小雨が降りだした13時少し前、石畳の上に黒いアゲハがゆるゆると降りてきた。
いま、サナギから孵化したばかりのような姿。
箱根山の地震が頻発、新幹線の中で油ようのものをかぶって火をつけた男、
今夜から九州は豪雨の予想。
国会付近も騒然とした中で6月が終わる。
小雨が降りだした13時少し前、石畳の上に黒いアゲハがゆるゆると降りてきた。
いま、サナギから孵化したばかりのような姿。
箱根山の地震が頻発、新幹線の中で油ようのものをかぶって火をつけた男、
今夜から九州は豪雨の予想。
国会付近も騒然とした中で6月が終わる。
去年6月、母校の同窓会に出席した。
恩師と仲間、みんなで校歌を歌った。フシギだ・・・遠い記憶が蘇る。
60年歌ったことのない校歌、その校歌が仲間の声が糸もように記憶をほどく。
三番の歌詞に「旦過の瀬(たんがのせ)」という言葉がある。その意味が小学生の私には理解できなかった。
去年の同窓会で、商二君が母校の資料を私たちに配ってくれた。その中に校歌があった。
旦過の瀬が学校からほど近い白川のことだとはじめてわかった。
阿蘇を源に、熊本の街を貫流する川、暴れ川で何度も氾濫した。それでも市民が朝な夕な馴染んだ川。
旦過とは宿坊のこと、夕べに来て、早朝に去るという意味だそうだ。
北九州市小倉北区には有名な「旦過市場」がある。新鮮な野菜や魚が並ぶ。イワシの糠味噌炊きがある。
フグが並ぶ。おいしいものがイッパイ並ぶ。北九州で暮らした日々、よくお世話になった。
その折、ここに旦過という行脚僧のための宿坊があったことを聞いた。
その旦過が白川のほとりにもあって、その前の白川の瀬を「旦過の瀬」と呼んだ。
ここで、戦いがあった。まだ加藤清正が熊本に入る前、安土桃山時代、割拠する群雄
甲斐宗運対城・鹿子木・川尻・宇土などの連合軍がこの地で合戦をした。
これらの名前で思い出すのは、高校時代、甲斐、城、川尻君がいた。3人ともこんな
故事は知っているかなあ?
校歌に歌いこまれた「旦過の瀬」がそこなんだ。
白川。中央が白川橋、右手に行けばJR熊本駅。昭和28年の大水害以来、川幅が広げられ、水害の心配は
なくなったが、いささか殺風景な景観になってしまった。
「旦過の瀬」は白川橋から下流へ300mあまり、画面の左手、写真には写っていないが世安橋の近くだと
いう。
60年ぶりになぞの一つがわかった。
4,5,6月生まれのシニアの仲間の誕生を祝う会。
乾杯!
お弁当と缶ビールでお昼のひとときを過ごす。
爽やかな風、きらめく太陽。
ワシントニアパームの根方を彩るのはアガパンサス。
和名:ムラサキクンシラン、英名:アフリカンリリー、花言葉「恋の訪れ」
きょうは、私が住む団地の住宅総会。
安心、安全、快適な暮らしができるよう、管理組合の役員は輪番制でみんなが務める。
水道や排水、エレベーターや駐車場(機械式)は大丈夫か?清掃、植栽管理は?
この1年の実績、予算管理、運営に問題はないか、丁寧なチェックが行われた。
午後1時開会、17時終了。
自転車駐輪場の利用に使用料を払ってもらうという案(100円/月)、私はいくつか
わからない点があった。まだ審議が不十分な気がしたので棄権した。
900世帯、2000数百人が住む大団地、すでに第19期の総会、最初の入居から20年目。
50代の終わりだった私も77歳になった。
ハマユウの思い出は消えない。
生きてるかぎりは記憶の中で生きる。
3年前のブログ。
昨夜、山中伸弥氏がノーベル医学生理学賞を受賞した。
つれあいの白内障手術の後遺症と思われる目の障害が消えた。
嬉しいことだった。ところが・・・
一つ、まことに残念なことが起こった。みんなが大切にしていた海浜のハマユウの株が根こそぎ伐られてしまった。
手前、伐られたあとの株だけが残る。
伐られた長老の株は少なくとも20年近い年輪を刻んでいるはず。
平成8年(1996年)3月、私はこの地に引っ越してきた。はじめて海辺に出て目に入ったのが、ハマユウの株だった。当時16年前の人工海浜は雑草もなく、真っ白な砂が広がっていたが、ただ一か所、グリンーンのハマユウが葉を茂らせていた。
この砂浜にハマユウが育っているというのは、偶然だろうか?株は3株、誰かがハマユウの種を植えたのではないかと思った。波と風が種を運んできたのでは、3株が揃って芽を出すというのはまずありえない。
やがて、最初の3株のそばにまた3株が植えられた。私もまた、そのそばにハマユウの種を埋めた。
最初の3株は夏になると純白の花を咲かせた。次に植えられた弟分の株も花を咲かせはじめた。私が植えた株は6年前のこと。その株がはじめて花を咲かせたのが一昨年だったろうか。
その10株ほどの群落が伐られてしまった。チェーンソウの力なら1分もかからなかったろう。
海浜公園を管理する会社、その命令により草を刈った清掃の業者。おそらく作業をした人たちは、ハマユウの株とも、この花が浜辺を歩くひとたちをどれほど癒しているか、想像することはできなかったであろう。
私は浜辺を管理する立場でもなく、ただ、浜辺を歩くたびにこれまでの人々の営為の賜物と感謝するばかりの人間。今回のハマユウ伐採には呆然、唖然、怒りと悲しみが入り混じり、昨日はまことに苦い思いが続いた。
ハマユウ姫様の嘆きもいかばかりかと思います。いっそ、ハマユウの種を1000個でも植えましょうヨ!種は北九州の夏井ケ浜に拾いに行きましょうか。
管理会社は言うでしょう。「ここには花のタネを播いても育ててもイケマセン」。
でもいつか、人間が大事にしているものは何か、理解する人々が多くなることを信じます。
今年7月の私のブログを再掲します。