創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-44

2018-11-06 08:17:22 | Weblog

  <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

    ------(P.218)---(以下、本文)-------
おそまつ・低劣な池田の泣きごと
 例えば私に“母子相姦”とまで痛烈にたたかれた“政教混淆”の罪を反省した姿勢として、今までもたれっ放しであった子供(公明党)を、もう一人前になったから独りで歩きなさいと、親(創価学会)が心を鬼にして突き放すのだといった表現、これは母子相姦に近い不倫の関係だったことを、かえつて自ら認めた形になっているのも皮肉なことである。
 いうなれば“偽装別居”の体裁をつくったというだけのことで、昼間は別の家に住んでいる形にして、夜はコッソリ一緒に寝ていたって、わからなければいいといったふてぶてしい態度である。だから「公明党解散」を主張している私にとっては、まったくのごまかしとしかいいようのないマヤカン分離方策の中身なのである。

 そもそも公明党をつくって衆議院に進出させ、“天下の権”をねらうキッカケをつくったのは、当の池田会長ではなかったのか。“母子相姦”の罪の大半は、母親である創価学会の担うべきもので、幼稚な息子に過ぎない公明党の責任はむしろ軽いとみている。母から突き放されし母親に捨てられて、路頭に泣き叫ぶ孤児の姿にも似ているといえるだろう。少なくとも、涙をいっぱい浮かべてクダクダしくいろいろなことを表明していた竹入委員長に、私はそういう捨子のやるせないまでの悲しみの表情を見たといってもよい。
 そういう意味では「政教分離」といっても具体的にはまことにアイマイなものである。心情的にはかばっているようで、しかも実質的には公明党を突き放したという感じなのだ。
 しかも演説のほか、さまざまなマスコミの取材に応じた発言のなかで私は過去三年間、公明党には何らの指示もしていないなど、真赤な嘘を平気でいっているのだから、この男まことにズウズウしいの一語につきる。
 基本的にはワンマン的独裁者であり、同時に一種のドンキホーテでもあった池田会長は、苦境に立つと「自殺寸前まで追いつめられた」として、ハムレット的人間苦悩を訴えたりもした。しかし、その自殺寸前の心境なるものも、率直にいって少しもピンとはこないものなのだ。ただただ世間をさわがしたのでひとりで苦しいとこぼしているだけなのである。

 池田会長が「自殺寸前まで追いつめられた」というなら、むしろ私は「他殺寸前まで追いつめられた」といいかえしたい気持である。「弘達死すとも、自由は死せず」などと大ミエをきったようにいわれたが、事実テロでも起こるのではないかという、ものすごい脅迫とイヤがらせに、自分だけでなく、家族まで巻き込まれた私は、いったいあの事態においてどういえばよいのだろう。私はそういうなかでも、いっさい泣き言などはいわなかったし、申し出のあったボディガードまでことわったくらいである。
 自分のことなどどうでもよろしい。強引な折伏をふくむ脅迫やイヤがらせのために、本当に狂人になったり、自殺に追いこまれてしまった、ものいえぬ大衆の悲しみを、いったい池田会長はどれほど知っているのであろう。自殺したくなったなどと外に向かっていう人間に、本当に自殺する勇気は稀だともいわれている。大作という男、ともかくなにか一本大切なものが抜けている人間としか評価のしようがないということであろう。
  -----(220P)----つづく--

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