ぼやき、ぼやき、ぼやき(^^;)

元助監督で映画キャスティングマンの

映画「アウトレイジ」撮影日誌第5節

2010年09月05日 | 撮影日誌
2009年10月18日(日)
いよいよ最終節の撮影が始まる。午前8時30分新宿西口スバルビル前出発。ラーメン屋での撮影。午前中は表での撮影。柄本時生クンの出番がすべて終了。昼食を挟んで、ラーメン屋の中野撮影。店主の指を飛ばすシーンの撮影。もう見ていて痛そう!!終了後、阿部役の森永クンのすべてのシーンの撮影が終了する。次々と終わって行く。

2009年10月19日(月)
朝6時15分出発で、いよいよ最後の山場の、山王会別荘の撮影になる。これが最後のエピソードの撮影で、大ドンデン返しになる。順調に撮影は終了し、三浦友和・小日向文世さんが終了。すてきな笑顔で帰って行った。

2009年10月20日(火)
弾着などの素材撮りの一日。出演者なし。

2009年10月21日(水)
10時45分、新宿出発。グナバン大使のマンションの撮影。グナバン大使が風呂に入ろうとすると、風呂桶に巨大な蛇が入っている設定。巨大な蛇が準備される。スタッフから、「でかいーい」と歓声があがる。撮影終了後、グナバン大使役のハーシェルさん、加瀬亮さん、大原研二さんなど、すべて終了。監督から花束が贈られる。

2009年10月22日(木)
今日は水野のマンションの撮影。水野役の椎名桔平さんは、朝、7時から刺青を入れる作業に入る。4時間30分かかって完了する。昼食をはさんで撮影開始。夜、7時には撮影終了。クランクアップを間近にして、椎名さんもホッとしたような表情。

2009年10月23日(金)
いよいよ最終日。台風が来たりいろいろあったが、やっとここまで来た。午前7時出発で、茨城県の鹿島方面に行く。椎名桔平さんが拉致され、殺されるシーンの撮影。人形を使ったテストでは、人形の首が取れてしまい、本当に残酷シーンなりそう。これじゃ、完全にR指定だねと、スタッフ笑いながら話し合う。順調に撮影が進み、午前11時に杉本哲太さんも登場。出演シーンの終わった椎名さんも、クランクアップになるまで待っててもらう。そしていよいよクレーンカットで完全に撮影が終了する。監督から、椎名さんや杉本さんらに、恒例の花束贈呈があり、森社長の挨拶があり、映画のタイトルが「アウトレイジ outrage 」 と発表がある。そして最後にチーフ助監督の乾杯で、北野組第15作の撮影がすべて終了した。

「アウトレイジ」撮影日誌第4節

2010年09月04日 | 撮影日誌
2009年10月3日(土)
神戸に入る。いよいよ明日から2回目の神戸ロケ。台風か近づいていて、スタッフも心配している。夜はスタッフと一緒に、神戸中華街(南京町)に出て、神戸のフィルムオフィスの方を慰労する。偶然に中秋の名月の日で、中華街はお祭り。夜光龍の出し物が広場でくり広げられていた。紹興酒2本空ける。
今日の万歩計、7300歩。

2009年10月4日(月)
いよいよ撮影が始まる。監督は新幹線でお昼に到着。台風が近づいているにもかかわらず、晴天。なんだか怖い・・・警察署の表の撮影。椎名桔平さんと刑事がもめるシーンを撮影。順調に終了し、夜の検問のシーンの撮影現場に向かう。かなり時間が余って夜を待つ。無事終了し9時20分。
今日の万歩計、7400歩。

2009年10月5日(火)
10時30分開始で、懐かしい大友組の事務所の撮影。國村準さんがすべての撮影が終わり終了。夕方、三浦友和さんが神戸に到着。駅で出迎える。いったんホテルで待機してもらって、現場に向かう。大友組のビル前の撮影。かなりギャラリーが集まって、撮影現場を取り囲む。音楽担当の鈴木慶一さんが、初めて現場訪問される。

2009年10月6日(水)
朝から雨だが、大友組の事務所の中なので影響はない。昨日から室内に弾着をしかけて、今日が本番かなりの迫力でした。夜は幸運にも雨は上がり撮影可能となる。黒人大使に、國村準さんの死体を埋めさせるシーン。國村さんは吹き替えで撮影する。さあ明日はいよいよ台風が来て、どうなるだろう・・・
今日の万歩計、4400歩

2009年10月7日(木)
9時30分開始で、喫茶店のシーン。三浦友和さん扮する加藤が、喫茶店の表で部下に、爆薬をしかけてこいと命令するシーン。台風が接近していて、いまにも雨が降り出しそう。開始した直後に小雨になる。照明部・撮影部が苦戦している。3シーンを一気に続けて撮り切ってしまう。奇跡だ。三浦友和さんも、小日向文世さんも、びっくりしてニコニコ。そのまま喫茶店の中のシーンを撮影して、夕方終了。夜は、助手会・メイン会とスタッフそれぞれ食事会になる。私は、外人の出演者3人を連れて、外人会のしきりに。

2009年9月8日(金)
高級ホテルのバーの撮影の日。昨夜から台風が大接近してきて、警戒警報が出ていて、朝からポートライナーが止まったりして大混乱。でも、なんとかエキストラも集合して無事に撮影開始。1カットで終了するかと思っていたら、監督からいろいろ指示が出て、いきなり椎名桔平さんと、加瀬亮さんが出演する事になりあわてて連絡してきてもらう。二人とも午後からの出番だったので、びっくりして集合してもらう。他の組ではめったにない注文なので、二人ともかなり驚いていた。


「アウトレイジ」撮影日誌2

2010年08月17日 | 撮影日誌
北野組「アウトレイジ」・第2節撮影日誌

2009年9月6日(日)
渋谷7時30分出発。いつも編集しているスタジオの前で撮影する。2カットを30分ぐらいで撮影して、すぐ次の現場へ向かう。今日は、架空の大使館の中の撮影と、同じビルの中で村瀬組の事務所の中の撮影をする。石橋蓮司さんが、初登場。午後4時前に終了。帰り、チーフ助監督と痛飲。久しぶりに駅のベンチで寝てしまう。かなりかなり飲んだ!!

2009年9月7日(月)
あれだけ飲んだのに二日酔いなし。すごい!8時渋谷出発だが、全員が7時40分に集合したので、車は出発する。これが北野組の異質なところ。出発時間ちょうどに来たら、白い目で見られる。今日は高級クラブの撮影。國村隼さん杉本哲太さん、初登場。そして、塚本高史さん終了となる。監督から花束贈呈される。

2009年9月8日(火)
台風の影響で、少し予定が変更になる。結局は雨の影響はほとんどなかった。これは結果論でしかない。北村総一朗・三浦友和さんらが初登場。山王会の内部の撮影が、千葉の九十九里浜の近く、元スイス大使館の内部で撮影が進む。北野組初参加の三浦友和さんが、「撮影の進行が早いなぁ」とびっくりされていた。午後になって、加瀬亮さんが到着、すぐ準備。支度が完了したら、すぐ撮影して、すぐ終了。あまりの早さに加瀬さんも苦笑い。

2009年9月9日(水)
今日も山王会の内部の撮影が、千葉の九十九里浜の近く、元スイス大使館の内部で撮影が進む。この撮影現場は、これまで一度も撮影で使われた事のない現場らしい。國村さんが、朝1シーンだけで終わり、あっという間に終了して帰って行きました(^^;)

2009年9月10日(木)
快晴でした。今日は山王会の表の撮影でした。ヤクザの使う黒いベンツがずらりと並ぶ。ファーストシーンの撮影。監督が10時に到着して撮影開始。順調に撮影が進むが、今日撮影分の、加瀬亮さんが、仲間を殺すシーンを別場所で撮影する事になり、本日中止。加瀬さんは支度していたが、撮影せずにお帰りになる(^^;)小日向さんも現場に到着するや否や、撮影が始まってしまい。監督にあいさつも出来ない。そうこうするうちに、本番終了。小日向さん、監督と最初にかわした挨拶が「お疲れ様でした」となったよと苦笑い。

2009年9月11日(金)
國村隼さん扮するヤクザの家の撮影。石橋蓮司さんノリノリの芝居に、スタッフも大笑い。ヘッドギアとマスクをしているので、セリフも言えないので表情だけの芝居だが、さすがの貫禄。さて夜は本ナイターで4シーンある。暗くなるのを待ってられないので、内向けだけ、カーテンをして室内を暗くして撮影する。本当に暗くなってから、外向けの撮影を始める。日没は18時50分。本ナイターで撮影終了は19時15分。あまりのスピードにキャスト・スタッフもビックリ・・・

2009年9月12日(土)
渋谷8時出発。警察署の中の撮影。何となく小雨模様。夜にナイトロケがあるので不安。監督自身が扮する大友を取り調べする小日向刑事。昔、同じ学校でボクシング部の先輩後輩の関係。このシーンで少しボクシングのうち合いをすることになるが、小日向さんは、まったくボクシングが出来ない。学生時代は美術部だったらしい(^^;) かなり練習してもらって本番に臨む。トレーナーとして、梅津さんにも参加してもらう。梅津さんは、「キッズ・リターン」以来のトレーナーだ。懐かしい。無事に撮影は終了。よかった。そのままランチして、夜の撮影現場に向かう。しかし、残念ながら撮影途中で雨が強くなり、中止。今回初めての取りこぼし・・・これで第2節は終了


「アウトレイジ」撮影日誌1

2010年08月16日 | 撮影日誌
2009年8月22日(土)
11時15分発の飛行機で、神戸へ向かう。宿泊先のホテルで、神戸キャスティング分の俳優さんの衣装合わせをする。19時から演出部と打ち合わせ。終了後、続々到着する出演者達を、ホテルのロビーでずっと出迎える。最後が21時過ぎ。おなかが空いた・・・

2009年8月23日(日)
いよいよクランクイン。快晴! 「ぼったくりバー」の撮影から始まる。監督は東京から新幹線に乗って、現場14時に到着。そこから1時間で6カットぐらい撮影する。いつものようにかなり早いペース。テスト1回、本番1回でどんどん撮影はすすみ、ナイトロケの「歓楽街の歩き」も午後8時には終了する。ホテルに戻って、俳優陣とあれこれ反省会をする。

2009年8月24日(月)
午前中は準備して、午後から「ぼったくりバー」の撮影。昨日の撮影後、監督から新しいシーンが追加されたので、そこから始まる。いつもの事なので驚かないが、初めての出演者達ばかりなので、かなり緊張している。今日はテストを何回も繰り返して、以外と時間を使う。夕方に終了し、食後ナイトロケが始まる。やはりギャラリーが多く集まり撮影しづらい。塚本クンと終了後食事する。

2009年8月25日(火)
午前中は準備。午後から喫茶店のシーンから撮影が始まる。水野役の椎名桔平さん登場。北野組初出演。刑事役の小日向文世さん(初出演)が、山本役のビートたけしに金をせびるシーンの撮影。監督の出演の初日でもある。まずスタンドインの所クンが監督の大友役を演じて、いよいよ監督がカメラの前に座る。助監督がすぐ「本番」と声をかけるが、監督から「俺にも、ちょっとテストやらしてくれよ」と言ったので、スタッフも大爆笑。そういえば、監督も初めてなのでどんな声をだしてみようかと、テストしたいのだ。快調に撮影は進み、1時間で5カットぐらいの超早いスピードで撮影が進む。19時30分終了。

2009年8月26日(水)
いよいよ、大友組の事務所の中の撮影が始まる。出演者達は朝の6時45分から準備を始める。監督9時に現場到着。加瀬亮さんも初登場。監督は衣装合わせの後、現場で大きく加瀬さんの役を描き直した。今日も、昨日と同じような超スピードで撮影が進んで行く。監督の頭の中に「絵」が出来上がっているので迷いがない。夕方16時頃終了。

2009年8月27日(木)
今日も大友組事務所内の撮影。出演者達は午前7時30分から支度を始める。監督9時現場到着。特出すべきは、加瀬亮さん。あまりの迫真の演技に監督が、わざわざ拍手して、「拍手ものだね」と言いながらモニターブースから出てきた。監督が、そんな事を現場でしたのは初めてで、長くつきあっているスタッフもびっくり。このシーンは、加瀬さん演じる石原が、ヤクの売人佐山役の芹沢礼多さんを、激しく蹴飛ばし殴りつけるシーン。あの線の細い加瀬さんが、激しくテンション上げ、狂ったように蹴りつけるシーンは、見逃せない。午後、岡崎役の坂田聡さんに、長いセリフが渡される。明日のクラブ「マリナー」のシーンだ。坂田さんうれしいやら、心配やら微妙な表情。

2009年8月28日(金)
天気予報が、午後3時以降雨という予報。昨日のうちに連絡して、大友の女役の板谷由夏さんを、朝6時の品川発の新幹線で神戸に来てもらう。第2現場だけど、午後1時ぐらいまでに撮影を終わらせようとする。しかし、何の事はない雨は全く降らなかった。夜は100%の雨予報だったのに・・・昨夜長いセリフをもらった坂田さん、現場でブツブツ練習している。「どうですか?」と声をかけると、「ボクは部屋で練習した時は、完璧なんですよ、でもねぇ現場に来ると・・・」と強気のような弱気のような・・・撮影は数回のテストの後、見事に1発OKのワンシーン・ワンカット。夜は、その坂田さんが殴り殺されるシーン。ボロボロにされて、メークされて、撮影は終了。坂田さん終了の演出部の声に、坂田「燃え尽きました!」と絶叫!!

2009年8月29日(土)
いよいよ、第1節の神戸ロケ最終日。早いような、長かったような。緊張してかなりつかれた。新幹線の中で、飯塚役の塚本高史さんが、殺し屋に撃たれて殺されるシーンの撮影。午前中は、岡山へ移動。岡山にある新幹線の操車場にある、新幹線車内で撮影する。乗客のエキストラはスタッフでまかなう。私もスーツを着て、出演。写ってないかも(^^;)

なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより7

2008年09月17日 | 撮影日誌
なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより7
最終回

2008年8月30日(土)
朝6時30分に起きて、シャワーを浴びて荷造りをする。いよいよ帰国だ。初めてこのリグレホテルで朝食をしようとロビーへ降りる。少し早い時間だったので、表へ出て歩いてみる。フラフラと大きい道の方へ向かっていくと、なんと水上バス乗り場に着いた。ああここは見覚えがある。5年前に「座頭市」で来た時に、この船着き場の前のホテルに泊まったんだ。この乗り場の売店でおみやげを買おうと思ったが、何もない。水と、もう使うこともないベネチアの地図を買ってホテルへ戻る。朝食はクロワッサンとコーヒーとビスケット。質素だけどとてもおいしかった。でも毎日これはイヤかも(^_^;)日本人の女性記者2人がいたが、声はかけなかった。

タクシーでエクセルシオール・ホテルへ向かう。夜は17ユーロ。昼は12ユーロぐらいか。またロビーでインターネットする。S社の記者もまた原稿を書いている。いろいろ教えてもらって助かった。感謝。

いよいよ10時発で水上ボートに乗る。私と、篠崎監督とオフィス北野の小川氏と宣伝の照本氏の4人。いよいよリド島とお別れだ。小川氏は初めてなので、いい経験になった様子。私は今度いつ来られるだろう。映画のロケーションでも、いろんな所へ行ったけど、ほとんど2度と行かない事の方が多い。少しセンチになる。

ベネチアの空港で、3人と分かれる。彼らはエア・フランス。私はまたもや、アムス経由KLMオランダ航空。通路側にしてねと、搭乗手続きをするが、なんだかもうないですとの返事。言葉はよくわからなかったけど、そう理解した(^_^;) ボーディングカードをもらって、警備を通る。急いでおみやげを探すが、あまり時間がない。チョコレート・クッキー・スパゲティーなど、どかどかレジに運ぶ。ここで、すべてのユーロを使い切り、あとはカード精算する。小銭もすべて無くなったので、スッキリした。あとアムステルダムで乗り換えの時に、またおみやげを物色しよう。そう思って、アムステルダムに着いたけど、全然時間もなくそのまま成田行きの便に乗り込む。やっぱり、通路側でもなく、窓際でもなく中間の席だった。でも、今度は目の前の背もたれにモニターが付いている。まあ快適かも・・・なんだかメヌエルぽくて、吐き気していた事なんか、すっかり忘れてしまっていて、そう思ったらたら、離陸とともにあっという間に眠りに落ちた。

夢が覚めたように、成田に着いた。ジトジトした東南アジアになってしまったなぁ、ニッポン。

結局、映画祭の大きな賞はいただけなかったけど、「フィルム・クリティカ」というイタリアの映画雑誌から、「白の杖賞(バストーネ・ビアンコ)」という賞が、北野監督に贈られた事を報告します。

写真:メイン会場前にて


なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより6

2008年09月15日 | 撮影日誌
なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより6

2008年8月29日(金)
朝食も取らずにメインが宿泊しているエクセルシオール・ホテルへ向かう。私はロビーの片隅で2人の日本人を見かけ声をかけた。彼らはパソコンを使っていたので、たぶんマスコミの方達だろうと思ったが、案の定S紙とN紙の新人記者達だった。彼らはベネチアは初めてという。そういえば、両紙とも以前はベテランの記者だったが、だんだん世代交代していくだなぁと思う。でも一人で取材に来るなんて、たいしたもの。こうやって人間鍛えられていくんだなぁとも思う。英語は話せるんですか?と聞くと「全然ダメです」という返事。すげぇ!若い!でも彼らはロビーで記事をメールで送っている。ここは無線LANが使えるという。3時間5ユーロのIDを取れば使えますという。さっそくチャレンジする。すると、いくつかわからない所もあったが、無事開通!!すごーいサクサクだ!!急いでメールを確認して、返事をいくつか送る。

この日は、午後から北野監督は取材が殺到している。樋口さん達はいよいよ帰国。ベネチア駅から列車に乗りフィレンツエに行かれる予定だ。水上タクシーに乗って、ベネチア駅まで加倉井氏と共に送りに行く。

ベネチア駅は、あのキャサリン・ヘップバーンの「旅情」の舞台の場所だ。そんな話をしながら列車に乗り込む。しばらく一緒にいたが、出発まではまだ時間があったので、我々は先に帰る事にする。挨拶をして分かれたが、私はちょっと駅のトイレに寄る。これが有料で、使い方(中への入り方)がよくわからなかったが、現地コーディネーターのフェデリコさんに聞いて、トライする事にした。無事に用をすましてトイレを出る。そうすると、ちょうど列車が出発する時間だ。やっぱり樋口さん達にお別れを言おうという事になり、樋口さんの乗った列車のホームに向かう。窓際までくると、中で樋口さん達はビックリしている。別れたと思っていたのに戻ってきたから、それは驚くよね。いよいよ列車が動き出す。私達は、あの映画「旅情」のように、手を振りながら列車を追いかける。列車の中では、樋口さん達は大笑いしながら、カメラを回している。なんだか夢のような出来事でした。

ホテルへ戻り、北野監督の取材に立ち会う。10人ぐらいの外人記者達に囲まれて、いつもの臼居氏が通訳をしている。その後は、篠崎誠監督のドキュメンタリーのインタビューが続く。

夕食は水上タクシーに乗って、本島にあるイタリアンレストランへ行く。狭い路地をくねくね曲がって歩く。まるで映画のロケーションで使いたくなるような路地だ。コーディネーターも迷うような迷路の奥にその店はあった。店の奥のテーブルの一角の予約テーブルに、監督を囲んで着席する。日本人の中年女性二人も、隣の席で食事中で、びっくりした顔をしている。出てきた本場のワインと料理を楽しむ。監督もご機嫌で、ワインが注がれるが、監督と森社長の話が延々続いていて、なかなか飲めない。やがて監督も気がついて、「どうも」と乾杯する。これでみんな飲み始める。うまい本場のワイン。体調万全ならぐいぐいいきたいけど、自重する。それでもかなり飲んだかもしれない。だっておいしいんだものさ(^_^;) 23時過ぎに水上ボートに乗ってリド島へ戻る。

なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより5

2008年09月13日 | 撮影日誌
なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより5

いよいよ会場の中の2階席へ入る。すでに入場していたお客さん達から盛大な拍手が起きる。ほぼ満員。監督も樋口さんも手を振って答える。限られたカメラマン達が写真を撮る。私もすかさずパチリ。私は関係者席の通路側でしたが、その通路を挟んだ席に審査委員長のヴィム・ベンダース監督が奥様と2人で座っていたし、ジョン・ランディス監督、アッバス・キアロスタミ監督達などそうそうたるメンバーが着席していた。

いよいよ暗くなって上映開始。ここでまたハプニング。音が出ない!!「ノーサウンド!ノーサウンド」とクレームの声が上がる。あああやってしもうた!早く止まれ早く止まれと心の中で叫ぶ。なんとか本編の絵が始まる寸前でストップする。あわてて関係者達が、あやまりに来る。だいぶしらけた気分となる。監督も「ドールズ」以来2度目のハプニングで、心中は頭に来てたと思う。森社長も苦笑いしているが、怒ってる。絶対に!

宣伝の照本さんに、自分は上映後の準備があるので見られないので、観客の反応を気にしておいてと頼まれたので、観客に受けたところを記すと、一番に受けたのは、なんといっても浴槽のシーン。その後の救急車には、みんな手をたたいて大笑い。次の爆笑はボクシング。このシーンは樋口さん本当に殴られて痛かったらしい。前半は重いシーンが続くのでどうなるかとハラハラしたが、後半大爆笑の連続で、なんとか無事に終了。

エンドタイトルの途中で会場は明るくなり、観客達は立ち上がって拍手をしてくれた。上映中席を立つ観客はほとんどいなかった。トイレに行ったような人が戻ってきたぐらい。拍手がだんだんと大きくなり、手応えがすごく感じた。監督も樋口さんもおじぎをしたり、手を振ったりして満面の笑み。

手応えを感じて会場内の別室へ移動。映画祭のディレクターが再度おわびと挨拶に来る。感想は絶賛だったよう。監督も満足そうな笑顔。樋口さんも「ホッとしたぁ、よかったぁ」と興奮気味。この興奮と余韻を持ったまま、車に乗り込み、北野主催パーティー会場へ移動する。

お昼から何も食べていないので、みんなお腹がすいている様子。でも私は興奮して食欲がない。飲みたいけど、体調もいまいちなので、少しにする。まず樋口さん達が着席して、監督達を待つ。柳憂怜さん達も来て隣の丸テーブルに陣取る。思い思いに食事が始まる。やがて監督が来て、軍団チームのテーブルに座り、超ごきげん!イタリア北野ファンクラブのメンバーも大勢参加する。誰が誰やら・・・・23時過ぎにさすがに着物姿のままの樋口さんもお疲れのようで、監督に御挨拶をしてホテルに戻られ、我々も解散となる。私も加倉井氏の部屋から荷物を出して、タクシーでリゲルホテルに向かう。

リゲルホテルもさすがに古風なホテルで、日本ではもうこの手のホテルは見かけない。何が違うかというと、まずエレベーターが超旧式で、自分で開閉する。バスタブは新しいが、電気のスイッチなどは、もう時代物で上懐かしい上下に推すタイプ。早速パソコンを取り出したが、どこにもLAN回線らしきコネクターはない。あきらめてすぐ寝てしまった。


なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより4

2008年09月12日 | 撮影日誌
なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより4

写真:水上ボートから見たエクセルシオール・ホテル

すぐ、私の名前を持った業者の人を見つけ、水上タクシー乗り場へ向かう。天気は晴れで、すがすがしいいい季候だ。リド島では、公式上映前の記者会見や、フォト・TV・ラジオコールなどの予定が始まっている。本当ならそこに私もいて、樋口可南子さんのケアをするはずだった。

そんな事は忘れて一人水上ボートに乗せられる。一人で貸し切りだ。気持ちいいいいいいいベネチア最高! 12時20分に、メインホテルのエクセルシオール・ホテルの前に到着。ボートを降りて、ホテルのロビーで監督達を待つ。このホテルにはいろんな映画祭関係者・出席者が宿泊している。いかにもスターやセレブが行き交うのを、ボーッと眺める。5年前の「座頭市」の時にも、ここに来たなぁと思い出した。

加倉井氏に電話をするが繋がらない。いや、またまたトラブル発生。携帯の電池が切れそう。海外用携帯充電器はトランクの中だったので、アムステルダムのホテルでは充電出来なかったせいだ。電池が切れれば、合流することだって危ない。困った! あわててロビーの中でトランクを開け(セレブが大勢いる中で、恥ずかしい)充電器を取り出し、コンセントを探して、なんとか充電開始。そして待つこと30分。北野監督が正面玄関から入ってくるのが見えた!荷物は置き去りにして、急いで挨拶に行く。笑ってくれた。加倉井氏他のメンバーもいる。樋口可南子さんも、笑いながら「間に合わなかったんだねぇ」私も笑ってごまかすしかない。そのまま地下のレストランで昼食。私も荷物を抱えて昼食に参加する。

午後14時過ぎから、監督と樋口さんはそれぞれ別室で取材が始まる。私は樋口さんの取材の部屋前にいる事にする。荷物は加倉井氏の部屋に置かせてもらった。取材部屋がライティングで暑いので、取材陣が入れ替わるたびに、樋口さんは部屋から出てきて涼む事になる。

4件ぐらいの取材が終わって、篠崎誠監督のドキュメンタリー取材が始まる。その準備の最中に、持ってきた日本の照明機材の不具合が発生。少々焦る篠崎監督。なんとか外光を利用して事なきを得て、無事取材終了。樋口さんは着物の着替えに自室に戻られる。

我々も、一旦加倉井氏の部屋に戻り休憩をする。パソコンを繋いでみようとするが、遅い。すごく遅い。これでは添付ファイルが開けないほど。困った・・・・メールも受け取れない状態。リド島ナンバーワンのホテルだが、なんという事。これじゃ私が宿泊するホテルも心配だ。

午後18時30分ホテルから、いよいよ正式上映会場に出発だ。車5台で出発する。加倉井氏の指示に従って、樋口さんは監督と最後尾の車に同乗してもらい、他の樋口スタッフは別車両に乗ってくださいと指示をして出発。私は先頭車に乗る。

5分で会場前に到着。道路側のフェンスには、大勢のギャラリーが歓声を上げて待ち受けていた。その観客達の中に、出演者だった柳憂怜・お宮の松・マダ村越さん達がいて、「吉川さーん」と叫んでいるじゃないか。超びっくり!その近くにはベレー帽をかぶったイタリアの北野ファンが。なんでおそろいの赤いベレー帽かぶってんのよ(^_^;) 私は思わず近寄って、柳憂怜さんと握手する。私達先着組は赤ジュータンの方へ移動して、監督達を待つ。いよいよ監督と樋口さんが到着。「キタノー!」「タケシー!」との歓声がまきおこる。監督と樋口さんは、カメラマンサイドのコーナーに行き、しばらく写真撮影。そしていよいよ会場の中に入って行く。

着席する前に、しばらく歓談するコーナーで待機する。映画祭のディレクターが挨拶に来たりする。私は、樋口さん達に着席順などを説明する。これはすべて加倉井氏からの指示。実際は席に名前が張ってあって、迷う事にはならなかった。

なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより3

2008年09月11日 | 撮影日誌
なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより3

なかなかベネチアは着けないなぁ。カウンターで、「イービス(アイビス)ホテル」の宿泊券と夕食・朝食券と、小さなバックに詰められたお泊まりセット(中には、シャンプ・石けん・ひげそり。T シャツなどが入っている)をもらい、外に出て**番のバス乗り場で待て、そこにバスが迎えにくるからと指示を受け、建物の外へ出る。その**番乗り場には、すでにトランジット出来なかった日本人が大勢並んで、バスを待っている。おいおいこんなに乗り切れるかよと思いながらバスを待つ。これがなかなか来ない、来ない。待つのはもうイヤだぁ。とても長く感じた15分ぐらいで、やっと大型リムジンバスが1台到着する。一番最初に並んだ人は、30分ぐらい待ったんじゃないかなぁ。我先にとバスに乗り込む。案の定、乗り切れない人達が、取り残される。しょうがないあなぁ・・・・夏だからこれでいいけど、真冬だったら、暴動が起きるよきっと。

5分ぐらいで、満員のバスはイービスホテルに到着する。まぁ並のホテル
だあぁ。入ろうとした正面玄関が、くるくる回る回転ドアなんだけど、ここでまたトラブル発生。大勢の客達が一気に乗り込んだために回転ドアが、重くて回転しない。あまりの事に、数人の外人さん達から、皮肉っぽく「アウト、アウト」と言われるしまつ。しかたなく、少しずつドアから出てやっと回転する。なってこったい。

無事にチェックインして、明日の空港行きのリムジンバスの時刻表をもらう。部屋に入り、軽く夕食を食べようと4Fのレストランに行く。もう23時になる。こんな時間にあまり食べちゃいけないよなぁ・・・バイキングでちょっと食べ、部屋に戻り風呂に入る。寝ようとするが、明日寝過ごしちゃいけないと思うと、とても不安になる。が、寝た。

2008年8月28日(木)
なかなかベネチアは着けないなぁ。朝5時に起きる。手持ちで持ってきたスーツに着替えて、軽く朝食を食べ、5時55分発のリムジンバスに乗る。実際のフライトは9時20分なので、ちょっと早すぎるかもしれないけど、どうも不安で早く空港にたどり着いていたい。しかしバスは10分遅れた。やっぱりこわいなぁ、油断出来ない。でも、あっさり空港に着いて、出発の8番ゲートに向かう。しかし、出発ゲートは11番に変更されていた。よかったぁ早く気がついて、さすがに旅に慣れた自分に、感動する。

すでにベネチアに到着した、オフィス北野の加倉井氏から電話が入り、私が着いたら業者が私を迎えに行くので、うまくキャッチしてくださいと言われる。おう、任せておいて全然大丈夫だから。もう怖い物なし。8時40分ボーディング開始なのに、まだ始まらない。9時20分発なのに・・・また遅れるのかよ、オランダ航空。そうこうしてなんとかフライトして、予定より30分遅れの11時40分にベネチアに着く。やっと着いた、チャオ!ベネチア!


写真は、イービスホテルの朝食

なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより2

2008年09月10日 | 撮影日誌
なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより2

なんとかチェックインして、2万円を120ユーロに両替し(なんだか損したような気分だけど、しょうがない)、警備を通る。4時間もあるので、入る前にブラブラ散歩してればよかったなあ。そんなこと考えずに中に入ってしまったので、何もする事がない。出発ゲート近くには「ドトール」しかなく、近くのイスに座って、目をつむる。そして寝る。体調も悪いから、これでいいかも・・・・でも長い待ち時間だ・・・・

無事に15時40分にフライトする。係員は「万が一乗り換えが出来なかった場合、現地の地上係員がちゃんと対応して、宿泊・食事の手配はすべて、オランダ航空がやりますから、安心してください」という。でもさぁ・・・ちゃんと乗り換えないと、ボク一人なんだから、心細いんだよ。おまけに機内がものすごく寒い、心細い・・・・この飛行機自体がどうも代替機のようで、設備が古い。だってTVモニターが通路の奥の方にあって、自分の席からは全然見えない。これじゃイヤホンあったって意味がないじゃないか。今の飛行機はエコノミーだって、普通座席に付いてるぞ。もうプンプン。あああまたイライラしてきた。薬を飲もう。それが頼りだ。まだ気持ちが悪い、吐き気がする。あきらめよう、なるようにしかならない・・・・・

何時間乗ったかわからない。読みかけの単行本2冊を読み切った。よく寝た。そして、ショーーーーーーク!!!到着時間は20時30分!!全然間に合わないじゃないか!20時50分発に乗らないと、ベニスに行けないよ!!あああああ、いわんこっちゃない、オランダ航空め!

アムステルダム空港に着き、さてどう対応してくるのかしらと思ったら、係員はたったの一人。流ちょうな日本語を話す外人のおばさんだけ。日本発だから、結局乗り継ぎが出来なかった日本人が100人ばかり、数人が外人さん。その100人がいっせいに、おばさんを取り囲み質問攻めにする。まぁ日本人同士だから、礼儀はわきまえているが、遠慮していると、一番最後の100番目になりかねない。ともかく、何番カウンターに向かって、ホテルの手続きをしてくださいという指示が出る。大勢の人達と一緒に、その何番カウンターに向かうが、着いたらまた行列が出来ている。ちくしょう、オランダ航空め!

なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより1

2008年09月09日 | 撮影日誌
なかなか到着出来ない、2008年ベネチア国際映画祭だより


2008年8月26日(火)
今だから書けるけども、朝起きたら、体調が悪かった。ヤバイ、明日からベネチアに行く事になっている。決心して病院へ行き、診察をしてもらい点滴を打つ。いつものアレだ。メヌエル・・・・・どうして肝心な時にこうなるんだろう・・・・午後から事務所に出るが、隣の部屋で横になっていた。

2008年8月27日(水)
まだ調子が悪いが、キャンセルは出来ない。いやキャンセル出来るのだろうか?そんな不安な気持ちで、吉祥寺から朝7時発のリムジンバスに乗り、成田へ向かう。今回は、私一人のフライトで、アムステルダム空港内で、樋口可南子さん達と合流して、一緒にベネチアに向かう事になっている。私が先にアムスに着いて、樋口さん達を待ち受ける段取りとなっている。

ところが、ところが午前11時30発のKLMオランダ航空。バスで成田空港に着いてびっくり、なんと4時間遅れの出発で、15時40分発になっている。という事は、アムステルダム着20時20分。乗り換えのベネチア行きが20時50分だから、30分しかなく、絶対に間に合わない!!!!どうしようどうしよう・・・今日別のエアフランス便で行くオフィス北野チームに連絡を取ったり、旅行会社と連絡を取ったりして、チェックインの順番を待つ。ますます吐き気がしてきた。本当にキャンセルしようか・・・でもホテルは予約してあるし、オフィス北野に迷惑かけるし・・・・ああああストレスが・・・・・・あと5番目で自分の番だ・・・・

さあ、どうする。旅行会社は、この遅れで、オランダ航空もパニックになり電話が繋がらないので、空港カウンターで確認するのが一番だと言っている。どうしたらいいんだ・・・万一うまく乗り換えられても、荷物は絶対に積み替えられる時間はないだろう。そうすると、公式上映で着るつもりだったスーツは、トランクの中にある。そうだ、これだけは出さないと。手持ちで行った方が、安全だ。さて、ついに自分の番が来た。カウンターの女性は、到着は19時40分の予定になっています。なるだけスピードをあげて飛ぶ予定ですと言う。となると、1時間10分の乗り換え時間があるので、なんとかなるかもしれない。じゃ、チェックインしよう。でもスーツは出そう。それから慌ててカウンターの前でトランクを開け、スーツを引っ張り出す。よくこんな客がいるよなぁ。最初から出しときゃいいのに、バカだなぁ・・・って、こんな光景を見て思った事があるのに、自分がそのはめに陥るとは、ちくしょうオランダ航空め!

監督・ばんざい!撮影日誌5

2007年07月20日 | 撮影日誌
2006年9月9日(土)
午前10時から恵比寿で、内田有紀さんの衣裳合わせ。午後3時からテレ朝で、監督の衣裳合わせ。夕方6時から日活撮影所で、他の俳優さんの衣裳合わせ。夜7時30分から、松坂慶子さんのマネージャさんと、打ち合わせ。あちこちと移動した一日でした。

2006年9月10日(日)
午前6時新宿出発で、茨城の那珂湊鉄道でロケ。結局、監督は電車に乗らないで撮影をする。午後1時には終了して、帰京。夜は高瀬さんのお通夜に出る。顔見知りが大勢いた。こんな時に会うんだよなぁ・・・みんなと、懐かしいみんなと・・・・

2006年9月11日(月)
本栖湖へロケに出発。2時間近くかかる。午前中はなんとか曇りだったが、昼前から小雨が降り出す。少しずつ撮影を進めていたが、井手らっきょさんの出番の所で、雨が強くなり、中断。一気に撮影したかったが、雨待ちをかねて昼食タイムになる。しかし、そうすると雨は止んだりして、チグハグな展開へ。助監督泣かせの天候。食後、小雨の中撮影続行。なんとか取りきって終了する。その途端、雨は上がり、なんだ慌てさせやがってとなる。まぁ、天気にはかなわない(^_^;)

2006年9月12日(火)
伊豆マリーナへ出発する。準備パートは渋谷を朝の5時30分出発する。約2時間の移動距離。今日も小雨模様。恋愛映画パートで、内田有紀さん初登場。台本が一気に変わって、改訂稿での撮影となる。午前中は、室内で恋人とコーヒーを飲んでいるシーンで雨はなんとかしのいだが、午後からのシーンは完全に表で、雨は避けられない。結局、「天気が悪いから、またこようね」とセリフを足して、なんとか終了。このへんが、北野映画の真骨頂かもしれない。

2006年9月13日(水)
午前中は、東京駅での撮影。改札口を飛び出して、タクシーに乗り込む、岸本、鈴木杏親子のシーン。天気は雨。監督が到着して、まず、恋愛映画のシーンの変更か伝えられる。そして今日の、タクシーへ乗り込むシーンはカットとなる。これも天気の影響だけど、それはそれでOKだと思う。午後から東北新幹線の車内を、東京から宇都宮間で撮影し終了となる。

2006年9月14日(木)
午前中は雨、しかし、撮影は幕張で午後から。午後から雨は止み、ついている。撮影も終盤戦を迎え、足りないシーンをこなしているといった感じ。今日は逃げる岸本さん達を、井手博士が車で追いかけるシーン。3カットで終了。

2006年9月15日(金)
午前中に、茨城県の田園風景の中で、ローカル線の車内の撮影をする。ローカル線といっても、トラックにセットを組んで走らせるというバカバカしい撮影。昨日の雨も止んでほっとする。そして、今日は岸本加世子さんと鈴木杏ちゃんの最終日。長かったようで、短かった北野組の撮影だった。無事に終了して、みんなで記念撮影をして、終了。もうクランクアップの日も近い。

2006年9月16日(土)
午後12時出発で、千葉県佐倉市にある病院内での撮影。ファーストシーンとラストシーンの撮影。監督が14時に現場に到着。なんと真っ白いロールスロイスの新車で到着。みんな珍しそうに車の周囲に集まってくる。監督も自慢らしい(^_^;)病院内で、いろいろ撮影し、午後7時近くに終了する。都心に戻ったのは21時を過ぎていた。

2006年9月17日(日)
午前中に表参道で撮影。人通りが多くなる前に撮影をすますため、なんだかみんなてきぱきと準備を進める。今日は恋愛映画のシーンの撮影で、内田有紀さんがプディックで働いているシーンの撮影。9時シュート開始で、10時30分には終了して解散。今日はこれだけの撮影。午後から土砂降りの雨になったので、本当に天気にはついている。台風が接近している。

2006年9月18日(月)
撮休・諸準備

2006年9月19日(火)
午前6時にメーク準備開始で、恋愛映画の最終日。上野の国立博物館での撮影。国立博物館は、以前撮影が出来なかったが、いつの頃からか撮影の許可がおりている。文化庁の考え方が変わってきたのだろう。でも担当者が変われば、また昔のように撮影禁止となるかもしれないなぁ。映画は産業であり、文化でもあるのだけどなぁ・・・午前中で撮影は終了。内田有紀さん終了となる。今日から、カメラマンの柳島さんが、ハリウッドに行ってしまったので、撮影チーフがカメラを回す。

2006年9月20日(水)
日活撮影所にて、合成のためのブルーバック撮影。監督は井戸の中などの撮影をすませると、帰ってしまう。後は、血糊の吹き出しなどの撮影をして、午後7時終了。実は、本編これですべて終了、クランクアップとなる。監督もいない寂しいアップで、森社長も笑いながら、無事にアップしたことをスッタフに感謝の言葉を話される。しかし、おまけの撮影が明日から2日間残っている。

2006年9月21日(木)
カンヌ映画祭で上映される3分の短編の撮影が始まる。これは世界の映画監督が、同じモチーフで、それぞれ3分の短編を撮影するというもの。映画館がモチーフとなる。今日は、映画館に来る男(モロ師岡)の撮影。長野県の野辺山に来る。約2時間30分の移動となる。映画館に見立てたグリーンバックの所へ、自転車に乗ったモロさんが来る撮影。来ると帰るを何パターンか撮影して終了。

2006年9月23日(金)
今日はすべての最終日。山梨県の上野原にある古い映画館の、表と中で撮影する。この映画館はすでに閉館していて倉庫になっているのを、すべて片づけて映画館に戻しての撮影となる。上映されているのが「キッズ・リターン」。モロさんは、チケットを買うとき「農業1枚」と言って入っていく。みんな大笑い。昼食をはさんで撮影は進み、午後3時過ぎ終了。すべての撮影がアップした。モロさん、監督のスタンドインをした所クンに、監督から花束を渡され、監督には森社長から花束を渡されて、拍手で終了する。7月初旬からの撮影は、やっと終了した(^_^;)



監督・ばんざい!撮影日誌4

2007年07月19日 | 撮影日誌
2006年8月27日(日)
今日は日活撮影所のセットで、合成部分の撮影する。江守さん、岸本さんらが続々セットインするが、監督が体調不良で午前中はNGとなる。まぁ、合成部分なので、なんとか監督不在で撮影する。岸本加世子さんは、大笑い。なんとか午後監督はインして無事、合成部分を撮影終了する。内田有紀さんの部分のストーリーが、大幅に変更となり、その打ち合わせを会議室で行う。

2006年8月28日(月)
午前8時出発する。今日は「菊次郎の夏」以来の、井手らっきょさん登場となる。おかしな博士の役で、スタッフを大笑いさせる。内田有紀さん部分の、恋愛映画編の連絡を取り合う。

2006年8月29日(火)
新宿を午前6時30分出発で、天竜川のライン下りのシーンを撮影に行く。片道3時間30分の行程。午前6時30分に出発して、10時着。そこからスタンバイして監督の到着を待つ。お客さんの便の合間を縫って撮影。船に乗るのは、岸本さんと鈴木杏ちゃん。監督は人形となる。11時過ぎから撮影を始めて、午後2時過ぎまで昼食食べずに撮影を続行。3時間車に揺られ、今度は船に揺られる岸本さんと、杏ちゃん。岸に上がった時は、「まだフラフラするね」と話していた。俯瞰のロングショットを撮影する予定だったが、監督のなしでOKの一言で、本日の撮影は終了。お弁当を食べて帰京する。午後3時過ぎに出て、新宿へ着いたのは、午後6時30分を過ぎていた。

2006年8月30日(水)
新宿午前8時出発で、朝霧高原ロケ。名前の通り、霧が多くすぐ側にある富士山が、雲や霧でなかなか見えない。主人公の実家の設定で、父親と母親が出てくるが、母親のメークを突然白ぬりにしたりして、スタッフを慌てさせる。次々に新しいアイディアを持ち出して、撮影が進む。ナイターロケも無事に終了し、ホテルに着いたのが22時30分。

2006年8月31日(木)
朝霧高原ロケ。天気もよく絶好の撮影びより。空には、ハングライダーが飛び交っている。井手らっきょさんのシーンもあり、「8年ぶりだよ、うちゅーじんだよ」とスタッフを笑わせる。ナイトロケは猛烈に寒くなり、なんと白い息が出るほどに冷え込む。すべて順調に終了し、朝霧高原ロケ終了する。

2006年9月1日(金)
朝霧高原から帰京する。メンスタッフはロケハンのため、そのまま長野県へ向かう。

2006年9月2日(土)
藤沢市役所表を、警察署の表という設定で撮影する。渋谷から、1時間半たっぷりかかって移動する。市役所が見事に警察署に変身している。監督の到着も遅れたが、なんとか無事に撮影は始まり、夕方には終了。日差しが暑くて、岸本さん達は、カットがかかると日陰にすぐ移動するほど。夏の終わりの晴天でした。


「監督・ばんざい!」撮影日誌3

2007年07月18日 | 撮影日誌
2006年3月13日(日)
午前8時30分出発。恵比寿で、喫茶店の撮影。台本にないウエイトレスを用意していたら、なんと彼女のアップから始まったりして、ハプニングの連続。最後は、ウエイトレスがテーブルの上で、腕立て伏せしているという状況になる。まぁ、すごい(^_^)

2006年8月14日(月)
鎌倉ロケで、お盆で、道路は大混雑と思って、スタッフみんながとても心配していたが、意外と順調に現場に着いた。今日もハプニングが起きる。ビートたけし扮する吉祥寺が、一度ずっこけてフレームアウトするが、再びインする時は人形となる。この発想には、スタッフも唖然大笑い。もうすごいの一言。今回は、このようなイメージの飛躍が、ピッタリはまっていて、トータルの作品ですごい事になりそうな予感がする。

2006年8月15日(火)
今日も鎌倉ロケ。そして人形が大活躍。8時に準備開始して、午後3時には終了する。とても順調に撮影は進む。午前中、雨にやられたが、少し待って雨はやむ。ラッキーだった。

2006年8月16日(水)
今日も鎌倉ロケ。午前中は小雨が続くが室内の撮影なので大丈夫。まず、江守徹さんが、亀にエサをやるシーンから始まる。すぐに終了し、結納のシーンの撮影が始まる。ここも江守さんの独壇場。もうテストの時から、スタッフ大爆笑!

2006年8月17日(木)
今日も、江守徹さんのワンマンショーだった。こんなに大笑いした事は久しぶり。80人の新しい制服を作り、政治団体の入学式のシーンの撮影。あの江守さんが、パンストとブリーフで大暴れ。終了後、見送りした時、「こんなキャラ、初めてだったよ」とニヤリとして満足そうにお帰りになった。我々も、大満足の一日だった。

2006年8月18日(金)
今日のゲストは、六平直政さん。監督は昨日の江守さんのように、大暴れのシーンにしようと、あれこれと設定を変え撮影を進める。単に練習生だった、つまみ枝豆さんを、太鼓をたたくおかしな練習生にして、いろんなネタを作って撮影する。六平さんも、その流れに巻き込まれて、監督と二人コントをやるはめになる。

2006年8月19日(土)
午前7時15分新宿出発で、秋葉原にある地下駐車場で撮影。本番のたびに空調を切るので、もう蒸し風呂状態。スタッフも俳優陣も、この暑さで体力を消耗していく。しかし、監督だけはテンション高く、あれこれ台本にない部分のアイディアを出していく。それも「お笑い」方向で。監督自身も「江守さんから、この映画は変わったな」と言うように、この先のストーリーは「江守」さんを、強く意識した展開になっていくような気がする。

監督・ばんざい!撮影日誌2

2007年07月17日 | 撮影日誌
「オーパス19/31」第2節

2006年7月30日(日)
衣裳・メーク先発、午前7時渋谷出発。今日は、ベンツの紳士役の宝田明さんが、ホームレスの当たり屋にあい、金をめぐんでやるというシーン。先週の天気予報は雨だったが、どんどん回復して今日は晴れで暑い。宝田さんは、自分でいろいろ芝居を組み立てて、ホームレス役の田村元治さんと打ち合わせしている。映画で映っている芝居は、宝田さんのアイディア満載となっている。ホームレス役の田村さんは、「その男、凶暴につき」のファーストシーンのホームレス役を演じてもらっている。そして岸本加世子さん、鈴木杏さん、江守徹さん初登場の日でした。

2006年7月31日(月)
午前7時新宿出発。ぐんま天文台ロケ。移動2時間30分かかる。今日は、北野組レギュラー大杉漣さんの出演。大杉さんも今回は、今日1日だけの出演。大杉さんと、ゆっくり現場をすごせて楽しい1日でした。まち時間はサッカー談義で盛り上がりました(^_^;)

2006年8月1日(火)
新宿12時30分出発で、長野県上田市に向かう。3時間の移動。少し疲れる。上田城でのナイトロケーション。ビートたけし扮する忍者が、城内で網にかかりつかまるシーンと、井戸に投げ込まれるシーンの撮影。夜中の12時過ぎに終了。ふううう。上田駅側のホテルに宿泊。

2006年8月2日(水)
午前8時30分準備開始で、井戸から脱出する忍者の撮影。急に日差しがきつくなり暑い。侍役の谷本さん新納さんは大変だ。床山さんも、暑さの汗などでかつらがはがれてしまうので、何度も直しが入り時間もかかる。しかたがない。差し入れのおいしいカレーを昼食にいただいて、午後3時過ぎに終了。これから、また3時間の移動して東京に帰る。

2006年8月3日(木)
午前11時衣裳・メーク出発で、「母娘のマンション」の撮影。サラ金の男2人が、取り立てに来るシーン。岸本さんはなんだか前作のキャラを思い出すような感じでした。今日は、楽に夕方には終了。しかし、だんだん暑くなってきた。
2006年8月4日(金)
午前6時15分新宿出発。朝から、猛烈な暑さとなる。埼玉県幸手市へ向かう。今日は営業してないラーメン屋を撮影用に借りている。新日本プロレスの蝶野さん以下7人が、ラーメン屋で大暴れするシーン。暑いので汗だくの撮影となる。撮影途中で、覆面レスラーの人が、表に止まっていた車に激突するカットがあり、本当にマジにぶつかって、額が赤く腫れてしまった。すぐ氷で冷やしてもらう。そんな無茶苦茶な撮影を延々続けていく。監督のカットも細かく、粘る粘る。監督の撮影スタイルも変わってきた事を実感した一日でした。

2006年8月5日(土)
今日はファーストシーンのヤクザ事務所の撮影で、13時過ぎに終了。脚本打ち合わせの頃からずっとこの下りから話をしていたので、監督もイメージがかたまっていたのか、順調に撮影が進む。夕方、監督の自宅でメインスタッフとの食事会がある。