創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-39

2018-11-01 08:05:39 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

政教不分離への証言-②
    ------(P.189)---(以下、本文)-------
 四十四年の幹部大会では、池田会長から「現在では電燈があるのでローソクを廃し、造花のンキミを供えてはいかがか」という提案がなされた。信者たちはいつせいに講堂が破れんばかりの拍手で賛意を表したので、これを採択するということになった。ところが学会員の投書によると、ローソクにかえて電燈で勤行している信者はいないばかりか、シキミの葉も相変わらず使われているという。それが会長の提案だと、やりたくないことでも賛戎となる。「こういう心理状態の信者が、国会や地方の議員であり、やがてそうなる幹部信者なのですから、とても民主的な政治など望めません。会長一人のためのオべッカ議員、オベッ力信者ということです」と評しているのも当然であろう。
 ともかく、四十五年五月の時点までの池田会長のワンマン的専横ぶりは相当のものだったようだ。彼の演説中に婦人の幹部が居眠りをしたといってはおこりだし、要職から引きずりおろしたこともあったという。これに対して、誰も抗議も抵抗もするものがないばかりか、敢然といさめる幹部もいなかったというのだ。
 事実、池田会長は「仏の生まれかわり」というように末端信者には話されており、創価学会信者全部を束にしても絶対服従の“羊の群れ”という意味しか、もっていなかったということである。

 だから、今ここで池田会長が、いかに外面をよくして自由の尊重を訴えても、内にいる学会員には少しもピンとはこない。ある学会員はハッキリこういってきている。「いま更、政教分離と称して、公明党議員を学会役職から抜いてみせたところで、彼等が日蓮正宗の信者であることには変りはありません。ということは、彼等が池田会長の忠実なロボットとして、今後も国民の眼を盗んでは相通じなくていかなければ双方とも立ち行かないからです」。
 まさに“母子相姦”関係の“偽装別居”工作を内側から証言してくれているというところである。

 ともかく学会内部で、ご本尊と池田会長は絶対である。これに対する批判はいっさい許されない。それを藤原行正都議は、部外者の私の著述にまで要求したくらいである。だから池田が「神格化などとんでもない、あったら化物です」などというと、学会員は精神的拠り所の原点を失って、まさにとまどってしまったということにもなるのだ。
 学会員の会合、個人指導などにおいても「会長先生の話をしよう」というのが、最重要指導要項の合言葉になっているのだ。「生き仏」のありがたい功徳だけでなく、彼の病気までが、学会の信心が足りないためという風に説かれる。池田講演のあった五月三日前後に、自分の病気のことや自殺寸前の人間的苦悩などを、ヌケヌケとしゃべった池田会長の言い方は、当然のこととして、信者向けにちゃんと計算されていたことになる。
 ともかく会長が橋の上で手を叩くと、池の中から一メートルもある鯉がとび上がったとか、冬の寒い日でも孔雀が会長の前では喜んで羽をいっばいにひろげたとか、天皇の「御稜威」を思わせる「神話」ならぬ「仏話」もたくさんできているという。こんなバカバ力しい話でもけっこう信じ、言論圧迫なんてなんのその、「今に藤原弘達も、会長のところへお詫びにやってくる」などと、会合では平気でしゃべられていたわけである。これをハイハイと信じて疑わない迷信の徒も、全会員の半数ぐらいはいたことであろう。

 もっとも生き仏会長のお見通しも、狂うことが少なくない。四十四年の二月に「衆議院の四月解散まちがいなし」と池田が述べたため選挙戦にそなえてのブ口ック体制が指令されたが、これがまんまとはずれてしまって、幹部たちはその言訳に四苦八苦したといわれている。
「一人の会長のお見通しや判断で命令し、縦線にしたり、ブロック体制にしたりして、誤った場合は、学会内部ならまだしも、これが一国の政治だったら、大変なことになります。幹部の誰からも異議の一つも生き仏会長だからいえないで、民主主義もへチマもありません。そういう連中が国会議員なのですから、国民が心配するのも当然のことです。しかしそういう傾向に対して、常識的な批判でもしたら、学会内では幹部にはなれないのです。どんな不合理なことでもハイハイと従わないと、幹部の役職を追われるか、自分から脱会するほかなく、飯の食い上げになってしまうのです」。まことに驚くベき内部事情なのである。

 だから会長が「側近の良し悪しは、中心となるリーダーの反映ですから、私の指導そのものに枇判を加えるのが先決です」などと仰せられても、そんなことはとても本心とは思えない。会長への批判そのものが、学会内ではタブーとなっているのだ。
 言論出叛問題の生じた折り、内部からも「親である会長が知らないうちに子である公明党の幹部などがへマをやったのだから、会長は悪びれないで藤原先生に謝罪するのが大物のとるべき態度ではないか」といった声もけっこうでていたというが、こういう声を会長に取次ぐ幹部は一人もいなかったというのが事実のようである。
 そういう事情が、言論問題についての公明党の幹部のバカバカしいまでに屈折した態度を生む心理的背景になっていたとみてよいのである。
 事件が起きたころは、会合や個人指導での幹部の「藤原弘達攻撃」はエスカレートし、口をそろえて「藤原弘達は三障四魔」とか「第六天の魔王だから断乎粉砕せよ」とまで述べていたという。他から注意や批判を受けた折には、それをもって「三障四魔」のおこりというように解釈してしまうのが学会員の習い性なのである。そうした実質的な「批判拒否」体質が、何時のまにか、そのまま本性になってしまうのである。そうした傾向だけは末端信者からトップの会長までほぼ一貫しているといえる。

 投書してきた学会員自身も、これは「こまった体質だ」と認めているが、どうにもならないらしい。元来が溺れるものワラでもつかみたい心理で折伏入信した弱い精神の人々である。不合理に気づいて脱会したくとも、日蓮の御書からの引用で、“罰論”を一発かまされると、ふるえあがってそのままグスグスと萎縮してしまうということである。
 その“罰論”'なるもの、ヤクザがへマをやって小指を三分の一ぐらいつめるのならともかくとして、生命に響く事例や体験を“御書”にあてはめ、こってりとやられるのだから、まずは躊躇しないほうがおかしいくらいである。ある信者は、その心理が選挙戦に最大限に利用されていた内幕を次のように知らせてきた。
  -----(193P)----つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする