山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

僕の葬儀時の曲(ペール・ギュント組曲)

2017年06月29日 | 音楽
2017年5月17日(水)
『僕の葬儀時の曲』
<ペール・ギュント組曲>
義兄が望み、兄さんの通夜と告別式の開始前に繰り返し流れた「マーラー交響曲 第5番 4楽章」、そして出棺時に繰り返し流したのは「ベートーベン 7番3楽章」。兄さんが何ゆえ、これらの2曲を選択したのかはやはり分からないのだが、この2曲を、昨年12月に聴いたときに上さんが、「兄のように、私も死んだときに流してもらう曲を決めなあかん」と語ったのを覚えている。そのとき僕は何とも思わなかったのだが、先日、グリーグ作曲<ペール・ギュント組曲>を聴いていて、僕の葬儀時に流してもらうとすれば、この「ペール・ギュント」組曲中の[オーゼの死]と[ソルヴェイグの歌]がよいのかも知れないと考えた。特段深い理由がある訳ではない、何れの曲も葬儀時としてふさわしいもののように思っただけだ。旋律が何処となくよかったのと、何れの曲も「死」にかかわる事柄が主題となっている様子だからだ。通夜と告別式の開始前には[オーゼの死]を、出棺時には[ソルヴェイグの歌]を流してもらおうと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイヤモンドトレ-ルⅢ 紀見峠から岩湧山、槇尾山へ(シャガに包まれた施福寺)

2017年06月22日 | 山野歩
シャガ

2017年5月7日(日) 
『ダイヤモンドトレ-ルⅢ』
<紀見峠から岩湧山、槇尾山へ>
[コースタイム]
[紀見峠駅]8:10→9:00[越ヶ滝分岐]→9:45[三合目]9:51→10:07[根古峰]→10:32[南葛城山への分岐]→10:50[五ツ辻]→11:32[岩湧山]12:00→13:30[滝畑]→13:50[新関屋橋]→14:32[ボテ峠]→14:54[番屋峠]15:02→15:12[追分]→15:40[施福寺]16:12→16:42[槇尾山バス亭]→[青少年の家前]→17:48[槇尾山口バス亭]
<シャガに包まれた施福寺>
ダイトレ三日目最終日の今日がもっともしんどい山行となったような気がする。その原因として考えられるのが、大和葛城山や金剛山と比して花が少なかったことや、樹林中の道が多く変化に乏しかったからだろうか。なかでも、[岩湧山]より[滝畑]への行程で、「ダイトレ➪」というしっかりとした道標があったにもかかわらず無視して、樹林の中へと続く踏み跡を、近道だろうと判断し前進したことが、疲労困憊に陥ったもっとも大きな理由なのかも知れない。踏み跡は途中より急勾配の険しいテープ頼りの樹林中の下り道へと変化する。後になって地図を見るとその道は、[扇山]経由で[夕月橋]に至る道だったようで、車道に出てからも、ダイヤモンドトレールに戻るまでに時間を要し、近道どころではなく却って時間がかかってしまった感があった。
[岩湧山]の草原を西へと下るとき、ワラビ摘みをする人が数組見られた。その中の一人のワラビ摘みの方が「天候が原因で2年山焼きをやっていないからあまりないようです」とおっしゃった。山焼きができていたならワラビは兎も角、[岩湧山]の草原は如何なる様子を呈していたのだろうか。
[新関屋橋]から[槇尾山]への上りにかかる。変化の無い樹林中の道を只管歩くと、満開のシャガに包まれた[施福寺]に飛び出した。寺院前広場にあるベンチで大休止とし、お参りを済ませ帰路に着く。施福寺本堂からホンの少し下った処で腰を下ろしておられた、如何にも疲れたという様子の二人連れの女性に、「お寺までどのくらいありますか」と尋ねられた。土産物屋がある[槇尾山バス亭]まで急勾配の階段をゆっくりと降りて行って納得した。この階段を[槇尾山バス亭]より本堂まで登るのはたいへんだと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイヤモンドトレ-ルⅡ・大和葛城山から金剛山、紀見峠へ(静謐なミヤマカタバミ)

2017年06月15日 | 山野歩
ミヤマカタバミ

2017年5月4日(木) 
『ダイヤモンドトレ-ルⅡ』
<大和葛城山から金剛山、紀見峠へ>
[コースタイム]
[葛城ロープウエイ山上駅]9:20→[大和葛城山頂]9:40→10:55[水越峠]→13:10[一ノ鳥居]→13:20[葛木岳]→[一ノ鳥居]14:02→14:26[伏見峠]→14:55[久留野峠]→15:26[高谷山]→16:00[千早峠]→16:45[行者杉]→17:08[杉尾峠]→17:33[十字峠への分岐]→17:44[西ノ行者]→17:56[ブンタ谷への分岐]→18:24[山ノ神]→18:42[紀見峠]18:55→19:17[紀見峠駅]
<静謐なミヤマカタバミ>
日曜日の山行の筋肉痛が残っていた。
なかでも左脚のハムストリングの状態が芳しくなく左腰の痛みもあって、歩けなくなるのではないかという不安が終始付きまとう。
水越峠に着いたときには紀見峠まで行くことは不可能だろうと考えた。ところが、足下が何とか見える内に紀見峠駅に到着したのだ。
それは、けっして焦らずゆっくりと歩み続けたことと、天候に恵まれたからだろう。
また、[紀見峠]までの所要時間を考慮して、大和葛城山への上りにロープウエイを利用したのも大きかったし、
様々な花に出合えたことも大きかったのかも知れない。最後までトレッキングポールを使用することはなかった。
[ロープウエイ山上駅]から直ぐのところで「ギフチョウ」に出合った。
元気のない姿でヒラリヒラヒラリと眼前に現れ足下にとまった。
しかも前回は確認出来なかった「ミヤコアオイ」にも何度も出合った。
案内版によると、「ギフチョウ」の幼虫は「ミヤコアオイ」を食草とし、卵をその葉の裏に産み付けるのだそうだ。
[大和葛城山]のツツジはまだ蕾、[水越峠]を過ぎて[一ノ鳥居]を目指すときに様々な花に出合った。
スミレ始め名称の分からないものが多いのだが、
名称が分かるものには、「ヤマブキ」や「ムラサキケマン」「イヌフグリ」「ヒメオドリコソウ」「ヘビイチゴ」「ニリンソウ」などがあった。
また「ヤマザクラ」なのだろうか、山腹の其処彼処に、常緑樹の深緑と萌え出たばかりの新緑に絡まる華やいだ色彩が印象的であった。
金剛山の樹林帯に入り暫く経ったころ、「ミヤマカタバミ」が現れたときには我が眼を疑った。
それは、「ミヤマカタバミ」は山奥の冷気漂う環境のみに育つ花だという僕の認識を覆すものであったからだ。
それからも次から次へと現れる静謐な「ミヤマカタバミ」の姿に亡き娘を想い続けた。
[葛木岳]以降、樹林中の道が続き樹木の花にも出合えた。桜が残り八重のものあった。
「ハクモクレン」や「コバノミツバツツジ」、なかでも「ミヤマシキミ」の白花が其処彼処で満開を迎えていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイヤモンドトレール・二上山から大和葛城山へ(ギフチョウ&カタクリの花)

2017年06月08日 | 山野歩
カタクリの花
2017年4月30日(日) 
『ダイヤモンドトレールⅠ』
<二上山から大和葛城山へ>
[コースタイム]
[二上神社口駅]8:03→[加守神社]→9:15[二上山雄岳]→[馬の背]→9:38[二上山雌岳]9:50→10:06[岩屋峠]→10:30[竹内峠]→11:26[平石峠]→12:28[岩橋山]12:56→:13:05[岩橋峠]→14:15[山麓公園分岐]→15:05[北尾根登山道分岐]→15:46[大和葛城山]→(ロープウエイ)→[葛城登山口]→(歩く)→17:21[近鉄・御所]
<ギフチョウ&カタクリの花>
[二上山]より[金剛山]まで歩くという計画で、金剛山におけるロープウエイやバスの時刻を調べておいたのだが、[岩橋山]で休憩するときに、我が脚力ではロープウエイやバスの最終時刻に間に合わないことを悟り、最終到達地点を[大和葛城山]に変更する。併しだ、[平石峠]辺りで前方からやって来られた方と話をする機会があったのだが、[紀見峠]からやって来たとおっしゃたその人が、僕と同年代であることに感嘆し、同時に忸怩たる思いが込み上げたのだ。
[岩橋山]に設置されていた案内版に、河南町が保護しようとしている生き物として、「ギフチョウ」「ミヤコアオイ」「カタクリ」「ササユリ」が掲げられていた。その中で幸運にも、「ギフチョウ」と「カタクリ」が僕の眼に留まった。なかでも「ギフチョウ」はその掲示がなければ、眼前を飛翔し瞬く間に消え失せた薄黄色の蝶が「ギフチョウ」だとは分からなかっただろう。また、[大和葛城山]へと続く複数の長い急勾配の丸太階段に閉口し、その一つの階段を避けようと、左へと続く巻き道らしき道を前進すると、細いが明確な道に飛び出した。結果的にその道は[北尾根登山道]であったのだが、その飛び出す処に「カタクリ」の群落があったのだ。巻き道を選択せずその儘縦走路を進んでいたなら、「カタクリ」の薄紫花に出合うことはなかったのだ。薄紫花というと、スミレも再三見かけたのだが、スミレの判別は僕にはたいへん難しい。タチツボスミレなのだろうか。二種類のスミレがあったように思う。その他目に留まった昆虫は、クロアゲハとキチョウ、そしてゴモクムシの一種?だ。[加守神社]上手辺りを登るとき、ゴモクムシが僕の足下を足早に横切った。懸命に歩くその姿に愛おしさを感じたのを覚えている。
[竹内峠]くらいから抜きつ抜かれつという状態で歩いていた方と、葛城山頂下売店前付近で再び出合い、大阪まで一緒に帰って来た。[葛城登山口]では生憎バスの便が無く[御所駅]まで二人で歩き、「ダイトレ」や「六甲山」、「大峰山」、「私市」など、山にかかわる話題で盛り上がり、大阪まで二時間あまりを楽しませて戴いた。その方は伊丹に住むという昭和14年生まれの、僕よりも10歳も年配のHさんという方であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横谷の岩場(リードしなければ享受できない)

2017年06月01日 | 岩登り
2017年4月23日(日) 
『山の会』
<横谷の岩場>
■参加者:安部ちゃん、最くん、ゆうさん
<リードしなければ享受できない>
石川の支流である深い谷川がいつの間にか手が届くところを滾滾と流れる清冽な流れへと変化していた。登攀後その川原へと降り、流れが奏でるひびき音に耳を欹てながら、何事も無く下山出来たことに安堵しつつ一休止して帰路に着く。其処は滝尻バス停から然程遠くない処であった。
懸命に攀じ登り一息つく時に眺めた、眼前に拡がる山塊を彩る萌え出た若葉と常緑樹の深緑、そして春の眩いばかりの青空のコントラストは殊の外美しく、可能なら娘や孫達にも見せてやりたいとつくづく思った。
[横谷の岩場]に最くんは過去にやって来たことがあるのだろうと思っていたがさにあらず、ここだろうと思い最初に取り着いた一つ目の踏み跡は間違いで、積もった落葉に足を取られながら、足下等の安全を確認しつつ前を行く最くんと僕の安全を見守ってくれる安部ちゃんに挟まれて、バランスを必要とする急斜面を1時間あまり彷徨することとなった。目的の岩場への登り道は、それよりももう少し上手の道が正解で、明確な踏み跡があり殆ど時間を費やすることなく岩場に到着する。
全て最くんのリードで一本目のⅢ級ルートからスタートする。合計3本4ピッチを登ったのだろうか。2本目の左スラブルートを攀じ登り始めたとき、非力な安部ちゃんや僕には取り付きの被ったところを乗り越すのが無理だろうという最くんの判断で直ぐに中止する。残念だが今の僕では仕方がないところだ。
[横谷の岩場]は、我々が持っている古い資料では参考にならいと言っても過言ではないくらいの変貌ぶりで、数多の新しいピンが其処彼処にあった。また新しいプラロープもあり、地元の方々が整備しておられる様子を垣間見ることとなった。下山するときに「満足できなかったのではなかったか?」という最くんの問いに僕は、「岩登りはやはりリードしなければ享受できない」と応えたように思う。
最くんと安部ちゃんの間で、「秋になったらまた来よう」という話があったようだが、そのときには、リードが可能なまでに我が心身は蘇っているのだろうか。僕にとっては昨年6月の京都金毘羅以来のクライミングであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする