山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

小林製薬(株)の“かかとちゃん”(今冬も大変お世話になった)

2024年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム
2024年06月01日(土)
『小林製薬(株)の“かかとちゃん”』
<今冬も大変お世話になった>
11月初めより、今年は5月18日まで日々、朝起きた時から、夜にお風呂に入る時まで、時間にすれば17時間あまり、“かかとちゃん”を穿いていた。
穿かなくなって10日余り経っても、踵にひび割れが生じないので、これで10月末頃までは、“かかとちゃん”を必要としない生活が続く。
小林製薬(株)が、使用上の注意として記している、
「保温・保湿以外の目的で使用しない」
「装着部位に湿疹、かぶれ、発赤、腫れ、かゆみ、水疱、傷口や皮膚に疾患のある方は使用しない」
「汗ムレによりふやけた皮フを傷めるおそれがあるので、くつ下、パンスト、タイツ等と重ね履きはしない」
「着用時間は約7~8時間を目安に使用する」からすると、相反する使い方をしているのだが、
この[かかとちゃん]のお陰で、足の踵がガサガサになることなく、ひび割れも生じることなく、今冬も快適に過ごさせてもらった。
2021年の11月初旬より本格的に穿き始めた“かかとちゃん”は、僕にとっては、無くてはならないものになった。
二足購入して、洗濯しながら使用しているのだが、破れることもなくたいへん丈夫だ。
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今宮戎神社ラン(安部ちゃんを誘い走る)

2024年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム
2024年06月01日(土)
『今宮戎神社ラン』
<安部ちゃんを誘い走る>
「こんばんはです。僕は時間を見つけて、昔の写真と記述を整理して、そのデータを別の記憶装置に保存しています。
それは自己満足の世界なのですが、今晩の作業中で、2003年1月11日に安部ちゃんに声をかけ、
一緒に、香里園から今宮戎神社へと走った時の記述が出てきました」と安部ちゃんに送信すると、
「おはようございます。そうですか、えべっさんマラソンはよく覚えていますよ。
時間がたっぷりあったので、途中で休憩していろんな話をしましたねえ。会長がよく喋ってくれたので退屈しませんでしたよ。
今宮戎についてから、あの時に食べた食堂のご飯が美味しかったですね。なかなか珍しい経験ができましたネエ」との返信があった。
下記の記述がそのときのものです。
2003年01月11日(土)~12日(日)
『今宮戎ラン』
 ここのところ毎年、土曜日が1月9~11日(えべっさん)に合致しない故、戎ランを実施する機会がなかった。
昨年暮れに安部ちゃんに声を掛けたところ「参加するよ」というので、今年は高橋君と僕と3名での今宮恵比須神社行きとなった。
昨晩20時にスタートし、香里園駅前で安部ちゃんをつかまえる。
久し振りのランニングであることと、今回は安部ちゃんが一緒であること故、気が入り過ぎていたのだろう。
「ちょっと速過ぎるのでは」と彼から何度か声が掛かる。結果として、京橋を過ぎる頃には僕の脚は限界に近付き、
天満橋手前では歩かざるをえなくなる。天満橋駅でひと休止後は辛い我慢のランニングとなった。
今宮恵比須神社着23時30分。予定通りスパワールドで風呂に入り2時30分頃、仮眠室にて眠りにはいる。起床7時。

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運転免許更新(高齢者講習&認知機能検査)

2024年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム
2024年04月11日(木)
『運転免許更新』
<高齢者講習&認知機能検査>
今日、自動車教習所へと出向き、“高齢者講習”と“認知機能検査”なるものを3時間にわたり受講し、めでたく終了証を頂戴する。
後は、警察署に行き視力検査を受けるだけなのだが、今日の講習内容のなかでもっとも弱ったのは、
スズメやアコーデオン、ヘリコプターなどの4ツの絵を描いたものを3枚見せられ、
暫く後に、描かれていた絵の名称を用紙に記入しなさいという設問があったときだ。
絵を見せられたとき、何のことやら分からなかった僕は、ただボケッと眺めていたのだが、
用紙を配られて、いざ記入しようとペンを持ったのだが、如何なる絵があったのかが、なかなか脳裏に浮かんで来ない。
結果として、半分も書けなかったのだ。
それゆえ、もしかすれば、修了証を頂戴できないかも知れないと不安感を覚えることとなった。
続いて、先程見た絵に関係するのだが、先程とはちょっと違う設問があった。
その時は、先とは違ってすべて記入することができたので安堵する。
その後も、眼にかかわる三つの検査と、乗車して、運転の実技試験へと続いた。

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墓参(二人の祥月命日に二人に会えるという良い日となった)

2024年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム
2024年03月03日(日)
『墓参』
<二人の祥月命日に二人に会えるという良い日となった>
お袋と親爺は、のを祖母ちゃんの命日である三日に毎月墓参していた。
しかし、親爺が車の運転が出来なくなってからは、僕が時間を見つけて、二人を乗せて、三日に墓参するようになった。
そして、二人が亡き今も、二人がやってきたことを踏襲して、毎月三日に墓参しているのだが、
今日3月3日は、のを祖母ちゃんの祥月命日ゆえ、当然のごとく寝屋川公園墓地にやって来た。
いつものように供華を購入して墓地へと歩き始めときに、右手下にほころばんとする様子の梅の花が眼に留まる。
そこで、カメラを取りに自動車まで戻り、そこより庭園に入り、少しの間散策する。
この庭園に入るのは何故か初めてで、梅の他、スイセンとリュウキンカが開花していたし、池では、数多の錦鯉を楽しむことができた。
また、庭園から出て来たところでは、紅葉したオタフクナンテンを見ることができた。
墓地は、兄貴が掃除をしに来ているのだろと勝手に僕は思っているのだが、いつもように綺麗ゆえ、お花を供えるのみで、
「今日は のを祖母ちゃんの祥月命日だよね。亡くなって53年も経つんだよね」とお袋に話し掛けお参りを済ませる。
また今日は日曜日ということもあり、丁度、希世子(我が長女)の祥月命日でもあったので、
南河内郡まで車を走らせ希世子が眠る墓地到着が14時過ぎだっただろうか。
南河内郡の墓地には、上さんの実家の先祖墓石が三つと、その横に娘が入っている墓石が存在するのだが、
それらの墓石には、一二週間前くらいに高槻の皆さんがやって来て供えた供花があった。
しかし僅かに傷み初めていたので新しい供華に交換する。
ところで、南河内郡の墓参は、墓地の清掃時間も含めて、南河内郡往復に4時間余り要するので、
南河内郡の墓参は毎月第一日曜日と決めているのだが、
今年は、二人の祥月命日に二人に会えるという良い日となった。

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中秋の名月(昨年に続き、今年も満月)

2023年02月01日 | 日記・エッセイ・コラム
2022年09月10日(土)
『中秋の名月』
<昨年に続き、今年も満月>
今日のお月様が、中秋の名月で、しかも満月であることを知ったのは、NHKラジオのニュース番組あったように思います。
そのお月様を拝みたい思い、21時に我が家屋上に出てみると、東方の空に、真ん丸いお月様が見事に昇っていました。
心ゆくまで眺め、願い事を言葉にして祈り、拝み、そしてカメラに収めました。
それより、我が部屋に戻ってスマホを見ると、山の会の面々よりLINEに、書き込みと写真があるのに気付きました。
僕は出席しなかったのですが、今日は山の会の例会実施日でした。
目的の山は本来、綿向山であったのですが、数日前にAちゃんが38度の熱を出し、体調が万全でないというところで、
リーダーのBさんが、何処へでも下山出来る、ルート変更が可能な六甲山へと、山域を変更していたのです。
スマホには、S子さん撮影の写真と、リーダーのBさんと、S子さん、AZさんの言葉が届いていました。
リーダーのBさんは「虹が写ってます。ありがとうございました」、S子さんは「しんどかったけど、楽しかったです。ありがとうございました」、
AZさんは「ありがとうございました。暗くなるまでに下山できて良かったです。足にきてますけど」と。
そこで僕が、「写真楽しみました。中でも、花はいいですね。ツリガネニンジン、ヤマジノホトトギス、イタドリ、ミズヒキ、
そして、マルバハギとシラヤマギクだと思うのですが。ところで今日の月は、中秋の名月です。さっき心行ゆくまで眺めました」と送信すると間もなく、
「花の名前全部分かって素晴らしい! 最後の写真は、芦屋川から撮った月です。王将に向かいながら、皆で眺めました。
仲秋の名月、オレンジ色で大きかったです」と、S子さんからの文言が届きました。
そこで写真をもう一回見直すと、一番最後の写真に、マンションやネオンが灯る街の向うに、お月様が写っていました。
また、その一枚前の写真には、神戸の街から雲に向かって立ち上がる虹が見られました。

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コロナワクチンの接種(白山と久住山へ行きたい)

2021年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年06月19日(土)
『コロナワクチンの接種』
<白山と久住山へ行きたい>
一回目のコロナワクチンの接種。
14時45分の予約で、雨降る中、●●小学校へ車を走らせた。
近くのコインパーキングに車を止めて、小学校着、14時35分くらいだっただろうか。
それより待つこと10分あまりで体育館の中へ入ると、後はエレベーター式に、問診票の確認などがあって接種ブースに行く。
待っておられたのは女性医師で、椅子に坐ると、僕の問診票を見た女性医師が「達筆ですね」と仰る。
「そう言われたことは無いですね」「男前だと言われたことはありますが」と返すと、
「マスクをしておられるから分かりません」という言葉があり、それらの僅かな問答の間に、接種が終了する。
注射をされたという感覚はまったくなく、緊張していた僕にとっては、真にあっけないそれであった。
女性医師の注射は、ほんとうに巧みなそれだったのだろう。
ところで、ワクチン接種を契機として、コロナ感染症が終息して、山小屋が嘗てのように使えるようになれば、
山小屋を利用して、白山と久住山へ行きたいと思う。
ただ、僕にとって、泊りで山に行ける環境が我が家にあるか否かが、
最大の条件であることが間違いの無い事実なのだが。
もし行けたなら、さて、歩けるのだろうか。
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山の会(野外活動センターでバーベキュー)

2021年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年04月04日(日)
『山の会』
<野外活動センターでバーベキュー>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、最くん、ミキさん、聖子さん、ゆうさん
[コースタイム]
[四條畷駅] → [四條畷神社]→ [飯盛山] → [大東市立野外活動センター] → [四條畷駅]
<聖子さん、ありがとう>
10時に四條畷駅集合、駅前のスーパーで買出しを行なうが、僕と最君は中には入っていない。肉と海老、鮭などを購入したようだ。
現場では、銀紙に包んだ玉葱と、茄子やピーマンなどが並んだのだが、これらは聖子さんが、自宅で既に準備してくれていたようだ。
そんななか、キャベツを持って来るのを忘れたという言葉があった。
野外活動センターの予約、下見も含めて、すべてを聖子さんが行なってくれたようだ。ほんとうに有難う。
13時頃より、バーベキューを始めたのだが、活動センターで購入した木炭が湿気ているのだろうか、
着火剤を使用するのだが、なかなか木炭が熾ってくれない。火が点くまでかなりの時間を要してしまうが、
用心のために、安部ちゃんが持って来ていたガスコンロが役に立った。
もしそれがなければ、木炭を熾すのにもっと時間を要したに違いない。
そうこうしている内に雨が降り始めたのだが、雨よけがあるので、濡れることはなかった。
当初僕は、新型コロナウイルス感染が気になって、出席しようかしまいかと迷っていたが来て良かった。
心身ともにゆとりのある、和気あいあいとした雰囲気の中での談笑しながらのバーベキューは、
普段の山歩きとはちょっと違った、皆の姿を垣間見たように思えた。
なかでも、ここ数年会っていなかった、最君とミキさんが久し振りにやって来て、
家族も含めた、大事の無い二人の近況を聴けたことも、嬉しいことであった。
四條畷神社前を通って、山道へと入って行く。四條畷在住の聖子さんが先頭を歩く。最後尾はいつものように安部ちゃんだ。
最君と安部ちゃんから、ついこの間の石垣山へ行った話や、今月中に前穂に行く話などを聴くときに、
山岳保険を登攀コースよりハイキングコースへと、昨年より切り替えた僕は、
雪山や登攀が楽しめる身体力を二人が維持していることを、羨ましく思うばかりであった。
飯盛山到着が12時前頃だっただろうか。午後より降雨の予報にもかかわらず、休憩所には20人近いハイカーがおられ、
丁度お昼ご飯タイムで、皆さんはお弁当を拡げておられた。
それより30分くらいで野外活動センターに到着する。
山中の桜花は殆どが散り、葉桜へと変化していたが、道端には時折春の花が現れた。
覚えているのは、“ホトケノザ”と植栽されている“サクラソウ”くらいだっただろうか。
皆と一緒に歩いていると、花を愛でる時間が無いのはいつものことなのだが、
皆と言葉を交わし、話し続けているのもまた愉しい。




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たまには悪い物も食べなあかん(義父の言葉)

2021年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年02月26日(金)
『たまには悪い物も食べなあかん』
<義父の言葉>
「たまには悪い物も食べなあかん!」という上さんのいつかの言葉が忘れられない。
「この言葉はお父ちゃんの言葉」と上さんは付け加えた。
その “お父ちゃん”とは、第二次世界大戦で、外地へと赴いた経験がある、
1997年の10月に逝った、この世には既に居ない、上さんの親爺さんなのだが、
外地での生活はおそらく壮絶なもので、食べられる物なら何でも口へと運んだのだろう。
義父の言葉とはちょっと意味合いは違うが、
6年前頃より、我が家のご飯作りを担うようになった僕は、食品添加物や化学調味料なるものが漸次気になるようになる。
親爺達がこの世に誕生し生活した時代(大正時代末期から昭和時代が主)には、
今ほどに、食品添加物や化学調味料なるものは多く無かったのではないだろうか。
先日、一番下の孫が、保育園で味噌ラーメンを食し美味しかったらしく、「味噌ラーメンが食べたい!」と言うので、
いつもの買物時に、眼に留まった“サッポロ一番・みそラーメン”を購入して来た。
孫が保育園で食した“味噌ラーメン”はけっして即席ラーメンではないのだろうが、
僕が持っているレシピには“ラーメン”の類がないゆえ、作ることが出来ない。そこで即席麺を購入して来たのだ。
そして先日の日曜日の午後に、上さんと孫三人が麺2袋をオヤツ代わりに4人で食したようなのだが、
「あんなもんやね」「災害時には役立つみたい」等というのが、上さんの弁であった。
何十年も前、チキンラーメンが発売された頃には、僕はよく食したように思うのだが、
最近はまったく食べることはなく、即席ラーメンを購入したのはほんとうに久し振りであった。
ところで、この度購入して来た“サッポロ一番・みそラーメン”の外装袋に記されている数多の原材料名のなかで、
どれが食品添加物や化学調味料に当たるのかさえ、僕は解っていないのだが、
これらの食品添加物等は行政が認可している品ゆえ、様々な加工食品に使用されているそれらは、
けっして身体に“悪い物”ではないのだろうが、僕の拙い知識ではまったく分からない。
数多あるのであろう食品添加物等が、我々の身体に如何なる影響を及ぼすのか、僕には解らないのだが、
我が家のご飯作りを担う僕にはこの頃、それらのものが気になって仕方がない。
それは、人生が残り少ない僕のような老齢者は別として、
これからの時代を担うであろう、保育園児と小学生の孫三人と、我が娘や娘婿が食するからだ。
僕が買物に行くのは、安全を謳い文句にしている食品店や生協ではなく、近隣の極一般的なスーパーなのだが、
例えば、毎朝、必ず食するパンについては、乳化剤やイーストフードを使っていないものを購入しているし、マーガリンではなくバターを使っている。
出汁にしても、昆布やカツオダシを使用し、オカズを調理するときにも、化学調味料を使用することは殆どないし、
惣菜を購入することも殆ど無いに等しい。しかし市販のお菓子については、食品添加物を避けるのは難しいゆえ仕方が無いようだ。

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小林製薬㈱の“かかとちゃん”(踵のひび割れ防止に効果があるのだろうか?)

2021年03月02日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年02月20日(土)
『小林製薬㈱の“かかとちゃん”』
<踵のひび割れ防止に効果があるのだろうか?>
昨年の大晦日からの“ドルマイシン軟膏”の使用により、我が右足の踵のひび割れがかなり改善する。
ところがだ、毎日ガーゼや包帯を替えなければならないゆえ、面倒だと思い、ガーゼや包帯の代わりになるような便利なものがないだろうかと、
また毎晩、手にハンドクリームを塗り、薄いビニールの手袋をはめて布団に入るのだが、
同様に、足の踵にピッタリとくっ付くビニール製の足袋がないだろうかと思い、正月明けにいつものドラッグ店へと出掛けた。
そこで眼に留まったのが、小林製薬㈱の“かかとちゃん”という商品であった。
これならガーゼ留めや包帯代わりにもなり、簡単に履けると考え購入する。
ところが、使用上の注意を読むと、「保温・保湿以外の目的で使用しない」
「装着部位に湿疹、かぶれ、発赤、腫れ、かゆみ、水疱、傷口や皮膚に疾患のある方は使用しない」
「汗ムレによりふやけた皮フを傷めるおそれがあるので、くつ下、パンスト、タイツ等と重ね履きはしない」
「着用時間は約7~8時間を目安に使用する」と記されている。
それゆえ、僕が考えていたが如く、包帯代わりとして使えないし、ガーゼ留めとしても使えないので、
踵の傷が完全に塞がるのを待って、“かかとちゃん”を穿き始めたのが先月の10日過ぎからだっただろうか。
今日で、それよりほぼ一ヶ月が経過するのだが、
僕の右足の踵にひび割れが生じ始め、昨晩よりまた“ドルマイシン軟膏”のお世話になることとなった。
併しだ、今年は、足の踵がガサガサになり、一旦ひび割れが生じてから“かかとちゃん”を穿くようになったゆえ、
再度ひび割れが生じるのも仕方がないのかも知れない。
今回は、“かかとちゃん”を穿き始めてから1カ月ほどはひび割れから解放されていたのも事実ゆえ、
次回は、11月の初旬頃には穿くようにしてみようと思う。さてそのときには、“かかとちゃん”は、その効果を発揮してくれるのだろうか。
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地震(福島県、宮城県で震度「6強」)

2021年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年02月14日(日)
『地震』
<福島県、宮城県で震度「6強」>
13日の目覚めが夜中の1時40分頃で、その後もずっと起きていたので、
昨晩は、23時には布団に入り、直ぐに寝入ってしまったゆえ、
23時07分にあった、福島県沖で生じたマグニチュード「7.3」の地震は知らなかった。
地震の発生を知ったのは今朝5時前のNHKラジオであり、福島県、宮城県で震度「6強」を記録したと報じていた。
僕はまったくテレビを見ないので、昨夜の地震にかかわる報道を映像で見ることはないのだが、
19時のNHKラジオで、地震にかかわるニュースが流れていて、
其処彼処で被害が発生しているようだが、今回の地震で困窮する人があまり生じないことを祈るばかりだ。
ところで、2020年12月18日の日記に、僕は次のように記している。
「NHKラジオによると、18時09分に東京都・利島で震度“5弱”の地震が発生。
震源地は伊豆大島近海、マグニチュードが“5.1”。
また続いて、20時43分にも同じく東京都・利島で、震度“4”の地震があったという。
そしてだ、21時39分にも、利島の近隣でまた、震度“3”の地震が発生したようだ。
6日前の12日にも、青森県で震度“5弱”を観測する強い地震があったばかりだ。
地震のニュースを聴くと、気持が滅入ってしまう」と。
また、2019年06月18日の我が日記にも、
「椅子に坐った儘、居眠りをしていたようだ。目覚めた23時半過ぎにNHKラジオから地震の報道が流れていた。
22時22分頃に、甲信越地方で震度“6強”、マグニチュード“6.8”という強い地震があったそうで、
新潟県村上市で震度“6強”を記録。山形県や秋田県でも強い揺れがあったという。
昨年の今日、大阪北部で震度“6弱”の地震があり、寝屋川市でも“5強”を記録したのだが、
それよりも強い地震であり至極怖かったのではないだろうか」と、地震について書き残している。
そしてだ、2019年06月18日に起こった震度“6弱”の大阪北部地震についても僕は次の如く書き残している。
「丁度8時頃に激しい地震があり、余震もあった。我が家は上下に激しく揺れた。
それは阪神の震災以来の恐ろしいくらいの揺れ方で恐怖を感じる。大阪北部で震度6弱、寝屋川で5強との報道であった」と。
この度の地震で、改めて、
寝屋川市発行の「命を守る ワガヤノ 防災」という冊子(全160頁)を、本棚より手元に取り出すこととなった。
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