創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-8

2018-11-22 07:20:27 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道

       ----------(以下、本文)----------38
色仕掛に負ける学会パン屋
「奥さん、今日はパンをどれくらい置くかね。」
 学会員のパン屋が注文を聞きにきた。
 この男は先妻と別れ、再婚している。現在の妻は学会関係で知り合った女子部員である。夫がこの男に、彼女を再び入信させるよう話をしてほしいと内密に頼んでいることもチャンとわかっていた。そこで彼女の頭に夫への対抗心と、“少しばかりいたずらをしてやろう”という考えが浮かんだ。
「あらご苦労さん。」
 と言いながら男の近くに歩み寄り、男の目をじっと見つめた。男の目は初め何事かというような疑いの光を浮かばせていたが、やがていつもとは少し違うなという動きに変わった。
 彼女は静かに足を運び、ビタッと男の身体に身を寄せると、そっと手持ちぶさたにしている男の手を握ると、ささやくように声を落とした。
「パン少し多く置いていったら。」
 男の顔がゆるみ、にやっとした表情になった。
「わかってるよ。」
 男は黙って手を握りかえした。
 こんなことが何回もつづいた後で、彼女は夫にハッキリこういった。
「今日もパン屋のあの人が来たから、私が手を握ってやったら、二十個も多く置いていったんですよ。それだけ儲かったネ。やっばり同じ信心者でもこういうことを平気でするんだね。」
 夫は不機嫌な顔つきで黙ってたち上がった。
 それからしばらくして、パン屋はあちこちでたてられる町の噂に、耐えかねたかのように町から立ち去ってしまった。

毎月書替える遺書
 夫が大石寺登山へ行った日、いちばん親しくしている叔父に来てもらった。
「叔父さんこれを預っておいて下さい。」
「なんだ遺言じゃあないか。どうしたんだ。ガンにでもなったのか。」
 いぶかしがる叔父に一部始終を話した。うすうす知っていた叔父は快よく承知してくれた。
 遺言の内容は、彼女が死んだら店は誰も後をつぐな。つげば必ず赤字になる。すぐに売り払うこと。土地は二人の子供と妹弟に、どこをどう割り当てるかを書き残す。その土地を処分して子供の教育費にあててもらいたいということである。
「お前も、苦労してここまでなったのだし、もう土台もできたことだから、少し自分の身体を考えてゆっくり暮らしたら…。」
 と叔父は忠告してくれた。
 しかし彼女は毅然として答えた。
「私は夫、いいえ学会と闘わねばならないのです。夫を正すことは、学会をなくすことだと気づいたのです。私の一生の間にできるかどうかわかりませんが、むこうが使命なら、こちらは宿命です。」
 遺書をそのつど書き直すということが、彼女を精神面で非常に落着かせた。死に直面した、そして死をすでにのんでしまった者の一種の悟りのようなものができ上った。こうなると自分にほれてこそこそ学会活動をし、金をくすねて寄付をつづけている夫の行動が何かアワレに感じられ始めてきた。そしていままで学会のために悩んできた時間が、それが毎日の大半であったことが、とても惜しかったように思えてならなかった。何故あのとき、別のことを勉強しなかったのか。それ以上に学会のために自分の唯一つしかない人生まで変えようとしたことがまるでバカげたことのように思えた。あの頃の自分が、いま考えると、まるでどこか他人であったことのように思えるのであった。
 薄暗い馬小屋から、日本晴れの戸外へ出て、青空をのびのびと仰いだ心境とは、こんなものではないかとも感じたのである。

嘘つき学会サヨウナラ
 そうだ学会へ名前を書いてあったままになっている。あれを返してもらおう。学会員が何百万人いるかしらないが、その中の一人として籍だけでも残っているのは面白くない。
 早速、横手の寺へ彼女は出掛けた。用件をいうと、寺の人は怒ったように、「あんたは一生の幸せを断わるんですか、棒にふるんですか。」
 と言った。そこで彼女は風呂敷を取り出してこう答えた。
「じゃあその一生の幸福とやらをいただいていきます。この風呂敷いっばいに。どこにあるのですか。」
 いとも真面目な顔をして……。困ったように考え込んでいた寺の人は、「一生の幸せを約束しておきながら、自分のほうから捨てることはないでしょうに-。」
 と答えた。
 寺からの帰り道、初めて、ここへ夫に連れられてやって来たときのことを想い浮かべて一人で笑いだしてしまった。
 あのとき、寺に近づいたところで、夫は彼女に釘をさすように言ったものだった。
「ほんとうの信心者でないと、お寺に入った途端に、腹が痛くなって転げ回るんだからな。」
 彼女は寺で拝むときにためしにと思ってぺロリと舌を出してみたが、なんでもなかった。
 彼女はいままた新たな計画を思いついている。それは自分のできるかぎりの金を出してもよいから、池田大作の私生活のすべてを調べてもらい、日本中の週刊誌に発表しょうということだという。凄まじいばかりの反学会執念というほかあるまい。

 ともかく夫の庫之助は、妻からも診断されているように典型的な狂信者である。池田大作がこの悲痛な読物を読めば、むしろしてやったりとホクソ笑むのかもしれない。狂信一家に育て当然こういう人間が生まれてきても何んの不思議もないわけである。私はともかくこの女主人公の一連の告白のなかに強固な意志をもって、学会と心の闘いを始めた人間の原型をみる思いがした。
 表現は稚拙かもしれないが、真実がこもっている。多くの学会員が一日も早く彼女のように目覚めて退転し、晴天の青空の下に出て来てもらいたいと心から願う気持になったものだ。
 このほかこも、全国から毎日のように不幸に泣く人々の声が寄せられているが、この不幸を脱するか否かの鍵は、まず自らの意志で脱会し、どんなイヤガラセにも負けず、頑張り抜く決意を固めることである。それには、いわゆる“御本尊”をふくめて非学会員と積極的に交際することも一つの方法である。インチキ教義、インチキ講話の類はいつさい、ドブ川へでもどこへでもさっさと捨て去ってしまうことである。
 ----------(次回に、つづく)---------43-

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