山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

花の写真の整理(長女の遺影前に飾る)

2017年01月30日 | 写真
2016年12月23日(金)
『花の写真の整理』
<長女の遺影前に飾る>
二年ほど以前より、我が周辺に存在する様々なものを整理している。必要な物はそれが何であるかが明確に解るようにして、不要なものは出来るだけ廃棄するようにしている。それは、僕がもしもの時に、残された次女が整理しなければならない物が少ない方が助かるだろうと思うからだ。
廃棄しているものの中に、時間を見つけて山野に行き撮影した花の写真がある。初めてカメラを購入した20歳代のときに、カメラ屋さんに勧められて整理し残してきた[カラベタ焼き]と[フイルム]があれば、焼いた写真は無くてもよいだろうという判断だ。一時はその40冊を超す、花だけでなく、大切な家族が納まっている[フイルム]を、スキャナーを使ってパソコンに取り込み、[ネガアルバム]自体も廃棄しようと試み始めたが、時間が必要なため、半ば諦めた状態だ。花の名称が分かれば、[ネガアルバム]にある[カラベタ焼き]の下欄に記載している。
写真を廃棄する前に、必ず長女の遺影前に写真を8枚ずつ飾り、月に一度1日に取り替えているのだが、それは、いつの日にか彼女が、「あの時の花の写真が欲しい」と僕に告げたにもかかわらず、当時、仕事の忙しさにかまけて忘れてしまい、その後になって思い出したにもかかわらず、僕に催促しなかったゆえ、その儘になっていた。[あの時の花の写真]とは、彼女が小学校6年生のときに一緒に歩いた[白馬三山]で撮影した高山植物の写真なのだが、娘がその写真を見て、高山植物の絵を描こうとしていたのも分かっていた。それが後悔として我が脳裏に残っているからだ。
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ロックガーデン(アイトレ&歩荷)

2017年01月23日 | 山野歩
2016年12月18日(日) 
『山の会』
<ロックガーデン>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、最くん、ゆうさん
[阪急芦屋川駅]→[高座滝]→(地獄谷)→[A懸垂岩]→(ハイキング道)→[保久良神社]→[阪急岡本駅]
<アイトレ&歩荷>
一週間前のひとり山行では、鬱然たる気分が僕の脳裏中を支配し続け淋しかった。淋しくて仕方がなかった。それ故、山の会の皆に会いたかったし一緒に山にも行きたかった。現在、僕は雪山に行く為の身体力が絶対的に不足していて、皆のように冬山(雪山)に行くつもりがないゆえ、今日の「アイトレ&歩荷」山行に出席する必要はないのだが、アイゼンもピッケルも持つことなくやってきた。皆はポリ容器に水4㍑を入れ、梅安さんは更に5人用天幕を担いでいた。最くんのザックにはロープ等の登攀具も入っていたが、皆は平然とアイトレを行なっていた。感心するばかりだ。
天気に恵まれ、行動中上着は下着も含めて2枚で十分であった。テルモスに温くて甘い紅茶を用意してきたが殆ど飲むことはなく、スポーツドリンクの方が美味しいくらいの暑さであった。
「1月には何処何処、三月には、五月の連休には…」と、冬山と春山の話題で盛り上がった。僕には縁のない話題であったが、皆と話をする中で、僕が休むことが可能な、暮れから正月にかけての北八から南八への単独縦走を夢見たが、それはやはり夢以外のなにものでもないだろう。安部ちゃんが「計画書を出してもらわないと」「許可しないけど」と苦笑しながら語った。
トレッキング靴に速やかに慣れたいと思い、運動靴ではなくトレッキング靴を履いてやってきた。それは運動靴よりも歩き難いのも事実だが、トレッキング靴の方が運動靴よりも足裏が疲れ難いのが分かってきたからだ。嘗ては、雪山以外では運動靴で山に行くのが常であったが、ここのところ、足裏が疲れて且つ痛みが生じるのは足の老化が原因なのだろうか。
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ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山系縦走路(十数年振りの暗峠)

2017年01月16日 | 山野歩
2016年12月11日(日)
『山野歩』
<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山系縦走路>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]7:12→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→7:55[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→(つつじの小路)→[展望デッキ]→[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →9:07[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内]9:35→[戎バス亭]→[ビオトープ田原の里山・車止め]→10:12[堂尾池]→10:37[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→11:19[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→[農地終了地点]→(カントリークラブ横)→[龍王神・祠]→[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→12:30[くさか園地バイオトイレ(大休止)]13:06→[辻子谷ハイキングコース北出合]→[辻子谷ハイキングコース南出合]→14:05[生駒山頂(遊園地内)]→14:38[暗峠(大休止)]15:25→15:35[鳴川休憩所(小休止)]16:00→(神津嶽ハイキングコース)→[枚岡展望台]→(神津嶽ハイキングコース)→[枚岡神宮]→17:05[枚岡駅]
◆所要時間:9時間53分
<十数年振りの暗峠>
昨日、娘婿のお母さんが久し振りにやって来られ、話をするなかで、御主人さんの近況を知ることとなった。「自分で歩けない」「ミキサーを使って食べ物を作っている」「腎臓に癌がある」等の話が僕の脳裏に留まった。癌の手術については、体力が無いゆえ手術はしない方がよい、また透析が必要になると医師から説明されたそうだ。以前より糖尿と聞いていたし、アルツハイマーの症状も現れているとも聞いていた。今日の山歩き中では、僕と同い年の彼の人生と奥様の日々の生活を憂い、また、我々夫婦も将来如何なる人生が待っているのだろうかなどと思考する鬱然たる気分が、僕の脳裏中を支配し続けた。
[生駒山頂遊園地]内でひとりの女性に、「暗峠へ行きたいのですが、こちらでよいのですか?」と声を掛けられ、話しながら暗峠まで御一緒した。その方の年齢は昭和3年生まれの88歳、「僕の母親のような御歳ですね」と返したのだが、女性は僕と遜色のないスピードで歩かれ、暗峠より奈良県側へと下山された。
その方は御主人さんが亡くなって18年だそうで、それまでの数年間は介護の為、山に行けない時期があったのだが、独り身になってからまた山歩きを始めたというのだ。「歩こう会にも加入しているのですが、例会によっては連れて行ってもらえない山行もあるし、実は今日も例会があったのですが、今回の例会は面白くなく物足りない山行で、私は行きたくなかったから、独りで石切から上り生駒山にやって来た。」とおっしゃった。年配の女性の清爽の気溢れる会話が契機となり、僕は気鬱な精神から幾分解放されることとなった。
今日の生駒山系縦走路歩行には目的があった。昔、私市から高安山まで何度か走ったことがあるのだが、現在のように生駒縦走歩道を南下するのではなく、当時はまだ入園するのに料金が発生した生駒山頂遊園地内(山歩きの人間は無料で通してくれた)を通り抜け南下したものであった。今日はその道を歩いてみたいと思いやって来た。
ところが、[辻子谷ハイキングコース]を登り切り、駐車場横に出ると遊園地へと続く上り階段等が工事のため閉鎖されていた。仕方なく奈良県側へと廻り込んで上らねばならなかった。
[生駒山頂遊園地]内の一等三角点(642m)を確認し、遊園地が意外と大きいのに驚きながら南下する。[暗峠への近道]という道標に導かれて歩き好い道を下降して行くと、思いの外短時間で[暗峠]の茶店前へと飛び出した。[暗峠]にやって来たのは数十年振りだろう。88歳の女性はこれより直ぐに奈良県側へと下山されたのだが、僕は暖房が利いた茶店でぜんざい(500円)を頂戴し、冷え切った身体をゆっくりと温め[鳴川休憩所]へと向かった。
[飯盛霊園]内では、いつもの舗装道路ではなく、初めて「園内ハイキングコース」という道標案内に導かれて歩いたが、殊に印象に残るものに出合うことはなかったように思う。7時過ぎ、磐船街道入口温度計の表示は「+2℃」であった。
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ほしだ園地~くろんど園地(黄葉しているのはメタセコイア)

2017年01月11日 | 山野歩
2016年12月4日(日) 
『山野歩』
<ほしだ園地~くろんど園地>
[コースタイム]
[私市駅]8:10→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→8:58[ピトンの小屋]9:09→9:21[星のブランコ]9:25→9:39[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →10:17[飯盛霊園・境界鞍部]→(せせらぎの路) →10:40[天野川(いかるが橋)(磐船街道)]→(私市ゴルフ場)→11:18[くろんど園地ゲート]→11:25[すいれん池(管理棟)]12:00→12:18[くろんど池]12:27→[すいれん池]→13時28分[私市駅]
◆所要時間:5時間18分
<黄葉しているのはメタセコイア>
今日は、山の会例会(屯鶴峯~二上山・アイトレ)に出席するつもりであったが、我が家庭と仕事の都合で15時前には帰宅している必要があったゆえ、近場山域の私市に独りでやって来た。先週日曜日は降雨のため歩いていないので、今日は是非とも歩きたかった。外反母趾の補修をしてもらったトレッキング靴(モンベル)の試し履きを兼ねて、ゆっくりとした足取りで歩き続け、私市駅に辿り着いたときには思いの外疲れていた。
9時15分開門の「星のブランコ」を久し振りに渡り、「まつかぜの路」を楽しみ、これまた久し振りの「せせらぎの路」では沢音に耳を欹て、急勾配の管理道を下り切り左に折れ、「天野川(いかるが橋)」を渡り、磐船街道を横切ってゴルフ場へと向かうアスファルト道を上る。
ゴルフ場本館へと続く道路右手に並ぶ大木はトウヒなのだろうか。圧巻だ。整備された起伏のあるゴルフ場の緑の景観が美しい。ゴルフ場中で黄葉しているのはメタセコイアなのだろう。ゴルフ場の芝の緑色に映え優美だ。ゴルフ場本館傍らに「ハイキング→」という道標があった。その後も幾つかの「ハイキング→」という道標に案内されて進むと、「くろんど園地ゲート」が現れ、間も無く「すいれん池」横の管理棟へと飛び出した。
管理棟で一休みする。帰宅しなければならない時刻にはまだ余裕があった。もう少し山中の雰囲気を楽しみたいと「くろんど池」へと向かったが、途中、狭いちょっとした上り階段や、流れに沿った狭い通路、足場の悪い処があり、足を滑らせるのではないかと少しばかり緊張した。それほどに最近は我が脚腰の平衡感覚に自信がない。
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蓬莱峡~座頭谷~○~東六甲縦走路(アイトレ)

2017年01月05日 | 山野歩
2016年11月20日(日) 
『山の会』
<蓬莱峡~座頭谷~○~東六甲縦走路>
■参加者:安部ちゃん、最くん、聖子さん、ゆうさん
[コースタイム]
[JR生瀬駅]→[蓬莱峡]→(座頭谷)→(名称不明の尾根)→(東六甲縦走路)→[塩尾寺]→[阪急宝塚駅]
<アイトレ>
「塩尾寺」から宝塚の住宅街に出るまでの下り道で歩けなくなる。ザイル等登攀具が入ったザックの重量を僕の脚腰が支えられなくなった。脚と腰がバラバラで、今までに経験したことがない悲愴な状態に陥った。日没を迎え暗くなった山道を、ヘッドランプを頼りにポールに身体を預けて必死に下山するが、ザックの重量に耐えられなくて度々バランスを崩す。最くんが後ろから支えてくれなければ何度も転倒したに違いない。舗装道路に入ってからも、夕飯を摂るために宝塚駅地下街中を歩くときも、足を上手く前に出せない状態が続いた。先週の「武奈ヶ岳」以降、腰痛始め体調が芳しくなかったのは事実だが、何に原因があったのかは分からない。そのとき僕は「もしかすれば家に辿り着くことができないかも知れない」と思ったくらいの体調であった。
最くんのリードで蓬莱峡大屏風左手のクラックを全員1本登らせてもらったが、僕にとっては難しい岩登りとなった。今の僕には最くんのようにアイゼンを履いてリードは出来そうにもない。また、重いザックを担いでの、約1時間余りの名称不明尾根でのアイゼントレーニングは、皆も相当えらかったようだ。僕の身体が限界に近づいていたのは間違いがない。しかし、重いザックを担いで急勾配の尾根を1時間余頑張れたのは僕にとっては収穫で、自信に繋がったのだが、最後で失態を演じてしまい、皆に迷惑を掛けてしまうことになった。
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