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創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

特集.政教一致-⑥

2018-11-04 21:19:35 | Weblog

                    (尚、定期のブログ登載は、この前回に登載しています)        
  <創価学会・公明党の‥‥>

政教一致が日本を亡ぼす
  「自公政権-3-2


 音声入りの動画、6回目です。私のオリジナル?‥‥です。

  来年は、全国の統一地方選挙、参議院選挙‥‥面白いですね。

 池田創価(=公明党)は、年末の寄付金集めと選挙の集票活動が目的です。
 池田の脳障害から8年が経過しています。Xデーは近いと思います。 
 参考になることコメント下されば幸いです。
 次回の参考とします。1/週を予定しています。自公政権 3 2

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続・創価学会を斬る-42

2018-11-04 07:54:43 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

    ------(P.206)---(以下、本文)-------
「会長」を防衛する円形組織
 このように会員や学会の周囲から批判や疑問がドンドンでているにかかわらず、創価学会・公明党が容易に崩れない理由の一つは、学会が実に巧妙な組織をもっているからである。それは円形組織とよばれている。
 従来の学会組織をみると、戸田時代にまずタテ線といわれる組織が形成されたことが指摘できる。タテ線とは、折伏したものと、折伏されたものとがタテ糸のようにつながってゆく組織である。親が子を生み、子が孫を生み、孫がヒ孫を生み、それがタテにつながってゆくわけである。タテ線における一番末端は三ないし一〇世帯という単位でできている組からなり、組がいくつか集まって班になり班がさらに集まって地区になり、その上に支部、支部の上に総支部、総支部の上に本部、本部の上に総本部といった組織となっており、最終的には会長に結びつくという仕組みにたっている。
 会長を頂点にして、折伏、被折伏の関係によって貫かれた末ひろがりのビラミッド型の組織系列がこれによって形成されているわけである。いわば信仰をタテ糸として伸びていった組織ともいうことができる。
 これに対してヨコ線といわれる組織をつくったのは現在の池田会長である。このヨコ線は一番末端にグループがあり、その上にブロック、これから順次上に大ブロック、総ブロック、総合ブロック、ブロック総合本部となってゆき、会長のところにまでいたるわけである。これは地域的な結びびつきによる組織といえる。ある自治会なりなり、要するに地域的な関係によってつくられた組織である。このヨコ線が選挙運動などのさい、とくに票集めのために重要な役割を果たしてきたことはいうまでもない。
 ただし、タテ線が信仰で結ばれている関係で、どちらかといえば強固であるのに反し、ヨコ線はただ同じ地域に住んでいるというだけで、本来の結びつきは弱いものがある。ことに創価学会は大都市を基盤としているわけだが、大都市では社会的連帯感が薄く、それが一つの悩みのタネであった。 そこで池田は、日本の古来からの家族主義の擬制をこのブロック主義に取り入れることにした。

 各ブロックには大B長(Bというのはブロックの略)、大B担当員、男子部大B長、女子部大B長と、四人の責任者がいる。そして大B長は父親、大B担当員は母親、男子部大B長は長男、女子部大B長は長女というようになぞらえられ、ここに一つの擬制家族関係ができるわけである。まずは旧帝国軍隊の“小隊長はお父さん、班長さんはお母さん”というのと同じである。また明治以降、日本の国家は為政者によって一つの家族になぞらえられたが、そうしたものを学会はこのブロック組織に持ち込んで、お互いの結びつきとさせようとしたわけである。そして創価学会はそれ自体、全体をちょうど家族主義的国家観のように家族主義的創価学会観を取入れ、会長は父親であり、幹部は兄や姉であるといった擬制がもちこまれ、それを団結の支えとしたわけである。
 ところが最近に至って組織がガタガタし始めたため、タテ線とヨコ線の密度を細かくしてスキのないようにし、一つの円形組織をつくろうという試みが行なわれている。円は一つのタトエともいえるが、円は外部からモノが当たった時には一番はねかえしやすい、だからみんなでスクラムをくんで輪のようにし、会長と組織を守ろうというものである。その円心には会長が坐るようにし、外部からの圧力、批判、攻撃に対して抵抗力を強めようというわけである。これは言論出版抑圧問題などで、自から犯した罪とはいいながら、その批判、攻撃に耐えきれず、そこから円形組織を築こうという発想が生まれてきたとみてさしつかえあるまい。
 さらにスタッフ・アンド・ラインと称して、壮年部、婦人部、青年部がおかれており、青年部はさらに男子部、女子部、学生部、女子学生部、高等部、女子高等部、中等部、女子中等部、少年部、少女部に分かれている。青年部こそ次代の学会を担うものとして池田会長が大いに期待するところのものである。つまり池田会長は青年部を核とした組織の再編に着手し、創価学会の安泰と発展を考えたワケである。 そういう意味で青年部は池田のユーゲントそのものなのである。

 ともあれこうしたがんじがらめの組織は、外部への抵抗と内部への抑圧の機能を同時に果たすものである。円い輪は外の力をはねかえすのに都合がよいが、同時に内部を締めつけ、この輪からぬけだすのは容易でないような仕組みといえる。それだからこそ、学会に疑いをもっても抜けるに抜けられないということも起こる。こうした組織にしばられ、信者獲得を怠ると責められ、いやでもおうでも信者獲得に狂奔しなければならないことにもなる。また、入信した際に一切のことを告白させられているから、抜けたくとも自己の弱点をすでに知られていて、そこを責めたてられたりする。さらに「罰が当たる」とおびやかされれば、なお一層のこと学会からは抜けられないことにもなるわけである。だからある意味では、街の暴力団組織と何ら変わるところがないといってもいい。
 池田会長は自ら称するように、この組織を如何に動かすかということに意を用いており、自ら演出家だと称している。『創価学会を斬る』でも記したように、彼の戦術の基本は、吉川英治が著わした『三国志』にあり、この『三国志』は今なお学会の戦術的バイブルとなっている。このことに関して浅野秀満は次のようなエピソードを伝えている。

 「あるとき、池田のこんな話を聞いたことがある。
 有名政治家が池田を訪ねてきていった。『学会も六百万を越える組織になったそうだが、これからどうするんだい』
 池田は、彼が学会の将来を読もうとしていることに気づくと、
 『まあ、組織もこのへんで頭打ちでしょう。もっとやりたくても、人材がそうは整いませんよ。国会議員だってこのへんがいいところです』『そうだなあ』
 彼は安心したようにうなずくと、帰っていった。
 このとき、池田は『三国志』の中の、曹操と玄德のくだりを思い出していたという。
 二人がはじめて会談したとき雷が鳴ると、玄徳が『ああ、こわい』と机の下にもぐりこんだ。それをみた曹操は、玄徳を臆病者と笑って手をゆるめたという。あとで、玄徳は『あのとき、豪傑の曹操と張り合っていたら、どんな攻擎をしかけられるかわからないからね』と孔明につぶやいた。
 池田も、公明党が参議院から衆議院へと政界進出をねらっているとき、有力政治家に警戒されたら大変なこととみて、『もう人材はいない』と思わせたというのである。
 このとき、池田の机のひき出しには、衆院選挙の候補者名簿が入っていて、その中から四十二年には三十二人の候補を立て、二十五人が当選する大勝利をおさめている。この選挙で公明党は政界に不動の地位を築いたが、あのとき有力政治家にマークされていたら、いかに学会でもそう簡単にはいかなかっただろう。」(浅野・既掲書一一三~四ページ)

 『三国志』で吉川英治が著わそうとした真実よりも、そこにでてくるさまざまの戦術が悪用、乱用されているのである。言論出版抑圧問題に関して、池田がいわゆる“お詫び”をしたのもこの『三国志』の浅知恵に学ぶところが多かったに違いない。まあともかく“お詫び”の体裁だけをととのえ、言論出版の抑圧はやりません、公明党と創価学会は切り離します、国立戒壇は建立はしません、日蓮正宗の国教化など毛頭考えておりません、というようなことを言って国民や他の政党を安心させ、そうして、机の下であるいは裏で、新たな攻撃の牙をといでいるというのが、彼が『三国志』から学んだ戦術なのである。

 組織の存続という点でも、戸田や池田はやはり『三国志』から学んでおり、人材がつづかなければ将来の発展はないということで、戸田、池田ともに、次の学会の中心人物の育成を常に心掛けており、そうして育てた側近を要に、タテ線とヨコ線を細かく組み合わせた円形組織によって、学会からの脱落を防ぎ、かつまたご利益・功徳ないしは罰といった論法で新しい信者を獲得していこうというわけである。
 さらに内部を固めるために、古くから座談会が行なわれていることは周知のところである。
 団結を固めるうえにも、またお互いに功德を披露しあううえにも、座談会は非常に役立ち、また脱落を防ぐためにも効果を発揮している。学会内部では座談会をいちばん重要視しているといってもよい。それで現在では、第一月曜と第三月曜はいつさい本部の行事をなくして、大ブロック協議会という大座談会を必ず開くことにしている。これらはすべて学会組織の発展と防衛のためにとられた措置であることはいまさらいうまでもない。
  -----(212P)----つづく--

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