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創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-6

2018-11-20 07:34:01 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道

       ----------(以下、本文)----------32
妻にないしょの学会活動
 聖教新聞を配りにくる。目の前で引き裂く。公明新聞を持ってくる。まるめて燃してしまう。こんな繰り返しが一か月ぐらいつづいてからはもう誰も新聞を持ってこなくなった。しばらくしたある日、店先に四、五人の男と女が立っている。お客さんかなと思って近づいてゆくと、さつと横を向く。おや違ったんだと店の奥に引き返した技女が、再び店先をみると、相変わらず彼らは動かないでいる。さてはと直感した。すると居間のほうから夫が飛ぶように出て来て、彼らと何にやらヒソヒソ話を始めた。やはり学会員だったのである。
 一度は「出て行け」と怒鳴ったが、考えてみれば店の仕事や子供もある。先々を思うと、やはり自分だけの了見でそう簡単に別れることもできないし、学会のことを除けぱそう悪いことをしているわけでもないと、彼女は思い直した。顔で笑って心で闘うのだと決心した。数日前にもふと夫の車の中から一万五千円の領収書を見つけた。もちろん学会のものだった。そんなものを見ても見ぬ振りができるように、いまや習慣づけられていたのである。

病気の子供も犠牲者
 朝食が済んで後片付けする頃になっても下の子が起きてこない。不審に思つて彼女は子供部屋のフスマを開けて見ると、顔をしかめて苦しんでいる。聞いてみると、腹が痛いという。冷えかなと思いそのままにして居間に引き返した彼女に、夫が声をかけた。
 「どうしたんだ。」
 「お腹が痛いんだって。」
 「よし、拝んでやる。すぐに洽るから。」
 と夫は例によって仏壇に向かい、お題目を唱え始めた。
 しばらくするとウメキ声が聞こえてきたので、急いで子供部屋へ駆けつけた彼女は、子供の病状がただごとでないことに気づいた。パジャマの上にセーターを着せズボンをはかせ、ネンネコでおぶって病浣へ急いだ。
 「馬鹿、もうすぐ治るんだ。」
 という夫の声を背中で聞き流した。
 急患ということで、院長がすぐに診察をしてくれた。
 「急性盲腸だ。もう少しすっぽっておいたら悪性の腹膜炎を起こし、生命に関わるところたった。」
 手術を終えた子どもは安らかな顔でこんこんと眠っている。夫は絶対に病院へはこない。電話で妹を呼んで交替する。帰宅した彼女は、まだ仏壇の前に坐ってお題目を繰り返している夫を見て心の底から呆れ果てた。くるりとこちらに向き直った夫は、ケロリとして、「どうだ治ったろう。もうご利益がでたのだ。」と言う。
 この人は精神病院へでも入院させなければならないのかと考えながら、彼女は久し振りに夫の顔をしげしげと見つめた。
 ----------(次回に、つづく)---------34

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新・創価学会を斬る-5

2018-11-20 06:43:35 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道

       ----------(以下、本文)----------28
運は拝んでもなおらぬ
 秋雨が冷たく舗道を濡らす真夜中、店の裸電球の下で故郷の沢内村にいた頃を彼女はしばしば思い出すことがあった。
 電気もなければ、茶碗さえもない赤貧、貧しいが故に、村八分同様にあつかわれ、毎日毎日が空腹の連続であった。食べられる物は何んでも食べ、飢をしのいだ。そのうち栄養失調にかかり頭の毛がだんだんと抜け、遂に女の生命である頭髮は一本もなくなってしまったという。
 中学へ通うときも、教室の中でも、頭を風呂敷でかくした。あまりの恥しさに、いったい女の恥らいというのはどんなことなのか、それすら忘れてしまったような感覚だった。
 この生活から一刻も早く脱れ出よう。彼女の支えはこの一点にしかなかった。待ちに待った中学校の卒業式の夜、早目にセンべイ布団にくるまったが、目は暗闇の中で、冴えに冴えて眠れなかった。両親の寝息が聞え始めた。祖父は中風で寝たっきりなのでほとんど物音をたてない。胸を冒されてもう治る見込みがないといわれている姉は、本当に死んだように眠っていた。静かに起き上った彼女は、隣りの妹と弟の寝顔に向って、「いまに姉ちゃんがお前たちに腹いっばい喰べさせてやるからな、もう少し辛抱していてくれよ」と涙ながらに語りかけた。かねて用意していたわずかばかりの身の回り品を小脇に、裏木戸を静かに開けた。三月とはいえかなりの残雪が月光に輝き、生物はすべて雪の中に眠っているかのようだった。

 盛岡までの道のりは約二七キロ、七里である。しかし希望に燃え立つ彼女には,寒さも遠さもそれほどに感じなかったという。
 女中、店員、事務員、喫茶ガールと職を転々、家出娘の中卒を暖かく迎え入れるほど世間は甘くないことを、身をもって体験させられた三年間であった。成長期を栄養失調で過ごした体力もまた何をするにもブレーキになり、心だけは焦った。
 ある夜、混濁した脳裡に白装束をまとった自分の姿がぼんやりと浮んできた。ああ、これで楽になる、もう私にはいっさいこの世の責任はない。なんの心配もなくゆっくり休める--さようなら。どこか遠くで誰かが私の名前を呼んでいるような気がする、誰だろう、もう誰でもいい……つまりは自殺、それも未遂に終わったのである。

 しかし彼女は死神には勝った。自分は死んではならない人間なのだ。もう一度倒れるまでやろうという気になり、再出発は毎日三十円を必ず貯金することから始められた。
 貯金が十万円になったところで、三十万円を借り入れ、現在地から一〇〇メートルばかり離れたところに、生まれて初めてささやかな店を持った。自分でやる商売は苦しみはあっても楽しみのほうが多かった。そして一年後に結婚、今までの苦労が一度に開花したようなものだった。
 だが楽しみはにわか雨のように過ぎ去って行った。セールスマンであった夫には少しも誠実さがなかった。百万円の手切金を持ってさっさと家を出て行ってしまった。初めから金目当てだったわけである。
 そして忘れもしない四十三年三月十日、庫之助と再婚の式を挙げたのだった。
 創価学会に入り、一心に信仰したのも、夫の命令というより、むしろあまりにも不運の連続である自分自身を、宗教が救ってくれるかもしれないと心の底のどこかで願っていたのではないのか。こう気がついた彼女は、襟首に冷たい空気の流れを感じてそっと手をやったという。

狂信母子が婚家を破壊
 女がいなくなってからは、夫も悪いと思ったのか、また商売に精をだすようになった。再び幸運らしいものが芽生え出したのである。いくらか借金をすれば建築ができる見通しになり、長年夢に見た建築にとりかかった。店舗、食堂、住宅である。
 建築士と図面で打合わせをしている彼女の姿には、どうみても過去の暗い人生のかげりなどはみじんも見えなかった。やがて建築は土台回しから始まり予定通りどんどん進んでいった。
 しかし、元来が無学に等しい彼女には、建築過程でここがなんの間になるかは見当もつかなかった。ようやく竣工寸前になって気づいたのは、図面と実際の間取りがあまりに違うことだった。彼女はあわてて建築士のところへ駆けつけた。
 「おや、奥さんご存知なかったのですか。」
 「何がです。」
 「ご主人とその実家のお母さんが見えられて、初めの図面通りでは家相が悪いから手直ししてくれというので、図面から直したんですよ。いまやっているのは、この図面の通りなんです。」
 あまりのことに彼女は返事につまってしまった。どんなことを言つて建築士の許を去ってきたのかはっきり憶えていない状態で帰宅し、夫の帰りを待ち構えた。
 「こんな所を子供部屋にして、どうするんですか。ちっとも日が入らないでしょう。」
 「商売がこんなに繁昌したのも実家の母と私が、毎日御本尊様を拝んでお願いしていたからだ。だから間取りも御本尊様のいわれる通りにしたのだ。拝めば子供部屋にも、日が当たるようになる。」真暗な子供部屋は、いつまでたっても明るくはならない。どこにもはけ口がない怒りと気のゆるみから、新築祝いの夜、合所にたった彼女はめまいをおぼえ意識を失なった。
 気づいたとき、初めに耳にした言葉は「とうとうバチが当たった」という夫と実家の者たちの会話だった。こらえにこらえていた堪忍袋の緒が遂に切れた。
 「出て行け!!」
 彼女は家中に響く大声をだした。子供が驚いて座敷の隅へ飛んで行った。
 「私は使命を与えられて、この世に生まれて来たのだからこの家からは出られない。この家が御本尊様のお蔭でできた以上、この家で私は信心をつづけなければならないんだ。」
 と冷たくにうつろな表情で言ってのける夫だった。
 負けるものか、ダルマさんだって七転八起ではないか、こう感じた彼女は奥歯をギリギリとかみしめた。蒼白な顔は、さながら白面夜叉のようであった。
 ----------(次回に、つづく)---------32-

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新・創価学会を斬る-4

2018-11-19 11:00:07 | Weblog
 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
       ----------(以下、本文)----------23
女に狂う学会員の夫
 実質的に退転した彼女の目標は、商売一筋であった。学会活動を千仞の谷に葬り去ったいま、馬車馬の如く、寝食を忘れて働き出したのである。妹もようやく晴やかな顔を取り戻し、一緒になって精を出した。台風一過の心境である。あまり姉が働き過ぎるので、ときたま妹は心配し、「姉さん、身体をこわすといけんよ?。」というのだが、彼女は、「なあに、あのとき、私は死んでいるんだから心配せんでもいいのよ。」 と笑顔で答える日常だった。
 夫は学会活動のついでに店を手伝った。学会のことを除けば、おとなしく、おっとりしているし、酒も飲まないので、彼女には文句がないというより、むしろそんな性格が好きだったのだ。
 ただ夫婦の対話はなかった。学会でいう“広宣流布”の使命にあたるのが自分だという信念が夫にあるので、どんな話題をとり上げてみても夫婦の話の辻つまが合わないのである。だから何かの調子に、話がもつれると、夫は突然人が変わったようになり、何んとしても妻を従わせようとして手をふり上げた。妻はこんなとき、すぐにあやまる戦法をとった。事の理非はもう別にして、無駄ないさかいを避けるための方便であった。
 やがて、「家の中は敵だらけだ。」
 と夫が言い始めるようになり、暇をみては他所に行き昼寝をするようになった。女のカンとして何かが起きているかもしれないと思っても、仕事に追われて詮索する余裕がない。ただそういう関係のところから金の請求が来るので、ははあ、またかと思うぐらいが関の山だったという。
 ただ昨年(四十六年)十月にこんなことが起こつた。当時、店で雇っていた従業員の一人に彼女の従姉妹すじに当たる既婚の女性がいた。自分とは親戚関係にあるのだからと安心していたところ、どうも夫との間柄が、単なる主人と従業員のものではなくなってきていた。夫に対するシグサが仕事以上のものなのである。妻としてのカンでは、夫の身の回りの世話をしているなということだった。事実、その頃、夫は家でほとんど食事をせず、全部よそで食事をするよう
になっていた。この女にはそれなりの計算があり、夫を誘い込めば、金にもなる、いわゆる色と欲との両天秤だったのであろう。
 ある日、彼女はその女の家の近くを商用で通った。ちょっと寄り道してその女の主人に会ってきいてみた。
 「おかしな関係になって、別れるの何んのといっても知らないよ。私は別れてもいいんだからお金なんか一銭も払わないよ。」
 と釘をさしても、その主人はただニヤニヤ笑ってすべてを知っているようだった。そのときこの二人が、普通の関係ではなくなっていることを確実に知った妻は、即座にその女を店から辞めさせた。
 だが女の執念は恐しい。十万円くれなければ完全に別れないといって、配達に出る夫を待ち伏せてはつきまとった。いつ、どこそこで二人が歩いているのを見たとか何んとかいう噂が相も変わらず耳に入つてくる日がつづいた。
 その一件以来、夫婦としての感情は全くなくなり、夜の営みも途絶えた。彼女は退転以来わが身を責めるように仕事に打ち込んでいたので、二十台という若さでありながら、寝床に臥すとき、肉体はもう綿のごとく疲れ果てていた。
 その後、女があまりにしっこく夫を追い回すので、遂に夫が逃げだすようになり、妙な追っかけゴッコの状態がつづけられていたが、いつしか女の姿は町から見えなくなってしまった。

金を盗む好色女子部員
 数日後、夫が十九歳の女の子を連れてきて使ってみょうと言い出した。どうせ学会員に決まっているが、身元がはっきりわかっているし、いくらなんでも信心をしているのだから金銭面は大丈夫だと思い、彼女を雇うことにした。なにしろ日銭商売なので、金銭にルーズなのは絶対に困るのである。
 ところがこの子が毎日、毎日の売上げから少しずつごまかしていたときは、そうも気づかなかったが、だんだん慣れるにつれ、まとまった金額をくすねるようになったのである。
 早速、この子を呼んで聞いてみると、「だんなさんが知つてます。」 と言う。
 またかと、その子の顔を見ながら同性として恥しさを顔から隠すことはできなかった。夫とこの子はもう何回も寝ていたのである。いつ、何処でそういう行為をしていたのか、まるで彼女には思い当たるふしがなかった。しかしこうはっきり言うのだから間違いはない。
 黙りこくった彼女の前からその子は勝者のような態度で、部屋から出て行った。その後姿には女として何んとまあだらしない奥さんだろう、女は魅力がなければダメなんだと暗示しているようだった。
 遅い夕食のあと、夫におだやかな調子で、彼女は昼間あったことを話した。
 「本能だからな。」
 と夫は少し照れながら、新聞から目を離さずに答えた。
 「でも人間が本能のまま動くんなら犬猫とちつとも変わらないでしょう。人間には理性があるんではありませんか。」
 彼女は騒ぐ心を抑えて静かに反ばくしたのである。夫はようやくこちらに向き返り、「信者は夫婦より一心同体なんだ。一心同体なものが関係を結んで何がおかしい。変なヤキモチをやくな。」 と開きなおった。
 そうか、そうだったのか、と彼女もようやく気づいた。この論法があるからこそ学会員同士は夫でも妻でも男女関係を平気でむすぶんだ。世間の人が何んといおうとまるで気にしない原因はここにあったのだ。創価学会の麻薬はこれだったのだ。お産のときにひどい目に会ったときは、お産という異常な状態だから仕方がないと張り裂ける胸を押さえて我慢した。だがその後もいろいろとあった。
 いったん麻薬の虜になるともう一生治らないといわれるが夫は麻薬患者なのだ、これで夫と学会の関係がはっきりした。
 こう悟った彼女はある决心をした。どんなことがあっても、自分は決して先に死なない。どうしても自分が先に死ぬようだったら夫を連れてゆかねばならない。残った人たちにどんな迷惑を掛けるかわからない。自分は雑草のような性質だし、並大抵以上の苦労をしてきたのだからそう簡単に負けない。
 しかし他の人たちではダメだ。必ず泣き寝入りになってしまう。世間では心中などとはやしたてるかもしれない。そんなことはかまわない、と悲壮な決意までした。
 ----------(次回に、つづく)---------27-
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新・創価学会を斬る-3

2018-11-19 09:47:46 | Weblog
 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
       ----------(以下、本文)----------16
第一部 この末期的症状のさまざま
第一章 人間破壊、家庭破壊に泣く底辺のうめき
 まず初めに『続・斬る』で手紙の一部を採録した岩手県に住む藤原玉千代さんの、毎日毎日が暗闘ともいうベき悲惨な家庭伏況を記したルボ風物語を読んでいただこう。
 この藤原さん一家の記録は、学会がいかに家庭平和への汚染源であるかという、あらゆるケースが含まれており、まずは末端学会員の悲劇の典型といわねばならないし、前著で紹介した場合もこの手紙についてかなりの問い合わせがあったことをついでに付記しておく。
 この女性は「池田会長と夫を殺したい」とまで言っているのだ。まことおそろしいことだがそこまで彼女を追いつめたものは何か。この記録を読むと、なるほどという気がするというものである。

◆ 狂信者と知らずに結婚
 東北地方の太平洋岸をはしる東北本線と日本海側の奥羽本線を結ぶ横断線の一つに北上線というのがある。かの“北上夜曲”で有名になった北上と横手を桔ぶ口ーカル線である。かっては北
上を黒沢尻と呼んでいたので、古い東北人はいまでも“横黒線”の名称を懐しんで使っている。
 この線は東北地方の屋根といわれる奥羽山脈を縦断しているから、沿線はそれこそ山また山のトンネル線でもある。それだけに山の温泉も多く、ほとんどの駅に立っている案内板に“XX温泉下車駅”としるされてある。
 北上から約一時間のところに陸中川尻駅がある。この辺は春がやってきて、幹線の沿線には雪が全く見当たらなくなっても、まだ一面に雪化粧をしているようなところだ。かろうじて舗装されていると感じられるひなびた道をバスで二十分ほど入ったところに湯本温泉がある。温泉の入口に近い表通りに面しているのが「マルタマ精肉店」、その隣りに「スーパー・マルタマ」の看板が見える。この店が藤原さんの店なのだ。
 表から見れば一見なんでもないごく平凡な店である。東京でいえば中級ぐらいの店構えだが、大都会のように買物 客がむらがっているという感じは全くない。この町の表通りそのものがきわめて閑散なのである。
 この湯本温泉に住んでおれば、誰一人知らぬ者はない家庭の悲劇が、ここ七、八年の間、この店の内部で繰りひろげられてきた。
 悲劇の“元凶”はこの家の主人藤原庫之助。彼は同じ北上線の黒沢駅から少し奥に入った山村から婿のような形でやってきた。体格はがっちりしているが、一見おとなしく、東北人がよく好む酒もいっさい口にしない働き者、いうなれぱ一種のマジメ人間である。
 妻の玉千代は幼いどきから貧困のどん底を経験し、大きくなったら,腹いつばい好きなものを妹や弟たちと食べようといつも夢見ていたという。この夫を迎えたとき彼女は、これでようやく幸せが自分のところへもやって来たんだと心の中で喜びにむせんだ。
 だが実は大きな黒い怪物が“幸福の使者”と思った夫の後には控えていたのである。この夫は新たに自分の居住地となった湯本温泉の人々すべてを、創価学会に入信させるためにこの地に来たと固く信じ、結婚するや直ちにその活動を始めたのである。彼の出身地山内村が、別名、“学会”と呼ばれている文字通りの寒村であることを知ったのはずっと後になってからで、俗にいう“仲人口”をそのまま信じ込んだ彼女もウカツだったのである。
 湯本温泉では当時(昭和四十三年)、創価学会の名を知る者はほとんどいなかったくらいなので、彼女も創価学会が何をする団体かはよくわからなかった。折伏され入信した第一号はもちろん彼女自身であった。そのときの心境は「なんでも食べてみなくては味がわからない。いいか悪いか食べてみょう」ということだったが、やはり女としては夫の好きな赤烏帽子をという気持は十二分にあった。
 ここで一つ絵解きをしなければならない。この夫婦はともに再婚なのである。夫は四歳の男の子を連れてきた。妻はその子をわが子のように可愛いがった。楽しかるべきはずの初婚をいずれも破局で迎えた二人には、今度こそ--という気持がお互いにあったはずである。

 入信した翌日から彼女はこれまでの生活とはうって変わり、朝早くから夜遅くまで座談会、横手にある法華寺参り、暇があれば学会の本に向って勉強という毎日がはじまった。そうなるともう商売などをやっているどころではなくなり、思い切って店も閉ざしてしまった。
 彼女の実家の父は“米作り日本一”ということで天皇陛下の御前にも召された人物だった。
 それだけに、彼女のこういう変身ぶりには、実家の母親を初め親戚中が心配し、入れ替り立ち替り、彼女に忠告を与えに来た。しかし彼女は性来の負けん気もあり「とにかく私に任せておいてください」というのがこれらの人々に対するきまった答になっていた。朝起きると夫婦と一緒に子供までが“勤行”ということでお題目をあげた。夜は夜で十一時、十二時までも半ば眠りながら夫婦のうしろで子供は手を合わせていたという。
 彼女の頭はもはや、店や商売のことなどは少しも考える余裕がなくなり、ただひたすら夫とともに信心し、この再出発を失敗のないものに築き上げようということだけだった‥‥まこと純粋に信仰に徹したということである。
                                                                
◆ 母体を危くしたお題目の功徳
 やがて夫婦の愛の結晶が宿り、出産が近づいたとき、彼女はこの二十四年間に経験したことがないほどのひどい風邪にかかり、高熱にうなされる日がつづいた。そんなとき夫は「いまこそ御本尊様がお助けくださるときだ。拝め、拝め」と叫びながら、激しいいセキと高熱で起きられない妻を無理矢理、仏壇の前まで引っぱっていって拝ませた。 意識もうろうとなりながらも、功徳が本当にあるのならばと信じつつ、五日四晩ほとんど一睡もせずに拝みつづけた。そして遂に、崩れるように仏壇の前で倒れた。意識は完全に無かった。このとき夫は倒れた妻に向って冷笑を浴びせ「心から信心してないからだ」と罵倒した。

 数日前から姉の病状を心配していた妹が、飛込んできて病院へ運び込んだ。このような状態になっても夫である彼は何一つ手助けなどはしなかったという。
 診祭を終えた医師は静かに言つた…;。「もう限度でした。これ以上遅かったら母子とも危なかったでしょう」と。
 無事男子を出産した彼女は、やつれた頼に手をやりながら、殺風景な病院のベッドに身を横たえ、過ぎ去った一年間のことを漠然と想い浮かべていた。男の子を産んでも誰一人見舞いに来ない自分のいまの境遇はいったい何なのだろうか。自分としてはできるかぎり全身をぶっけて信心し、学会活動をしたのに、肉体的には死線をさまよい、経済的には店はドン底に落ちこんでしまった。
 夫がいうような“ご利益”はないのか。そして“功徳”とはいったい何んのことなのだろうか。妹は何もいわずに私たちの行動を見守っている。はたして心の中では何を考えているのだろうか。このままの状態でいったらこの幼児を無事成長させられるだろうか。想いはまさに走馬燈のようにウツロになった頭の中を通り過ぎては消え去っていった。

 退院して数日過ぎたある日、夫は妻の枕元でこう訴えた。
 「こんな状態では駄目だ。未棟を残すから“ご利益”もないのだ。欲も得も全部捨てて裸になって再出発しょう。それでこそ初めて御本尊様の“ご利益”があるのだ。」
 この言葉を聞いたとき、いままで何か感じてはいたが、それか何んであるかはっきり掴めなかった彼女の意識にも一つのものだけが凝集してくるのを感じた。
 そうだ学会の教えはウソだ。この人は一家を犠牲にさせるんだ。ここで負けたらもう終りだ。ドロ沼に落ち込むのはもうたくさんだ、と悟った妻の目は、キッと夫の目を見据えた。
 「店はつぶせません。妹と血の涙で築き上げたものです。店がなくなったらどうして私たちは生活するのですか。学会で生活の面倒をみてくれるのですか。」
 一年間のうっ憤が一時に吐き出たかのような口調で妻は言い切った。
 「何を馬鹿なことを…信心が足らんということをタナにあげて、馬鹿げたことを言うな。御本尊様のありがたさを知らん奴は勝手にしろ。」
 こんな手痛い反撃に会うことを予想もしなかった夫はこういう捨てゼリフを残し、苦々しい面持で荒々しく立ち去っていった。かくして夫婦の暗闘の幕はこのときから切って落されたのである。
 ----------(次回に、つづく)---------23-
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新・創価学会を斬る-2

2018-11-18 09:21:22 | Weblog
 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
       ----------(以下、本文)----------7
目次
はじめに
第一部 この末期的症状のさまざま
第一章 人間破壊・家庭破壊に泣く底辺のうめき
    狂信者と知らずに結婚/母体を危くしたお題目功徳/女に狂う学会員の夫
    金を盗む好色女子部員/不運は拝んでもなおらぬ/狂信母子が婚家を破壊
    妻にないしょの学会活動/病気の子供も犠牲者/生死の境から夫への憎悪
    不幸は仕事で乗り切ろう/色仕掛に負ける学会パン屋
    毎月書替える遺書/嘘つき学会サヨウナラ/売春を強要された母子家庭
    戸田が説く女の信心/狂信母娘のなれの果て
    両親を見殺す学会息子/廃人同様にされた人々/四六時中監視される
    精神病院へ日参

第二章 犯罪事件--その性格と特徴
 殺人
  ①学会員の三角関係-痴情のはて/②信心の強制をうらんで子を殺害
  ③横れんぼの幹部が犯人/④色と欲で夫妻が謀殺/
  ⑤奪った金に御題目あげる
  ⑥入信反対の父を殴殺/⑦折伏狂の息子を殺害/⑧夫婦で病母をなぶり殺す
  ⑨身内より御供養優先/⑩狂信の母に児童、死の抗議/
  ⑪雜婚不成立で無理心中
  ⑫折伏脅迫され若夫婦心中
 交通違反
  ⑬交通事故も運命とトボケ/⑭公明党議員ひき逃げ罵声事件
 詐欺
  ⑮トラック部隊で七千万円詐取される/⑯会員欺しの詐欺行脚/
  ⑰欺した金で女子部員と豪遊/⑱ニセ弁護士で念書偽造/ 
  ⑲学会墓地は必要ない?
  「組織的悪人集団」の暗躍

第三章 欠陥人間製造法とその実例
    オトリ美人で入信強要/デマ中傷で就職妨害/心の処女を犯す/
    オトギ話の座談会/滅る一方の座談会参加/行動異常の学会員タイプ/
    セックスその他どうもダラシナイ/金バッチをひけらかす小悪党/
    勤務先に迷惑かけ放題/狂いだすとキリがない/借金の保証人にも知らぬ顔
    外国にも拡がる学会公害

第四章 かずかずの違反選挙の内幕
    鬼子、公明党の内部体制/党活動費は個人負担/地方議員は減少気味/
    こんな選挙をやつている/個人出費の飲食供応/選挙権を他地区へ集団移動/
    選挙違反のかずかず/倒れた運動者にはつれない素ブリ/立候補者もボ口扱い

第五章 内部からの学会批判総まくり
    B長中心の学会批判/無料奉仕を強要するケース/
    ウソもいぃ加滅にしてくれ!!/自己顕示と資金作りの正本堂建設/
    おびただしい出版物は洗脳用具と資金/
  新聞、出版物の押し売り体制に泣く学会員/
    軍国調の登山車中/お粗末な学会の葬儀・墓所/こじつけ専門の功徳論理/
    バチ論のカラクリ/遂に分裂・分派行動起こる

第六章 いまや知れわたってきた池田ら幹部の虚像性
    どうしょうもない池田の俗物性/末端会員を下道扱い/
    所得のうえでも池田のみ救われているのか?/
 「タバクラカシの先生」-戸田城聖/
    債鬼に追われ、逃げまどう戸田の姿/ウソ八百の『人間革命』という本/
    エスカレートする“すり替え”の手口 /池田と大幹部こそ退転者だ!!

第七章「金儲け宗教」をとりまく「金儲け小集団」
    宗教法人という名のカクレミノ/株式会社「創価学会」をとりまく経済の根/
    学会運営方式をまねた“養老の港”/大蔵商事がのびた不動産関係/
    相変わらず妙な動きの徳陽相互/幹部個人名義の学会不動産

第二部 日本の底辺と変革の条件
第一章 「創価学会問題」とは何か
    池田大作のいう「自己変革」のギマン性/宗教の世界の中での「創価学会問題」
    学会は「法華経」利用の最悪見本/「底辺志向教」としての評価/
    「天皇制」崩壊のなかから盛り上がった「新興宗教」

第二章 日本の底辺変革の条件と宗教の機能
    「戦後社会構造」の変化と底辺層/創価学会と底辺層の相関関係/ 
    底辺変革の条件と宗教の機能/底辺層の精神構造とその背景
むすびにかえて
 ----------(次回に、つづく)---------16-
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