HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

拒絶と切断

2020年05月20日 | 結婚生活

三人の子育てというのは、大変だった。
甘かった(苦笑)
いくら、手のかからないタイプの子供がいたとはいえ
常に子供たち一人一人に神経を向けておかねばならないし
予定が通りに進むことなんて、絶対にあり得ないし。

そんな日常の中で、臨機応変にしなければ、家庭なんて回していけない。
朝起きてから、家事・子供・昼食づくり・昼食・昼寝(寝る子ならなおいい)
夕飯のメニューを考え、買い出しに行き
(当時はネットスーパーはほとんどなく、また利用すると怠け者扱いをされた)
夕飯を作り、食べ、お風呂に入れ、寝させる、の繰り返し。

子育てに関しては、夫は無頓着だったので
外面的に自分の評価にかかわることには煩かった
ワタシのペースで出来ることもあったのだけど、
自分の作品としての子供・家族像に関しては、一切の妥協を許さなかった。

そのわかりやすいものが、実祖母からの洋服プレゼントだ。※お洒落さん。参照

「自分の子供が」「対外的な指標となる」「恰好や学校」というものには
とにかく神経質で、二言目には
「ちゃんと躾してるのか!僕が笑われる」だった。

・・・自分は一切、子育てをしなかったのにね(苦笑)


当時、夫の古くからの友人(独身)が良く遊びに来ていて
熊のように大きく温かい人だったので、子供たちもよく懐いていた。
子供の話もちゃんと聞くし、子供の好きそうなものを持ってきて
よく相手をしてくれていたものだ。

そりゃあ、子供たちは夫の友人のことが大好きだった。
変に気を遣うことなく、思いっきり遊んでくれる人だったから。
それについて、夫は

「あいつによく懐いてるな。ま、あいつも中身子供だし(笑)」
と言っていた。
・・・苦し紛れの言葉かもしれなかったけど。

そんな子供たちを見ていても、自分は子供と遊ぼうとはしなかった。
「どうやって遊べばいいか、わからないから」という理由で。

話を戻すと
子供たちと家の中や、子育てという世界の中にいると
本当に社会のことから寸断される。
テレビを見る暇も、情報を仕入れる時間もないからだ。
それくらい、子供たちから目が離せない。

人間として息が詰まる時間を過ごしていると
どこかで、きっかけとしての息抜きをしたくなる。

夕方、なぜかしら子供たちがぐずり始める。
そんな毎日で、週に2回ほど、夫の帰る時間に合わせて
子供たちと一緒に、散歩に出てたりしていたのだ。
(普通に散歩に出ても良かったのだけど、夫の帰宅時に誰もいなかったら
 また一家の主の帰宅の時に云々と責められるので、いけなかった)

夫の姿を見つけて、手を振る子供たち。
「おかえり~」と喜ぶ、子供たち。

そんな日が何度かあったある日、家に着いた夫が言った。

「ねえ、もう子供を連れて迎えに来ないで。知ってる人が見たら
 《あの人三人も子供がいるんだ》って思われるから」


言い返す言葉も、見つからなかった。

ああ、この人は自分が他人にどう思われるか勝手に相手の気持ちになって
自分を判断して、そして、目の前にある生きた人間と宝物を、蔑ろにする人間なんだ。
ヒトの形をしている、なにものなんだろう・・・。

数日後、夕方になって子供たちがワタシに言った。

「ママ、パパを迎えに行かないの?」

『そうだね~、ご飯を作らないといけないから、行けないかな』

そう誤魔化すしかなかった。
せっかくの、子供たちからのつながりを、夫は再び、切った。

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