山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地・星のブランコ

2020年10月16日 | 山野逍遥
2020年09月20日(日)
『山野逍遥』
<ほしだ園地>
[京阪・私市駅] → [星の里いわふね] → (かわぞいの路) → [ピトンの小屋] → [星のブランコ] → [やまびこ広場] → [展望デッキ] → [星のブランコ] → [ピトンの小屋] → (かわぞいの路) → [京阪・私市駅]
<星のブランコ>
9月に入った頃、娘夫婦が仕事から離れられる次の日曜日に、家族で私市に行こうという話が持ち上がった。
ところが、降雨の予報で残念ながら中止となる。
その後、如何なる経緯で、僕が孫三人を連れて、山に行くことになったのかは覚えていないのだが、
その場所を“ほしだ園地”にしようと決めたのは僕であった。
それは、J太郎は過去に、まだ幼いときに、“くろんど園地”と“ほしだ園地”には、
合わせて十数回行っているのだが、“星のブランコ”を渡ったのは一回のみ、
またK子も、“くろんど園地”には三回くらい行っているのだが、“ほしだ園地”には行っていない筈ゆえ、
山に行くのが初めてのH子は兎も角、“星のブランコ”の高所より、緑に包まれた景観を三人に見せてやりたいと思ったからだ。
上さんと娘にお弁当を作って貰って、9時前に我が家をスタートして帰宅したのは16時前頃だっただろうか。
家を出たときより、僕が担ぐ筈だったザックを5年生のJ太郎が背負い、
J太郎が担ぐ筈だったリュックサックを3年生のK子が背負い歩き続けた。
なかでも、J太郎が担いでいるザックには、4人分の弁当と二本のスポーツドリンク、医療品、備品などが入っている。
その上に、僕が使う予定だったトレッキングポールと傘も入っているので、
しっかりとした重量だった筈なのだが、最後まで「重たい」という言葉を発することはなかった。
また、学校のクラス中で背丈順に並ぶと前から三人目だというあまり大きくないK子のリュックサックには、
冷たい麦茶が入った大きな保温性水筒始め、三人分のカッパや手拭き、着替えなどが入っていた。
このリュックサックは本来ならJ太郎が担ぐ予定ゆえ、
これまたK子にはそれなりの重量になっていた筈なのだが、何も言うことなく終始背負い歩き続けた。
そしてだ、保育園年長組のH子も「抱っこ!」と言うことなくよく歩いたし、星のブランコも怖がらずに渡ったのには感心するばかりであった。
三人の歩みはしっかりとした歩みであったが、しかし僕は、背中に何にも背負っていないにもかかわらず、
3人について行くだけで精一杯で、H子の面倒を見る余裕なんてなかった。
前を歩く三人を見ながら、4日前の霊仙山山行の疲れがまだ残っているのかも知れないなんて考えていた。
やまびこ広場で弁当にするとき、「吊橋が見える展望台があるよ!」と言うと、
昼食後「展望台に行こうよ!」とK子が言う。
しかし動くのが嫌だった僕が、「あそこを右の方へ上って行けば、直ぐに着くよ!」とK子に伝えると、
三人は僕を置いて展望台へと向かった。
往路でも遊んだのだが、帰りも、ピトンの小屋前のクライミングウォール横の子供用の人工壁で暫くの間、三人は遊んだ。
また連休だからだろうか、ハイキングを愉しむ人も多く、
ピトンの小屋横には杵屋が車両を持ち込み、杵屋キッチンを開店していた。孫三人は其処でかき氷や白玉善哉を愉しんだ。
孫三人に連れられての“ほしだ園地”は花を愉しむどころではなかった。
シュウカイドウやハギなどが眼に留まったが、立ち止まることさえなかった。


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くろんど園地・草原広場(二人を同時に見守ることができない)

2016年06月25日 | 山野逍遥
2016年5月8日(日) 
『山野逍遥』
<くろんど園地・草原広場>
[私市駅]10:02→10:31[月ノ輪滝]→11:10[すいれん池]→(鎖場)→(櫓)→11:39[草原広場(昼食)]14:00→[すいれん池]→[管理棟]14:40→15:35[私市駅]
◆所要時間:5時間33分
<二人を同時に見守ることができない>
「すいれん池」にやって来たときJ太郎は、昨年の10月までのように鎖場を登り「櫓」へと歩みを進めた。僕とK子が急登を懸命に上って行くとJ太郎の姿は既に櫓上にあったが、直ぐに降りて来て「草原広場」へと我々を誘導した。その行動は最初から決めていたように思われた。「草原広場」に入るとJ太郎の姿が無い。「砦アスレチックと迷路(今日気付いたのだが、これは難破船のようだ)」の最上部に居るのだろうと思っていたがさにあらず、彼の姿は「ターザンロープ」にあった。見知らぬ一家族に混ざって空中を駆けていた。K子に「乗ってみないか」と何度か勧めたが前回同様、首を横に振るだけであった。
孫二人を連れて何度か私市の森中を訪れているが、今日初めて彼等の姿を見失うことが生じた。二人の行動が今までよりも素早くなっていて、僕一人では二人を同時に見守ることができないというのが原因だろう。最初はK子で、僕を探すK子の泣き声で彼女の姿を見つけることができたが、J太郎のときは暫く時間を要した。帰路につくとき、我々よりも早く彼は管理棟を出たのだが、そして先に帰路を歩いているものと思っていたのだが、我々が「すいれん池」の西端に行っても前方に姿が見えない。其処で偶然出合った「草原広場」に居られたご家族に「黄色いリュックサックの子供さんなら、後方に居られましたよ」と教えて戴き、管理棟に戻ると穣太郎がトイレ棟から現れた。
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くろんど園地・草原広場(娘夫婦と、H子が参加)

2016年05月05日 | 山野逍遥
2016年3月20日(日) 
『山野逍遥』
<くろんど園地・草原広場>
[私市駅]11:10→[月ノ輪滝]→12:00[すいれん池]→12:08[草原広場]→[すいれん池]→[管理棟]→[私市駅]
<娘夫婦と、穗子が参加>
今までの「山野逍遥」は、J太郎と僕、もしくは其処にK子が加わるというパターンであったが、今日は其処に、娘夫婦と、そしてH子(1歳0ヶ月)が居た。上さんは、眼の関係で凹凸のある山道は歩くことが不可能ゆえ残念ながら不参加であったのだが、J太郎達の新学期に向けての手提げ袋等を自宅に残って作成した。
僕自身、娘達と一緒に私市に行くこと自体余り気が進まなかった。その理由が何にあるのか僕にもはっきりと分からないが、山野で遊ぶ機会が殆ど無い夫婦ゆえ、「私市」から「くろんど園地」への道が分からないのではないか、何か困ることが生じるのではないだろうか、弁当を僕が持たなければ誰が持つのだろうか、などと思考した結果、一緒に行くことを選択した。
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くろんど園地・草原広場(ターザンロープ)

2016年04月23日 | 山野逍遥
2016年2月14日(日) 
『山野逍遥』
<くろんど園地・草原広場>
[私市駅]11:00→[月ノ輪滝]→11:55[すいれん池]→12.:04[草原広場]13:40→[すいれん池]→[月ノ輪滝]→14:42[私市駅]
◆所要時間:3時間42分
<ターザンロープ>
昨日の堂満岳山行は、我が脚にかなりの筋肉痛をもたらし、孫二人と一緒の4時間足らずの今日の「くろんど園地」であっても、我が大腿四頭筋は悲鳴を上げていた。
「すいれん池」にやって来たとき、いつものように鎖場の階段を登るのだろうと思いきや、またK子がその意思を示したにもかかわらず、J太郎は管理道へと歩みを進め、「草原広場」へと向かった。
「草原広場」に入ると二人は、即座に「砦アスレチックと迷路」に向かい、迷路中を通り見てる間にその最上部に到着した。僕は腰に負担がかかる身体をかがませる必要がある迷路は避けて、左手の細道をゆっくりと上がり、前回の如く最上部に銀マットを敷き、腰を降ろし昼食にした。
暫くするとJ太郎の姿が見えない。もしかするとと思い、「ターザンロープ」に行ってみると案の定、J太郎はそれに乗り空中を駆けていた。「そろそろ帰ろうか!お母さんとお祖母ちゃんが待っているから!」と、僕が促すまで其処で夢中に遊んだ。K子にターザンロームに乗ってみないかと何度か誘ってみたが、首を縦に振ることはなかった。帰り際に「段違い平均台」にもJ太郎は挑戦した。彼はバランス良く片足で低い方から高い方へとヒョイッと飛び乗った。上手いものだ。K子はもう一つの平均台を、膝をついて四つん這いで進んだ。
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くろんど園地(草原広場)

2015年12月13日 | 山野逍遥
2015年11月22日(日) 
『山野逍遥』
<くろんど園地>
[私市駅]11:00→11:30[月ノ輪滝]→12:00[すいれん池]→12:10[草原広場]15:15→[すいれん池]→[月ノ輪滝]→16:24[私市駅]
◆所要時間:5時間24分
<草原広場>
「すいれん池」にやって来たとき、鎖の階段を登りその上部にある「櫓」で昼食にするのが常であったが、J太郎が何ゆえか「反対から行きたい」と言うので、その言葉に従い管理道を上った。分岐点に着いたとき、僕の主導で「櫓」へは行かず「草原広場」へと向かった。
それは、いつもの狭くて視界が利かない「櫓」よりも、草が生い茂った広場や、砦などのアスレチックが設置された広い空間は、成長している二人にとって楽しめしっかりと身体を動かせるに違いないと考えたからだ。「草原広場」には、J太郎は二年ほど前に一度来たことがあるのだが、当時3歳であったJ太郎には、設置されている遊具(砦アスレチックと迷路、ターザンロープ、段違い平均台)に対応できないという現実があった。ところが、保育園年長組へと成長した現在、彼はそれらの遊具を思う存分使いこなした。しかし「草原広場」に初めてやって来た三歳のK子にはまだまだ荷が重いという感はあったが、「ジョー、最初から」と言って、「砦アスレチックと迷路」へと二度も向かった。
僕達は、砦の最上部の板の間に銀マットを広げ昼食にし、砦を中心に三時間ほど遊んだ。秋の行楽シーズンという関係だろうか、これほど人の多い「草原広場」を嘗て見たことがない。その殆どが家族連れだ。それも幼児から小学生くらいの子供を連れた若い御夫婦ばかりであった。「草原広場」は子供にとって絶好の遊び場と化していた。僕は三時間の殆どを砦の上部の板の間で坐って過ごし、砦や広場を駆ける若いお父さんや子供達の姿を羨望の眼で見ていた。
K子は僕の娘に用意してもらっていた容器に、紅葉(黄葉)した楓や銀杏などの葉っぱやドングリ、そして木の実をいっぱい持ち帰った。
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くろんど園地(二人は仲の良い兄妹だ)

2015年10月26日 | 山野逍遥
2015年10月11日(日) 
『山野逍遥』
<くろんど園地>
[私市駅]10:00→10:30[月ノ輪滝]→11:05[すいれん池]→(鎖場)→11:20「櫓(昼食)」→13:00[管理棟(すいれん池横)]13:30→[月ノ輪滝]→15:10[私市駅]
◆所要時間:5時間10分
<二人は仲の良い兄妹だ>
朝方に雨音があったが出掛けるときには止んでいた。一日曇り空が続いたが降ることはなく、孫二人は、暑くもなく寒くもない秋の森中の散策を楽しんだ。
J太郎と森中を歩くのは半年振りであった。この三月で五歳になったJ太郎の、身軽で機敏な身体の動きを羨ましく見詰めていた僕の眼前を、こんどは走り始めた。下り道を駆け下りるので、転げるのではないかと心配したが不要であった。J太郎が走り始めると僕の身体力では敵わず、見る見るうちに距離が開いてしまい姿を見失う。なかでも、鎖の階段をひょいひょいひょいと登り切り、「先に家(櫓)に行っとく」と言って姿を消してしまった。K子はその鎖を掴みながら慎重に一歩一歩登る。三歳の時はJ太郎も、こんな感じだったのだろうと思いつつ、懸命に登るK子の背後に僕はぴったりとくっ付いた。K子と僕が櫓に到着すると、J太郎は既に櫓の二階に居た。
櫓上で昼食にした。我が娘達が小さい頃、家族で山野に行く機会が再三あった。そのころは、上さんが必ずお弁当を用意し持って出掛けたものだが、僕と孫との山野逍遥にお弁当を持って行くことはなく、コンビニでパンを購入して行くのが常だ。J太郎もK子もそれを当然の如く捉えている。二人のリュックサック中には、娘が持たせた子供達が好む菓子類が入っていた。僕としては内心可哀想な気もするが、娘も上さんも弁当を造ってやろうという気配さえもない。また、「くろんど園地」等の府民の森では、ガスコンロの使用を禁止しているゆえ、お茶すら沸かすことができない。残念だ。
二人は仲の良い兄妹だ。櫓上でも、すいれん池傍らの管理棟中でも、二人は終始戯れ僕がその中に入ることはない。「櫓」の狭い二階で昼食にして一頻り遊ぶ。この季節ゆえ生き物は少なくなっているのだが、キチョウやアサキマダラが飛翔し僕達の来訪を歓迎してくれた。時折風が吹いて、葉っぱやドングリの実が櫓の屋根に落ち、パラパラッ、コロコロッなどと音をたてる。足元にあったドングリの実にカサを被せたK子が「どんぐりの帽子」と言って僕に見せてくれた。蛇やリス等を形どった板が管理棟中の柱などに貼ってある。それを見つけたJ太郎は、もしかしたらそれを以前から知っているのかも知れないが、「リスや」「蛇がいてる」「蝶がいる」などと言って、棟中を探し廻った。K子は、楽しみにしていた絵本に出合えて、本棚から自分で絵本を取り出し眺め始めた。
今日、森中で出合った菊は、「ヤマシロギク」なのだろうか。それとも「シロヤマギク」なのだろうか。写真を撮って持ち帰り、植物図鑑を開いてみたが判別できない。黄色い小さな花は「コセンダングサ」なのだろう。
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くろんど園地(ヒオドシチョウとK子)

2015年07月17日 | 山野逍遥
2015年6月7日(日) 
『山野逍遥』
<くろんど園地>
[私市駅]11:02→[月ノ輪滝]→12:05[すいれん池]→(鎖場)→12:20「櫓」13:15→[すいれん池]→[管理棟]13:55→14:55[私市駅]
◆所要時間:3時間53分
<ヒオドシチョウとK子>
K子が「行く」と言っているにもかかわらず、J太郎は何ゆえ「山に行かない」という判断をしたのだろうか。それで今日は、K子と僕の二人だけの初めての山野逍遥となった。森中で「お兄ちゃんが居ないから淋しい?」と問うと、「少し淋しい」とK子は答えたのだが、J太郎が「山に行かない」と言っているのにK子は、僕と二人っきりの山野歩を何ゆえ選択したのだろうか。
僕とK子は、道程の八割方を手をつなぎ歩いたように思う。J太郎と歩くときには、これほどまでに手をつないで森中を歩いたことはないだろう。何かの拍子に手が離れると、小さくて柔らかい温かいK子の手が直ぐに僕の手を握りにやってくるのだ。ゴツゴツとした爺さんの手をそっと握りにやってくるのだ。
K子が「おうちに行きたい」と言ったときの「おうち」とは「櫓」を指していた。僕は「すいれん池」傍らの管理棟のことだろうと思っていたのだが、「すいれん池」に到着するや否や、鎖が張られた岩場を指差し「これを登る」という意思を示し、4月下旬にJ太郎と僕と三人でお昼にして暫く遊んだ「櫓」の存在をK子はちゃんと記憶していた。そのときも「櫓」上で一時間ほど過ごしたのだが、今日もやはり狭い「櫓」の二階で一時間くらい遊んだ。そのとき、一羽のヒオドシチョウがやってきて、手摺りに停まり暫くの間動こうとしなかった。その様子を見ていたK子は、自身と蝶を対象に写真を撮るよう僕に要求した。また、4月下旬のとき、「櫓」二階には我々以外に一人の男子を連れたお父さんとお母さんが居られたのだが、K子はそのときのこともちゃんと記憶していて、そのときの様子を僕に伝えた。その後「櫓」から「すいれん池」畔にやって来たときに、「もう帰ろうか」と僕が言うと、「おうちで絵本を見たい」とK子が答えた。そのときの「おうち」とは管理棟のことで、4月にやって来たときには、管理棟中で昆虫の本などを見たことを覚えていて、そう答えたのだろう。
思わぬ処でササユリに出合った。「櫓」から少し下った処で一輪、その後「すいれん池」までの下り坂の途中に幾輪かの開花する姿があった。また、ホソバタツナミソウが群生している処もあったし、テイカカズラの花弁が其処彼処に落ちている処が時折現れた。また、ヒオドシチョウ以外に、キチョウやミドリヒョウモン、アゲハチョウ、テングチョウ、コミスジと、飛翔する蝶の姿にも再三出合った。
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くろんど園地(K子が懸命に歩く)

2015年05月28日 | 山野逍遥
2015年4月25日(土)
『山野逍遥』
<くろんど園地>
[私市駅]11:40→[月ノ輪滝]→12:55[すいれん池]→(鎖場)→(櫓)→14:30[すいれん池]→[管理棟]14:50→16:00[私市駅]
◆所要時間:4時間20分
<K子が懸命に歩く>
J太郎は当初「くろんど池」に行きボートに乗りたいと言っていたが、K子の歩みでは無理と判断したのだろうか。「くろんど池には行かない」「小屋でお昼にする」と言葉に変化が生じ、その言葉に僕は内心安堵した。それは、K子の歩みでは「くろんど池」まで行くと帰宅が相当遅くなるのだろうと思ったからだ。併しだ、その小屋とは「すいれん池」傍の管理棟ではなく、「すいれん池」上部の櫓であって、J太郎は其処に行くために鎖場を登る心算でいるのだろうと思われた。鎖場を登るのはK子には厳しいだろう、二人を連れて安全に登れるのだろうかと考えたが、「すいれん池」に到着するや否やJ太郎はやはり鎖場を見上げた。上り切るまで「慎重に」「しっかりと鎖を持って」と、二人に僕は何度言葉を掛けたことだろう。櫓に到着するとJ太郎はスルスルっと上ってしまい続いてK子を登らせ、二階の板上でお昼にし、二人は手摺りから乗り出したりして樹木の枝や葉っぱ相手に一頻り遊んだ。
J太郎は俊敏に行動した。転倒するのではないかと心配する程に、上り途、下り途を勢いよく走った。それは僕には着いていけないほどの速度であったが、けっして転倒することはなく、また、姿を見失っても暫く進むと、J太郎は我々がやって来るのを必ず待っていた。
K子も嫌がらずに懸命に歩いた。足元の悪い処は僕がK子の手を握り、J太郎は時折、自身のリュックサックから垂れ下がっている紐をK子に握らせたり、K子の手を握ったりして、励ましているような様子で歩いた。J太郎に励まされ促され、K子は知らず知らずの内に歩いたのかも知れない。帰路森中から出て民家が並ぶ処まで辿り着いたときになって初めてしゃがみ込み歩けないという様子を見せたが、それは眠たかったのだろう。
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くろんど園地(J太郎に負ける)

2015年05月16日 | 山野逍遥
2015年4月18日(土) 
『山野逍遥』
<くろんど園地>
[私市駅]11:40→12:05[月ノ輪滝]→12:25[すいれん池]→(鎖場)→(櫓)→[すいれん池]13:15→13:40[くろんど池]14:20→[すいれん池]→15:35[私市駅]
◆所要時間:3時間55分
<J太郎に負ける>
二年振りのJ太郎との「くろんど園地」歩行であったが、二年前とは違って、五歳のJ太郎の歩みに我が脚は見事に負けてしまった。私市駅から20分余りの処にある「月ノ輪滝」上の急勾配の階段で脚の筋肉に違和感を覚え、その後直ぐに現れる手すりが設置されている上り階段では脚の筋肉が攣るのを感じ、それ以降、我が脚には常に微かな痙攣が生じ続けた。なかでもそれが顕著に現れたのは「くろんど池」で足漕ぎボートに乗ったときのことだ。「制限時間20分間なんて直ぐに経ってしまうよな、短いな」と思いつつ料金を支払ったのだが、我々が下船をしたのは、岸を離れてから僅か10分後くらいのことであった。その理由は、我が脚にこむら返りが生じたからで、少し風があったこともあるのだが、乗船場より離れると時刻に戻るのが難しくなるのではないかと懸念し、終始乗船場から遠く離れることはなかった。
「すいれん池」に到着するや否やJ太郎はその横にある鎖場を登ると言う。鎖場を登り切ると、その上にある櫓まで暫く急坂が続くゆえ、僕は気が進まなかったのだが、J太郎はお構いなしに登り始めた。やっとの事で坂を上り切り櫓上で昼食にして、暫くの間疲労した脚を休ませた。その辺りは、メインコースから少し外れているので余り人も通ることがなく静寂な処ゆえ、耳を澄ますと様々な音が届く。「ヘリコプターの音が聴こえるよ」「穣太郎には何の音が聞こえる?」と問うと、「飛行機、人の声、小鳥の声、ウグイス」とJ太郎は答えた。
J太郎は特段興味がないという様子であったが、僕は名称が言える限りの開花している花のそれをJ太郎に伝えた。それは「菫、タンポポ、紫ケマン、雪柳、姫踊子草」くらいだったろうか。J太郎は花よりも動く昆虫などに興味を示した。「ルリタテハ、キチョウ、シジミチョウ、モンシロチョウ、テングチョウ」などの蝶の他、「くまばち、アメンボウ、トカゲ、鯉、小さな虫」などと様々な生き物に出合った。「くろんど池」近くの田圃ではカエルの声が盛んに聴かれた。「カエルにはどんなカエルがいるのか知っている?」と問うとJ太郎は「トノサマカエル、ニホンアオガエル」などと答えた。
明日は、久し振りに山の会例会に出席しようと考えていたのだが、今日の我が脚力を考えたとき、「歩き切ることが出来るのだろうか」「歩けなくなって、皆に迷惑をかけるのではないか」等という不安感が我が脳裏を過った。明日の例会は「屯鶴峯でアイトレ」「ボッカで二上山に登る」という計画であった。
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ほしだ園地(優しいJ太郎)

2015年05月14日 | 山野逍遥
2015年4月4日(土) 
『山野逍遥』
<ほしだ園地>
[コースタイム]
[私市駅]11:30→11:50[星の里いわふね]12:40→(かわぞいの路)→13:20[ピトンの小屋]14:00→(かわぞいの路)→15:10[私市駅]
◆所要時間:3時間40分
<優しいJ太郎>
帰路、[ほしだ園地]の駐車場を過ぎた辺りで転び、それが切っ掛けでK子は泣き始めた。暫くは僕と手を繋いで歩いていたのだが、一向に泣き止まないので、J太郎に「K子と手を繋いで歩いてやってほしい」と頼むと、J太郎は快く受け入れてくれ、K子の手を握って歩き始めた。すると不思議なことに、泣き止みK子に笑顔が戻ったのだ。その後も結構長い時間、J太郎はK子と手を繋いで歩いていたように思う。
僕がK子を抱っこしてやれば好かったのだが、そのとき僕は疲労困憊という状態で既に脚が攣り始めていた。このくらいの道程で、なんで脚が攣るのだろう、なんでこんなに疲れてしまったのだろうと考え、脆弱な我が身体に呆れるばかりであった。
名称は分からないのだが、[かわぞいの路]の処々で淡い空色の菫の花が顔を覗かせた。駐車場では白のユキヤナギが満開を迎えていた。[ピトンの小屋]下方にはまだ白の[木蓮]が残っていた。咲く花が眼に留まる度に、K子に「あの白い花はモクレンというんやで」などと伝えた。
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