浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

「宗谷岬」

2006年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜は10時前に寝入ってしまった。目が覚めたのは3時過ぎだった。

ラジオのスイッチを入れると「深夜便」の声。作曲家、船村徹の話が聞こえる。美空ひばりの思い出。『みだれ髪』の誕生のいきさつを船村さんがポツポツと語る。スタジオでの録音の際、船村さんがA案かB案か迷っていたとき、ひばりさんみずからはB案を考えていた由、やはり結果的にはB案が正解だったと語る。1977年(昭和52年)、これがひばりさんの最期のレコーディングになったという。

『みだれ髪』が流れる。おじいは、演歌はあまり好みではないが、この曲は星野哲郎の歌詞もすばらしいし船村徹の曲が心に響く。大好きだ。実はおばあはこの曲が上手い。長崎にいたころ、町を歩いていたら、“美空ひばりの歌コンクール”をやっていた。飛び入り歓迎という。おばあはさっさと飛び入りをした。そして賞をもらってきた。あのころは天童よしみさんがデビュー前だったから、“おばあは美空ひばりに次いで2番目にウマイ!”とおじいがいつも言っていたので、その効果があったのかも?。

『宗谷岬』の曲に話が移る。この曲は、おじいの大好きな歌。吉田弘作詞・船村徹作曲

 流氷とけて 春風吹いて ハマナス咲いて  カモメもないて

 はるか沖行く 外国船の 煙もうれし 宗谷岬 

 流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷岬

1976年4月(昭和51年)テレビのみんなのうたで流れた曲だった。ダ・カーポも若かった。30年前、おじいも若かった。船村さんも若かったのだ。ラジオ深夜便は栃木県宇都宮市からの公開放送、栃木県出身の船村さんはこの日のメインゲストだった。

そして、地元宇都宮で育った立松和平さんがもう一人のゲスト。立松さんは「田中正造が遣り残したこと」と題しての講演、5時からの「心の時代」で放送される。田中正造が闘った足尾鉱山の鉱毒事件、渡良瀬村のその後、立松さんの曽祖父のこともからめて立松さんは小説に書いた由、そして今、立松さんら有志が公害で草木さえ育たないハゲヤマに植林を続ける話を淡々と続ける。若いとき読んだ田中正造の話に感銘を受け、どれだけ勇気をふるい起こされたことか!そして、きょうは立松和平さんに静かな檄をとばされた。

午前5時、顔を洗い、ビデオ編集を楽しむ。