秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

八坂神社の「しるべ石」

2009年03月17日 18時36分26秒 | 京都非観光迷所案内
大勢の観光客で賑う祇園の八坂神社ですが、境内の片隅に立つこの石碑に注意を
むける人はほとんどいません。

でもかつてはこの石碑に貼られた張り紙を、食い入るように見つめる親たちの姿がありました。

石碑は「しるべ石」。※迷子になったわが子の行方を捜し求める家族は、この石碑に
張り紙をして情報提供を求めていたそうです。

他にも誓願寺、北野天満宮にも同様の石碑があり、天満宮の石碑には奇縁氷人石と
記されていて、そこから「月下氷水石」とも呼ばれています。

「月下氷水」といえば男女の縁を思い浮かべますが、親子の縁にも使われていたんですね。

迷子といってもいろんなパターンがあったと思えますが、「子さらい」も当時は
横行していたようで、京都奉行所からも何度か注意を促すお達しがありました。

営利誘拐より、労働力として(廓も含め)の「かどわかし」が多かったのでしょうね。

私たちの子供時分はさらわれた子はサーカスに売り飛ばされて、酢を毎日飲まされ
て、過酷な練習を強いられる、なんて話がまだ残ってましたけど・・・・。

さらわれた子が親もとに帰ることは恐らくなかったでしょう。「しるべ石」の張り紙
に一縷の望みをかけ、それでもダメなときは、天狗にさらわれた、と思って諦める
くらいしかなかったのでしょうね。

石川県のある地方では子供が行方不明になったら「○○太郎鯖食った!!」と呼ばわった
そうです。天狗は鯖の匂いが嫌いだから、家に帰してくれると信じられていました。

相変わらず私の話もあちこち迷子状態ですいません・・・・。

※黒川道祐の「遠碧軒記」には迷子は新町姉小路見南の捨て子地蔵から探し始めた、
と記されています。