浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

雲仙普賢岳火砕流から19年

2010年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

雲仙・普賢岳の火砕流で死者行方不明43人という惨事が起こってからきのうで19年が経過した。

Unzen_pyroclastic_and_lahar_deposit

中央の最高峰が1483mの平成新山、火砕流は山頂の溶岩が繰り返し崩れ落ち、写真中央の道路のようになった道筋を流れ下った。右手の山の半分が崩れた山は200年前に崩壊した眉山。

200年あまり、静かだった雲仙岳が突然噴火したのは、1990年11月17日。最初の噴火は二つの噴気孔で一本の煙が普賢岳から立ち上っていた。しかし、噴火の規模はしだいに激しくなり、1991年6月3日大火砕流が発生、多くの犠牲者が出た。

1792年(寛政4年)「島原大変肥後迷惑」と呼ばれる雲仙岳の噴火とその後に発生した眉山が山体崩壊し有明海に崩れ落ち、有明海沿岸は大津波が発生、15000人という犠牲者を出した。このときの津波の高さは50mと言われる。

“火砕流”についての知識が19年前どれだけ理解されていたか、200年前の「島原大変肥後迷惑の状況、遠くは、ポンペイを埋め尽くしたベスビオ火山の火砕流など、もっと多くの人たちが火山噴火の実態を知れば、火山災害からどう自分を守るか考えることになるのではないか。

島原半島全体が世界遺産の地質版「世界ジオパーク」に去年指定された。