山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山系縦走路(栴檀は双葉より芳し)

2016年11月24日 | 山野歩
2016年10月2日(日)
『山野歩』
<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山系縦走路>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]7:30→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→8:07[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→(つつじの小路)→8:27[展望デッキ]8:32→[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →9:06[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内]9:24→[戎バス亭]→9:40[ビオトープ田原の里山・車止め]→9:57[堂尾池(大休止)]10:19→10:36[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→11:12[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→11:36[農地終了地点]→(カントリークラブ横)→11:46[龍王神・祠]11:48→12:16[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→12:24[くさか園地バイオトイレ(大休止)]12:42→12:57[辻子谷ハイキングコース北出合]→13:07[辻子谷ハイキングコース南出合]→[あじさい園北口]→13:24[ぬかた園地北分岐]→13:32[ぬかた園地南分岐]→13:39[摂河泉展望ハイキングコース分岐]→13:49[ぬかた園地ゲート]→13:59[暗峠・下方分岐]→14:03「なるかわ園地ゲート」→14:07[鳴川休憩所(大休止)]14:30→(万葉植物展示園)→15:14[鳴川峠]→15:56[鐘の鳴る展望台]16:02→[十三峠]→16:33[平群分岐]→17:34[高安山駅]
◆所要時間:10時間04分
<栴檀は双葉より芳し>
阪奈道路から間も無くの処、花の写真を撮ろうとしたとき、しゃがむときには何とかなったのだが、撮影が終了し立ち上がろうとするときに脚腰が素直に伸びてくれず、瞬時のことだが平衡感覚を失いふらついてしまった。それは歩き始めてまだ4時間くらいの処であったのだが、既に左脚膝裏の筋肉(ハムストリング?)と腰にかなりの疲労と痛みが生じていた。
先週の日曜日よりも暑く、汗が顔を伝い顎から滴り落ちるという気候であった。その所為か後半はしんどいばかりで、先日、上さんと次女に「大峰」に行く日程を伝えたのだが、「歩き切ることができないのではないか」という不安感が我が脳裏を過った。いつものように「なるかわ休憩所」でザックよりポールを取り出し後半の難路への準備をした。
今日の前半、先日に、上さん宛てに頂戴したN先生からの手紙に書かれていた「栴檀は双葉より芳し」という譬えの言葉を思い出し、我々よりも先に20歳で逝ってしまった長女の想い出が心中を駆け廻った。「坐するS先生」「川の字になって布団に横になる家族」等の長女の幼い頃の絵画、そしていつ頃に描いたのか僕は分からないのだが、「草花の鉛筆デッサン」などが走馬灯の如く、我が脳裏に映った。もしも生きていたなら、どのような日本画を描いて我々を楽しませてくれたのだろうか。
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ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山系縦走路(30回走ったという篠山マラソン)

2016年11月18日 | 山野歩
2016年9月25日(日)
『山野歩』
<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山系縦走路>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]7:19→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→8:00[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→(つつじの小路)→8:22[展望デッキ]→[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →8:59[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内]9:19→[戎バス亭]→9:35[ビオトープ田原の里山・車止め]→9:53[堂尾池(大休止)]10:20→10:37[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→11:16[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→11:37[農地終了地点]→(カントリークラブ横)→11:49[龍王神・祠]11:51→12:12[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→12:19[くさか園地バイオトイレ]→12:37[辻子谷ハイキングコース北出合(大休止)]→[辻子谷ハイキングコース南出合]→[あじさい園北口]→[ぬかた園地北分岐]→[ぬかた園地南分岐]→[摂河泉展望ハイキングコース分岐]→[ぬかた園地ゲート]→[暗峠・下方分岐]→「なるかわ園地ゲート」→[鳴川休憩所(小休止)]14:16→(万葉植物展示園)→15:00[鳴川峠]→15:45[鐘の鳴る展望台]15:52→16:15[十三峠]→16:23[平群分岐]→17:25[高安山駅]
◆所要時間:10時間06分
<30回走ったという篠山マラソン>
先々週は家庭の都合で、先週は台風16号で山行は叶わず、結果として三週間殆ど歩かなかった。それゆえ今朝は、我が脚に不安感を懐きながら私市駅をスタートする。
我が足取りは意外に快調であった。「辻子谷ハイキングコース北出合」で腰掛けていると、「額田や枚岡へはどちらに行けばよいのか」と尋ねられた。「僕もそちらの方面へ行きますから、一緒に行かれますか」と誘うと快諾され、枚岡への分岐地点となる「なるかわ休憩所」まで喋りながら歩き続けた。富田林から来られたという、興趣に富むその方の会話のお蔭で、疲れ知らずの内に歩かせてもらった。76歳とおっしゃったがけっして70歳代とは思えないその方は、町内の催しの下見にやって来たのだという。趣味は「自転車」「マラソン」「車」「山」「テニス」等とおっしゃった。「30回走ったという篠山マラソン」「台湾を自転車で一周」「アメリカ本土、ルート66を車で走った」等の話を楽しく聞かせてもらった。しかし、最近テニスをやっていたときに痛めた腰の状態が芳しくなく、来年3月の篠山はエントリしない予定と聞いた。併しだ、「篠山マラソン」を30回も走られたというその精神力に僕は感嘆するばかりだ。僕は2回のみだから。
「なるかわ休憩所」でポールを準備する。いつものことだが、「なるかわ休憩所」から「高安山」への道が辛い歩行となる。疲れている上に、起伏が頻繁に現れるからだ。また、それまでの管理道やアスファルトの道とは違って、荒れていて足下が悪い地道が頻繁に現れる。タオルは必要としなかったが、かなり気温が上昇した模様だ。汗が滲んだ。
大阪府岳連主催の「チャレンジ登山」なるものを10月16日に行なうという掲示があった。「チャレンジ登山」という大会には、「トレイルラン」と「トレッキング」の2コースがあった筈だが、「鳴川峠」以降の道は以前と比してかなり荒れているゆえ、なかでもランの参加者は何事もなく通過できるのだろうかと、要らぬ心配をしてしまった。
ところで、ピトンの小屋上手川原に咲く花(二種類)の名称が分からない。菖蒲のような雰囲気の4枚花弁白花の植物と、華やかなピンクの花(写真を掲示)なのだが、もし分かる人があるのなら教えてほしい。湿性花園(むろいけ園地内)の低地をミゾソバとツリフネソウが席巻していた。その他、僕の眼前を通り過ぎて行った花は、ゲンノショウコ、イヌタデ、ミズヒキ、キンミズヒキ、ツユクサ、ヒヨドリバナ ぐらいだろうか。
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滑落事故の後遺症(左顔神経麻痺)

2016年11月09日 | 健康・病気
2016年9月24日(土)
『滑落事故の後遺症』
<左顔神経麻痺>
2013年9月の山行における滑落事故で生じた「左顔神経麻痺」は、後遺症として今も僕の左顔に残っている。食事時に「左目から涙が出る」「左鼻から鼻水が出る」などがそうなのだが、咀嚼する時や喋るときに「口というか顎に何処となく違和感がある」も少しばかりだが感じる。また「認知症の検査をしてもらったら?」と上さんや次女に言われるのも、上さんや次女が僕の言動に何かを感ずるからだろう。思考能力の減退が生じているのは間違いのない事実だ。
夜中の2時頃に運び込まれた「三重県立総合医療センター」に二週間入院していたのだが、病院ではこの神経麻痺にかかわる治療はなかった筈だ。治療が始まったのは我が家に戻って来て近隣の病院に通い始めてからだ。処方された薬は「レチコラン錠500μg」と「ATP腸溶錠20mg」であった。薬の説明書に、「レチコラン錠500μg」は「ビタミンB12です。末梢神経の働きを助けて手足の痺れ、痛み、麻痺などの症状を改善します。」と、「ATP腸溶錠20mg」は「体の臓器や筋肉のエネルギーになるお薬です。腸で溶けて作用するので、噛まずにそのままお呑みください。」と記載されていた。これらの薬の効果も大きかったのだろうし、医師に言われたように、左顔要所部分を我が手でマッサージをしたのも麻痺改善に役立ったのかも知れない。当時、器から直接、汁物や飲料を上手く飲むことが出来ないためにストローを使用していたのだから。また、酷い目眩があったのを思いだす。
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外反母趾(進行する可能性?)

2016年11月02日 | 健康・病気
2016年9月22日(木)
『外反母趾』
<進行する可能性?>
側面が柔らかい運動靴なら大丈夫なのだが、雪山靴やトレッキング靴を履くと親指付け根辺りが痛み始め、長時間履いているとその付け根部分に水膨れが生じ、挙句の果てに水膨れが破れてしまうという事態に陥る。いつの日にかテレビのある番組で「僕の足の形状は外反母趾だ」ということを知り、「外反母趾は治らない」ということを悟り、「僕の足に登山靴を合わせる以外に方法がない」と理解した。それを知った山友達が、僕が使用している雪山靴を購入した山用品店に交渉してくれ、無償で足親指つけ根辺りを拡げる補修を2度して戴いた。しかしまだ、最終的な履き試しはしていない。
ところで、何ゆえ外反母趾が生じたのかと考えるとき、滑落事故以前には外反母趾を意識した記憶が無いゆえ、事故以前にもし外反母趾らしき兆候があったとしても然程酷くはなかったのではないか。今のような状態に陥ったのは滑落事故以降であるのは間違いがない。僕の足に外反母趾になる素質があったのかも知れないが、事故が原因で、一年半ほどの間歩くことが殆ど無かったことが、足の老化を早めたのだろう。
また、現在のように週に一度しか運動をしない生活を続けると、更に外反母趾が進行する可能性があるのではないかと危惧する。そうなることを避けるには、以前のように山野走や街中走を週に2~3回くらいは行なう必要があるのだろうが、その時間と精神力が今の僕には存在しない。
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