秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

京友禅と気球。

2009年03月16日 07時20分26秒 | 京都非観光迷所案内
「島津製作所 創業記念資料館」中京区木屋町二条 (ホテルフジタの南)

今回この資料館を訪ねてみようと思ったのは日本初の軽気球を製作の際に使用され
た材料に気を惹かれまして。気球を製作したのは島津源蔵(島津製作所創業者)。

京都府学務課長から軽気球製作の依頼を受けた源蔵さんに手渡された資料
は外国雑誌の一枚の絵のみ。製作期間は数ヶ月。

なんと京都府は気球拝観料を前売りしていた、というのです。

それだけ源蔵氏に寄せられた信頼は絶大だっのでしょうが、
今では考えられない事ですョ。

もし完成しなかったら府の威信はガタ落ち、拝観料詐欺ですから。

しかしこの源蔵氏、なんでも依頼を受けたら、出来ないって返事はしなかったそうです。

そのパイオニア精神がノーベル賞の田中さんへ引き続がれていったのかも知れませんね。

原理は理解していた源蔵氏、頭を悩ましたのはその資材。

試行錯誤の末、羽二重にダンマー(樹脂)ゴムをエゴマで溶かしたものを使用、
見事明治十年(1877)仙洞御所に日本初の軽気球が浮かんだのでありました。

その羽二重もダンマーも京友禅に必要不可欠な品。

ダンマーはおそらく私たちが「ダンマル」と呼んでいる物だと思われます。

これは「ダンマル染め」とも呼びますが、簡単にいえば
樹脂の油分で染料をはじく技法と思ってもらえればいいと思います。

友禅の技法、材料がそうして当時のハイテクに使用されていた、という資料を読んで、
今の京友禅に残された道の一方向にも見えた気がしたのですが…。

具体的どうするのよ?って聞かれても困るけど…。

島津氏の父親の仕事は仏具製作の職人。

そういえばマネキンを最初に製作したのも島津製作所。

仏具や京人形、その他の職人たちの築いてきた下地があって、
今日の島津製作所があると言っても良いかも知れません。

今回見学した館には残念ながら気球の資料は見かけませんでしたが、入館料300円を支払って
館内に一歩踏み込んで、アレッ、何だか懐かしいぞ、デジャブーか?っと感じたのは、

そうだ、小学校の理科室の雰囲気だこれは。ビーカーやフラスコなどの実験道具や人体模型。

初めて科学と遭遇した妖しくも胸ときめかしたあの瞬間。

写真は国内製作のレントゲン機。レントゲン博士がX線を発見して10ヶ月後に
源蔵氏(二代目)は日本でレントゲン機を完成させているんですよね。

レントゲン機にダイアナとか女性の名が付けられているのも、微笑ましい。

因みにGSバッテリーのGSは源蔵島津のイニシャルです。

景気低迷の今日、明治の精神、いや、それ以前に日本人に引き継がれた物作りに
対する姿勢こそ、今見直される時ではないでしょうか。

なんてエラソな事言える立場じゃないけど、あえて本日は述べさせていただきます、なんてね。

http://www.shimadzu.co.jp/forest/jindex.html