森の工作館にやって来ると、催しが開催されていて小さな子供達を連れた家族連れで賑わっていた。
それが終了するのを待って入館し、
スタッフらしき方に、何ゆえ僕が此処にやって来たのかを伝え僕のカメラ(オリンパスSTYLUS SH-50)を見せる。
小さなカメラゆえ、狭い面積のモニターの小さな画像はかなり見づらいものであったが、その方は親切に対応してくださった。
ところで、里山サロン・ナウ「自然情報」というホームページの造り手は、やはり森の工作館のスタッフの方達であった。
雲量「7」で絹積雲が拡がる。
磐船街道入口にある道路情報表示板の気温計には「20度」とあった。
汗が顎から滴り落ちるところまではゆかなかったが、歩くうちにタオルが必要になるぐらいまでに気温は上昇したようだ。
上着を1枚持ってきたが不要で終始Tシャツ1枚で過ごす。
やまびこ広場にあるカスミザクラの袂で出会った男性二人連れの方と2時間近く立ち話をする。
二人は立派なカメラを持っておられ、昆虫や蝶、蛾などの撮影したばかりと思われる写真を見せて戴きながら、
それらにかかわる話に華が咲いた。
写真は何れも明瞭で且つ綺麗な出来栄えで羨ましく思うものばかりであった。
なかには僕が暫く出合ったことがない“ミヤマカラスアゲハ”の写真もあったりして楽しませて戴いた。
そんな中、小鳥の囀りが聴こえたときに、「あの声はソウシチョウですよ」とおっしゃった。
飯盛霊園内はお彼岸ということもあり、車の渋滞が生じるくらいお参りをされる方で混んでいた。
その情景を眺めていて僕の脳裏にはお袋の姿が現れた。
昨晩、美空ひばりのCDを聴くときに、
「お島さん、もう若旦那、若旦那、と呼ぶのはよして…」という林与一の台詞が入っている曲(お島千太郎)を聴いたからだろう。
それは、お袋の母親の名前が平仮名で“しま”だからだ。
実家を訪れたときに、実母を「お母さん!」と呼ぶお袋の姿を僕は見たことがなかった。
お袋は必ず「おしまさん」と言い、けっして「お母さん」とは言わなかった。
それは何故か分からない。
お袋は、八人兄弟姉妹の三人目で次女なのだが、
何故か、御袋だけが養女として小学2年生のときに生家を出たのだ。
また戦死した長男を除く兄弟姉妹七人の中で最も早く、8年前にこの世を去った。
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トウヤクリンドウ(浄土山頂にて)

2018年09月24日 | 植物
2018年09月20日(木)
『トウヤクリンドウ』
<浄土山頂にて>
[トウヤクリンドウ]に出合ったのは、2009年09月09日の浄土山頂であった。
朝、五色ヶ原を発ち、獅子岳を通り過ぎやって来た浄土山頂、
その浄土山頂以外では、後にも先にもトウヤクリンドウが目に留まることはなく、不思議であった。
「和名は当薬竜胆の意で、薬用にされたための名であるが、
本種に限らず、リンドウ、エゾリンドウなどがおもに用いられるので、
あまり当を得た名ではない」との記載が[平凡社・日本の野生植物]にあった。
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ミヤマオダマキ(一度見たなら忘れられない花かも知れない)

2018年09月20日 | 植物
2018年09月19日(水)
『ミヤマオダマキ』
<一度見たなら忘れられない花かも知れない>
書籍を読んでいると、花弁だと思っていた処がそうではなく、花弁のような青紫色の萼片だった。
花弁はその中の、下部は薄黄色を帯びた白色で、上部の青紫のものが花弁であった。
また、花弁の基部は上へと伸びて角のような距(青紫色)になり、先端部は内側に巻いている。
特異な花形をしていて、一度見たなら忘れられない花かも知れない。
2013年7月14日、八ヶ岳で出合った花だ。
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我が体調(目眩)

2018年09月19日 | 健康・病気
2013年9月13日、滑落事故を起こした山域の当日の山容

2018年09月15日(土)
『我が体調』
<目眩>
2013年9月の山行時の滑落事故で生じた、
後頭部の脳内出血と内耳骨折が原因と思われる目眩が暫く続いて苦しんだが、
その後何年も目眩に襲われることはなかった。
ところが昨年の8月2日に嘔吐を伴って再び現れたのだ。
その日の日記に僕は
「朝食後暫くして激しい目眩に襲われ、次に吐き気を催し二度吐いた。
口から出た白っぽい物は、朝食した牛乳とパンだろう。
吐くなんてことは久しくなかったように思う。
ベッドに横になり、目覚めたのは11時過ぎだっただろうか。
目眩はなくなり吐き気もなかった。
起きたら医者に行こうと考えていたがその必要がなかったのだが、
さて何に原因があったのだろうかと考えるが分からない。
上さんが言うように、疲れが原因なのだろうか。朝、食事を摂るまでの体調はいつもと一緒であった。」
と記している。
そして今日だ。
11時過ぎ頃、昼食の準備をするときの体調が芳しくない。
そして昼食が終わる頃になって目眩が生じたのだ。
歯を洗うことも出来ず、ベッドに横になり眠る。
目覚めたのが16時過ぎ。
まだ天井が廻っている状態ではあったが、夕飯の準備をしなければならないと台所へ行く。
しかし結果的には、
あまり見えていない眼にもかかわらず、鮮やかな包丁捌きを披露する上さんに殆どやってもらうこととなり、
またベッドに横になる。
次に起きたのは20時頃で、そのときには目眩はなく、夕飯を少しだけ食する。
さて、目眩の原因は何にあるのだろうか。
5年前の内耳骨折が原因なのだろうか、それとも脳梗塞など血管等に原因が存在するのだろうか。
しかし何れにしても、久し振りに出席する予定であった明日の山の会の例会はこの体調では難しい。
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サワギキョウ(むろいけ園地にて)

2018年09月15日 | 植物
2018年09月13日(木)
『サワギキョウ』
<夏が終わる頃に咲く花>
1999年09月26日の夕刻迫る17時過ぎ、
“むろいけ園地”の湿生花園で暫し佇むときに、
か細い濃紫色の[サワギキョウ]が処々にひっそりと頭を擡げていた。
沢地に生育するゆえ[サワギキョウ]と命名されたそうで、
夏が終わる頃に咲く花でもあるらしい。
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天災(準備をやっていかなければならない)

2018年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム
八丁平(2018年6月17日)

2018年09月12日(水)
『天災』
<準備をやっていかなければならない>
八丁平(京都北山)山行を楽しんだ6月17日の明くる日、
丁度朝8時頃に地震があり、我が家は上下に激しく揺れた。
それは阪神淡路の震災以来の恐ろしいくらいの揺れ方で恐怖を感じた。
その後も暫くの間余震が続き、その度に緊張したのを今も忘れることができない。
大阪北部地震と命名されたその地震は、震度6弱、我が地域では5強との報道であった。
ところでこの地震が山中、それも谷筋に僕がいるときに起きたなら、
落石や山崩れ、倒木等が生じて山中は如何なる様相になったのだろうかと不安を覚えた。
次に、7月4日より降り始めた雨は、
我が家には幸いなことにその影響は殆どなかったのだが、
しかし西日本を中心に各地に甚大な被害を及ぼした。
またその頃より気温が上昇し、7月、8月と異常とも言える高温が日々続き、
熱中症で亡くなる方が例年と比して多くなったという。
例年ならあまりクーラーを使用しない僕であってもかなり使ったように思う。
そして9月4日にやって来た台風21号は、僕が経験した台風の中でも最強のものであった。
恐ろしいほどの激しい風雨が二時間近く続き、14時頃には我が家から灯が消えた。
電気が戻ってきたのは明くる日の朝7時半で、
これ程の長時間に亘る停電の経験は僕にとって嘗てないことであった。
夕飯は一つの大きめの懐中電灯を食卓上にぶら提げ、
僕の山用ヘッドランプや水を入れると輝く灯を使用して済ませた。
20時頃には布団上に転がったが、目覚めの一回目は22時台。
その後、ベッドから離れた朝6時半頃までに三~四度ほど目覚め、
その度に電気が復旧しているかどうかを確認することとなった。
幸い我が家に被害はあまりなかったのだが、
近くに住む娘の家屋根の瓦に損傷が生じブルーシートが今も被っている。
また、娘夫婦のスタジオの二階前壁上部が風で剥がれ飛んでしまった。
そして9月6日の北海道の地震だ。ニュースを聴く度に気鬱になってしまう。
併しだ、今後30年以内に70%~80%の確率で発生すると言われている南海トラフ巨大地震を始め、
甚大な被害をもたらす天災時のための準備をしっかりとやっていかなければならないと、改めて思った今夏であった。
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オヤマリンドウ(槍沢で出合う)

2018年09月09日 | 植物
2018年09月03日(月)
『オヤマリンドウ』
<槍沢で出合う>
2008年09月18日、

娘と二人で槍沢を槍ヶ岳へと歩くときに出合ったこの[オヤマリンドウ]について、
「茎は直立」「茎に先端に数個の花つける」「花冠は濃紫色」
「花は先が5つに裂け、平開しない」「葉は対生する」との記載が書籍にあり、
「日本の特産種」とも記されている。
仏花などに利用しているのはこのオヤマリンドウ(御山竜胆)だという話を聞いたことがある。
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ベニバナボロギク(花背高原前バス亭より至近距離の処)

2018年09月06日 | 植物
2018年09月01日(土)
『ベニバナボロギク』
<花背高原前バス亭より至近距離の処>
この花は、2018年08月26日に、
京都北山、花背高原前より雲取山へと歩いたときに、
まだ歩き始めて間がないときに撮影した[ベニバナボロギク]だ。
書籍に、「アフリカ原産の帰化植物」「葉はやわらかく食用になる」
「日本では1947年に北九州で見つかる」などと記載されている。
ところで、
その傍らに立ち上がり群生していた[ベニバナボロギク]によく似た植物の名称が分からない。
書籍を見るのだが分からない。
この写真は、

8月19日に桑野橋より四等三角点(京都北山)を往復したときに出合い撮影したものだ。
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アオノツガザクラ(祖父岳への上りで出合う)

2018年09月01日 | 植物
2018年08月29日(水)
『アオノツガザクラ』
<祖父岳への上りで出合う>
薬師沢小屋より祖父岳を経て三俣山荘へ向かった2003年08月14日の山日記に僕は次のように記している。
「薬師沢小屋より鉄製小橋を渡り一旦黒部の河原に下り直ぐに上り返す。左へとると高天原方面だ。
薬師沢小屋より雲の平へは2時間ほど樹林帯中の辛い上り道が続いた。
本降りのなか足下の悪いぬかるんだ滑りやすい道を只管上る。
樹木や枝を掴まえ支えにして必死にもがき上る。運動靴の中はビショ濡れで泥まみれだ。
昨日の好天と打って変って最悪の天候となってしまった。
やっとの態で辛うじて上り切ると道は歩き易い木道へと変化する。
暫く進むとアラスカ庭園と書かれた道標が迎えてくれた。

これよりお花畑が広がる歓喜の雲ノ平庭園へと入って行く。
本来なら雲ノ平において時間の許すまでその自然美を愉しまんと考えていたが、その目論見は見事に外れてしまった。
風雨が強い。視界がきかない。
雲ノ平を過ぎ祖父岳への上りに掛かっても花花が咲き続けるが、風は強く雨は烈しく降り続くため全くカメラを出す機会がない。
ただ一度風が弱まり小雨となった数分間があった。
今日撮影した花は後にも先にも小雨になったこの一瞬間の[青の栂桜]のみであった。
その一角には[青の栂桜]が群生しており、壷形で淡い黄緑色の1cm足らずの可憐な花冠が其処彼処に顔を覗かせて…」と。
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