山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ハイドン(ハイドン最後のシンフォニーにふさわしいかも)

2017年02月25日 | 音楽
2017年1月8日(日)
『ハイドン』
<ハイドン最後のシンフォニーにふさわしいかも>
義兄所有の数多レコード盤からコピーしたと思われるCD(クラシック)3枚の二つ目には、「Haydn:Complete Symphony[Disc30]/Adam Fi…」と記載されている。その中には、①から⑫までがあって、それぞれに[①Haydn:Symphony#96 In D,H1/96,〝Miracle″-1.Adagio,Allegro]などとあるのだが、僕には如何なることが書かれているのか分からない。その内、⑤から⑧を赤線で囲み、「97番は なかなかすばらしい」と、兄さんが書き添えている。
また、三つ目には、「Haydn:Complete Symphony[Disc33]/Adam]/Adam Fi…」と記載されている。その中には、①から⑧までがあって、それぞれに[①Haydn:Symphony#103 In E, Flat,H1/103,〝Drumroll″-1.Adagio]などとあるのだが、これも何たる意味なのか分からない。その内、⑤から⑧を赤線で囲み、「ハイドン最後のシンフォニーにふさわしいかも」と、兄さんが書き添えている。
これら2枚のCDを大晦日から聴き始め、今日まで、食事時の殆どの時間を聴き続けたが、兄さんがいう「97番は なかなかすばらしい」「ハイドン最後のシンフォニーにふさわしいかも」の理由が何であるかを聞かせてほしいと思ったが、兄さんはもうこの世に居ない。
2010年10月10日に、M御母さん、兄さん他、大人18名、子供7名のT家総勢27名による一泊二日の小旅行があった。「皆にありがとう」と言いたい、またM御父さんやM御母さんがつくり上げたT家面々の繋がりを今後も大切にしてほしいという兄さんの発案で兄さん自身が企画実施した小旅行であったと僕は認識しているのだが、そのときに僕が撮った兄さんの横顔の写真をラジカセ上手に置いていて、更にその上手に、兄さんの50枚余りのCDを並べている。
今日は、近くに住み毎日の如くやって来る孫達家族も、そして我が上さんも、一泊で旅行に出掛けたので、我が家に居るのは僕だけだし、朝9時頃より雨がしっかりと降り続いたので、近場の山野へも出掛けられない。もっとも、正月の大峰山行で痛めた右足腰の状態が芳しくないということもあり、それゆえ、正月山行時のツエルトやシュラフ、衣類などの洗濯を台所の流し台を利用し行ない、山道具の整理も行なったのだが、その間も含めて数時間、三つ目のCDを聴き続けた。
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大峰奥駈け(懸命に攀じる)

2017年02月11日 | 山野歩
2017年1月2日(月)~3日(火) 
『山野歩』
<大峰奥駈け>
[コースタイム]
◆1月2日
[吉野駅]8:05→8:43[金峯山寺]→9:50[水分神社]→10:24[金峯神社]10:50→11:22[青根ヶ峰]→12:28[心見茶屋跡]→13:48[四寸岩山]13:53→15:35[二蔵宿小屋]
◆1月3日
[二蔵宿小屋]3:35→5:42[大天井ヶ岳]→7:13[五番関]7:30→10:00[今宿跡]→11:51[洞辻茶屋]12:40→14:04[一本松茶屋]→[清浄大橋]→[毛又大橋]→(乗用車で送って戴く)→[下市口駅]
<懸命に攀じる>
今回の大峰山行は、雪との戦いではなく外反母趾から生じる痛みとの戦いと言っても過言ではなかった。昨年、山の店で雪山靴の外反母趾対応の補修を二度して戴いたが、再度お願いしなければならない。再補修することなく、この雪山靴を履いて山に行く勇気はない。
今回の山行で反省しなければならないのは「大丈夫だろう…」と安易に考えたことだ。それは[今宿跡]から暫くの処にあった鎖場を、アイゼンを履かずに登ったことにある。トラロープもあったゆえ、それらを使用して上れるのだろうと安易に考えたのが間違いであった。鎖は所々で凍りつき岩にくっ付いて滑ってしっかりと掴むことが出来なかったが、ロープを頼りに半ば凍っている雪を被った岩場を登る。ところが、9割方登った処でトラロープが無くなったのだ。ザックを降ろしてアイゼンとピッケルを出そうかと思案したが、ザックを降ろせる状況ではなかった。足下の雪を掃い凍っていないスタンスになりそうな岩を探すと、ささやかだが、小さな尖がりのある岩を見つけた。そっと左足先を乗せ、右手で千切れそうな細い草枝木を持ち僅かに立ち上がり、次に丸い岩を抑え気味して、それより1㍍余りを、至極微妙なバランスで登った。「落ちてはいけない」「二度目の事故はあってはならない」という思いで懸命に攀じった。
嬉しかったことが一つある。それは、洞川までの舗装道路を一時間ほど疲れ切ってトボトボと歩き、7割方歩いたころ、後方より車のクラクションが鳴り、「乗りませんか?」との声が掛かった。「洞川のバス停まで」ということで、乗せて戴いたのだが、結果的には下市口駅まで送ってもらうことになった。疲労困憊の態にあったゆえ、ほんとうにありがたかった。山上ヶ岳と稲村ヶ岳に登っての帰りだそうで、これから奥様の実家である平群まで帰るのだとおっしゃった京都にお住まいの若い男性は、幼い二人の子持ちであった。
[心見茶屋跡]で一泊目の幕営と計画していたが、15時半には[二蔵宿小屋]に到着する。もしかすれば小屋の扉が開いているかも知れないと期待したが、残念ながら、昨年、同宿した方の話の通り、小屋の扉や窓は板が張り付けられ完全に閉じられていた。仕方なく、小屋横に設置されている屋根がある休憩場に腰掛け夕飯を済ませ、板椅子にツエルトを拡げ、シュラフとシュラフカバーを放り込みもぐり込んだ。夜中の一時頃だったろうか、僕が寝る横を通り過ぎる人があったのには驚いた。
[大天井ヶ岳]頂にあった「Kobouの路」という道標に誘われて下り始めた道が、小南峠に至る道であることに気付き登り返す。また、[五番関]から「奥駈け」という道標に導かれて尾根を登るが、次第に踏み跡が無くなり道が判然としなくなる。二度引き返し、三度目の登り返しでテープを見つけ前進が可能となった。[金峯神社]を過ぎてから、[洞辻茶屋]の少し手前まで人に出合うことはなく、極めて細かい氷雪が吹き貫けるブナの大木が林立する処などでは、50歩歩みを進めるまでは足を止めないなんてことをして、疲れている我が脚腰を鼓舞し続けた。二泊三日の計画であったのだが、雪が少なく、思っていた時刻よりも早く[洞辻茶屋]に到着したので、その日の内に下山することにした。
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義兄の葬儀(クラッシックが流れる)

2017年02月04日 | 音楽
2016年12月25日(日)
『義兄の葬儀』
<クラッシックが流れる>
上さんが二度に亘り、実家より持ち帰ったK兄さんのクラッシクCDが50枚余りとなった。それらCD中にコピーをしたものが3枚存在する。「レコード盤は残しておいてほしい」と甥が言ったゆえ、レコード盤は頂戴していない。もっとも頂戴しても我が家には今、プレーヤーが無いので聴くことが出来ない。それら3枚のコピーCDの内1枚は、兄さんが闘病中に数多あるレコード盤から自身の葬儀用にとコピーしたものだろうと思われる。
その1枚には「①マーラー交響曲 第5番 4楽章 アダージョ 通夜・告別式の開始前に繰り返し流す」「②ベートーベン 7番3楽章 出棺時 繰り返す」と、兄さんが鉛筆で記している。これらの2曲が、兄さんの希望により、兄さんの葬儀の時に流れた筈なのだが、音楽に造詣が無い僕はその時の旋律を覚えていない。そして今日、葬儀から6年を経てその2曲を聴く機会を得た。
「②ベートーベン 7番3楽章」が流れるときに部屋にやって来た上さんに、「この曲、兄さんの出棺時に流れていた曲だよ」と告げると、「分かっていた。この部分だけだけど」と応えた。僕と違って、敬慕する兄を送らねばならない上さんの心中には、あの日から6年経った今でも、流れていた曲の旋律がしっかりと刻まれていたことに、僕は驚くばかりであった。2010年11月10日午後2時過ぎに兄さんは亡くなった。それは殆どの家族が揃う中での最期であった。その11月10日は、奇しくも上さんの誕生日でもあった。
兄さんは遺書を残していたという。僕はそれを見ていないゆえ如何なることが書かれていたのか詳細は分からないが、そのなかの一つに、「家族の香典は不要、その分、花を供えてほしい。」というのがあったようだ。これには兄さんの如何なる想いがあったのだろうか。通夜に二百人を軽く超える弔問客が訪れた。告別式にも通夜同様多くの方々がお参りしてくださり、300名から400名くらいの参列者数になったと記憶している。なかでも印象的であったのが、小学校同窓の六二会の皆さんが“高校三年生”を歌ったことであった。
今日は、[マーラー交響曲 第5番 4楽章 ]と[ベートーベン 7番3楽章]を繰り返し繰り返し聴いた。[マーラー交響曲 第5番 4楽章 アダージョ]が何ゆえ「通夜・告別式の開始前」なのか、[ベートーベン 7番3楽章]が何ゆえ「出棺時」なのか、と思考しながら何度も聴いた。
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