<藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
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◆ 妻にないしょの学会活動
聖教新聞を配りにくる。目の前で引き裂く。公明新聞を持ってくる。まるめて燃してしまう。こんな繰り返しが一か月ぐらいつづいてからはもう誰も新聞を持ってこなくなった。しばらくしたある日、店先に四、五人の男と女が立っている。お客さんかなと思って近づいてゆくと、さつと横を向く。おや違ったんだと店の奥に引き返した技女が、再び店先をみると、相変わらず彼らは動かないでいる。さてはと直感した。すると居間のほうから夫が飛ぶように出て来て、彼らと何にやらヒソヒソ話を始めた。やはり学会員だったのである。
一度は「出て行け」と怒鳴ったが、考えてみれば店の仕事や子供もある。先々を思うと、やはり自分だけの了見でそう簡単に別れることもできないし、学会のことを除けぱそう悪いことをしているわけでもないと、彼女は思い直した。顔で笑って心で闘うのだと決心した。数日前にもふと夫の車の中から一万五千円の領収書を見つけた。もちろん学会のものだった。そんなものを見ても見ぬ振りができるように、いまや習慣づけられていたのである。
◆ 病気の子供も犠牲者
朝食が済んで後片付けする頃になっても下の子が起きてこない。不審に思つて彼女は子供部屋のフスマを開けて見ると、顔をしかめて苦しんでいる。聞いてみると、腹が痛いという。冷えかなと思いそのままにして居間に引き返した彼女に、夫が声をかけた。
「どうしたんだ。」
「お腹が痛いんだって。」
「よし、拝んでやる。すぐに洽るから。」
と夫は例によって仏壇に向かい、お題目を唱え始めた。
しばらくするとウメキ声が聞こえてきたので、急いで子供部屋へ駆けつけた彼女は、子供の病状がただごとでないことに気づいた。パジャマの上にセーターを着せズボンをはかせ、ネンネコでおぶって病浣へ急いだ。
「馬鹿、もうすぐ治るんだ。」
という夫の声を背中で聞き流した。
急患ということで、院長がすぐに診察をしてくれた。
「急性盲腸だ。もう少しすっぽっておいたら悪性の腹膜炎を起こし、生命に関わるところたった。」
手術を終えた子どもは安らかな顔でこんこんと眠っている。夫は絶対に病院へはこない。電話で妹を呼んで交替する。帰宅した彼女は、まだ仏壇の前に坐ってお題目を繰り返している夫を見て心の底から呆れ果てた。くるりとこちらに向き直った夫は、ケロリとして、「どうだ治ったろう。もうご利益がでたのだ。」と言う。
この人は精神病院へでも入院させなければならないのかと考えながら、彼女は久し振りに夫の顔をしげしげと見つめた。
----------(次回に、つづく)---------34