山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地(私市駅~飯盛霊園・往復)

2013年11月18日 | 山野走

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◆写真撮影:2010年11月23日、ほしだ園地にて

(星のブランコ)

現在僕は、心身共に山に行けない条件にあるゆえ、山日記を記載することができません。それゆえ、ブログを始めた20126月以前の山野行記から、抜粋して記してゆこうと考えました。

20111122日(火)

『山野走』

<私市駅~飯盛霊園・往復>

(所要時間:1時間3949秒)

[私市駅]63800→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→[ピトンの小屋]→(さえずりの路)71331[やまびこ広場]→(まつかぜの路) 73410[飯盛霊園・境界]73700(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(管理道)→(おねすじの路)→[ピトンの小屋]→81749[私市駅]

<御袋>

「WK医師は私を治してくれへん」「関西医科大病院へ転院させてほしい」と、御袋は不満を露にした。「関西医科大病院なら治してくれる」と言いたげだったが、あのとき御袋は「生きたい」という意思を明確に表していたように思う。

あのとき御袋は何故「生きたい」と考えたのだろうか。「お父ちゃんを残して先に逝けない」「先に逝ってしまったら、お父ちゃんが心配」と考えたのだろうか。それとも単に「死ぬのはいやや」「生き続けたい」と、生きることへの執着心だけだったのだろうか。今となっては分からない。

僕は御袋から直接聴いたわけではないが、兄貴に言わせると御袋は「お父ちゃんと別れたい」と言っていたそうだ。その話を兄貴から聞いたとき、御袋からそのような発言があったことを僕は信じることができなかった。それは親爺の認知症が進行するなかで、御袋の脳裏では処理することができない困惑するような様々な事態が生じていたのだろう、それゆえ発作的な「別れたい」発言となっただけなのだろうと当時僕は考えていた。

磐船街道入口に設置してある道路情報電光表示板にプラス2℃とあったが、然程冷気を感じることはなかった。何ゆえか終始御袋の様々なことを考え走り続けた。

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ほしだ園地(羨望の眼で)

2013年07月19日 | 山野走

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◆撮影:2012年10月13日、ほしだ園地にて

(キンミズヒキ)

201376日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]74300→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→80343[ピトンの小屋]80800(さえずりの路)82241[やまびこ広場]82800(まつかぜの路) 85805[飯盛霊園・境界鞍部]90000 (せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→73737[私市駅]

◆所要時間:1時間5437

<羨望の眼で>

“星のいわふね” を過ぎ“かわぞいの路”を行くとき、20匹近くのハグロ蜻蛉に出合った。ゆらゆらゆら、ヒラヒラヒラヒラと右へ左へと揺れながら、僅かな距離を飛んでは直ぐに葉っぱに停まる姿を見るとき、我が走る様子はまさにハグロ蜻蛉のそれではないかと思った。しかし僕の傍らに次から次へと現れ前方へと僕と並行して飛ぶ姿を見続けるとき、「のっしのっしのっし」という僕の走る姿とはまったく違うのではないか、僕の走り方はけっしてハグロ蜻蛉のように軽やかではなく傍目には重い感じがするのではないかとも考えた。

ところで、「山野走」にしろ「街中走」にしろ、走っている間に様々な事柄が我が脳裏を掠めるのが常なのだが、今朝我が脳裏を駆け廻ったのは、一昨日偶然見つけたホームページ(http://www7b.biglobe.ne.jp/~hawaii_8011/muroike_now/muroike_now.html)であった。作者の豊富な知識に感銘しつつ羨望の眼で繰り返し眺めた。それは“むろいけ園地”で撮影した鳥や昆虫、植物などの生き物の写真を載せておられるもので、簡単な説明文も記されている。昨年の720日がスタートという様子で、その作者が生き物の全般に亘り名称やその生態をよく知っておられることに、僕は感嘆するばかりであった。例えば蝶は、成虫だけでなく幼虫であっても、それが如何なる成虫のそれであるかを理解しておられることに驚くばかりであった。

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ミドリヒョウモン(羨ましいくらいの俊敏な舞い)

2013年07月05日 | 山野走

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◆撮影:2010年7月10日、くろんど池にて

2013622日(土) 

『山野走』

<くろんど園地>

[コースタイム]

[私市駅]73600→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→80958[くろんど池]81400(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)82631[展望台]83000→(管理道)→85053[キャンプ場]85900→(管理道)→(やまごえの路)91748[水舞台]9220092852[草原広場]93100→[すいれん池]→95435[私市駅]

◆所要時間:2時間1835

<羨ましいくらいの俊敏な舞い>

“くろんど池”に着いたとき携帯をみて愕然とした。それは私市駅をスタートしてから“くろんど池”に至る時間に34分も費やしたからだ。「今まででもっとも遅いタイムになるかもしれない」と考えながら走っていたのだが、案の定それが現実となってしまった。

上り階段以外で歩いたつもりはないのだが、前に伸びない我が足を見つつ私市の森中を走る中で、20数年ほど前のことを思い出していた。「私市駅~くろんど池間の往路(上り道)は21分台、復路(下り道)は18分台で走ったよな」「普段殆ど走ることが無くてもそれなりのタイムで走れたよな」と。私市駅より “くろんど池”への道では楽しかった筈の山野走が、“キャンプ場”への上り道(管理道)を駆けるときには、至極しんどい辛い山野走へと変化していた。「昨晩の睡眠時間が5時間足らずで睡眠不足気味だよな」「曇天にもかかわらず暑いな」などと、走れない理由を探しながら、しかし懸命に腕を振り続け疲労困憊で私市駅に戻って来たときには全身びしょ濡れという状態であった。

展望台に上り遠景を眺めると生駒山は雲の向こうに霞む。奈良県方面の峰はまったく見えない状況だ。我が家窓から見上げた6時前の空は、青空中に美しい白い絹積雲と絹層雲が拡がっていた筈だがいつの間にか曇天となり、今にも雨が落ちてきそうな様子であった。突然、二頭の蝶(ミドリヒョウモン)が緑の絨毯上を勢いよく滑空した。羨ましいくらいの俊敏な舞いに暫し眼を奪われた。

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ほしだ園地(ハヤブサとヤマドリ)

2013年06月29日 | 山野走

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◆写真撮影:2013年6月17日、ほしだ園地(展望デッキ)にて

(星のブランコ)

2013617日(月) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]64500→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→70528[ピトンの小屋]70900(さえずりの路)72337[やまびこ広場]72800(まつかぜの路) 74755[飯盛霊園・境界鞍部]75100(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(つつじの小路)→80416[展望デッキ]80900→(つつじの小路)→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→83915[私市駅]

◆所要時間:1時間5415

<ハヤブサとヤマドリ>

磐船街道入口(大阪府側)に設置された「電光道路情報表示板」に往路でプラス21℃とあった。高層雲が全天を覆い陽射しはまったく無く、また微かな風があるという、走るにはよい条件だろうと思えたが湿度はかなり高かったのかもしれない。“ピトンの小屋”に到着したときには全身汗ビショで顎から汗が滴り落ちていた。

月曜日の朝にもかかわらず、小屋前の広場には既に「隼」撮影隊の大きなカメラが56台並んでいた。この時刻、下の“駐車場”はまだ営業していないし、さて、皆さんは大きなカメラを携えて私市駅より歩いて来られるのだろうか。それとも飯盛霊園から来られるのだろうか。

ところで、“ハヤブサ”が棲む岩壁前の広場は昨年までの賑いからみると今年の人出は今一つなのだろう。昨年は10台以上ものカメラが並ぶ様子を何度も見たように思うのだが、今年は“ヤマドリ”人気に押されているのだろうか。そういえば、今年の3月下旬、“すいれん池”横の管理棟に“ヤマドリ”撮影のための大きなカメラが17台も並んでいたのを思い出す。僕は昨年になって、“ピトンの小屋”前の掲示板で“ヤマドリ”という名称の鳥の存在を初めて知った。“ハヤブサ”にしたって“ほしだ園地”で数年前に初めて知り、“ピトンの小屋”中で書籍を見ることにより僕にとって身近な存在となった。

僕は兄に連れられて50年以上も昔、12年間蝶採集に夢中になったことがある。親爺の故郷の淡路島や箕面公園などでも補虫網を携え野山を駆けたのを記憶している。もう残っていないが、蝶に防腐剤を注射し100種余りの標本を作成したのも記憶している。それゆえ蝶については、その多くは忘れてしまったが、至極ささやかだが幾つかの蝶の名称を今でも覚えていて、三歳三ヶ月のJ太郎に「あの蝶はテングチョウや」などと蝶の名前を言えるのが殊のほか嬉しい。併しだ、眼前を飛翔する蝶の名称が分からない場合が余りにも多い。また蝶類に属するのか、それとも蛾類に属するものかも分からない場合も至極多い。それなら嘗てのように採集し持ち帰って図鑑と参照すればよいのではなかとも思うが、今の僕には生き物の殺生は不可能だ。

そこで僕は“府民の森”の関係者の方々に次のことをお願いしたいと考えている。それは、“ほしだ園地”や“くろんど園地”に生息する動植物の写真などを出来るだけ多く、ホームページや各小屋中に掲げて頂きたいと。園地内で自然と興じるとき、鳥や獣、昆虫、そして植物など、様々な生き物が生息していると思うと、また名称が分かれば分かるほど嬉しくなるとともに精神が高揚するのを感じる。

今日出合った生き物は、まだしっかりと陽が届かない薄暗いところをヒラヒラと飛ぶハグロ蜻蛉、咲いていた花はヒメジョオンとドクダミくらいだろうか。10日程前に “せせらぎの路”で最盛期を迎えていた立浪草はまったく見かけなかった。花の命は極めて短い。

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ほしだ園地(健康的なことをしている)

2013年06月15日 | 山野走

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◆写真撮影:2010年11月14日、ほしだ園地にて

(星のブランコ)

201367日(金) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]63700→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65725[ピトンの小屋]70200(さえずりの路)71622[やまびこ広場]72100(まつかぜの路) 74041[飯盛霊園・境界鞍部]74300(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→82633[私市駅]

◆所要時間:1時間4933

<健康的なことをしている>

先日の比良山系(獅子岩)における体たらくな我が身体に僕自身が唖然としてしまった。それはこの五ヶ月間運動らしきことを殆どやっていないことが大きく影響しているのは間違いがない。しかし腰痛や膝痛が原因で運動から遠ざかっていたゆえ仕方がないことと思うが、その間に僕の脚腰は脆弱な状態に陥ってしまった。

ところで、山の会の来月(7月)の八ヶ岳山行には是非行きたいと考えている。何故なら腰痛の為、春山(明神ヶ岳)には参加出来なかったからだ。しかし、今の我が身体では、「荷物を担げない」「歩けない」は明白で、今の儘では皆に迷惑を掛けてしまう。そこで、もう一ヶ月あまりしか日数は無いが、時間を見つけて走ろうと考えた。

「どんなにしんどくても兎に角走り続けよう」を目標に今日“ほしだ園地”にやって来た。そしてその目標は完遂出来たのだろうと思っている。ただ、“さえずりの路”の上り階段は何時ものことだが歩かざるを得ない。また蝶に出合ったときに、その蝶が何たる蝶かを確認するために立ち止まったのと、“せせらぎの路”を下るときに出合った立浪草(ホナガタツナミ)の群落を楽しむためにその場に佇んだ以外は、懸命に腕を振り続けた。

ところで、僕の眼前を舞った蝶はコミスジ、シジミチョウ、黒のジャノメチョウ、薄黄色のタテハチョウ、そして群れを形成していたのは天狗蝶だが、僕の拙い蝶の知識では詳細な名称までは分からない蝶も多い。“さえずりの路”を上るとき、汗が額を流れ顎から滴り落ちた。そのとき僕は思った、「健康的なことをしている」と。

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ほしだ園地(四ヶ月振りの山野走)

2013年06月08日 | 山野走

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◆撮影:1999年6月、ほしだ園地にて

(ササユリ)

2013518日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]70400→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→72532[ピトンの小屋]72900(さえずりの路)74438[やまびこ広場]75000(まつかぜの路) 81112[飯盛霊園・境界鞍部]81400(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→90153[私市駅]

◆所要時間:1時間5753

<四ヶ月振りの山野走>

私市の森中を今年最後に走ったのは118日、それより既に四ヶ月が経過している。その四ヶ月の間、僕はまったくランニングを行なっていない。一時は走ると酷い腰痛に、或いは膝痛に陥るのではないかと、走ることに恐怖感を抱くらいの脚腰の状態であったのだが、日常の生活と仕事で身体を動かす以外にはまったく運動らしきことをすることなく、また身体を冷やさないようにと細心の注意を払い、暖かくなるのを待ち続けた四ヶ月であった。

その甲斐あってか、5月に入って次第に良い状態へと変化し始めたのだが、10日ほど前の或る日に三つの事件があった。その中で最も大きな出来事は、用事があって椅子より立ち上がり、用事が終わり後ろを見ることなく坐ろうとしたときに間違いが生じた。背後にある筈の椅子が無かったのだ。床に尾骶骨を、壁に後頭部を激しく打ち付けてしまったのだ。そのとき痛みが治まるまでの暫くの間床上に横になっていなければならなかった。今も尾骶骨打ち身の症状は明確に残り長時間坐り続けるのは至極辛い。

二つ目は、その日の朝より生じ始めた両手指の腓返りだ。手指を使う用事をしているときに手指に腓返りが生じるのだ。何ゆえだか分からないのだが、一日中再三悩まされた。

三つ目は落し物だ。それは僕にとって至極大切な小さなものなのだが、我が家の駐車場に落ちているのを眼に病を抱える上さんが見つけてくれた。それは偶然のことであったらしい、駐車場を歩むときに何かが足に当たった、見ると僕の大切なそれであったというのだ。併しだ、それは駐車場に落とす可能性が殆どあり得ないものゆえ、僕の気持は滅入ることとなった。

結果として、四ヶ月振りの山野走が、「私市へ走りに行こう」と一念発起してから10日ほど遅れてしまって今日になったのだが、僕は走り続ける自信がなかった。それゆえ終始ゆっくりと走ったのだが、それにもかかわらず何度も立ち止まり暫くの間歩かねばならなかった。無理をしなかったからだろう、私市駅に着くまで膝、腰に疲労感はあったが痛みが生じることがなかったことに僕は安堵した。

“ピトンの小屋”前にある掲示板に毛虫の写真があった。黄や黒、そして朱の色彩が主体のその毛虫は先日も“くろんど園地”でもっともよく見かけた幼虫で、マイマイガだと書かれていた。マイマイガの成虫はどのような姿をしているのかは分からないが、幼虫を触ると痒みが生じるときがあるという。

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ほしだ園地(落葉が黄金色に輝く)

2013年02月03日 | 山野走

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◆撮影:2013年1月1日、交野山にて

2013118日(金) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]63500→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65740[ピトンの小屋]70400(さえずりの路)71824[やまびこ広場]72300(まつかぜの路) 74223[飯盛霊園・境界鞍部]74400(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→82925[私市駅]

◆所要時間:1時間5425

<落葉が黄金色に輝く>

終始左腰に痛みがあり足裏が地面に着く度に腰に振動が伝わった。腰のためには走った方がよいのか、それとも走らない方がよいのかと考えていた。当然のことながら結論がでるはずもないのだが、昨年の7月上旬の腰痛の時のことを思いだしていた。そのとき僕は「走ることで治るに違いない」との思いで、かなりの腰痛の症状があるにもかかわらず4日間走った結果、心身ともに三ヶ月近く走れない状況に陥ってしまったという事実があった。

“まつかぜの路”を行くとき、樹間より射し込む赤味を帯びた太陽光に眼前に拡がる落葉が黄金色に輝く。其処は落葉してまだ間が無い新しい枯葉が敷き積もった左へとカーブを切る道の吹き溜まりで、それは瞬時のことであった。また、“さえずりの路”を歩くような速度で下るとき、一本の若木の赤い新芽が15cm以上にも伸びているのが目に留まり、もう其処に近づいているかもしれない一刻も早い春の到来を期待した。

併しだ、“やまびこ広場”へと向かう管理道を上るとき小雪が舞い始め、私市駅に到着するまで微かに舞い続けた。磐船街道入口(大阪府側)に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でマイナス1℃とあったのだが、帰路でもやはりマイナス1℃で、今日はあまり気温が上がらないのだろうことを予感させた。“星の里いわふね”より風を遮るものがない私市駅へと続く168号線を駆けるとき、北西よりの冷たい風が僕の身体を叩いた。空を見上げると、青空中に僅かに積雲が浮かぶという好天であった。

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ほしだ園地(新芽に春の到来を感じる)

2013年02月02日 | 山野走

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◆撮影:2013年1月1日、交野山頂にて

(元旦の月)

2013116日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]71100→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→73311[ピトンの小屋]74000(さえずりの路)75421[やまびこ広場]80000(まつかぜの路) 82107[飯盛霊園・境界鞍部]82500(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→91803[私市駅]

◆所要時間:2時間0703

<新芽に春の到来を感じる>

昨朝、ベッドに坐り靴下を穿こうとしたときに左腰に電気が走った。そのとき僕は、自身の体の体勢を意識していなかったことを後悔したが、まさに“遅かりし由良之助”であった。今朝薄暗い部屋中で、先ずは神棚に、そして次に仏壇に向かい畳上に坐し前屈みになるときの姿勢は辛いものであった。腰痛度数は自己診断で「7」くらいだろうか。

駅へと歩くとき、まさに左腰をかばう歩き方でけっして滑らかな足取りではなかったのだが、坐する姿勢より一旦立ち上がり暫くの時間の経過の中で痛みは半減したし、また、右足甲の辺りの痛みも歩き始めるとかなりの軽減をみることができた。

私市駅前を離れ走り始めるとき、左腰がどのくらい痛むのか、また右足の甲がどのくらい痛むのだろうかと不安であったが、腰にしろ足にしろ、結果として走れない程の痛みが生じることはなかった。腰に振動を与えないように、また踏み違えたり蹴躓いたりしないように気をつけつつゆっくりと走った、なかでも下り階段では至極慎重に歩くが如く足を運んだ。

磐船街道入口(大阪府側)に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でマイナス3℃とあったが、意外に寒気を感じることはなかったし、“さえずりの路”を下るときに見つけた5cm程伸びている樹木の赤い新芽に春の到来を感じた。また、“やまびこ広場”で休むときに見上げた空は一点の雲も無く青一色であった。上さんの勧めもあって昨日より僕は左腰に懐炉を貼っている。

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ほしだ園地(何を目的として走りにやって来るのか)

2013年01月27日 | 山野走

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◆撮影:2013年1月1日、交野山頂にて

(初日)

2013112日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]65200→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→71450[ピトンの小屋]72100(さえずりの路)73527[やまびこ広場]73900(まつかぜの路) 75837[飯盛霊園・境界鞍部]80200(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→85444[私市駅]

◆所要時間:2時間0244

<何を目的として走りにやって来るのか>

磐船街道入口(大阪府側)に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でマイナス1℃とあった、因みに帰路ではプラス1℃。意外と気温は低くなく寒気を感じることもなく快適に走ったのだが、二日連続の山野走は僕の身体にとって負担が大きかったのだろうか。帰路、京阪電車交野線に乗るとき、膝と腰に明確な疲労感があり、右足甲の左下方が痛む。この足の痛みは以前にも生じたことがあるのだが、サロモン製の靴を穿くようになってからは初めてのことであった。その痛みを最も強く感じたのは今朝靴を穿くときで、靴に足を入れたとき「この状況で走れるのだろうか」と思うぐらいの痛みがあった。また、電車中で手帳にメモをとる両手指に腓返りが生じた。

今朝、「何を目的として走りにやって来るのか」と考えながら走っていた。これは走っているときに僕が時折考える命題である。そのとき「別にこんなしんどいことをせんでもええやん」と必ず思うのだが、数日経てばまた森中へとやって来る。その理由として、「生きている限り健康であらねばならない」「身の回りのことは自身で行ない人の世話にならないようにしなければならない」などを当然のこととして思い浮かべるのだが、それよりも先に必ず我が脳裏に出現するのは「上さんよりも健康で長生きしなければならない」である。それは上さんが「今以上に見えなくなってしまうかもしれない」「将来失明するかもしれない」という身体的条件を背負っているからだ。

長女が20歳の春、瞬時のうちに逝ってしまって間も無く一旦は両眼とも失明するが、その後奇跡的に僅かに見えるまでに回復する。しかし今も、色彩が無く、眼前に濃霧がかかったような状態で、弱視の状態が続いている。それゆえ、近い将来は僕が家事の全般を担う必要があるのだろうし、もし上さんの介護が必要となったときには僕がそれを担わなければならないと思っている。

次に挙げるとすれば、「四季通して自然と戯れたい」だろう。その次は、「山の会の皆に迷惑を掛けることなく山行に参加したい」だろうか。“やまびこ広場” でひと休みするとき、天空にはうろこ雲の高積雲があった。

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くろんど園地(贅沢していると心底思う)

2013年01月26日 | 山野走

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◆撮影:2013年1月1日、交野山頂にて

(初日)

2013111日(金) 

『山野走』

<くろんど園地>

[コースタイム]

[私市駅]63600→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→65853[くろんど池]71600(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)72819[展望台]73200→(管理道)→75141[キャンプ場]75600→(管理道)→(やまごえの路)80931[水舞台]8110081709[草原広場]81900→[すいれん池]→83906[私市駅]

◆所要時間:2時間0306

<贅沢していると心底思う>

我が家の10畳余りの食堂兼居間のエアコンを昨年12月上旬になって買い替えた。それは従来のものとは違って冷房だけでなく暖房にも利用できる便利なものであった。買い替えた理由は、既に15年間以上も使用しているクーラーが一昨年夏よりかなり調子が悪かったのと、それ以外にもう一つ大きな理由があった。

それは、近隣に住むJ子が二人の子供を連れてやって来て、二人を母親に預けて仕事や用事を済ませるために出掛けることがしばしばある。暖房は従前ガスストーブを使用していたのだが、「子供達がストーブに触れないかと心配でたまらない」と上さんが嘆いていた。上のJ太郎は兎も角、一昨年の大晦日に誕生したK子がハイハイで激しく動き回るため、食事の準備をしているときなどは上さんの眼が届かないことが生じてしまう。また、完璧でない上さんの眼では尚更だ。色彩が無く濃霧がかかったような状態の弱視の上さんの眼では、瞬時のなかで部屋の隅々まで確認することは不可能だろうと思うからだ。

森中を駆けるとき、昨晩の上さんとの会話を思い出していた、それは暖房にかかわる内容であった。エアコンが動く食堂兼居間に這入るとき、「つくづくと贅沢していると心底思う」と僕は言った。僕が物心ついた頃、それは昭和30年ごろのことだと思うのだが、我が家の暖房器具は炭がいこる火鉢一つ切りであったと記憶する。当然お風呂も自宅に無く、布団中を温めるのは“湯たんぽ” であった。上さんからも同様の話があった。夏、蚊帳中で寝たこと、ブーンと高い音をたてて廻る鉄製のプロペラ扇風機が一台きり、台所は畳の部屋より一段下りた土間にあった。現在より当時は気温が低かったにもかかわらず、今のような暖かい衣類も無かった時代に、父母や祖母はどのような服装をして冬をやり過ごしたのだろうか。などと、様々な当時の何も無い生活を想い出していたのだが、「それが普通の生活やったから」と云う上さんの言葉で想い出話は終了した。

展望台から見る遠景を層積雲が覆い、金剛葛城の峰は雲の向こうだが、頭上には一点の雲も無い。層積雲の上に輝く朝陽があった。最後まで快調に走り続けた。

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