浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

虹だ!

2016年09月30日 | 日記

この数日、荒れ模様の天気が続く。

仲間の集まりからの帰路、バスを待っていると西から光が射した。バス停の向こうには東長寺。虹が現れた。

数十秒のほんの一瞬!


大雨続く

2016年09月29日 | 日記

大雨警報、土砂災害情報が福岡など北部九州に出されている。

昨夜から八女市や筑後市では竜巻や突風発生のニュース。九州道福岡ー大宰府間通行止め。



大雨はこれからも降り続くという情報。風が当たる北側の窓には結露、この秋初めての現象。

午後、国際情勢講演会「シリア情勢と難民問題」を聞いた。
去年から仲間と「IC,アラブの国々」について勉強を続けているので、いい機会だ、外務省中東第1課主席事務官の講演をきいた。
これまで、勉強した成果もあり、現下の世界情勢と難民問題の課題について自分なりに問題の整理ができた。

 

 


つれあいのケガ

2016年09月28日 | 日記

けさは雨、湿度90%、気温は27℃だが、蒸し暑い。

カラスが雨に打たれながらじっとしている。

きのうの早朝、つれあいが自分の部屋で転んで額を打った。運悪く、椅子に額が当たりけがをした。

さいわい、CTの検査を受けたが、打撲に伴う外傷(タンコブと青あざ)で済み、目や後遺症につながる心配はなかった。

もう10年くらい前のことだが、つれあいは買い物の帰り、自転車で転び、やはり顔にけがをした。そのときも幸い、青あざですんだ。

不幸中のさいわいというべきだろう。

 

昨日、「ブログを書くのを忘れた」と書いた。

原因は、やはりボケの所為だった。
新しいパソコンでブログの書き込みをしたのだが、新しいパソコンの日時と時間がずれたままだった。
だから、26日、入力したブログが一日早く25日に登録され、26日は空白となってしまった。
新しいパソコンを見て、矢も楯もたまらず、ビデオ編集に突入、パソコン起動のためのキーワードすらわすれるというオソマツの一席。
ハズカシ、はずかし・・・

 

 


ブログを書くのを忘れた

2016年09月27日 | 日記

快晴。

6:39 朝日がまぶしい。

 

気がついたら27日火曜日。

昨日は、一日中パソコンと格闘していた。なんと!パソコンのパスワードがおかしくなった・・・

パスワードが見つからないパソコンなんて石ころと同じ。どうにもならない。
新しいパソコンを買ったのが8月お盆を過ぎたころ。このパソコンが取り扱い説明書もついていない。
つまり、たずなもあぶみも鞍がついていない馬をもらったようなもの。

リモートサービス(パソコン調教師)のご指導を受けて、なんとか起動、はやる気持ちでやりかかったまま、
そのままにしていたビデオ編集にとりかかった。

67分の勉強会の記録ビデオが完成した。ほっと一安心!これがいけなかった。

気が緩み、一番大事なパスワードをきちんと整理しなかった。
再び、編集を再開しようとすると、パスワードがおかしい。釣り糸がもつれたよりなお悪い。
ああでもない、このキーワードでもない、いろいろ試すうちに泥沼にはまった状態!

またもパソコン調教師に相談、一番いいのは、「パソコンを工場から出荷した状態に戻すこと!」
つまり一から再開すること、67分の完成した映像は消えるのは止むを得ないが、そうしなければ、
パソコンは仮死状態のままなのだ。

昨日は、パソコン修復のためのそんな作業をしていた。夕方、どうにか息をしているわがパソコンを
確認した。

そんなわけで、パソコンを書くのを忘れていました。

思えば、機械がおかしいわけではなく、79歳のわたしの脳みそがおかしくなっているとみるべきと
思い至った。

 


2016年09月25日 | 日記

栗が店頭に並んでいるのをみると、食べたくなる。

焼いたり、湯がいたり、殻は固くて中の実をとりだすのが難儀だが、殻をとれば黄金色の実は実にオイシイ。
母は栗ご飯をつくるとき、一粒ずつ、栗の皮を包丁でむいた。固い殻をむき、さらに渋皮をむいた。
たいへんだったろう。
ゆで栗を食べるときも母は包丁で一粒ずつ丁寧に剥いた。固い殻や渋皮をていねいに剥くと、そこに宝石のような
クリが現れる、姉も私もその瞬間を待った。ウマカッタなあ。

オトナになって、すこしずるい食べ方をはじめた。湯がいた栗を熱いうちに包丁で二つに割る。その栗をスプーンで
すくって食べる。これなら楽だ。
だけど、あの母が剥いてくれた栗の味には負ける。愛情という一味が加わっていた。

大昔から、栗は日本人にとって嬉しい食べ物だったに違いない。
縄文人も栗の木を育て、栗の実を食べていたことが遺跡からわかるそうだ。

ところで、縄文人は栗をどうのようにして食べていたのだろう。
一番の方法は焼き栗だったろうか?家の中には竈(かまど)や囲炉裏があったろう。たき火もあったろう。
としよりたちが子どもらに「もう少し、待つのだぞ!」と焦がさないように、ほどよく焼けるように、慎重に
オキや灰を栗にかぶせ、焼いたのだろうか。
土器の鍋で湯がく方法もあっただろうが、いまのような包丁もない時代、殻や渋皮を剥くのは難儀なこと
だったろうから・・・

私にできそうなやり方ー湯がいた栗が少し冷めてきたら、大きな口で真っ二つ!私のような大口と顎の力が
強ければ、栗は二つに割れる。そこでスプーン状の木で実をすくいとる。どうだろう?
母が元気でいたら、こんなバカ話を聞いたら、笑うだろうな。栗の味はいつも母の味に重なる。ああ秋だ!

いつぞや、椎の実を鍋で煎った。子どもたちがまだ小学校時代、東京のころだ。母もいた。
林で拾ってきた椎の実を食べようと鍋で煎ったときのこと・・・
椎は時々、爆(は)ぜた。ポーンと大きな音がする。アブナイ、危ない。
もう落ち着いたろうか?そっとふたをあけた。そのとき、
ボーンと一段と大きい爆ぜた音、突然、私の鼻の穴に何か熱いものが飛び込んだ!
「アチチ、あちち!」つれあいも子どもたちも母も、何が起こったかわからないままボー然。
「助けてくれ~」アツい、懸命に鼻の穴から椎の実を取ろうとするのだが・・・とれない、アツイ
子どもたちもつれあいも笑うだけ。

椎の実騒動は数分で終わった。私の鼻の穴をすこしヤケドしただけで済んだ。

むかし、むかし、私がブログに書いた記事を発見!

 

 

椎の実がはぜた

2005年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

133_3396 椎の実を買った。

きのう、九州国立博物館からの帰り道、太宰府駅前の道端で、おじさんが椎の実と銀杏を七輪に炭をおこし金網の鍋で炒っていた。1合350円。熱い殻から白い実を取り出して口に含む。懐かしい味と香り。

あなたのママが小学生のころ、拾ってきた椎の実を、おじいが鍋で炒っていた。ポン、ポンと鍋の中で椎の実がはじける。もういいかな?鍋の蓋を取った、そのとき!ポン、椎が飛び出した。そして、おじいの鼻の穴に飛び込んだ!アチチ、アチチ、アチチ、タスケテクレ!椎の実が鼻の穴から取れないのだ。あなたのママもおばあも笑い転げるばかり…

椎の実はおいしい。生でもどうにか食べられる。焼けば香ばしいし、古代人には最高の食料だっただろう。ドングリは渋みがあって、煮たり、実を粉にして水にさらすなどある程度加工しないと食べにくいそうだ。

おじいのベランダから見える愛宕神社の森を歩くと巨大な椎の木がある。大昔、縄文人や弥生人、後世の人たちだって椎の木を大事にしたことだろう。

脊振山系の南側は5月、山全体が急に白っぽくなる。ドングリや椎などの木々が一斉に花をつけ、山全体が萌えるような感じになる。吉野ヶ里など、脊振山系の山が佐賀平野と出会うあたり、おそらく、古代の人たちが、せっせと椎や、ドングリ、栗の木を植林しただろうと思う。

きょうのニュースで、吉野ヶ里より、やや西側、佐賀市金立(きんりゅう)町千布(ちふ)東名(ひがしみょう)遺跡から、国内最古と見られるおよそ7000年前の縄文時代早期の貝塚遺跡から木製の皿が出土したと伝えている。材質は一つは栗の木、もう一つはヤマグワと判明した。ラジオのニュースで詳しくは伝えていなかったが、新聞の写真を見ると、皿は長さ34センチ、幅18センチ、グラタン皿のような形。中央が窪んでいて何かを盛るのに都合が良さそう。凹んだ部分は焦がしたのち、石器で削り、凹みを作ったと推測されるという。青森県の三内丸山遺跡(縄文早期)を1500~2000年もさかのぼるという。

熊本県有明海沿岸の貝塚からニナ(渚に生息する巻貝)とドングリが入った土器が出土し、これは古代の人がドングリをニナと一緒に土器で炊いて、ニナと海水でおいしい味付けをしたらしいという話を紹介したことがあったが、古代の人たちの智慧はタイシタものだった!と感服する。