創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-11

2018-11-25 08:23:20 | Weblog
 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道
       ----------(以下、本文)----------55
四六時中監視される
 山田久子さん(仮名・埼玉)は連日の折伏攻勢により強度なノイローゼというよりも、精神分裂症状を起こされてしまっている。告訴状を持参したが、字も文章もきわめてしっかりしているだけに、何んともあわれさを増すばかりであった。彼女に戦国時代からつづいた名門の一族であり、父が以前、学会に入信したが、三年ほど前に退転した。
 彼女によると、彼女自身、創価学会の折伏のいいカモになっているという。住居内にテレビカメラや盗聴器が据え付けられているのだと主張する。これは学会の折伏が、悪口を言ったり、ねばり一筋で折伏する段階ではなく、相手をすベて知ることから折伏するという戦法に変わったからだそうだ。
 彼女は四十六年十一月、現在の団地に引越してきたが、その付近は学会員が増加しているのだと盛んに言う。彼女は四六時中監視されており、彼女の立ち寄りそうなところはすべて協力を求められており、監視に一役かっていると断ずる。
 彼女が在京中に受けた被害届を一応見てみよう。
 告訴状
昭和四十七年四月
警察署長殿
      住所・氏名
 私は東京都港区在住の関枝ツヤ(創価学会員)他一名を告訴致します。
〈理由〉
(1) 昭和三十八年八月母が血清肝炎の為、白金台の東大付属病院に入院中、私は当時三歳になる子どもを連れて手伝いに通っておりました。通い始めて半月位たった朝、掃除をする為、四畳半の窓を開けますと水島さんの塀の所(水島さんの庭の塀が地境になっており、そこから二メートルほど離れて実家の家が建っております。
 その塀はちょうど家の四畳半と三畳の大きな格子窓と向い合っておりました。奥の家はその二メートル幅の通路を使って出入りしております) 青田さん寄りに2/3~3/4ぐらい燃えた四、五本の薪が組み合わされて置いてありました。当時、変だなとは思っておりましたが、そのまま放っておきました。後に関根が私に嫌疑をかけ、近所へ触れまわったことは事実です。
(2) 昭和三十八年六月、当時、千葉県東葛飾郡江戸川台に居住しておりましたが、近所の明治牛乳販売店で小さな包が紛失しました。その場に居合わせた私に嫌疑をかけ、販売店主によって、これも近所に触れまわられたことは事実です。
 以上(1)(2)は何れも創価学会の会員により名誉が毀損されたもので、これらの理由により告訴致します。
 学会、公明党のために警察はずいぶんとよけいな仕事が増えてきたようである。こういう会員もロクロク指導もできないでトラブルをかえって大きくする団体というものはいったい何かという気がしてくる。こちらの頭がへンになりかねないほどにバカバカしいことがおこっているのだ。

精神病院へ日参
 福岡県の岡田三男さん(仮名)の手紙は判読が困難だったが、大略次のようであった。
「藤原さん聞いてもらって下さい。私は昨年三月十六曰から今でも創価学会員からの呪いの言葉をあびせられてから、毎日毎日、不眠不休でなやんでおります。昨年の地方選挙の時にある人から入信をすすめられ、ことわりますと、今にお前にたたりがあると言われまして‥‥(中略)
 三月十九日より病気にかかり、仕事にも行けず生活にも困り…。創価学会および公明党はそのようにこわいものですか。人を呪い、人を殺すような団休ですか。私は毎日精神病院に行っております。朝から一日中、夜も耳の中に『バカタレホーレン』の声が聞えて困っております。」
 率直に言わせてもらうなら、こういう被害者はゴマンといるし、著者のところにもずいぶん電話や手紙がきているが、私は残念ながら精神科医でもないし、また一人一人を治療するカウンセリングもできない。しかし、こういう一種の人間破壊をされた日本人を、どしどしつくりあげていきながら、何んら恥としない池田大作をはじめとする学会幹部の欺瞞性とインチキ性をば徹底的に叩かねばならない義務をいよいよ痛感している。
 他人に相談をもちかける段階なら、まだしも多少の心のゆとりがあるといえようが、完全に自分の周囲の状况がわからなくなり、自分だけの意志で行動するようになると、明らかに反社会性をそのまま露呈した汚染源となる可能性大なのである。そしてこれらの反社会的感覚が唯我独尊的信条によつて正当化され、自分は何をしても大聖人様が護ってくれるなどと信じ込むとアウトローの行動を平気で行なうことにもなり、やがて忌わしい刑事事件まで発生させることにもなるのだ。
 ----------(次回に、つづく)---------58-
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新・創価学会を斬る-10

2018-11-24 08:32:12 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道

       ----------(以下、本文)----------51
廃人同様にされた人々
 学会員のいる家庭はほとんどといってよいほど家庭不和になっているが、次の事例は個人から完全に人間性を奪った結果、一時は廃人同様にされてしまった人人の実態である。
 高校教師をしていた大町義夫さん(仮名・大阪府)はあまりにも真面目に信心したが、やはり高校教師としてのインテリ的疑問が常に頭をもちあげていた。そこからはげしいノイローゼ症状を引き起こし遂に現職から身を退くという悲慘な結果になった。彼は心機一転をはかろうと渡米したが、強度のノイローゼはすっかり彼の体内に入りこんでしまっていた。
 彼の回想は脈絡がないが、ちょうど酔っばらいか全体としては話の筋が通らなくても、ある部分、郞分を明確に記憶、指摘しているのによく似ている。彼は言う--

 「アメリカに行きサンフランシスコの南端のほうにいたんですが今度はむこうの学会員にやられました。あるアパートを月八十五ドル
で借りて住んでいました。下の階に熊本出身の七十一歳のおじいさんが住んでいて私に言うことには私が住み始めてからこのアパートの様子がおかしくなったとね。
 どんなかというと、売春婦のような女が四、五人いて、夜のニ畤、三時、四時頃までテレビやラジオをかけっぱなしにして、全く私を寝かせない。その上、客引きしてきては男とセックスをする。それが全部筒抜けに一部始終が聞こえるのです。そんなときは必ずあの池田の声がする。それいま行ってやってこいとかなんとか、全くえげつないことを言つて私をせきたてるんです。
 だいたいアメリカの学会員はヒッピー族のなかに多いんです。何処かちよっとした旅行なんかに出掛けると、そんな連中がまつわりついてきて、金を使うな、仕事をする必要はないなんて言う。人問誰しも雲や霞を食べて生きていられるわけないから……。結局、私にたかるのが目的だったんです。」

 大町さんより、もっとひどい症状の学生がいる。明治大学政治学科の学生で山口信夫さん(仮名)である。彼は義母が生家に来るようになってからおかしくなったらしい。その義母の関係者がいずれも学会員なのである。彼は、現在四六時中あまり目立たぬ学会・公明党員の小さな妨害に悩まされていると告白している。そのレポートは原稿用紙八枚にぎっしりと書かれているが、その要点だけを拾ってみる。

・下宿の大家がいずれも学会員なので、連日いやがらせに会い三回も下宿を変えざるをえなかった。
・彼の実家は北海道にあるので目下、上京中。
・書店、路上、喫茶店、映画館、電車のなかですぐ隣の人が学会、公明党の話をする。
・品川で催された民社党主催の藤原弘達の講演を聞きに行き、その著書を読み始めた頃から妨害が烈しくなった。
・通常行なわれる妨害は、チェッ、チェッという舌打ちや、たん、つばの連射である。
・「公明党に行け」「君はどういう理由で入信しないのか」とあらゆる人から言われる。
・義母は大きな仏壇もって来たし、『潮』や、学会の出版物、池田大作の著作物がたくさんある。実家の陶器店には学会員がやってきて長話をしてゆく。
・共産党やギリシャ正教会に相談に行く途中、後髪をひかれるような美人に誘惑めいたことをされる。
・警視庁防犯係や生活相談所に行っても「部屋に閉じこもってないで、外に出なさい」といわれるだけ。
・いまの下宿の大家が『公明新聞』をとっているし、千住東一帯に学会関係者が多い。
・都営アパートでバイトの配達中、エレべーター内で中年の婦人に『聖教新聞』をチラつかされ「こんなの読まない」と言われる。
・住んでいる地区の学会の責任者が足立署の前のパン屋だということがわかったので会おうとすると、いろいろな人が交通事故、ガス、火事に会うと演出したような脅泊をする。
・『続・斬る』を電車のなかで読んでいると、いつの間にか周りをかこみ、新聞をとり出して本が他の人に見えないようにする。
 
 たわいのないことのようだが、ウソではない。当人は結構、この種のいやがらせに悩んでいるのである。
 ----------(次回に、つづく)---------54-

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新・創価学会を斬る-9

2018-11-23 09:34:32 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道

       ----------(以下、本文)----------43
◆ 売春を強要された母子家庭
 乱れた男女関係が麻薬のようなものだといったが、学会では、女子部をそんな方向に導いている事例がある。
 柴田浩子さん(東京都)の場合がそれである。

 中学二年であった長男ともどもに学会員となり、学会活動をするよう強要される。長男は学会発行の書物を読んでも意昧が理解できず、悩みに悩んだあげく、四十一年、定時制高校も職場も捨て、北海道に逃避したりした。職場にいると必ず学会連絡の電話がしばしばくるため、三回もその後職場を変えた。
 長男が会社から帰宅すると、待ちかねたようにタ食も終わらぬうちに、折伏だの座談会にと、区役所勤務の上司が迎えに来る。帰りは夜の十一時過ぎ。食事も入浴をする時間もなく、疲れ果てて、翌日は会社を休まないと健康が保てない状態がつづくのであった。
 日曜日は早朝から家に、青年部、女子部、婦人部が替るがわる押しかけてくる。女世帯の気安さのためか、学会員の出入りがはげしい。
 貧しくて病んだ母親が愚かな心から入信した結果がこの有様であった。それでも皆、幸せになれるならと、朝タの五座、三座、学会発行の経本と題目をあげつづけた。

 幹部から長男は青年部、娘は女子部、母は婦人部の班長になるよう命令が下ったが、かたくなに断わりつづけた。班長になると毎月定った人数の折伏をやり、班長としての責務を果たさねばならず、その上選挙ともなれば、職場を投げ打つ覚悟が必要だといわれたからである。
 案の定、選挙になると“色仕掛け”で異性に働きかけ票を集めよという電話連絡が再三くる。そのことで母が幹部を詰問したところ、内密に娘を別居させてしまった。地区の婦人部に娘の住所を再三教えてくれるよう懇願しても、「住所は知っているが、学会を辞めようとする人に知らせることはできない。辞めるなら一人で辞めよ。子供たちまで辞めさせることは断じて許さぬ」という返事。
 その後、娘は学会員と自由結婚し、何事よりも御本尊、会長、組織が大事という狂言者になり、男児まで出産(三十八年)しながら、同じ学会員の女子に良人と子供を奪われいまや離婚されてしまった。

 学会の地区支部では、どうにも話にならないので、地元の警察署にすがった。警察の連絡に対しても婦人部長、女子部は知らぬ存ぜぬの一点張り。そこで顏見知りの大ブ口ック長でもある市会議員に頼も--(P.46欠)
 --をしており、他のひとりは勤めておった。その方たちは、御本尊をいただいたときは“歓喜”に燃えていたのです。

 そのひとりの人は、境邁はひじょうに悪かったが、その年の夏季講習会に七日間出たときは、まるで年も忘れたように、娘どうように歓喜にもえていたことを思い起こすのです。その後、三人のうちひとりだけが、常住御本尊様をお持ちして、どこかへ行ってしまい、行く先がわからなくなっていた。わたくしは、その常住様のことが常に気になり、心を悩ませていた。ところが、そのうち、鶴見のある人に折伏され、とつぜん本部に尋ねてきた。(中略)問題が常住御本尊様のことであるとの報告を受けたので、その人に会ってきいてみると、『常住御本尊様を拝んでいることが、主人からやかましいといわれ、御本尊様をお返ししようと思っていた』--というのである。

 『あなたはいま、打ち出の小槌を捨てようとしている。常住御本尊様みなさい。あなたはみすぼらしい生活をしているでしょう。(中略)いままた宝の御本尊様をどうしょうというのか、あなたもみぞに首をつつこんで死にたいのか』
 と、しかってやった。
 このとき、いっしょに信心した他のひとりは、現在一億という財産があるといわれている。また、もうひとりの人も、それぐらいの金は自由に使える状態にある。
 わたくしは、二十何年生きているかどうかわからぬが、二十年信心をつづけていった暁に、良かったと思う人と、みすぼらしいしい姿をつづける人が出よう。(中略)
 初代会長は、学会はモルもっとでなく、人間で実際に試験をしているのだから、たいしたものだといわれたが、信心をやめれば貧乏になるし、また反対に、信心したものは、功徳で一家は丈夫で、月一回ぐらいは温泉へ遊びに行ったり、映画を見たりできるようになり、楽楽とした信心になれる。
 それは、二十年後に起こる、ひとりひとりの生涯の問題なのであります。がっちりとした信心をしてください。」       〔『戸田城聖先生講演集上』二六八頁~二七一頁)

 講演でいっていることが実例といかに違いすぎるかの典型的ケースでもあろう。
 次にそういう実例を示してみょう。文字通りの人間破壊--「人間革命」ではないですぞ、それこそ人間そのものを破壞されたケースがこうもあるのだ!!

狂信母娘のなれの果て
 葉山生男さん(東京都)の妻は、入信以来、夫と別居生活をし、狂信的に信心をつづけている。学会員すらも妻への説得をあきらめ「葉山夫婦はとうてい救い難い」とサジを投げてしまった。知能指数が低いところへ、偏見をもったため、もう世の中の常識とはすっかり縁遠い人問になり、ただ毎日毎日御題目だけをあげている生活なのである。
 さらに不幸なのは、母とともに別居した娘で、これが教学部の指導員となり、学会活動以外には目もくれず、一家の不幸に輪をかけている始末である。それが選挙になると、別居中の父親のところへ来て、「お父さん、公明党に入れてくれ」と平気でいう。「いくら宗教の教学に強くても、政治家になれるものではない。竹入や矢野だって自民党の陣笠クラスにもかなわない。それ以下の者に投票するような幼稚さはもってない」と突っばねている。もう妻と娘は精神病院へ入院したも同じだとあきらめている氏の心中は察するに余りある。

◆ 両親を見殺す学会息子
 名古屋市に住む長瀬峯子さん老夫婦も、息子が学会員となって以来、学会活動に奔走、事業を省みなかったことから例産、そのため老夫婦は面倒を見てくれる人が誰もなく、非痛な老残の人生を送っている。息子は家に寄りつかないし、いまや自殺しかないと老夫婦で話し合うという悲惨さである。
 こういう悲惨な実例は数限りなくあるが、学会のほうはどういういい方をしているのだろう。まず次の文章をよんでもらいたい。

 「これから話すことは、少しむずかしいかもしれないが、哲学的な問題にふれることとする。
 体験発表で、病気がなおった例は多いが、貧乏から金持ちになった話しは少ない。この、病苦と貧乏の苦悩は、重大問題である。人間の病気には六つあるが、このうち、医者でなおるものが三つ、なおらぬものが三つ。宗教は医者の力でなおすことのできぬ病いを、根本からなおす力のあるものである。
 自分の知識でわりきれぬものを、わりきることのできるものを信心という。人間とは、なんでもわりきりたいものである。いまは宗教と科学との世界の闘争である。宗教は心を中心とした学問であり、科学は物を中心とした学問である。
 生命の問題、生活の問題は、科学ではどうすることもできない。東洋哲学は、三千年前からでき上がっている。病苦に悩まされているものが、なおりたいためには、御本尊様という機械をつかまなければならぬ。どのような精密な機械でも、使用しなければ役立たぬ。これは、生命哲学上のことであり、科学の分野とは少しく違う。動力は信心、折伏である。
 いかなる病気も、この信心によってなおすことができるのである。日本の国から不幸をなくしたいがために、折伏するのである。
 心に悩みのあるものも、ここに多く集まっているであろう。きちっと信じ、念じなさい。一年間の約束をします。断じて月一名の折伏をし、朝夕の五座三座の勤行を欠かさず、必ずすばらしい功德をうけるように。」        (『戸田城聖先生講演集上』一四七頁~一四八頁)

 といった具合なのである。イイ気なもので、まことにふざけたやり方といわざるをえない。
 ----------(次回に、つづく)---------51-

 

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新・創価学会を斬る-8

2018-11-22 07:20:27 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道

       ----------(以下、本文)----------38
色仕掛に負ける学会パン屋
「奥さん、今日はパンをどれくらい置くかね。」
 学会員のパン屋が注文を聞きにきた。
 この男は先妻と別れ、再婚している。現在の妻は学会関係で知り合った女子部員である。夫がこの男に、彼女を再び入信させるよう話をしてほしいと内密に頼んでいることもチャンとわかっていた。そこで彼女の頭に夫への対抗心と、“少しばかりいたずらをしてやろう”という考えが浮かんだ。
「あらご苦労さん。」
 と言いながら男の近くに歩み寄り、男の目をじっと見つめた。男の目は初め何事かというような疑いの光を浮かばせていたが、やがていつもとは少し違うなという動きに変わった。
 彼女は静かに足を運び、ビタッと男の身体に身を寄せると、そっと手持ちぶさたにしている男の手を握ると、ささやくように声を落とした。
「パン少し多く置いていったら。」
 男の顔がゆるみ、にやっとした表情になった。
「わかってるよ。」
 男は黙って手を握りかえした。
 こんなことが何回もつづいた後で、彼女は夫にハッキリこういった。
「今日もパン屋のあの人が来たから、私が手を握ってやったら、二十個も多く置いていったんですよ。それだけ儲かったネ。やっばり同じ信心者でもこういうことを平気でするんだね。」
 夫は不機嫌な顔つきで黙ってたち上がった。
 それからしばらくして、パン屋はあちこちでたてられる町の噂に、耐えかねたかのように町から立ち去ってしまった。

毎月書替える遺書
 夫が大石寺登山へ行った日、いちばん親しくしている叔父に来てもらった。
「叔父さんこれを預っておいて下さい。」
「なんだ遺言じゃあないか。どうしたんだ。ガンにでもなったのか。」
 いぶかしがる叔父に一部始終を話した。うすうす知っていた叔父は快よく承知してくれた。
 遺言の内容は、彼女が死んだら店は誰も後をつぐな。つげば必ず赤字になる。すぐに売り払うこと。土地は二人の子供と妹弟に、どこをどう割り当てるかを書き残す。その土地を処分して子供の教育費にあててもらいたいということである。
「お前も、苦労してここまでなったのだし、もう土台もできたことだから、少し自分の身体を考えてゆっくり暮らしたら…。」
 と叔父は忠告してくれた。
 しかし彼女は毅然として答えた。
「私は夫、いいえ学会と闘わねばならないのです。夫を正すことは、学会をなくすことだと気づいたのです。私の一生の間にできるかどうかわかりませんが、むこうが使命なら、こちらは宿命です。」
 遺書をそのつど書き直すということが、彼女を精神面で非常に落着かせた。死に直面した、そして死をすでにのんでしまった者の一種の悟りのようなものができ上った。こうなると自分にほれてこそこそ学会活動をし、金をくすねて寄付をつづけている夫の行動が何かアワレに感じられ始めてきた。そしていままで学会のために悩んできた時間が、それが毎日の大半であったことが、とても惜しかったように思えてならなかった。何故あのとき、別のことを勉強しなかったのか。それ以上に学会のために自分の唯一つしかない人生まで変えようとしたことがまるでバカげたことのように思えた。あの頃の自分が、いま考えると、まるでどこか他人であったことのように思えるのであった。
 薄暗い馬小屋から、日本晴れの戸外へ出て、青空をのびのびと仰いだ心境とは、こんなものではないかとも感じたのである。

嘘つき学会サヨウナラ
 そうだ学会へ名前を書いてあったままになっている。あれを返してもらおう。学会員が何百万人いるかしらないが、その中の一人として籍だけでも残っているのは面白くない。
 早速、横手の寺へ彼女は出掛けた。用件をいうと、寺の人は怒ったように、「あんたは一生の幸せを断わるんですか、棒にふるんですか。」
 と言った。そこで彼女は風呂敷を取り出してこう答えた。
「じゃあその一生の幸福とやらをいただいていきます。この風呂敷いっばいに。どこにあるのですか。」
 いとも真面目な顔をして……。困ったように考え込んでいた寺の人は、「一生の幸せを約束しておきながら、自分のほうから捨てることはないでしょうに-。」
 と答えた。
 寺からの帰り道、初めて、ここへ夫に連れられてやって来たときのことを想い浮かべて一人で笑いだしてしまった。
 あのとき、寺に近づいたところで、夫は彼女に釘をさすように言ったものだった。
「ほんとうの信心者でないと、お寺に入った途端に、腹が痛くなって転げ回るんだからな。」
 彼女は寺で拝むときにためしにと思ってぺロリと舌を出してみたが、なんでもなかった。
 彼女はいままた新たな計画を思いついている。それは自分のできるかぎりの金を出してもよいから、池田大作の私生活のすべてを調べてもらい、日本中の週刊誌に発表しょうということだという。凄まじいばかりの反学会執念というほかあるまい。

 ともかく夫の庫之助は、妻からも診断されているように典型的な狂信者である。池田大作がこの悲痛な読物を読めば、むしろしてやったりとホクソ笑むのかもしれない。狂信一家に育て当然こういう人間が生まれてきても何んの不思議もないわけである。私はともかくこの女主人公の一連の告白のなかに強固な意志をもって、学会と心の闘いを始めた人間の原型をみる思いがした。
 表現は稚拙かもしれないが、真実がこもっている。多くの学会員が一日も早く彼女のように目覚めて退転し、晴天の青空の下に出て来てもらいたいと心から願う気持になったものだ。
 このほかこも、全国から毎日のように不幸に泣く人々の声が寄せられているが、この不幸を脱するか否かの鍵は、まず自らの意志で脱会し、どんなイヤガラセにも負けず、頑張り抜く決意を固めることである。それには、いわゆる“御本尊”をふくめて非学会員と積極的に交際することも一つの方法である。インチキ教義、インチキ講話の類はいつさい、ドブ川へでもどこへでもさっさと捨て去ってしまうことである。
 ----------(次回に、つづく)---------43-

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新・創価学会を斬る-7

2018-11-21 07:42:10 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道

       ----------(以下、本文)----------28
生死の境から夫への憎悪
「山田太郎さんの公演会の切符ですが、買って下さい。」
「商売が忙しくて、とても行かれませんからいりません。」
「でも学会の命令なんですから、買って下さい」
「私には関係ありません。」
「あんたの旦那さんはかわいそうだね。あんたみたいな奥さんをもって。」
 数日後、この学会員とその仲間が、彼女の店の悪口を町中にいいふらしていると聞かされた。
「あんな店で物を買うと罰が当たる」というのであった。彼女は黙殺した。身を粉にして働く姿と店の繁昌ぶりをねたんで、町のある人たちは彼女を“金の亡者”と呼んでいたから、いまさら何を言われても痛くもかゆくもなかったからである。

 夜中にふと目を醒した彼女は自分の身体の異状さに気づいた。全身が火のように熱いのである。意識がはっきりするにつれ、頭が割れるように痛いのと、自分の足が何処にあるのかすらはっきりわからなかった。そのうちに呼吸がだんだん乱れ、息苦しくなってきた。起き上がれないし、声もうわずつて出ない。朝までそんな状態がくり返えされた。
 目覚めた夫は、そんな彼女を見て、「とうとう、バチが当たったな。」
 といったきり店のほうへでて行ってしまった。あいにくその日は待別な注文が入っていたのだった。こういう夫の態度はいつものことなのである。決して介抱などということはしない。彼女が入信していた頃は、一緒に拝めといって仏壇へ連れて行くのが関の山だったが、いまでは全く知らぬ顔の半兵衛である。
 しばらくして夫が戻ってきた。
「忙しくて間に合わぬ。早く手伝え。」
「苦しくて、とても。」
 と、あえぎあえぎ彼女はいう。

 やにわに夫の手が彼女の髪の毛をむんずと掴んだ。間髪を入れず寝床から引きずり出し、のけぞるように顔だけ仰向けにされた。突然の激しい動作で呼吸が一瞬止まる。同時に全身の力が一度にぬけ、ぐたっと崩れた。生気の消せた口元から糸を引くように赤い血が一筋あごから喉元を抜ける。もう完全に彼女の意識はない。
 頭髮をしっかり握りなおすと、夫はそのまま大股に歩き始めた。ずるずる、ずるずると上半身だけ無理に引き起こされた彼女の体を引きずって…。裾は乱れ、胸元は開かれ放題の失神状態にあった。しかし夫は一度も彼女を見ようともしなかった。死人を運んでいるのと同じだった。
 店の床の間までくると、どすんと投げ捨てるように手を放した。そして自分は後も見ずに店の仕事場ヘサンダルを突っかけて行った。
 しばらくの間、彼女は身動き一つしなかった。ドブ犬のように乱れた姿でうずくまつているだけだった。やがて冷ややかな床の感触を頬に感じ、わずかに意識を取り戻した。彼女にとっていま、自分が何をされたのか、はっきりはわからなかった。ただもうろうとした頭の中で、この人をこんなにさせるのは、あの憎い池田大作だ。人の弱みにつけこみ、馬鹿な人間を自分だけ都合のよいようにあやつる。人間の敵、一家の敵…。

 このときときのことを彼女は一生忘れられないといっている。もしあのとき、そばにビストルでもあったら、そして池田がいたら、夫を殺し池田を射ち殺したに違いないと殺意のあったことをはっきり明言している。
 この事件があって後、竹入が刺傷されたことをテレビで知り、赤飯でも炊こうかと考え、同時にビストルのことを再びはっきり想い出したとも話していた。

不幸は仕事で乗り切ろう
 この頃になってくると、町中でも学会員の家というのが誰にもはっきりわかるようになっていた。というのは、必ずといってよいほど、それらの家では喧嘩が絶えなかったからである。朝でも晩でも喧嘩をしていれば“ああまたやっている”と町の人たちから冷笑を浴びせられていた。
 彼女は少なくとも自分の家だけは、そんな目で見られたくない、特に商売をしているのだからなおさらのこと妙な評判がたっては困る。自分さえ耐え忍んでそれでことが済むならいっさいの犠牲になろう、と深く心に誓った。

 ではこのようなうっ憤を彼女はどうやって解消したのだろうか。すぺてを仕事に打ち込み、忘れよう忘れようと仕事に身を投じたのである。人は往々にして裏切るが、仕事は絶対に人を裏切らないという一種の真理なようなものを自然に体得したのもこの時期であったという。
 仕事だけでは、どうしても心の憂さが晴れないとき、夜遅くになって、いま思っていること、考えていることを文がまずかろうがなんでもかまわず書き綴る。誰に見せるためのものでもない。
 宛先のない手紙であるかもしれない。そして最後にはそれを破いて捨て去るのであった。
 ----------(次回に、つづく)---------39-

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