舞台72「深呼吸する惑星」 第3舞台最終公演 紀伊国屋ホール
恥ずかしながら、私は初の「第3舞台」観劇でした。この劇団が活躍した頃は、私はスクリーン(映画)に恋していて、ステージ(舞台)には見向きもしませんでした。それでも、現在の本多劇場が建つ前の空き地で、テント公演した唐十郎の「状況劇場」を見た記憶があります。ラストでテントの後ろが大きく開いて外が見えた時、衝撃を覚えました。その時の公演タイトルが何だったかは、覚えていません。ただすごく混んでいて、「もう少し詰めて」と言われ「いちに、いちに」とお尻を動かして、ぎゅうぎゅうで見た記憶があります。そんな新しい演劇界の流れの中で、この「第三舞台」や「夢の遊眠社」が出てきました。でも私はこの流れには乗らないまま、「助監督」の仕事にどっぷりとつかって、舞台など見る暇もお金もありませんでした。そして、やっとラスト公演に間に合った感じです。観客と出演者が、なんだかわかりあったそんな温かい舞台でした。全くすべったエピソードもあったけど、バカ受けしたものもあって、その当時の勢いを垣間見た感じでした。
恥ずかしながら、私は初の「第3舞台」観劇でした。この劇団が活躍した頃は、私はスクリーン(映画)に恋していて、ステージ(舞台)には見向きもしませんでした。それでも、現在の本多劇場が建つ前の空き地で、テント公演した唐十郎の「状況劇場」を見た記憶があります。ラストでテントの後ろが大きく開いて外が見えた時、衝撃を覚えました。その時の公演タイトルが何だったかは、覚えていません。ただすごく混んでいて、「もう少し詰めて」と言われ「いちに、いちに」とお尻を動かして、ぎゅうぎゅうで見た記憶があります。そんな新しい演劇界の流れの中で、この「第三舞台」や「夢の遊眠社」が出てきました。でも私はこの流れには乗らないまま、「助監督」の仕事にどっぷりとつかって、舞台など見る暇もお金もありませんでした。そして、やっとラスト公演に間に合った感じです。観客と出演者が、なんだかわかりあったそんな温かい舞台でした。全くすべったエピソードもあったけど、バカ受けしたものもあって、その当時の勢いを垣間見た感じでした。