山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

明けの明星の真下に三日月

2022年04月18日 | 写真
2022年02月28日(月)
『我が街中歩』
<明けの明星の真下に三日月>
今朝の我が街中歩のスタートは5時00分。
スマホの寝屋川市の気温は「マイナス1度」と表示。
成田山不動尊の奥の院(閉)にお参りし、続いてお滝、そして本堂にもお参りして、いつもの道を行く。
三井が丘を抜け、伊之内橋を渡り、打上川治水緑地には東方より入る。
内周を、続いて外周を一周ずつ歩く。東方より治水緑地を離れ、
緑橋を渡り、寝屋川右岸の道より、三井が丘を通り、往路を歩き帰路に就く。
打上川治水緑地の内周路を歩く時、南方に昇る明けの明星の真下に三日月がありました。
このような構図を見るのは始めてであり、思わずカメラを構えました。
今朝、撮影したのは、この1枚のみで、撮影したのは5時49分のことでした。
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カメラの寿命

2020年12月20日 | 写真
2020年12月06日(日)
<カメラの寿命>
長年使用していた一眼レフ・フイルムカメラが、いつの日にか日本アルプスに行ったおり、岩に当ててしまい一部分が破損してしまう。
しかしそれ以降もそれなりの期間使用出来たのだが、2013年に動かなくなってしまう。
それを機会に初めてレジタルカメラ(OLYMPUS・SH-50)を2013年7月6日に、ヨドバシカメラで売り場の店員さんに勧められて購入したのだ。
山によく行く僕には、そのレジタルカメラは、それまでのカメラと比して軽くてかさばらなくて使い勝手のよい品であったが、昨年12月初め頃から調子が芳しくなかった。
時折モニターが真っ暗になり撮影出来なくなってしまうのだ。ところが、軽く叩いたり振ったりしていると、いつの間にか復活しているという状況が続いていた。
しかし、歩き初めで今年の1月2日に、生駒山系縦走路山行を愉しんだおりに撮影出来なくなってから、二度と復活しない状態に陥ってしまった。
そこで1月4日にヨドバシカメラへ行きカメラの修理に関わる話をするなかで、メーカーに一部の部品が既にない状態で、もし修理が可能だとしても、2万数千円が必要ということであった。
一旦帰宅し熟慮した結果、ヨドバシカメラの店員さんに勧められたデジタルカメラ(Canon・G9XMarkⅡ)を購入する。
思い出すのは2013年9月14日の某山域での滑落事故だ。あのときカメラは、登攀後下山時に僕と一緒にルンゼを20㍍も落ちたのは間違いが無い。
そのときカメラを僕は、いつものように胸前にぶら下げていたのか、それともザック中に入れていたのかが記憶にないのだが、
現地の病院で半月暮らし、帰宅し暫くして、山仲間が持って帰ってくれたのであろう山の道具を整理していると、その中からカメラが現れたのだ。
しかしそのときには、滑落するまでに撮影した映像がモニターに表示されることはなく、壊れたのだろうと考えていた。
ところがそれよりいつの日にか触っていると復活したのだ。そしてあれから6年あまり活躍してくれていた。
ところで、この頃のカメラの寿命は何年くらいなのだろうか。使い方にもよるのだろうが。あのときの滑落事故が原因となり、寿命が縮まったのだろうか。
もしそうでなければ寿命が短過ぎるように思えてならないのだが、フイルムカメラと違って、レジタルカメラの寿命はそんなものなのだろうか。
ところでこの見出し画像の写真は、「OLYMPUS・SH-50」で撮影出来た最後のもので、生駒山縦走路にある十三峠の仏像だ。

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花の写真の整理(長女の遺影前に飾る)

2017年01月30日 | 写真
2016年12月23日(金)
『花の写真の整理』
<長女の遺影前に飾る>
二年ほど以前より、我が周辺に存在する様々なものを整理している。必要な物はそれが何であるかが明確に解るようにして、不要なものは出来るだけ廃棄するようにしている。それは、僕がもしもの時に、残された次女が整理しなければならない物が少ない方が助かるだろうと思うからだ。
廃棄しているものの中に、時間を見つけて山野に行き撮影した花の写真がある。初めてカメラを購入した20歳代のときに、カメラ屋さんに勧められて整理し残してきた[カラベタ焼き]と[フイルム]があれば、焼いた写真は無くてもよいだろうという判断だ。一時はその40冊を超す、花だけでなく、大切な家族が納まっている[フイルム]を、スキャナーを使ってパソコンに取り込み、[ネガアルバム]自体も廃棄しようと試み始めたが、時間が必要なため、半ば諦めた状態だ。花の名称が分かれば、[ネガアルバム]にある[カラベタ焼き]の下欄に記載している。
写真を廃棄する前に、必ず長女の遺影前に写真を8枚ずつ飾り、月に一度1日に取り替えているのだが、それは、いつの日にか彼女が、「あの時の花の写真が欲しい」と僕に告げたにもかかわらず、当時、仕事の忙しさにかまけて忘れてしまい、その後になって思い出したにもかかわらず、僕に催促しなかったゆえ、その儘になっていた。[あの時の花の写真]とは、彼女が小学校6年生のときに一緒に歩いた[白馬三山]で撮影した高山植物の写真なのだが、娘がその写真を見て、高山植物の絵を描こうとしていたのも分かっていた。それが後悔として我が脳裏に残っているからだ。
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オリンパス・STYLUS SH-50(優れ物のデジタルカメラ)

2013年10月29日 | 写真

P7140090

◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳(大同心稜)にて

(ミヤマキンバイ)

20131029日(火)

『オリンパス・STYLUS SH50

<優れ物のデジタルカメラ>

滑落事故後、今日になって初めてカメラを触った。滑落時、カメラを身に付けていたのか、それともサブザックの中に入れていたのかをまったく覚えていないのだが、山仲間が御在所岳より持ち帰ってくれていて、山道具と一緒に僕の部屋前に並んでいた。

過日、山道具を整理したときにカメラのみを机上へと移動させたのだが、そのときも、カメラ内に残っている映像をみることがなかった。カメラは壊れているのだろうと思っていたし、もし万が一壊れていなくても、滑落事故を起こすほんの暫く前までの映像が残っている訳だから、なんとなく見る気がしなかったのだ。

ところが、カメラを布袋より取り出すと傷んでいる気配が無い。「藤内壁前尾根登攀時に10枚以上はシャッターを切ったはずだ」また、「それ以前に撮った写真も残っているはずだ」と思い、ボタンを押してみたが映像が一枚も現れない。壊れているのだろうかと思いシャッターを切ってみると、カメラは正常に作動し映像は保存された。さすれば、何ゆえ映像が残っていないのだろうか。我が身体が20m滑落する衝撃で、また、我が身体は2度バウンドしたというのだが、それらの激しい衝撃で映像が消滅してしまったのだろうか。とも考えたが、何れにしてもカメラは壊れていないのだから不思議であった。

従前僕は、何十年という間、フイルムカメラ(一眼レフ)を使用してきた。花を撮るためにマクロレンズ、遠景を撮るためにズームレンズと使い分け、必ず携帯三脚を持ち歩いたものだが、しかし60歳台の僕にとって、山に持って行くときにその重量と嵩は至極負担になっていた。その回避のために購入したのが、オリンパス製品のSTYLUS SH50というデジタルカメラで、それは、7月の八ヶ岳山行前にヨドバシカメラで手に入れた。

それは、269グラムという、信じられないくらいの重量と掌におさまるくらいの嵩の品であった。そのデジタルカメラで撮った写真をまだプリントしたことがないゆえ、その性能のほどは分からないが、パソコンで見るだけなら、スキャナーで取り込んだフイルムカメラ(一眼レフ)の映像と比してまったく遜色がないという優れ物だ。

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