浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

うるま ちゅら島 琉球展

2006年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム

153_5326 きょう、「うるま ちゅら島 琉球展」へおばあと二人で行った。“うるま”とは沖縄のこと、“ちゅら”とは美しいこと。

あと3日でこの展覧会は終了する。九州国立博物館は賑わっていた。2時間あまり、ゆっくりじっくり鑑賞できた。「玉御冠」の展示は5月半ばで展示が終わっていたが、沖縄の歴史遺産を存分に楽しむことができた。

153_5325 これが「玉御冠(たまのおかんむり)」。会場入り口の宣伝ポスターだから美しさがわからないが、現物はさぞ、美しいものだったろう。

153_5327_1 「万国津梁の鐘」1458年製作、藤原国善(現北九州市芦屋系統の工人)

かつて、首里城正殿に懸けられていた。

鐘に彫られた銘文『琉球国は南海の勝地にして、三韓(朝鮮半島)の秀を錘め(あつめ)大明(中国の明)を以て輔車(ほしゃー上あごと下あご)と為し、日域(日本)を以て唇歯(しんしー唇と歯、親しい間柄の喩え)と為す…舟楫(しゅうしゅうー舟と舵)を以て万国の津梁(しんりょうーかけはし)と為し、異産至宝は十方刹に充満せり」

6月23日は沖縄慰霊の日。昭和20年4月、太平洋戦争末期、米軍は沖縄に上陸した。空からの爆撃と艦船からの艦砲射撃の砲弾は680万発、米軍55万、日本軍10万。死者、沖縄県民の犠牲者が20数万人。「平和の礎」に刻銘された人々は240803人となっている。小泉首相は「沖縄全戦没者追悼式」に5度目の参列とのこと。

実は「うるま ちゅら島」展で不思議なことに気がついた。古地図はあるが、現代の地図がない。いまの沖縄の写真1枚ない。首里城が艦砲射撃によって焼失したことはわかる。戦火によって沖縄がどうなったのか、国宝に指定された品々がどのようにして残ったのか?展覧会場では誰も教えてくれない。6月の官報で、展示品のいくつかが国宝の指定を受けたが、“これが新たに国宝に指定されたものです”という説明がない。『もう、あと数十日で展示は終るから、面倒だ!追加説明はナシにしよう!』誰かがそう言ったので、そうなった?そんなことはなかったと思うが…

九州国立博物館の展示方法について、少し疑問がある。学芸員に小学生のお子さんがあって、見学に来た。さて、予備知識の少ない小学生に説明する際、どうしても補助資料が必要になるはず。時代背景、歴史の流れ、地理的な関係、そして、現代の状況…

限られた展示スペースにたくさん見せたいものがある。補助資料などとんでもない!そんな関係者の声は予想できる。しかし、展覧会の本来の目的は何なのか?少しでも、沖縄を理解してもらうためではないか!子どもたちには難しいからあさってにお出で!というのか?新しい博物館のありかたをさぐると標榜した九州国立博物館さんの基本姿勢を問いたい。

長安から出土した遣唐使の一員、井眞成の墓誌銘が展示されたとき、長安の写真も、1枚の地図もなかった。学芸員は地図も長安の町もすでに頭に入っているだろうが、展覧会場に来てはじめて展示を見た人間には、いささか不親切な展示といわざるを得ない。