浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

カチガラス

2006年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム

157_5735 「カチ、カチ、カチ、チ、チ、チ…」と、鳴声が聞こえる。カチガラスだ。

快晴、無風。わたしたちシニアの仲間がグラウンドゴルフをやっているそばまで一羽のカチガラスが遊びに来た。

さきほどまで、トンビが1羽、高校の防護ネットの上で昼寝していた。風が吹かないと、トンビは思うように飛べない様子でオヒルネだ。そこへカラスが1羽やってきて、トンビの昼寝の邪魔をしている。トンビが「うるさいな!ホットイテくれ。」と言っているようす。

そこへ、こんどはカチガラスがやってきて、トンビとカラスのそばに行ってカラカっている。

トンビはとうとう逃げ出し、カラスもどこかへ飛んで行った。カチガラスは1羽、忙しく飛び回っていたが、いつか姿を消した。写真はトンビとカチガラス。

カチガラス=カササギは佐賀平野の鳥だ。天然記念物、韓国では国鳥に指定されている。ユーラシア大陸、北アメリカ西部にも生息する由。

そのカチガラスが20年前ころ?あるいはそれ以前から長崎県の諫早平野や佐世保市周辺まで分布を広げた。佐賀平野から筑後川流域、筑紫平野、さらには、福岡市郊外の春日市付近でも見かけるようになった。数年前から、博多湾沿岸の私の住むあたりでも姿を見かけるようになった。さてさて、ねぐらはどこか?穀類や昆虫、小動物を食べるそうだが、餌はどこでとっているのか?

きょうは一羽だけ、いつも夫婦で飛んでいるカチガラスだが、つれあいはどうなさった?かな。インターネットでみると2~6月、子育ての間、つがいでいるらしい。

デジカメで写真を撮ろうとするが、3倍のレンズでは小さくしか写せない。なんとか、きっちり、写真に収めたい。


長崎散歩

2006年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

157_5731 長崎港。遠くに見えるのは長崎港口にかかる女神大橋。南蛮船や中国の船がもやったであろう港が陽光にきらめく。

157_5726 157_5729 江戸時代、海外との唯一の窓口だった“出島”が、いま復元に向けて動いている。朝、ホテルの窓から出島が見えた。

午前8時から出島は門を開けて来客を迎えていた。長崎を離れて16年、久しく訪ねていないというおばあを案内する。

157_5728 江戸時代、薬草園があったという。そのあたりに、桜が終るころ、1本のアメリカ花ミズキの花が咲く。オランダ王国、ウィレム・アレキサンダー皇太子お手植えの木という。昭和51年当時、ハナミズキの木は珍しかった。いまほど、公園や並木に植えられることもなかった。ハナミズキがいまも元気だった。しかし、埋立地のせいか育ちはあまりよくない。

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国指定「出島阿蘭陀商館跡」(大正11年指定)。その跡に、カピタン部屋や料理部屋、一番船頭部屋など5棟が復元され、埋め立てで姿が見えなかった西側護岸の一部が掘り出され、往時の状況をわずかに垣間見ることができるようになっている。

明治以降、埋め立てや港の改良工事で原型が失われていた“出島”が再び姿を現しはじめた。

長崎県美術館では「フランス印象派からエコール・ド・パリへ」展。モネ、ルノワール、ゴッホ、シャガールなどAIGコレクションを鑑賞。

続いて、長崎歴史文化博物館「ローマを夢みた美少年」~天正遣欧少年使節と天草四郎展~を見た。最近、スペインの旧家で見つかった伊東マンショの絵も展示されている。また、原城発掘現場から見た天草の乱の状況は遠い歴史ではないことを伝えてくれる。

帰路、雲仙を回って帰る。足は長時間の運転にも耐えた。


魚声さん

2006年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

“魚声”とは長男の嫁のお父上の川柳の号。

きょう、一周忌の法要が長崎で営まれる。これから、おばあと出かける。

   「魚声さん 魚と歌い 踊りおり」 

魚を相手に仕事一筋、時に川柳仲間と川柳を楽しんでおられた由。中日ドラゴンズの熱烈なファンだった。

157_5724 法事が行われていたホテルから見た長崎港。

白い船が接岸している岸壁の向こうの丘に、大浦天主堂やグラバー園。


ハロウイン

2006年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

157_5715 ご近所の老人会会長さんのお宅にイベント参加者名簿を届けに行く。

見事なカボチャが飾られているお家がある。

ハロウインだ!

157_5716 こどもたちはドコへいったかなあ?

声は聞こえない。

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こどもたちは先生に引率されてグループで歩いていた。

マホウ使いやオヒメ様は少し疲れたようす。


現代中国美術展

2006年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_11 「現代中国美術展は見ました?そうでなければ是非ご覧になったらいかがです!」先輩から電話があった。

福岡市アジア美術館、会場には中国の人たちのエネルギーが満ち満ちている。暮らしの大変さをにじませた農村の群像やスニーカーの上海の若者たち、兄と姉の素顔などなど圧倒される。中国現代美術展は中国建国の1949年に創設、以来、5年ごとに公募により10回開かれているという。今回、2004年の公募の中から95点が公開されている。

ポスターになっている「モナ・リザー微笑のデザイン」ロン・ジュン:油彩画、何度見ても見飽きない不思議な絵だ。私は出口に来て、再び、入り口近くまで戻り、全体を2回、鑑賞した。

1点の絵を完成させるために、何百時間、何千時間、いやもっと多くの時間がかけられていることだろう。そうすると、95点の絵の総エネルギーは途方もなく大きい。私にはとても計算できない。しかし、目に見えない、数字で数えられないエネルギー、パワーがギャラリーに充満していることに気づく。この気が私を圧倒したのだろう。

いまの中国のエネルギーが伝わる美術展だ。あすまでというのが惜しい。おばあはザンネンながら見ることができない。