山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

トランス脂肪酸(動脈硬化などとの関連指摘)

2013年12月28日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2013年12月23日、くろんど園地にて

(すいれん池、管理棟)

20131228日(土)

『トランス脂肪酸』

<動脈硬化などとの関連指摘>

11月初旬に「トランス脂肪酸」にかかわるニュースがありました。報道が「トランス脂肪酸」について語るのは何年振りでしょうか。Webには「アメリカ合衆国、全面禁止へ」「動脈硬化などとの関連指摘、年2万人の心臓発作を減らす」などと記されていました。僕が「トランス脂肪酸」という物質の存在を知ったのは、もう10年ほど昔のことのように思うのですが、久し振りに「トランス脂肪酸」にかかわる記事を見ることとなりました。

「トランス脂肪酸」という物質の存在を初めて知った当時、僕は余り関心が無かったように思うのですが、何が切っ掛けであったのかは記憶にないのですが、数年前より食品の成分表示のところに、マーガリンやショートニング、ファストブレッドなどと記載されているものを購入することを控えるようになり、我が家ではマーガリンではなくバターを使用するようになりました。しかし、殆どのパンにはマーガリンが使用されていますし、ビスケット類にもショートニングなどが含まれるものが多いですから、「トランス脂肪酸」を完全に排除することは困難ですし、そもそも僕にはそんな心算もありません。ただ、それらが含まれている食品を摂取する機会を減らせれば、と思考しただけでありました。

先日の記事中に、『科学的にリスクを検討する「食品安全委員会」がこの3月、リスク評価書をまとめました。その結果、大多数の日本人にとってトランス脂肪酸のリスクは大きくなく、科学を無視したトランス脂肪酸批判が思わぬ弊害、別の健康リスクの増大すら招きかねないことがわかってきたのです』というのがありました。トランス脂肪酸を減らそうとメーカーが原料を変えたり製法を変更したりすると、飽和脂肪酸の含有量が増えるという「トレードオフ」が起きるのではないか、という懸念が指摘されているそうです。トランス脂肪酸摂取を減らそうとすると飽和脂肪酸の摂取急増が起きてしまうというのであります。なかなか難しいものです。

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くろんど園地(滑落事故後、初めての山野歩行)

2013年12月26日 | 山野歩

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◆写真撮影:2013年12月23日、ほしだ園地にて

(この鳥は、何という名称なのでしょうか?)

20131223日(月)

『山野歩』

<くろんど園地>

[コースタイム]

[私市駅]12501308[月ノ輪滝]→1330[すいれん池]14101438[くろんど池]→(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)1500[キャンプ場]→(管理道)→[すいれん池]→1615[私市駅]

◆所要時間:3時間25

<滑落事故後、初めての山野歩行>

「歩いてきたら」という上さんの言葉に背中を押されてやって来た“くろんど園地”は、意外なほどに暖かい大気に包まれていた。もっとも身体を冷やすことに強い危惧感を抱いている僕は、上半身に五枚重ね着をしているゆえ、寒気を感じないのは当然のことかも知れないのだが、着過ぎで汗をかき逆に身体を冷やしてしまうのではないかとも心配したが、暑さを感じることもなかった。また、転倒することだけは避けたいと念じ足下ばかりを見続けた山野歩でもあった。空を見上げたのは一度だけで、キャンプ場から“すいれん池”へと向かう管理道から見上げた狭い空には、大きめの積雲数個がどっかりと腰を下ろしていた。朝9時ごろ、我が家の頭上を覆っていたのは、絹雲や絹積雲の薄くて淡い雲のみで、雲の向こうで太陽が暖かい輝きを放っていて、その輝きに誘われ、また上さんの言葉に促されてやって来た“くろんど園地”は、滑落事故後、初めての三ヶ月振りの山野歩行となった。

冷気が漂うこの季節、森中は山野を愛する人々のみが集うような気がする。私市駅より“くろんど池”へと向かう道で出逢った人々は30人近い老若男女で、その殆どの方々と挨拶を交わしたことで僕は、何故か穏やかで満ち足りた安らぎを覚えた。“くろんど池”に到着するほんの少し手前、頭上に咲き乱れる山茶花を見上げるとき、マウンテンサイクルに乗る若者から「自転車で走れる道がないか?」と尋ねられた。自転車に乗り始めてまだ浅いのだという20代と思われる彼は、本来の自身のアウトドアはカヌーだとも言った。また、住まいが四条畷だとも言うので、僕が知っている生駒山系の道を説明し始めたのだが、「…園地という処は自転車の乗り入れが禁止されている」「大阪府下では自転車の通行禁止の処が多い」と彼は返した。

予てから走っているルートに沿って歩くつもりであったのだが、左へと曲がらねばならない分岐点をうっかりと直進してしまい、仕方なく東側からキャンプ場へと這入り“すいれん池”方面へと向かった。また途中、水舞台へと向かう分岐点に「やまごえの路、みはらしの路合流分岐より、水舞台、こだちの路への園路は、現在土砂崩れ・陥没・倒木等で通行が出来ません」と書かれていたためにそちらへ向かうのは諦め、その儘“すいれん池”へと下った。その“すいれん池”で僕を待っていてくれたのは鯉と鳥で、水量が減ってしまい、まだ僅かに水嵩がある西端の凍えそうな水中を泳ぐ紅と黒の姿を写真機に収め、帰ろうと歩き始めたときに、茂みの裏側の浅瀬を、小魚を狙うかの如く抜き足差し脚忍び足で前進する、脚と嘴が長い大形の淡い水色の色彩の鳥の姿があった。さてこの鳥は何という名称の鳥なのだろうか、知りたいものだ。

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治癒しない滑落事故後遺症(左手指の痛み)

2013年12月21日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2010年1月1日、交野市にて

(機物神社)

20131221日(土) 

『左手指の痛み』

<治癒しない滑落事故後遺症>

滑落事故より三ヶ月も経つもかかわらず、滑落事故で痛めた左手指や左腕手首に時折腓返りが生じる。それはキーボードを叩くときや何かを掴んでいるときなどに生じる。また腓返りだけでなく、何かを提げるときやペットボトルの蓋などを閉めようとする時に左手指に痛みが生じるし、握り拳を作ろうとしても、痛みがあってしっかりと手を握ることができない。

ところが不思議なことなのだが、痛む指は中指と薬指、そして小指のみで、人差し指や親指が痛むことはない。10月下旬ごろに、某病院の整形外科と神経内科で診てもらったが原因は見付からなかった。その原因は指そのものにあるのではなく他所に存在し、他所の神経と指の神経が繋がっていて指に痛みが生じるのだろか。

後頭部脳内出血や耳奥中の骨折はもう治癒したはずだし、鼓膜内に溜まっていた血液も流れ始めているという診断を聴いてから久しい。しかし、依然として残っている左顔の神経麻痺が左手に何らかの影響を及ぼしているのだろうか。

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腰痛(身体を冷やすことに恐怖心)

2013年12月15日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2012年2月11日、伯耆大山

(五合目にて)

20131215日(日)

『腰痛』

<身体を冷やすことに恐怖心>

部屋中に居る間も日中であっても上半身には四~五枚重ね着をしているし、襟巻きもし、頭部にニット帽を被っている。下半身にはパッチも穿いているし、靴下の上にもう一枚テントシューヅ的なものを穿くという、まるで冬期の山中にいるときのような装束で、もうこれ以上着ることができないという恰好をしている。夜眠るときには電気炬燵が放せないし、先日より裏側が起毛してあるズボンを穿き、上半身には首から忍び込む寒気を防ぐためにジャージを二枚重ねて着始め、羽毛布団や毛布など三枚の掛け布団と、やはり毛布の敷布団に挟まれて眠っている。ただ、我が部屋で机に向かうとき、僕は暖房器具を使用していないという事実もあるのだが。

年齢を経るに従い僕は益々寒がりになったのは間違いがない。20年ほど前ならまだこんなことはなかった、正月に穂高稜線でツエルトで一人眠っていたではないか。また、一年前の冬季早朝に、「ほしだ園地」や「くろんど園地」の森中を走っていたではないかとも考えるが、今の僕にはそのような気力は皆無だし、ここ数年何度か、身体を冷やすことにより酷い腰痛に陥ったという事実があって、身体を冷やすことに恐怖心が存在する。例えば、昨年2月中旬の「伯耆大山」山行時の天幕生活の後に陥った酷い腰痛は忘れることができない。

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滑落事故後、食生活に変化(「ご飯と味噌汁」から「パンと牛乳」へ)

2013年12月11日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2007年1月1日

20131210日(火) 

『滑落事故後、食生活に変化』

<「ご飯と味噌汁」から「パンと牛乳」へ>

僕の食生活に変化が生じた。それは朝食であって、「ご飯と味噌汁」から「パンと牛乳」へと変化した。それには理由がある。滑落事故から生じた左顔の神経麻痺症状により、食べ物が口中に上手く納まらない、上手く咀嚼できないということが生じている。中でも、具が入った汁物や熱いものが殊に食べ難いというところに原因があった。9月末ごろに三重県立総合医療センターを退院し、半月ぶりに自宅に戻って以降、朝食はずっと「食パン」だ。耳の固いところは牛乳に浸して口に入れると、上手く咀嚼出来ない僕の口中であっても至極食べ易い。

ところで我が家では従前、日曜日以外の日々の朝食は「ご飯と味噌汁」が主体であった。それは我が家で50年以上も続いている朝食だ。僕が子供のころ、毎朝食が「ご飯と味噌汁」であったのを、何が切っ掛けであったのかは覚えていないのだが、もしかすれば当時パン食に憧れたのかもしれない。「日曜日の朝食のみパンにしよう」という提案が兄弟の誰からかあったのだと思う。それ以降我が家では、日曜日の朝食のみが「パン食」になった。僕が所帯を持ってからも我が家では日曜日の朝食はパン食が続いたが、それ以外の朝食はやはり従来通り「ご飯と味噌汁」であった。

現地の病院を退院して帰宅した9月末以降、毎朝食が「ご飯と味噌汁」から「パンと牛乳」へと変化したのだが、これが僕の身体に何かの影響を与えているのだろうか。

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滑落事故後、三度目の街中歩

2013年12月01日 | 我が街中歩

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◆写真撮影:2013年11月28日、自宅より

(積雲)

20131128日(木)

『街中歩』

<滑落事故後、三度目の街中歩>

1120日、26日に続いてプライベートランニングコース(6.3km)を歩いた。前回同様、手袋をはめた左手で左顔のマッサージと、左手指のリハリビをやりながら歩いた。「滑落事故から二ヶ月以上も経過しているにもかかわらず、何ゆえ左手指の痛みが取れないのだろうか」「病院の整形外科や神経内科で診てもらった結果、その痛みの原因は見つからなかったではないか」「この状態ではザックを持ち上げるのが難しいかもしれない」「岩場で岩を握ることが出来ないな」などと考えながら左手指のリハビリを懸命に行なった。また肩甲骨が躍動するように腕をしっかりと振り続けた。

途中、トイレを借りる為にK病院へ寄り、○○横の公衆トイレに寄ったにもかかわらず、タイムは1時間1715秒、前回の1時間1831秒よりも極僅かではあったが時間短縮となった。もしかすれば、走ることが出来るのではないかと思うくらいに、我が脚は快調であったし、歩き終えたときに前回のように腰痛が生じることもなかった。

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