浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

能登と能登呂

2007年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

この記事は私の長男と長女へのメモ。

能登地震がが気になっていたが、能登から連想したのは「能登呂(のとろ)」という日本海軍の水上機母艦のこと。「能登呂」を調べると、「能登呂」の船名の語源は樺太(からふと=当時、日本領)の南西端の岬、“西能登呂岬”からとったという。

当時、日本海軍には「加賀」「蒼龍」「龍穣」など艦載機を搭載した航空母艦があったが、水上機も第1戦で活躍していた。そこで、海軍は貨物船を改造、水上機母艦として、活躍させた。「能登呂」「知床」「襟裳」などの船名がついた艦船はこうした背景で誕生した。

私の父は、「能登呂」に搭載された水上偵察機部隊の小隊長だった。南シナ海での作戦行動中、昭和13年、戦死した。

戦死公報によれば、父の小隊は偵察から母艦への帰還したが、一機が行方不明になり帰還しなかった。小隊長の父は燃料を補給すると同時に、行方不明機を捜索に引き返した。そして、ついに、父の搭乗した機も行方不明となった。

「ワレ、フジチャク ス…」、きれぎれに判読できたという文面、これが母艦に届いた無線信号だった。敵の弾に当たったのか?あるいはエンジンが不調で飛行が不可能だったのか?わからない。

水上機はわずかな水面があれば不時着水が可能。翌日から可能な限りの捜索が続いたらしい。しかし、機体の破片すら発見できなかった。数ヶ月の後、母のもとへ戦死の公報が届いた。母の無念がわかる。

「“後輩を見殺しにできない。助けたい!”お父さんはそんな気持ちだったと思う」と母は繰り返し私に語った。男気のある男だったらしい。要領よく立ち回るようなことは出来なかった。マジメ一本槍の人間だった。

メモのつもりで公開しないはずだったが、手違いで掲載。


「共有資産」

2007年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

福岡市の郊外線「西鉄・宮地嶽線」が廃止になる。きょう、地元の人たちに無料で乗ってもらうイベントが行われたとテレビニュースが伝えている。

「公共交通機関」の存続はその地域に住む人にとって、たいへん重要な問題である。宮地嶽線については、反対の声も大きかったと聞くが、とうとう廃止となった。切迫した“必要”という声がなかったのか?

交通機関も水道や電気、ガスなどなどライフラインと呼ばれるものが、いったん使えなくなったとき、その大事さがわかる。その大事さは時代の推移とともに変わる。

けさの某新聞が己の紙面を『読者の「共有財産」を目指します』と大きな見出しを掲げた。そうですよ!これは立派だ!この記事を書いた外岡秀俊氏に大きな刺激を受けた。

新聞を郵便受けに取りに行き、居間に帰って新聞を広げる前に、私はすでに、TVニュースを聞き、パソコンのインターネットでおよその見出しを眺め、やおら、新聞を広げるというのが日常化している。記事を読み返し、内容を吟味し、反芻して、納得することができるかどうか?その期待に応える記事があるか?答えがあれば、新聞は確実に「共有資産」となる。

新聞だって、テレビ・ラジオも雑誌も皆さんに「必要ありません!」と言われたらそれでオシマイ。いかに己の存在をキッチリ、理解してもらい、利用価値ありと、認めてもらうよう努力を忘れたら、その時点でその組織は存在理由を失う。現代はそういう厳しい現実の下にある。

公共放送しかり、郵政事業など政府の組織しかり、さまざまな組織、市民団体も同じだと改めて認識する。

“それ”必要とする人たちのための「共有資産」という認識の仕方がいま、強く求められていると思う。「共有資産」という物差(ものさし)でいまいちど世の中を見ると…


花に嵐?

2007年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

Dscf2864 バス通りのヤマザクラの花。向こうのビルの屋上の照明が見える。窓に明かりがいくつか見える。

夜7時過ぎ、カミナリサンがやってきた。

ピカピカ!ゴロゴロ!しかし、雨はまだ降らない。

花見の人たちを避けて通ってくれたらしい。

きょうは南風が吹き込んで、暖かだった。25℃をこえた。

どこへ行ってもどこまで車で走っても、サクラの花。買い物の帰りにスーパーで買った弁当を妻とサクラの下で食べる。

あすも雨が降らなければイイナ!


ネクタイを締める

2007年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

ネクタイを締めた。久しぶりのネクタイだ。長男が買ってくれたネクタイを締めてみる。めったにない土産だから記憶にある。

18歳のとき、はじめてネクタイを締めた。あの日、楠若葉が萌えだし、その鮮やかな黄緑色が紺碧の空をいっそう美しく輝かせていた。あの年、桜の開花は異常に早かった。そして、あの年も入社の日は、新年度月曜日の2日だった。あの日から51年ー

ネクタイを締めなくてよい状況になって丸2年、家内はネクタイや背広を始末しようと、何度も思ったらしい。もう、葬儀か結婚式のとき以外はワイシャツにネクタイは不要と考えたそうだ。だが、幸か不幸か、背広もネクタイも始末されないまま洋タンスに吊るされたままになっていた。

2年たったが、私の体型は昔のままらしい。無理なく着ることができる。家内は一枚一枚アイロンをかけてくれる。この背広、あの背広、戦闘服のごとく、あの戦場、あの戦いが甦る。

新たに背広を着て、ネクタイを締めることは戦いの開始だ。鎧、兜に身を固める気持ち。スニーカーに野球帽、ジーンズでグラウンドゴルフを楽しむ日々から、緊張と苦痛が続く生活に戻る。胸に勝算があるわけではない。嵐の中で苦闘する船が目の前にいる。お世話になった諸先輩、仲間の姿がそこにある。その船にこれから飛び乗る。


お花見

2007年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Dscf2860 シニアクラブの仲間とお花見へ。

福岡城址、舞鶴公園。桜はすでに4~5部咲き。

風もおさまり、薄日の射すおだやかな日和だ。

花を楽しみに人々は集まってくる。

Dscf2822 弁当を広げ、酒を飲む。

ことし、そして生涯にあと何回、花見を楽しむことができるかー