秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

京都非観光案内61・森蘭丸の墓。

2009年01月24日 06時08分38秒 | 京都非観光迷所案内
昨日の「幸神社」から寺町通りを少し北へ行くと右手に大きな寺の伽藍がみえてきます。

この寺が「阿弥陀寺」です。もとは近江国坂本にあり、その後今出川大宮東に
移転。この地に移されたのは天正15(1587)年です。

この寺に織田信長、信忠親子の墓があるのは、恥ずかしながら知らなかった。
(別に恥ずかしくないか。他にも本能寺の信長廟や大徳寺などにもあります。)

子供時分に「戦国武将伝」を読んで、信長に対する悪印象がずっと残ってます。

比叡山焼き討ちの徹底した残虐性や、人質となっていた光秀の母親を見殺しに
した、というのは戦略的な部分もあるかも知れません。

しかし、自分の留守中に家臣たちが勝手に外出して遊興した、といってその者
たちを処刑した、という話を読んで、なんちゅうことすんねん、と子供心に
憤りを感じましたね。

もしかしたら、この本を書いた人は信長嫌いだったかも知れませんが、以来、
映画やTVでどんなに素晴しい英雄として扱われても、好きにはなれない。

また話が横道にそれました。(毎度のことです)

開創は清玉上人。本能寺の変の翌日に現場へ赴き、信長の遺骸を引き取り、
その後百有余あった家臣たちも阿弥陀寺に埋葬したといわれます。

墓自体はアレ?と思うくらい小さなものです。その後ろを守るように家臣たち
の墓標。左手の三っつ並んでいるのが森蘭丸、坊丸、力丸の墓です。

他の信長の墓は上記以外は妙心寺、建仁寺、大雲院にあるそうですが、こちら
は観光スポットから外れているため、訪れる人は少ないかも知れませんね。

そのぶん、静かに信長の遺功を忍べるかも。え?嫌いじゃないのか?って?
いや、死ねば皆、仏です。