浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

江山楼のチャンポン、東坡煮

2009年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

長崎へ行けば、江山楼(コウザンロウ)のチャンポンと東坡煮(角煮)を食べたくなる。いや、チャンポンと東坡煮を食べたいから長崎へ行くのか?

昨夜、長崎ランタンフェスティバル見学をして、その江山楼のチャンポンと東坡煮を久しぶりに食した。遠い日の思い出が蘇える。

もう30数年前、若い日のK.T君の思い出―“ながさき、新地中華街、チャンポン”を3題噺に15分の番組にするという。

そのころは料理番組と言えば「きょうの料理」くらいだった。いまは料理、グルメ紹介の番組の洪水だが、当時はまだ料理番組は数少なかった。

彼はチャンポン作りに自ら挑戦するという。これまでにない中華料理になるかも…オモシロイじゃあないか。みんな彼の取材の戦果を待った。

まず、話の軸になるチャンポン作りのフィルムが上がってきた。料理を作らせてもらったのが新地中華街の江山楼、そして、指導をお願いしたのが若い社長で料理人の王国雄さん。

大きなまな板、大きな中華包丁、大きなキャベツ。チャンポンの主役のひとつ、そのキャベツを刻むことからはじまった。「細く、もっとホソくキザミなさい!」

刻んでも刻んでも王さんの許可が下りない。彼の額に玉の汗が浮かぶ。キャベツの山ができてようやくOK!

さあ!いよいよ中華鍋に向き合う。炎が上がる。材料と刻んだキャベツを彼が炒める。王先生の指示が飛ぶ。

大きなドンブリにチャンポンがつがれる。もうもうたる湯気、その向こうにK.T君の顔。度の厚いメガネが曇ってようやく人なつこい瞳がわずかに見える。

食材、調味料、炎、包丁人は己の感覚を頼りに、料理を仕上げる。その呼吸がチャンポン作りを例にほの見える。

長崎の新地にやってくる人たちはどんな人か?彼が中華街でインタビューする。

「どちらからいらっしゃいました?」

「ヨコハマからです」

「きょうは新地にいらした目的は?」

「角煮を食べにきました?」

エー???もしや横浜中華街から長崎中華街へ味の研究ですか?

出来上がった15分の番組は好評だった。若いディレクターの奮闘ぶり、チャンポンの味を最高にするための王さんの苦心がそこに見えた。

チャンポンを是非食べてみたいという遠くからの手紙、中華料理の味わいが少しわかったという手紙があった。チャンポンという小さな世界だが、中華料理の奥深さを私も教えてらった。長崎と中国の長いおつきあいの歴史、そのきのうきょうなどなど

王さんの角煮をはじめて食べたのがいつだったか忘れたが、こんなうまいものがあるのか!と絶句したことがある。豚の三枚肉が口に入れると融けていく。その芳醇な味!

東坡煮=トンポウロウ(中国北宋の詩人、書家の蘇東坡が自分で考えた料理といわれる)。いまから1000年昔の人が知恵をしぼり、調理を試み、豚肉をいかにウマク食うかを編み出した。私たちはいま、簡単にそのうまさを味わうことができるが、先人はさまざまの苦労を重ね味を完成させたことだろう。

昨夜は偶然、料理を指導していただいた王国雄さんにもお会いした。温和な顔は30数年前と変わらない。そして味もまた変っていなかった。

チャンポンと東坡煮を食べると、K.T君の顔が浮かぶ。彼は先輩たちより先に彼岸の向こうへ行った。私は貪欲だから、もう少しチャンポンと東坡煮を食べる。


長崎ランタンフェスティバル

2009年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_6881 長崎ランタンフェスティバルが今年もはじまった。

15000個のランタンが街を彩る。

出島阿蘭陀商館を見る。崇福寺を拝む。

長崎新地の中華街でチャンポン、皿うどん、東坡煮を食べる。

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新地の隣りの湊公園。

龍がいる、火の鳥がいる。ザンネン、龍踊りは雨でお休み。。

Img_6879 中島川のほとり、

小雨が降るが寒くはない。

冬なのに暖かい。

ランタンの赤や黄色が気持ちを和らげるのか…