浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

呉汁(ごじる)

2017年01月31日 | 日記

きのうのこと、食卓に呉汁が並んだ。

「嬉しいな!」と私はつれあいに感謝する。滋味に満ちたこの味わい・・・
腹の底から温かさがわきあがる。

「呉汁は母がよく作ってくれた」
つれあいも言う。
「父が呉汁が好きで、母がしばしば作ったわ」

呉汁は大豆を一晩水につけ、柔らかになった豆を昔はすり鉢でつぶした。
今はミキサーやフードプロセッサーでいとも簡単に呉汁ができるが、私の子どものころは、
すり鉢とすりこ木だけ、私はすり鉢を懸命に押さえる、母がすりこ木で豆をつぶす。
呉汁の匂いが一瞬の間に70数年むかしの世界へと私たちを運ぶ。

雑煮、正月料理、そしてこの呉汁は懐かしい、嬉しい我が家の味だ。このほか、のっぺ汁や
いきなり団子、私にとって忘れられないのはノビル(野蒜)のぐるぐる。
子どもたちにはどんな味が我が家の味として残っているだろうか?

呉汁は郷里の味かと思っていたが、Netで見ると、全国津々浦々で食べられているそうだ。
こんなうまい汁は食べなきゃあソンソン。

写真はいずれ載っけます。

呉汁を食べるとき、青いネギを浮かす、母は言った「ちょっとノビルを摘んできて!」
熊本は寒の最中でも、畦や道端にノビルが生えていた。
ノビルのニンニクにも似た匂いと辛みが呉汁によく合った。

そろそろ野面で青草が伸びるころ。菜の花の蕾も姿を見せる。

 

 

 


寒がりジジイ

2017年01月30日 | 日記

夜中は15℃超、朝は暖かいと思っていたが、昼過ぎ天気が回復すると気温が急激に下がって3時過ぎには8℃。

窓には見る間に結露が付きはじめる。

加齢現象は確実に私を寒がりにしている。

北側の私の部屋でパソコンに向かっていると、マウスを持つ手が冷たい。足は足温器に突っ込めば暖かい。

エアコンを使えばいいのだが、貧乏時代を体験した世代としては、昼間からエアコンを使うことに抵抗がある。

左手はポケットへ、しかし、右手は冷たいなあ・・・

とうとう右手に手袋をはめてマウスを握る。ハズカシ!本物のジジイだ。


神磯の鳥居

2017年01月28日 | 日記

『富山和子の日本の米カレンダー』1月 茨城県大洗町 撮影:高橋よしてる

《神磯の鳥居》

 

お正月、この神々しい写真をブログでご紹介したかったが、旧元日のこの日になってしまった。

日出ずる国日本は稲の国

その昔中国の長江流域から

東へ東へと旅してきた稲が

たどりついた終着駅

稲にとってそこは最高の安住の地

日本人にとっても最高の巡り会いだった

日本人はその稲と付き合い

山を整え棚田を作り川を整え平野を作り

米の文化を築いてきた 

今米の存在は薄れ百花繚乱、しかも

米までも一部輸入されるようになったが

しかと大地を守っているのはやはり米

そして米と一対の林業だ

ここは常陸の国、大洗磯前神社

真東をむいた神磯の

毛嵐に浮かぶ鳥居に

初日の出を拝む

私の若い友、寿允君に富山和子さんのこの文章の意味を味わって欲しいと念じながら、今この記事を書いている。

 


『沈黙―サイレンス―』

2017年01月27日 | 日記

昨日、映画『沈黙』を一人で観た。

正直、みようか、みるまいか、心が揺れた。79歳の爺の心はズタズタに千切れはしないかと。

天草の乱が終わってまもないころの長崎ー
キリスト教を知った日本人、棄教を迫る幕府、迫害を受ける宣教師、遠藤周作はひとつの踏絵から得た
インスピレーションを軸に言葉を紡ぎ、歴史から抹殺された人間を生き返らせた。
そして、アメリカ人映画監督スコセッシは、その物語を映像でよみがえらせた。

語るも聞くもおぞましい話、遠い歴史の向こうの話、日米のたたかいも、原爆も、いつかは歴史の闇のなかに
消えていくのだろうか・・・

イヤ、そうではない。にんげんの歩いた道は、にんげんがたどるように運命づけられているのだと私は思う。
79歳の爺はこの映画を観てそう思う。そして、私たちの後からくる若い人たちのこころも爺の世代と変わらない
ことを信じる。

オルテリウステイセラ作 日本古地図(1595年)新潮社刊 沈黙 表紙