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創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-4

2018-11-19 11:00:07 | Weblog
 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
       ----------(以下、本文)----------23
女に狂う学会員の夫
 実質的に退転した彼女の目標は、商売一筋であった。学会活動を千仞の谷に葬り去ったいま、馬車馬の如く、寝食を忘れて働き出したのである。妹もようやく晴やかな顔を取り戻し、一緒になって精を出した。台風一過の心境である。あまり姉が働き過ぎるので、ときたま妹は心配し、「姉さん、身体をこわすといけんよ?。」というのだが、彼女は、「なあに、あのとき、私は死んでいるんだから心配せんでもいいのよ。」 と笑顔で答える日常だった。
 夫は学会活動のついでに店を手伝った。学会のことを除けば、おとなしく、おっとりしているし、酒も飲まないので、彼女には文句がないというより、むしろそんな性格が好きだったのだ。
 ただ夫婦の対話はなかった。学会でいう“広宣流布”の使命にあたるのが自分だという信念が夫にあるので、どんな話題をとり上げてみても夫婦の話の辻つまが合わないのである。だから何かの調子に、話がもつれると、夫は突然人が変わったようになり、何んとしても妻を従わせようとして手をふり上げた。妻はこんなとき、すぐにあやまる戦法をとった。事の理非はもう別にして、無駄ないさかいを避けるための方便であった。
 やがて、「家の中は敵だらけだ。」
 と夫が言い始めるようになり、暇をみては他所に行き昼寝をするようになった。女のカンとして何かが起きているかもしれないと思っても、仕事に追われて詮索する余裕がない。ただそういう関係のところから金の請求が来るので、ははあ、またかと思うぐらいが関の山だったという。
 ただ昨年(四十六年)十月にこんなことが起こつた。当時、店で雇っていた従業員の一人に彼女の従姉妹すじに当たる既婚の女性がいた。自分とは親戚関係にあるのだからと安心していたところ、どうも夫との間柄が、単なる主人と従業員のものではなくなってきていた。夫に対するシグサが仕事以上のものなのである。妻としてのカンでは、夫の身の回りの世話をしているなということだった。事実、その頃、夫は家でほとんど食事をせず、全部よそで食事をするよう
になっていた。この女にはそれなりの計算があり、夫を誘い込めば、金にもなる、いわゆる色と欲との両天秤だったのであろう。
 ある日、彼女はその女の家の近くを商用で通った。ちょっと寄り道してその女の主人に会ってきいてみた。
 「おかしな関係になって、別れるの何んのといっても知らないよ。私は別れてもいいんだからお金なんか一銭も払わないよ。」
 と釘をさしても、その主人はただニヤニヤ笑ってすべてを知っているようだった。そのときこの二人が、普通の関係ではなくなっていることを確実に知った妻は、即座にその女を店から辞めさせた。
 だが女の執念は恐しい。十万円くれなければ完全に別れないといって、配達に出る夫を待ち伏せてはつきまとった。いつ、どこそこで二人が歩いているのを見たとか何んとかいう噂が相も変わらず耳に入つてくる日がつづいた。
 その一件以来、夫婦としての感情は全くなくなり、夜の営みも途絶えた。彼女は退転以来わが身を責めるように仕事に打ち込んでいたので、二十台という若さでありながら、寝床に臥すとき、肉体はもう綿のごとく疲れ果てていた。
 その後、女があまりにしっこく夫を追い回すので、遂に夫が逃げだすようになり、妙な追っかけゴッコの状態がつづけられていたが、いつしか女の姿は町から見えなくなってしまった。

金を盗む好色女子部員
 数日後、夫が十九歳の女の子を連れてきて使ってみょうと言い出した。どうせ学会員に決まっているが、身元がはっきりわかっているし、いくらなんでも信心をしているのだから金銭面は大丈夫だと思い、彼女を雇うことにした。なにしろ日銭商売なので、金銭にルーズなのは絶対に困るのである。
 ところがこの子が毎日、毎日の売上げから少しずつごまかしていたときは、そうも気づかなかったが、だんだん慣れるにつれ、まとまった金額をくすねるようになったのである。
 早速、この子を呼んで聞いてみると、「だんなさんが知つてます。」 と言う。
 またかと、その子の顔を見ながら同性として恥しさを顔から隠すことはできなかった。夫とこの子はもう何回も寝ていたのである。いつ、何処でそういう行為をしていたのか、まるで彼女には思い当たるふしがなかった。しかしこうはっきり言うのだから間違いはない。
 黙りこくった彼女の前からその子は勝者のような態度で、部屋から出て行った。その後姿には女として何んとまあだらしない奥さんだろう、女は魅力がなければダメなんだと暗示しているようだった。
 遅い夕食のあと、夫におだやかな調子で、彼女は昼間あったことを話した。
 「本能だからな。」
 と夫は少し照れながら、新聞から目を離さずに答えた。
 「でも人間が本能のまま動くんなら犬猫とちつとも変わらないでしょう。人間には理性があるんではありませんか。」
 彼女は騒ぐ心を抑えて静かに反ばくしたのである。夫はようやくこちらに向き返り、「信者は夫婦より一心同体なんだ。一心同体なものが関係を結んで何がおかしい。変なヤキモチをやくな。」 と開きなおった。
 そうか、そうだったのか、と彼女もようやく気づいた。この論法があるからこそ学会員同士は夫でも妻でも男女関係を平気でむすぶんだ。世間の人が何んといおうとまるで気にしない原因はここにあったのだ。創価学会の麻薬はこれだったのだ。お産のときにひどい目に会ったときは、お産という異常な状態だから仕方がないと張り裂ける胸を押さえて我慢した。だがその後もいろいろとあった。
 いったん麻薬の虜になるともう一生治らないといわれるが夫は麻薬患者なのだ、これで夫と学会の関係がはっきりした。
 こう悟った彼女はある决心をした。どんなことがあっても、自分は決して先に死なない。どうしても自分が先に死ぬようだったら夫を連れてゆかねばならない。残った人たちにどんな迷惑を掛けるかわからない。自分は雑草のような性質だし、並大抵以上の苦労をしてきたのだからそう簡単に負けない。
 しかし他の人たちではダメだ。必ず泣き寝入りになってしまう。世間では心中などとはやしたてるかもしれない。そんなことはかまわない、と悲壮な決意までした。
 ----------(次回に、つづく)---------27-
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新・創価学会を斬る-3

2018-11-19 09:47:46 | Weblog
 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
       ----------(以下、本文)----------16
第一部 この末期的症状のさまざま
第一章 人間破壊、家庭破壊に泣く底辺のうめき
 まず初めに『続・斬る』で手紙の一部を採録した岩手県に住む藤原玉千代さんの、毎日毎日が暗闘ともいうベき悲惨な家庭伏況を記したルボ風物語を読んでいただこう。
 この藤原さん一家の記録は、学会がいかに家庭平和への汚染源であるかという、あらゆるケースが含まれており、まずは末端学会員の悲劇の典型といわねばならないし、前著で紹介した場合もこの手紙についてかなりの問い合わせがあったことをついでに付記しておく。
 この女性は「池田会長と夫を殺したい」とまで言っているのだ。まことおそろしいことだがそこまで彼女を追いつめたものは何か。この記録を読むと、なるほどという気がするというものである。

◆ 狂信者と知らずに結婚
 東北地方の太平洋岸をはしる東北本線と日本海側の奥羽本線を結ぶ横断線の一つに北上線というのがある。かの“北上夜曲”で有名になった北上と横手を桔ぶ口ーカル線である。かっては北
上を黒沢尻と呼んでいたので、古い東北人はいまでも“横黒線”の名称を懐しんで使っている。
 この線は東北地方の屋根といわれる奥羽山脈を縦断しているから、沿線はそれこそ山また山のトンネル線でもある。それだけに山の温泉も多く、ほとんどの駅に立っている案内板に“XX温泉下車駅”としるされてある。
 北上から約一時間のところに陸中川尻駅がある。この辺は春がやってきて、幹線の沿線には雪が全く見当たらなくなっても、まだ一面に雪化粧をしているようなところだ。かろうじて舗装されていると感じられるひなびた道をバスで二十分ほど入ったところに湯本温泉がある。温泉の入口に近い表通りに面しているのが「マルタマ精肉店」、その隣りに「スーパー・マルタマ」の看板が見える。この店が藤原さんの店なのだ。
 表から見れば一見なんでもないごく平凡な店である。東京でいえば中級ぐらいの店構えだが、大都会のように買物 客がむらがっているという感じは全くない。この町の表通りそのものがきわめて閑散なのである。
 この湯本温泉に住んでおれば、誰一人知らぬ者はない家庭の悲劇が、ここ七、八年の間、この店の内部で繰りひろげられてきた。
 悲劇の“元凶”はこの家の主人藤原庫之助。彼は同じ北上線の黒沢駅から少し奥に入った山村から婿のような形でやってきた。体格はがっちりしているが、一見おとなしく、東北人がよく好む酒もいっさい口にしない働き者、いうなれぱ一種のマジメ人間である。
 妻の玉千代は幼いどきから貧困のどん底を経験し、大きくなったら,腹いつばい好きなものを妹や弟たちと食べようといつも夢見ていたという。この夫を迎えたとき彼女は、これでようやく幸せが自分のところへもやって来たんだと心の中で喜びにむせんだ。
 だが実は大きな黒い怪物が“幸福の使者”と思った夫の後には控えていたのである。この夫は新たに自分の居住地となった湯本温泉の人々すべてを、創価学会に入信させるためにこの地に来たと固く信じ、結婚するや直ちにその活動を始めたのである。彼の出身地山内村が、別名、“学会”と呼ばれている文字通りの寒村であることを知ったのはずっと後になってからで、俗にいう“仲人口”をそのまま信じ込んだ彼女もウカツだったのである。
 湯本温泉では当時(昭和四十三年)、創価学会の名を知る者はほとんどいなかったくらいなので、彼女も創価学会が何をする団体かはよくわからなかった。折伏され入信した第一号はもちろん彼女自身であった。そのときの心境は「なんでも食べてみなくては味がわからない。いいか悪いか食べてみょう」ということだったが、やはり女としては夫の好きな赤烏帽子をという気持は十二分にあった。
 ここで一つ絵解きをしなければならない。この夫婦はともに再婚なのである。夫は四歳の男の子を連れてきた。妻はその子をわが子のように可愛いがった。楽しかるべきはずの初婚をいずれも破局で迎えた二人には、今度こそ--という気持がお互いにあったはずである。

 入信した翌日から彼女はこれまでの生活とはうって変わり、朝早くから夜遅くまで座談会、横手にある法華寺参り、暇があれば学会の本に向って勉強という毎日がはじまった。そうなるともう商売などをやっているどころではなくなり、思い切って店も閉ざしてしまった。
 彼女の実家の父は“米作り日本一”ということで天皇陛下の御前にも召された人物だった。
 それだけに、彼女のこういう変身ぶりには、実家の母親を初め親戚中が心配し、入れ替り立ち替り、彼女に忠告を与えに来た。しかし彼女は性来の負けん気もあり「とにかく私に任せておいてください」というのがこれらの人々に対するきまった答になっていた。朝起きると夫婦と一緒に子供までが“勤行”ということでお題目をあげた。夜は夜で十一時、十二時までも半ば眠りながら夫婦のうしろで子供は手を合わせていたという。
 彼女の頭はもはや、店や商売のことなどは少しも考える余裕がなくなり、ただひたすら夫とともに信心し、この再出発を失敗のないものに築き上げようということだけだった‥‥まこと純粋に信仰に徹したということである。
                                                                
◆ 母体を危くしたお題目の功徳
 やがて夫婦の愛の結晶が宿り、出産が近づいたとき、彼女はこの二十四年間に経験したことがないほどのひどい風邪にかかり、高熱にうなされる日がつづいた。そんなとき夫は「いまこそ御本尊様がお助けくださるときだ。拝め、拝め」と叫びながら、激しいいセキと高熱で起きられない妻を無理矢理、仏壇の前まで引っぱっていって拝ませた。 意識もうろうとなりながらも、功徳が本当にあるのならばと信じつつ、五日四晩ほとんど一睡もせずに拝みつづけた。そして遂に、崩れるように仏壇の前で倒れた。意識は完全に無かった。このとき夫は倒れた妻に向って冷笑を浴びせ「心から信心してないからだ」と罵倒した。

 数日前から姉の病状を心配していた妹が、飛込んできて病院へ運び込んだ。このような状態になっても夫である彼は何一つ手助けなどはしなかったという。
 診祭を終えた医師は静かに言つた…;。「もう限度でした。これ以上遅かったら母子とも危なかったでしょう」と。
 無事男子を出産した彼女は、やつれた頼に手をやりながら、殺風景な病院のベッドに身を横たえ、過ぎ去った一年間のことを漠然と想い浮かべていた。男の子を産んでも誰一人見舞いに来ない自分のいまの境遇はいったい何なのだろうか。自分としてはできるかぎり全身をぶっけて信心し、学会活動をしたのに、肉体的には死線をさまよい、経済的には店はドン底に落ちこんでしまった。
 夫がいうような“ご利益”はないのか。そして“功徳”とはいったい何んのことなのだろうか。妹は何もいわずに私たちの行動を見守っている。はたして心の中では何を考えているのだろうか。このままの状態でいったらこの幼児を無事成長させられるだろうか。想いはまさに走馬燈のようにウツロになった頭の中を通り過ぎては消え去っていった。

 退院して数日過ぎたある日、夫は妻の枕元でこう訴えた。
 「こんな状態では駄目だ。未棟を残すから“ご利益”もないのだ。欲も得も全部捨てて裸になって再出発しょう。それでこそ初めて御本尊様の“ご利益”があるのだ。」
 この言葉を聞いたとき、いままで何か感じてはいたが、それか何んであるかはっきり掴めなかった彼女の意識にも一つのものだけが凝集してくるのを感じた。
 そうだ学会の教えはウソだ。この人は一家を犠牲にさせるんだ。ここで負けたらもう終りだ。ドロ沼に落ち込むのはもうたくさんだ、と悟った妻の目は、キッと夫の目を見据えた。
 「店はつぶせません。妹と血の涙で築き上げたものです。店がなくなったらどうして私たちは生活するのですか。学会で生活の面倒をみてくれるのですか。」
 一年間のうっ憤が一時に吐き出たかのような口調で妻は言い切った。
 「何を馬鹿なことを…信心が足らんということをタナにあげて、馬鹿げたことを言うな。御本尊様のありがたさを知らん奴は勝手にしろ。」
 こんな手痛い反撃に会うことを予想もしなかった夫はこういう捨てゼリフを残し、苦々しい面持で荒々しく立ち去っていった。かくして夫婦の暗闘の幕はこのときから切って落されたのである。
 ----------(次回に、つづく)---------23-
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