浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

今村教会と菜の花

2007年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

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クラスメートとおばあと3人でドライブに出る。

筑後平野の真ん中、麦畑の向こうに教会の塔が見えてきた。太刀洗町の今村カトリック教会。思わず車を停めた。

朝、この塔から鐘の音が響くという。いま、信徒960人余のみなさんが祈りを捧げる現役の教会である。

この教会(国・重文に去年指定された)の設計施工者は鉄川与助。五島や平戸など隠れキリシタン集落の教会をおよそ50棟を作りあげた。今村教会は彼が手がけた教会のなかで最も大きい教会。彼はド・ロ神父に西洋建築の手ほどきを受けたという。その教会群が今年1月、世界遺産への登録が決まった。世界遺産の中核の作品となっている。その意味で、この教会も価値あるものと認められたことになる。

筑後川の中流域、今でこそ豊かな穀倉地帯だが、中世のころまで水利が悪く、農民が難儀をしたところだという。この地域にいつキリシタン信仰が根付いたのか定かでないが、1560年ころにはキリシタン集団が生まれたらしい。1587年、秀吉のキリシタン禁令、1638年、家康のキリシタン禁令、島原の乱以降、弾圧は続いた。しかし、信徒たちは隠れて信仰を守った。

1865年、大浦天主堂でのプチジャン神父の隠れキリシタンとの出会い。1867年(慶応3年)、今村での信徒発見。1881年、木造の教会堂建設。1913年(大正2年)、現、今村教会堂が竣工した。

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菜の花が道端や川の土手に今を盛りと咲いている。

菜の花を摘む。3人でせっせと摘んだ。

筑後川の河川敷や土手は、どこまで行っても、

満開の菜の花で黄色に染まっていた。

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風は冷たかったが、日射しは暖か、空は抜けるように碧かった。


も~も~らんどで遊ぶ

2007年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム

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も~も~らんど油山牧場で遊んだ。

みどりの牧草地のはるか向こうに福岡市街。

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ご近所の仲間36人がグラウンドゴルフを楽しんだ。あいかわらずヘタッピーの私だが、楽しく遊ばせてもらった。

風もあまり吹かず、暖かだった。

Dscf2555 朝な夕な、眺めている油山。

あの山の東斜面に、油山牧場がある。春休みになれば、親子連れで賑わうだろう。


クリント・イーストウッド監督にH・G賞

2007年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

第79回アカデミー賞授賞式がきょう、行われた。

「硫黄島からの手紙」でノミネートされていたクリント・イーストウッド監督は受賞できなかった。残念!

おじいはそこで、クリント・イーストウッド監督に≪H・G特別賞≫を贈ることにした。私の心の中の感謝状だ。(H・G=Hamano Ganji) 

『あなたは、「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」を製作監督し、砲弾で命を失うことがどんなことか、戦死者の後に残されたものの悲しみ、苦しみを映像に刻み、戦争とは何かー忘れ去られようとしている歴史の現実を掘り起こし、これが60年前のありさまだと多くの人々に語りかけました。あなたは幾多の障壁との闘いを乗り越えて映画を完成、観る人に深い感銘を与えました。私も感銘を受けた一人です。あなたの志の高さに心から敬服し、次なる企画が実る日をお待ちします。2007年2月26日 Hamano Ganji 』

* 2007年1月16日 「硫黄島からの手紙」に外国語映画賞

   2007年2月4日  ゴールデングローブ賞

長編ドキュメンタリー賞では、ゴア副大統領の「不都合な真実」が受賞した。彼はオスカーを手に「環境問題は政治の問題ではなくモラルの問題だ!」と語った。

* 2007年2月20日 映画「不都合な真実」

Dscf2548 きょうは澄み切った青空が広がっている。

夕方5時前、下弦の月が見えた。

ロスアンジェルスでも下弦の月かな?


浜辺の人たち

2007年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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浜辺で楽しむ人たち。

風はきょうは冷たいが日射しがある。

Uvs070225006 思い思いに休日を楽しむ親子や友だち。

しばし、ボンヤリと海を眺めて時を過ごす。

かなちゃんがやってくる日が近づく。

骨折のあと手術をした。その傷口が痒くてたまらなかった。土曜日、とうとう皮膚科へ行った。診察の結果は細菌感染などという大騒ぎするような皮膚病ではないらしい。病院からもらった軟膏を付けたらカユミが途端になくなった。

それよりも、骨折したのは3ヶ所だと先生は言っていたが、今回、改めてX線写真を見ると骨折は4箇所らしい。脛(すね)には2本の骨があるが、どうやら太い骨の一部が薄く剥がれたようになっている。骨折直後は、よく分からなかったようだが、半年経過した状態を見ると、少し、剥離したまま固まっているようす。まあ、コレデイイのか?骨はほぼ順調なようす。

7本の金属板、金属棒は抜かなければならないようだ。


桃の花

2007年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

きょうは、父の祥月命日。父、つまりあなたの曽祖父は1938年2月24日戦死した。仏壇におばあが桃の花を上げた。

Dscf2541 おじいはそのとき、生後5ヶ月。以来、姉二人、そして赤ん坊の私を母が一人で育てた。母は27歳だった。

この桃の花は郊外の産直店で買った。「じょうもんさん」。その意味は美人でステキな奥さん、お嬢さん。ベッピンさんで気立てが良い人の意味も含むかな!博多の町で“あの人はじょうもんさん”と言われたら最高の誉め言葉。

キャベツ、ネギ、白菜、ダイコン、ホウレンソウ、ブロッコリ、トマト、豆腐、パン、あはぎ、調理した白和えなどなどおばあが山ほど買い込んだ。

帰りに室見川の土手で菜の花を発見した。そして、近くでツバメが飛ぶのを見た。