ぼやき、ぼやき、ぼやき(^^;)

元助監督で映画キャスティングマンの

「遠い崖6 大政奉還」 アーネスト・サトウ日記抄

2011年03月16日 | こらむ
「遠い崖6 大政奉還」 アーネスト・サトウ日記抄 

もう夢中で読んでしまいました。この時、フランスは幕府側、イギリスは中立を保ちながら、薩長寄りの立場で対応していたために、フランス公使のロッシュとイギリスのパークスがかなり対立していた事がわかります。

鳥羽伏見の戦いで、幕府側が負けた後、徳川慶喜は京を出て大阪に逃げました。その時、サトーが目撃した様子を書き写すだけで、当時の様子が生き生きと伝わってきます。
「あたりが静かになった。騎馬の一隊が近づいてきて、日本人達はみなひざまづいた。一橋慶喜と、彼に従う人々だった。我々は、この転落した偉人に脱帽した。彼は黒い頭巾で顔をつつみ、軍帽をかぶっていた。その顔はやつれていて、悲しげに見えた。これに反して、伊賀守と豊前守は、われわれの挨拶に気がつき、快活に会釈を返した。会津侯と桑名侯もこの一隊の中にいた。その後にまた「遊撃隊」がつづき、そしてその行列のしんがりをつとめたのはさらに多くの伝習隊であった。最後の部隊を見送ってから、今度は城に入るところを見ようと、その方向に駈けだした」

神戸事件で、外国人に発砲を命じた滝善三郎の「切腹」の様子は、サトーが立ち会っていて、その様子は克明に記録していて、それは現在に伝わっている「切腹」とまさしく同じで、悲しい様子でした。

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