浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

風の音

2005年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

126_2644 126_2633 126_2632higotai 126_2624 126_2621 126_2627 風の音が聞こえた

長者原

上左:木道とサワギキョウ(木道の向こうの山が三股山)  上中:サイヨウシャジン(釣鐘型の花) 上右:ヒゴタイ

下左:スケッチのお仲間(木道を散策する人達が立ち止まっては絵を見る) 下中:オミナエシ(黄色)ワレモコウ(小さな暗紫紅色の球形の花)  下右:蓼原湿原、ススキやヨシが生い茂る。

(画像をクリックすると拡大されます)

きのうは、1日ビデオ編集に取組んだ。26日のくじゅう長者原・蓼原湿原での「スケッチ」の様子と秋風に揺れる野の花をまとめた。

ヒゴタイ、オミナエシ、ワレモコウ、サイヨウシャジン、サワギキョウなど秋の花が風に揺れる。広大な湿原に風が吹くと、花たちはいっせいに大きく揺れる。ビデオ撮影がなかなかうまくゆかない。「風よ、止まれ!」と呪文をかけるが、風は休みなく吹き続ける。花たちは平気の平左。風に揺れていた。

そうだ!逆転の発想だ。風に揺れる花をテーマにすればいい。題名は「風の音」にしよう。風よもっと吹け!今度は風が止む。

編集しながらの反省、秋の風を表現するには、もっと工夫が必要だった。ススキの葉擦れ、トンボ、水音は撮ったが、木道を走る子供たちの歓声や「涼しい!」と喜ぶ観光客の声も撮っておけばよかったなあ。

「スケッチ」を楽しむ皆さんの様子はまさに、無心、無我の境地。まったく羨ましい。「デッサン」を勉強したいなあという思いが湧いてくる。


姿が消えた

2005年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

126_2663 夕焼け空が赤くなった。夏休みが終る。

いつも目にしていた二つの姿が消えた。

一つはおじいさん。もう一つは青いテント。

先日のこと、おじいは散髪に行った。若い店長さんが「お元気でしたね!?」とマジマジと不思議そうにおじいの顔を見る。「どうかしました?」

お盆、アタゴハマの海岸で一人のおじいさんが溺死した。彼は「もしかしたら、おじいかも知れない?」と半ば心配していてくれたらしい。彼は、死んだおじいさんが毎朝、海で泳いでいたと聞いた。彼はおじいが海に入ってカニやアサリを獲る話を聞いていた。年は70前後、色は黒い。頭髪は薄くなりかけている… 

おじいも朝、散歩をする度に、この人の姿を見た。浜辺をハダシで歩き、よく泳いでいた。春4月ころから、北風が冷たくなる秋まで、このおじいさんは泳いだ。「ゲンキですね!」ウオーキングや散歩の人たちは驚いていた。ご冥福を祈ろう。

もう一つ、夏の間に“青いテントが”姿を消した。ホームレスのおじさんが作ったホームだった。海岸の遊歩道のはずれ、公園と学校のグランドの境にそのテントはあった。立ち木を利用して綱を張り、青いビニールシートで四畳半くらいの小屋を建ててあった。台風にも負けず、寒風にも負けず、ここの住人はここで生きた。ときどき、ベンチでお酒を飲んでいる姿も見た。ビールの空き缶を足で押しつぶし、それを自転車でどこかへ持っていく姿も見た。

小屋の跡には市役所の名前で「ここに小屋を作ってはいけないこと、火を焚いてはいけない、ものを置いてはいけない」という告知文。あのおじさんはどこへ行っただろう。小屋の跡にマツボックリが4,50個転がっていた。毎日の煮炊き用、あるいは冬への備えだったろうか? 


ウバメガシの実

2005年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

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海辺の小さな森に、小さな秋…ドングリ

ウバメガシの実が大きくなった。

けさは、涼しさを通り越して肌寒い感じだった。湯布院では15度を切ったそうな。季節は確実な歩みを続ける。

嘉奈子さんを博多屋台に連れていこうと思っていたけど、時間切れになった。冬休みに行こうね。木枯らしの中で、おでんで焼酎を飲んだり、ラーメンを食べたり…

屋台だとお月見もできる。おじいの指定席に座れば、ビルの向こうから名月が昇ってくるのを黙って眺められる。長崎の彦山から昇る月をオスワさんの座敷から見るのと同じくらい素晴らしい。テレビの野球中継を見るのもいいもんだ。「アッ!ホームランだ」お客の騒ぎが、あっちの屋台、こっちの屋台から聞こえてきて、おじいの孤独もいつか癒される。女将さんとは昭和40年来のおつきあい、互いに気心がわかる心落ち着いた空間なのだ。


予想図につき多少異なる…

2005年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム

126_2676 マリナタワー完成予想図(宣伝の看板)33階建てのマンション。

九州初と新聞折込のチラシとある。

この完成図を見ると、ナニカおかしい。おじいの目の前の建物なので否応なく目に入る。したがって仔細に見ると、33階建てなのだが、左手のビルは20階建てなのに、マリナタワーは2倍の高さの40階はありそうに見える。右手のビルが13階であるが、この3倍くらいの高さに見える。

広告は販売する“物件を”いかにステキにイイナアと思わせる必要がある。したがって、一番良い面を売り物にする。ときに、自分の手がけているものを“熱情”のあまり、もっとスバラシイものに見せようと“誇大”して宣伝する。消費者や買い手は売り手と常に神経をすり減らし、ホンモノかどうか見極めなければならない。

広告のことだ。目くじらを立てることでもない。しかし、ホントウは、ありのままに、真実の情報を知らせてくれるほうが、消費者にとってはありがたい。

新聞チラシには『※CGバースは図面を基に作成したもので実際とは多少異なります』看板には『完成予想図につき実際のものとは多少異なる場合があります』と小さな説明がある。

総選挙の公示が明後日となり、各政党の宣伝がいよいよ熱を帯びてきた。何がホントウで何がマヤカシか?判断が難しい。せめて、宣伝広告のように、この政見や、こうなります!という歌い文句は、“あくまで願望の図でありますので、政権担当後には多少異なるところが出てまいります”と一言付け加えて欲しい。


ヒゴタイの花(つづき)

2005年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

126_2615 ヒゴタイの花。

きのう、「スケッチ」の仲間のお一人からお尋ね…「“ヒゴタイ”ってどんな字を書くのですか?」 おじい「イヤー、シリマセン!」 帰宅してインターネットで大急ぎで調べた。

貝原益軒の「大和本草」に“平行帯=ひんこうたい”とある由。漢名の平行帯は南宋呉の言葉。学名 Echinops setifer の「エキノプス」は“ハリネズミに似た”という意味。花はゴルフボール大、確かにハリネズミのように小さな花が集まっている。

キク科、ヒゴタイ属。やや乾いた長草型草原に自生する。長草型草原、つまりススキやササなどが生い茂る草原ー阿蘇やくじゅうの牛が放牧されているような高原のことである。20数年前、阿蘇瀬本高原を歩いたときのこと、草原を歩いていくとポツンと瑠璃色の真ん丸い花が風に揺れていた。球状の不思議な花に驚いた。当時は名前すら知らなかった。

ヒゴタイに似た花がモンゴル高原にあると聞いたことがある。残念ながら資料がみつからない。ヒゴタイは氷河時代から生き残った植物で、日本列島がまだ大陸と地続きだった時代があったことを証明するものであるらしい。現在、朝鮮半島にはヒゴタイが見られるという。

環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠB類」に指定されている。(近い将来、絶滅が危惧されるもの) 長者原付近のヒゴタイは草原に自生しているものと思われるもの以外に、道の脇に、規則正しく、明らかに人の手で栽培(移植)されたものと思われるものが多かった。さてさて、大勢の観光客が花を簡単に鑑賞はできるが、手放しで喜んでいいのかどうか?

マツムシソウ、ウメバチソウ、リンドウなど、これから山は秋の花が次々に咲き乱れる。