山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

くろんど園地(K子が懸命に歩く)

2015年05月28日 | 山野逍遥
2015年4月25日(土)
『山野逍遥』
<くろんど園地>
[私市駅]11:40→[月ノ輪滝]→12:55[すいれん池]→(鎖場)→(櫓)→14:30[すいれん池]→[管理棟]14:50→16:00[私市駅]
◆所要時間:4時間20分
<K子が懸命に歩く>
J太郎は当初「くろんど池」に行きボートに乗りたいと言っていたが、K子の歩みでは無理と判断したのだろうか。「くろんど池には行かない」「小屋でお昼にする」と言葉に変化が生じ、その言葉に僕は内心安堵した。それは、K子の歩みでは「くろんど池」まで行くと帰宅が相当遅くなるのだろうと思ったからだ。併しだ、その小屋とは「すいれん池」傍の管理棟ではなく、「すいれん池」上部の櫓であって、J太郎は其処に行くために鎖場を登る心算でいるのだろうと思われた。鎖場を登るのはK子には厳しいだろう、二人を連れて安全に登れるのだろうかと考えたが、「すいれん池」に到着するや否やJ太郎はやはり鎖場を見上げた。上り切るまで「慎重に」「しっかりと鎖を持って」と、二人に僕は何度言葉を掛けたことだろう。櫓に到着するとJ太郎はスルスルっと上ってしまい続いてK子を登らせ、二階の板上でお昼にし、二人は手摺りから乗り出したりして樹木の枝や葉っぱ相手に一頻り遊んだ。
J太郎は俊敏に行動した。転倒するのではないかと心配する程に、上り途、下り途を勢いよく走った。それは僕には着いていけないほどの速度であったが、けっして転倒することはなく、また、姿を見失っても暫く進むと、J太郎は我々がやって来るのを必ず待っていた。
K子も嫌がらずに懸命に歩いた。足元の悪い処は僕がK子の手を握り、J太郎は時折、自身のリュックサックから垂れ下がっている紐をK子に握らせたり、K子の手を握ったりして、励ましているような様子で歩いた。J太郎に励まされ促され、K子は知らず知らずの内に歩いたのかも知れない。帰路森中から出て民家が並ぶ処まで辿り着いたときになって初めてしゃがみ込み歩けないという様子を見せたが、それは眠たかったのだろう。
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くろんど園地(J太郎に負ける)

2015年05月16日 | 山野逍遥
2015年4月18日(土) 
『山野逍遥』
<くろんど園地>
[私市駅]11:40→12:05[月ノ輪滝]→12:25[すいれん池]→(鎖場)→(櫓)→[すいれん池]13:15→13:40[くろんど池]14:20→[すいれん池]→15:35[私市駅]
◆所要時間:3時間55分
<J太郎に負ける>
二年振りのJ太郎との「くろんど園地」歩行であったが、二年前とは違って、五歳のJ太郎の歩みに我が脚は見事に負けてしまった。私市駅から20分余りの処にある「月ノ輪滝」上の急勾配の階段で脚の筋肉に違和感を覚え、その後直ぐに現れる手すりが設置されている上り階段では脚の筋肉が攣るのを感じ、それ以降、我が脚には常に微かな痙攣が生じ続けた。なかでもそれが顕著に現れたのは「くろんど池」で足漕ぎボートに乗ったときのことだ。「制限時間20分間なんて直ぐに経ってしまうよな、短いな」と思いつつ料金を支払ったのだが、我々が下船をしたのは、岸を離れてから僅か10分後くらいのことであった。その理由は、我が脚にこむら返りが生じたからで、少し風があったこともあるのだが、乗船場より離れると時刻に戻るのが難しくなるのではないかと懸念し、終始乗船場から遠く離れることはなかった。
「すいれん池」に到着するや否やJ太郎はその横にある鎖場を登ると言う。鎖場を登り切ると、その上にある櫓まで暫く急坂が続くゆえ、僕は気が進まなかったのだが、J太郎はお構いなしに登り始めた。やっとの事で坂を上り切り櫓上で昼食にして、暫くの間疲労した脚を休ませた。その辺りは、メインコースから少し外れているので余り人も通ることがなく静寂な処ゆえ、耳を澄ますと様々な音が届く。「ヘリコプターの音が聴こえるよ」「穣太郎には何の音が聞こえる?」と問うと、「飛行機、人の声、小鳥の声、ウグイス」とJ太郎は答えた。
J太郎は特段興味がないという様子であったが、僕は名称が言える限りの開花している花のそれをJ太郎に伝えた。それは「菫、タンポポ、紫ケマン、雪柳、姫踊子草」くらいだったろうか。J太郎は花よりも動く昆虫などに興味を示した。「ルリタテハ、キチョウ、シジミチョウ、モンシロチョウ、テングチョウ」などの蝶の他、「くまばち、アメンボウ、トカゲ、鯉、小さな虫」などと様々な生き物に出合った。「くろんど池」近くの田圃ではカエルの声が盛んに聴かれた。「カエルにはどんなカエルがいるのか知っている?」と問うとJ太郎は「トノサマカエル、ニホンアオガエル」などと答えた。
明日は、久し振りに山の会例会に出席しようと考えていたのだが、今日の我が脚力を考えたとき、「歩き切ることが出来るのだろうか」「歩けなくなって、皆に迷惑をかけるのではないか」等という不安感が我が脳裏を過った。明日の例会は「屯鶴峯でアイトレ」「ボッカで二上山に登る」という計画であった。
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ほしだ園地(優しいJ太郎)

2015年05月14日 | 山野逍遥
2015年4月4日(土) 
『山野逍遥』
<ほしだ園地>
[コースタイム]
[私市駅]11:30→11:50[星の里いわふね]12:40→(かわぞいの路)→13:20[ピトンの小屋]14:00→(かわぞいの路)→15:10[私市駅]
◆所要時間:3時間40分
<優しいJ太郎>
帰路、[ほしだ園地]の駐車場を過ぎた辺りで転び、それが切っ掛けでK子は泣き始めた。暫くは僕と手を繋いで歩いていたのだが、一向に泣き止まないので、J太郎に「K子と手を繋いで歩いてやってほしい」と頼むと、J太郎は快く受け入れてくれ、K子の手を握って歩き始めた。すると不思議なことに、泣き止みK子に笑顔が戻ったのだ。その後も結構長い時間、J太郎はK子と手を繋いで歩いていたように思う。
僕がK子を抱っこしてやれば好かったのだが、そのとき僕は疲労困憊という状態で既に脚が攣り始めていた。このくらいの道程で、なんで脚が攣るのだろう、なんでこんなに疲れてしまったのだろうと考え、脆弱な我が身体に呆れるばかりであった。
名称は分からないのだが、[かわぞいの路]の処々で淡い空色の菫の花が顔を覗かせた。駐車場では白のユキヤナギが満開を迎えていた。[ピトンの小屋]下方にはまだ白の[木蓮]が残っていた。咲く花が眼に留まる度に、K子に「あの白い花はモクレンというんやで」などと伝えた。
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K子、初めてのほしだ園地

2015年05月07日 | 山野逍遥
2015年3月28日(土) 
『山野逍遥』
<ほしだ園地>
[コースタイム]
[私市駅]10:30→10:40[星の里いわふね]11:20→(かわぞいの路)→12:10[ピトンの小屋]14:00→(かわぞいの路)→15:20[私市駅]
◆所要時間:4時間50分
<K子、初めてのほしだ園地>
2歳半のときから一年足らずの間に延べ14回、そして昨年の2月に半年ぶりに一度私市にやって来て、それ以降、私市にJ太郎とやって来ることはなく、「山に行こうか?」とJ太郎に声を掛けても「行かない」という返事が返るだけであった。ところが今回当然の如く「行かない!」という言葉が返るものと思い、また、K子とJ太郎の二人を連れて山野を歩く自信が無かった僕だが、J太郎から「行かない」という返事があるものと思い、半ば冗談で、「僕と山に行かないか?」と問うと、二人から意外なことに「行く!」という言葉が返った。という訳で、五歳になって日数が経たないJ太郎と、三歳三カ月のK子を連れて[ほしだ園地]の散策を楽しむこととなった。
幼い二人の遅い歩みゆえ、僕の脆弱な脚力であってもマダマダ余裕があったように思う。もっとも[星の里いわふね]では、二人が川への石投げに興じる間、僕は石上に腰掛け続けたし、[ピトンの小屋]でも、その前の[クライミングウォール]でも、僕は椅子やベンチに腰掛け続けた。
独りでK子を連れて出掛けるのは初めてのことゆえ、K子が女の子ということもあり、トイレのときは如何すればよいのだろうかと心配していたのだが、幸いウンチはなく二度のオシッコのみで、僕であっても何とかこなすことができ安堵する。また、K子が山野を歩くのは初めてゆえ、彼女がどのくらい歩いてくれるのかが分からず、途中で「抱っこ!」なんて言われれば、今の僕の身体では、僅かな時間であっても、K子を抱っこして歩く自信がまったく無かったのだが、最後までK子はその言葉を発することはなかった。
J太郎は子供用人工壁のトラバースを13回も繰り返したし、[クライミングウォール]前の広場ではJ太郎とK子は一緒に北端まで何度も走って往復し、かなり疲労しているのだろうと思ったが、帰路に入っても、J太郎はK子と僕よりもかなり速く歩き時折姿を見失うこともあった。しかし暫く進むと、僕達がやって来るのを待っているか、僕達の方へ引き返して来るのが常であり、彼の運動量は僕の1.5倍くらいにも上るのかもしれない。
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