ぼやき、ぼやき、ぼやき(^^;)

元助監督で映画キャスティングマンの

TV連ドラ「たとえば、愛」1979年1月11~4月5日 TBS

2020年08月28日 | こらむ
TV連ドラ「たとえば、愛」1979年1月11~4月5日 TBS

私も助監督になりたての頃のドラマで、当時なかなかTVドラマを見るチャンスがありませんでした。でも、倉本聡さんの脚本なので、当時オンタイムで見ていましたが、自分の仕事が忙しくなったのか途中で見るのを断念してしまいました。ですから、今回の見直しまでラストがどうなるのか知りませんでした。

九条冬子:大原麗子
高井五郎:津川雅彦
工藤六助:原田芳雄

もう、みなさん他界されています。この当時、現役バリバリで・・・私にとってこのドラマは少し年上の世代のお話でした。仕事における悩みや苦しみ、成功・失敗・恋愛などで、私と近しい仕事内容でしたが、世代間のわずかな差もあり、素直に共有できるストーリー展開ではありませんでした。

仕事で失敗し、番組を降ろされるとか、小説の賞取りレースに破れて、東京を去るとか、私にとっては、少し背伸びして見るしかありませんでした。当時実際の私は新人助監督でしたので、まだまだ仕事を覚える事が多くて、番組をリードするとか、作品を発表するとか、私にとっては夢のような世界でした。

途中でこの番組を見れなくなって、やっと今落ち着いて見る事が出来ました。あの頃は理解できなかった事など、ほとんど納得出来る展開です。ああ私も年齢を重ねて、ちょっと年上の世代の悲哀などわかってしまったなぁと苦笑いする事ばかりです。

しかし、最終回で驚きました。え、これで終わるの。これが最終回・・・・そうするの・・・倉本さん、この結末を選んだんですかぁ・・・いろんな終わらせ方が出来たのに・・・うう私にはショックな結末でした。

あの当時はこれでよかったのかもしれません。でも、今回ちょい年上の先輩達の気持ちを理解できたと思っていたのに、本当はわかっていないかもしれないという、世代間の距離を見せつけられてしまったショックを受けました。最高と付け加えるなら、全編を通して、荒木一郎さんが忘れられません。


22「できごころ」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第22回 (最終回)

2020年07月01日 | こらむ
22「できごころ」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第22回
(最終回)

火曜サスペンス劇場
放送日:1996年3月5日
出演:伊藤かずえ・渡辺いっけい・岡本舞・馬渕晴子(馬淵 晴子)・稲垣美穂子・名古屋章、
監督:木下 亮
制作:千里、NTV
殺人犯にされた女が、どうしても言えない事件当日午後5時のアリバイ

この番組の記憶があまり残っていなかったのですが、録画したDVDを見ていると、どんどん当時の事を思い出してきました。伊藤かずえさんが働いていた会社のロケは調布だったとか、彼女の住んでいるボロアパートは、本当に西新宿にあったなとか。若い女性が、こんなアパートに住んでいるだろうかと、いろいろ話し合ったなぁとか思い出しました。このロケ現場の病院に一度、私本当に入院したなぁとか(笑) 主人公の伊藤かずえさんは、とても気さくで素敵な女性でした。

VDVで私が残している2時間ドラマはこの「できごころ」が最後です。今回見直したのが全部で22本です。そのうち1本が1時間ドラマでしたね。当時はソニーのベータで録画していたのですが、それをVHSに変換して、さらにDVDに変換していましたが、そのうちテープの状態が悪くなって見られなくなってしまったものがあります。そうして失ってしまった2時間ドラマのビデオが他に9本あったはず。ですから助監督生活21年で、なんと2時間ドラマを30本やっている事になります(笑) その他、連続ドラマ3本、Vシネマが1本。あと映画とか・・・

この年1996年、私はすでに43才になろうとしていました。この火曜サスペンス劇場「できごころ」を終了してから、次はある映画のチーフ助監督の仕事に入りました。しかしどうしてか、監督と対立してしまって、なんと途中降板してしまう事態になってしまいました。対立するつもりはサラサラなかったのですが、監督は私の仕事ぶりが気に入らなかったのでしょう、きつい叱責を私は受けました。しかたがありません。長い人生こういう事もあります。私も調子に乗っていたか、天狗になっていたのかもしれません。助監督って文字は、「監督を助ける」と書きますが、監督を助けられなくなったら、終わりです。この時、もう監督を助けるのはやめて、自分が監督になる時期がきたのだよ、と天の声が聞こえた感じでした。ついに来た、助監督引退です。さて、これからどうやって食っていくか・・・当然、助監督と平行してやっていたキャスティングという仕事しかありません。それしか、ありません・・・・しかしながら、わずかな希望の光として、もし監督するチャンスがあったら、「ある企画」を自分のデビュー作にしようという気持ちが、心の奥深くに残っていました。その企画は誰にも言うことはありませんでした。いつかチャンスがあったらと、密かに思いながらキャスティングの仕事を続けていました。

それから12年後の2008年、恐れていた事が起きてしまいました。誰にも言わなかった私の「企画」が、なんと韓国映画となってしまったのです。ショックでした。これで、私の目標は完全に消えました。韓国の映画人は、いったいどんな映画にしたのだろう・・・・・おそるおそる私は映画館に足を運びました。その映画は、私の思っていた物とは全く違っていました。正直、つまらなかったのです・・・・これかぁ・・・・こういう結果になったか・・・長い間心の奥深くにしまっていた私の目標は、消えました・・・・現実を受け止めるしかありません。私は完全に目標を失ってしまいました。一方、キャスティングとしての仕事は、映画「おくりびと」を担当したりして、なんだか順調でした。目標を失ったものの、キャスティングの仕事は順調という、私には理不尽な精神状態におちいりました。

漫然とキャスティングの仕事を続けていくわけにもいかず、じっとして生きられない性分の私は、突然「あの企画」を舞台化してみようと思いつきました。そして4年後の2012年、私は企画プロデューサーとして、下北沢駅前劇場で「あの企画」を上演しました。さらに、さらに5年後、とうとう自分で舞台の演出をする事にしました。それが「あの企画」、舞台演出デビュー作、「素晴らしい一日2017」という作品です。原作(平安寿子著)は、すでに韓国映画になっています。当然、韓国映画と私の演出舞台は、似ても似つかぬ物になりました。同じ原作なのに不思議です(笑) さらに2年後、「君にささげる歌2019」を企画演出してしまいました。映画監督にはなれなかったものの、いつのまにか舞台の演出をしていました。こんな事になろうとは、この業界に飛び込んだ時は、思ってもいませんでした。違った形で、自分の夢の一部を実現したのかもしれません。

たくさんのTVドラマに参加して成長してきました。じっとしていられない性分なので、これから何かまた新しい目標を持って、走り出すかもしれません。コロナの自粛期間、こうやって過去の映像を見続けて、自分を振り返ったのは、未来を迎えるためにエネルギーを貯めようとしたのかもしれません。これで過去は終わりにします。終わらないと、先に進めません。懐かしいと振り返っているだけでは、先に進めない。自戒を込めてそう思っています。
 <終わり>



番外編4 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ 手元にビデオがなくて、もう見られないシリーズ(泣)

2020年06月29日 | こらむ
番外編4 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ
手元にビデオがなくて、もう見られないシリーズ(泣)

「蛍の宿(螢の宿)」
木曜ゴールデンドラマ
放送日:1988年9月29日
出演:田中裕子・桂三枝・市原悦子・財津一郎・原田大二郎・塚本信夫・市川千恵子
監督:小林俊一
制作:国際放映、YTV
戦後の世相を描くデカダンス作家として一世を風靡した作家・織田作之助の生涯を描いた藤本義一の原作のドラマ化。「夫婦善哉」などの名作を残し、喀血のため夭折した悲運の作家に桂三枝。彼を陰で支える妻・一枝を田中裕子が演じる。

私が、35才の頃に参加した番組です。手元にビデオがありませんが、一番再見したい番組かもしれません。京都・大阪ロケでしたが、なぜかほとんど記憶にありません。でも「うどんすき・美々卯」に初めて行って、感動したことはよく覚えています(笑)田中裕子さんの様子が思い出せない(泣)


「北海道へいらっしゃい」 ドラマシティー'92
放送日:1992年7月2日
出演:荻野目洋子、加勢 大周、長門裕之、薬丸裕英、淡路恵子、野川由美子、鶴見 辰吾、山岡久乃、伊東四朗、駒塚由衣、中原早苗、神田瀧夢
監督:今関あきよし
制作:出海企画、YTV
OL生活に疲れたOLが、脱サラ後北海道へ飛び、ペンション経営に果敢にチャレンジする。

また北海道ロケでした。私の故郷の九州ロケは全然チャンスがなく、真逆の北海道ロケばかりです。チーフ助監督として充実していた頃でした。スタッフを引っ張って撮影を進めていく醍醐味を味わっていました。しかし、私は夢中になって撮影していたのですが、私の留守家族は、体調をしていたようでした。そんな事、何も考えていませんでした。今関監督も年上の私に遠慮なくつきあっていただいて、私はとてもやりやすい現場でした。

「嘘」 金曜ドラマシアター
放送日:1993年2月19日
出演:いしだあゆみ・平田満・中島ゆたか・浅利香津代・三崎千恵子・鈴木瑞穂・天本英世・北村総一朗
監督:山口 和彦
制作:CUC、CX
撮影:林淳一郎
演出助手:吉川 威史
未亡人弁護士の近所で女性が殺され、弁護士の昔の恋人が逮捕される。彼女は男の弁護を。

この番組の事も、あまり覚えていないのです。どういう経緯でこの仕事に参加したのだろう。大映映像からの紹介だったかもしれない。いしだあゆみさんの現場の顔が、どうしても思い出せない。本当に申し訳ありません。写真の暗室みたいなセットを使って撮影
したかもしれません。なにせ、録画映像を持っていないので。


「遺留指紋」 火曜サスペンス劇場
放送日:1998年6月2日
出演:渡辺梓、深水三章、仁藤優子、ルビー・モレノ、石丸謙二郎、寺島進、田口トモロヲ、湯江健幸(湯江タケユキ)、酒井敏也、吉満涼太、花水木優、村松克巳、高畑淳子、
監督:山田 大樹
制作:
解決済みのOL殺人現場に残された12年前の未解決殺人事件の犯人の指紋
若い女性を狙った殺人事件が発生し、女性刑事の晶(渡辺梓)は捜査を始めた。現場のマンションのエレベーター内で、12年前に福島市で起きたパブ経営者殺人事件の容疑者のホステスの指紋が発見される。晶は上京した福島県警刑事の藤倉(深水三章)とかつての事件を洗い直す。

この番組が、私の2時間ドラマ最後の参加作品です。この時45才、助監督歴21年間でした。すでに、キャスティングが私の仕事として専門になりかけていました。北野組「HANABI」とかやっている年でした。もう助監督は引き際です(笑) それでも、監督になる機会はうかがっていたのですが、そんなチャンス来るはずもなく・・・・<次回が最後>


21「祭りの記憶」 城下町弘前「ねぷた」の美人絵が彩る女の戦後49年の夏 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第21回

2020年06月25日 | こらむ
21「祭りの記憶」 城下町弘前「ねぷた」の美人絵が彩る女の戦後49年の夏
自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第21回

火曜サスペンス劇場
放送日:1994年9月20日
出演:伊藤 蘭・長門裕之・三浦浩一
監督:下村 優
制作:ジェイミック、NTV

下村優監督と続けての番組で、弘前ロケの番組でした。あのキャンディーズのランちゃんが主演です。私が東京へ出てきた頃、キャンディーズは一世を風靡して解散コンサートの頃でした。ですから、地方から出てきた田舎者が、輝くスターとやっと一緒に仕事が出来る番組でした(笑) その後、長門裕之さんとも何度も仕事をする事になりました。長門さんは、助監督によく話しかけてくれました。それは、撮影所育ちの俳優さんとしては、普通の事だったと思います。しかし、伊藤蘭さんはかなり慎重な方だった印象があります。無駄な話をした事がなかったし、撮影が終了すれば、すぐホテルの部屋に戻られました。私は個人的にはもっと仲良くなりたかったんですが・・・(笑)

自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズも、もうあと1作品を残すのみですが、これまで見返した中では、この「祭りの記憶」が一番クオリティー高かったような気がします。素晴らしい2時間ドラマでした。カメラワークもよかった。「おさと」の連ドラでほぼ1年間一緒だった、カメラマンの宮田さん。最高の仕事をされたと思うし、伊藤蘭さん、長門裕之の親子の感情の芝居も、最高でした。二人とも本気で涙を流して芝居していました。
そして今回エキストラで2シーンほど私も出演しているのを発見しました。一つは中継車に乗って指示しているディレクタター。もう一つは、TV局内で、出演者の後ろを通り過ぎる局員。カチンコ時代の「白い夏の絶唱」の警官役からくらべると、ずいぶん落ち着いた感じです。あれから12年ぐらいはたっているのですからね・・・

私も、もう41才になり、助監督と映画やCMのキャスティングを平行してやっていました。映画の方では北野武監督の「ソナチネ」とかやりました。そろそろ、監督になる道を見つけなければならない時期でした。しかし、私が憧れていた先輩助監督達は、残念ながらみなさん監督になっていませんでした。あれほど優秀なのに・・・そんな時代だったでしょう。助監督をやっている事が、逆に足かせになっているような時代だったかもしれません。今時、助監督出身の監督なんて魅力ないね。そんな風潮だったかもしれません。先輩達が監督になれないのに、私にそんなチャンスが来るはずありません。ただ生活に追われ、チーフ助監督というプライドを持ちながら生きていたような気がします。助監督の仕事も楽しかったし、楽しい仲間もいた・・・ しかし2年後、私は助監督を卒業する事にしました。それを決心する事件に遭遇しました。それは天の声だったと思っています。その出来事は、また別の機会に。その後は、キャスティングを仕事の中心にする事にしました。監督になるという気持ちは、心の奥の中に閉じ込めていました。でも、いつかチャンスが来るかもしれないと、密かに思ってはいました。もし万が一、そのチャンスが来た時は、「この企画をデビュー作にしよう」と思っている「作品」がありました。しかし数年後、それがなんと海外で映画化されるという情報が舞い込んで来ました。なんという事・・・・





20「お巡りさん」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第20回

2020年06月23日 | こらむ
20「お巡りさん」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第20回

火曜サスペンス劇場
20年6月10日回
放送日:1993年11月
出演:赤井英和・南條玲子・加藤茶・清水ひとみ・遠藤憲一・藤谷果菜子
監督:下村  優
制作:ジェイミック・NTV

交番の警官が造成中の高台の下で探偵の変死体を発見するが、刑事でないので捜査に加われない。

この頃、新所沢でまた引っ越ししたり、家族が体調を壊して再び入院という事態になったりと、私事では大変だったのですが、若さと体力と無知の力で、なんとか乗り切りました(笑) 映画の撮影で北海道にロケーションに行っている時に、体調を壊したという連絡が入り、現場を飛び出すようにして自宅に戻った事を、よく覚えています。よく乗り切ったなぁって思い返します。

この番組で南條玲子さんと再会しました。彼女のデビュー作映画「幻の湖」で、私はカチンコを打っていました。ヒロインが南條玲子さんでした。 あれから10年経ち、私はチーフ助監督、彼女はゲストヒロインとして成長しました。しかし、彼女と熱い感動の握手やハグしたわけでもなく、照れくさく対応したような記憶があります。お互い未熟だった時の事を知っているので、恥ずかしかったのかもしれません。ピチピチとした女子大生の雰囲気だった彼女も、すっかり熟女になってましたから(^^ゞ 今、見直すと、ミステリーにしてはおかしなところもいくつか散見されます。でも愛らしく忘れられない作品です。遠藤憲一さんも出ていたんだなぁ。この作品の4年前に「その男、凶暴につき」で一緒だったのに、そんな話は全くしなかったなぁ。彼も、過去の作品の事を語るのは、恥ずかしかったのかなぁ・・・それとも、私が愛想わるかったのかもしれないなぁ(笑)
今もそうだけど、スタッフと俳優さんの距離が遠くなってきたのかもしれない。昔は、監督と主演女優は、戦友ですと言ってた人もいたんだけど、最近はさっぱりそんな感じはないなぁ・・・・(笑)







19「救急指定病院(1)白衣のふたり」  自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第19回

2020年06月22日 | こらむ
19「救急指定病院(1)白衣のふたり」  自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第19回
火曜サスペンス劇場
放送日:1992年5月12日
出演:池上季実子・角替和枝・野川由美子・茅島成美・石丸謙二郎、
監督:油谷誠至
制作:総合ビジョン

救急指定病院(1) 死亡事故発生!(制作時仮題…白衣のふたり)
救急病院に勤めるベテラン看護婦・小諸久美子の活躍を描いたシリーズの第一弾。交通事故で緊急入院した患者・早川の担当をする看護婦・小諸久美子。早川の部下という男から執拗に、彼が持っていたらしい重要な「物」の行方を聞かれていた。

この頃、やっと家族の体調もよくなり、狭山から新所沢へ引っ越しました。撮影に行く時は、それまでは狭山からまだ暗い早朝に車でアパートを出て、新所沢駅前の駐車場に車を停め、新所沢駅始発電車で現場に向かいました。毎日4時30分起きぐらいでしたね。新所沢を5時15分ぐらいの始発電車に乗っていました。そんな無茶苦茶をしていたのですが、若さで乗り切りました。よく知ったスタッフとの仕事でしたので、ストレスなどをあまり考えずに仕事出来ました。家族の健康の心配がある事は話していたので、孤独ではありませんでした。
この番組は「菊名記念病院」の全面協力のもと撮影しました。とても協力的で助かりました。私はこの第1作だけでしたが、この番組が評判よかったのか、パート10まで出来たようです。現場立ち会いの医療指導の方を現場についてもらうなど、いままでおざなりだった医療現場の撮影シーンを、かなりリアルに撮影しました。でも今見ると、点滴の落ちるスピード早すぎないか?とかいろいろ問題は散見出来ます。でもこの作品がきっかけで、リアルな医療現場の撮影をするようになった気がします。それまでは、助監督が調べてきた事や、美術部さんが借りてきた機器のスポンサーの方に頼りすぎていて、実際の医療関係の方のチェックはあまりなかったですから。この作品の頃から、角替和子さんと何度も仕事をしました。現場を和ませてくれる女優さんでした。演出部を立ててくれるというか、懐の広い女優さんでした。こんなに早くお別れが来るなんて思ってもみませんでした。残念です。下北沢で出会うと「よしかわさぁーん」と手を振っていただいた事を思いだします。
私はもう38才になっていて、チーフ助監督から、そろそろ監督にならなければと思っていました。しかし、前田陽一監督、池広一夫監督、出目昌伸監督などの大御所監督についていると、まだまだ自分が監督になるなんて、イメージ出来ていませんでした。足下にも及ばない。しかし、この番組あたりから、監督と自分との年齢差が気になって来たのもありました。事実、この3年後「横浜ばっくれ隊・純情ゴロマキ死闘編」で、完全に私より年下の監督の作品につく事になりました。





18「和宮様御留」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第18回

2020年06月18日 | こらむ
18「和宮様御留」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第18回

放送日:1991年1月1日
出演: 斉藤 由貴(斎藤 由貴)、藤谷美紀、的場浩司、司 葉子、池内淳
監督:出目 昌伸
制作:総合プロデュースー

激動の幕末を舞台に、政治的陰謀から将軍の奥方に迎えられた貴族の娘の替え玉の物語。

今日、何年かぶりに知り合いの助監督から電話があり「先日、ぼっきさんが亡くなったそうです」という連絡があった。なんという悲しい偶然だろう。その「ぼっきさん」はこの番組のスケジューラーでした。私とともにチーフ助監督でしたが、この番組はかなり大変なので、二人で分担しようという事になり、彼がスケジュール、私が現場チーフという事にしました。仕事上の戦友といってもいい仲間でした。その彼が・・・・まだ、60代の半ばなのに・・・・・・
30年ぶりぐらいに見たこの作品。すごいです。よくやったと思います。京都の床山さん、結髪さん、衣装さん、持ち道具さん、美術部パートの底力がないと出来なかったでしょう。今思い返せば、京都のスタッフはすばらしかったと思います。現場には、所作指導の先生に来ていただきましたが、それでも皇室の方々の動き、発声の仕方など、ありとあらゆる課題をクリアする必要がありました。
この番組は、お正月の特別番組でした。当時大人気の斉藤由貴さんが主演の「和宮」です。私、この「皇女和宮」の事をよく知らず、たくさん本を読んで勉強しました。監督は、黒澤明監督の助監督を務めた、あの出目昌伸さんでした。とてもやさしい方でした。我々助監督部より、時代劇には詳しい事がよくありました。でもそれをけしてひけらかさない、紳士な方でした。例えば、和宮様輿入れの隊列とか、監督による指示の方が詳しくて正確で、準備中に圧倒された事もありました。演出部としては恥ずかしいことでした。ともかくキャリアが全く違っていました。だって我々若い助監督は、めったに時代劇をやりません。京都の撮影所の演出部の方々は、しょっちゅう時代劇をされるので、知っていて当たり前の事を、東京の助監督は知りません。それはしかたがありません。でも、知らないでは撮影すみませんから、我々演出部も一生懸命に勉強しました。そうやって、どんどん知識を増やしていく事が、おもしろくてたまりませんでした。
そういった調べ物などの準備で忙しく、バタバタしていました。その忙しいという口実の中で、またも後悔する事件がありました。その忙しさにかまけて、出演者によっては衣装合わせをする時間がありません。時代劇ですから決まり物です。ですから衣装合わせはしなくて、撮影当日ですませる出演者も何人か出ました。その中に、もとから俳優ではなく、別の「芸能」の世界で頑張っている方がいました。しかし、衣装合わせをやらなかった事で、撮影当日トラブルが起きてしまいました。詳しくは書けません。やはり、異業種の方をキャスティングする時には、ちゃんと監督と顔合わせしておくべきだという事を学びました。それは当たり前の事なんです。その当たり前の事を、TVの準備時間では間に合わないと言い訳して、省略してしまう事がよくあります。しょうがないよ・・・スケジュール合わないし・・・と。出目監督が、「衣装合わせしないと聞いて、いやな予感したんだよ」とつぶやかれた事をはっきりと覚えています。すみませんでした。私と「ぼっきさん」は、ただ段取りだけに走ったかもしれません。「決まり物だから」という単純な事ではないのです。「芸能」で生きている人達は、単にそれでだけではすまされない思いの人もいるのです。「映像」に出るという事は、大きなプレッシャーなわけです。この事件が起きた時、前述の「ぼっきさん」と二人で頭を抱え込みました。しかしなんとか、そのシーンは別の日に撮影するという事でやり過ごしましたが、結局その方は降板となりました。取り返しのつかない事をしてしまいました。その方は後日、御病気で亡くなられました。悔やんでも悔やみきれません・・・・
斉藤由貴さんの事はよく覚えています。彼女はものすごく忙しかったのでしょう、撮影の合間に、セットに用意してある自分のイスに腰掛けたまま、いつも眠っていました。池内淳子さんは、その側でじっと笑顔で待機されていました。大先輩がすぐ側にいらっしゃるのに、彼女は寝ていました。本当に睡眠時間がなかったんでしょう。「そろそろ、出番です」声をかけると、彼女はハッとして起きます。こんなんで芝居出来るのかなぁと私は不安でした。ところが、本番は完璧なのです。それを何事でもなかったかのようにやります。すごい人です。こういう人を天才女優だとその時思いました。
京都の東映撮影所の方々には、本当に助けられました。エキスト集め。輿入れの行列の仕切り。撮影所の方々の助けがなかったら、あんな時代劇を、東京のメンバーでは絶対に出来ません。我々、何にも知りませんから(笑) お世話になった方々には、今でも御挨拶します。最近では、佐々部清監督作品「わが道」でもお世話になりました。当時の方々は、もうみなさん偉くなられたり、退職されていたりします。でも、若い頃お世話になった思い出は、なかなか忘れられません。






「ながらえば」  1982年 山田太一

2020年06月17日 | こらむ
「ながらえば」  1982年 山田太一

笠智衆・宇野重吉・長山藍子・中野誠也

隆吉は息子の転勤に伴って名古屋から富山へと移り住むことになったが、隆吉の妻・もとは入院中のため名古屋に残ることに。富山に引っ越した翌日、隆吉は名古屋に行くと言いだし、

NHKドラマでした。すばらしいぃいいい!!病弱の妻に会いたくて、富山に引っ越した途端、必死に名古屋へ戻ろうとする、笠智衆さんがいい。そして、宇野重吉さんもすごい。みんな、いい。妻の元に戻ろうとしても、どうしても邪魔が入って戻れない、あああ、早く早く、帰ってと、さすが、山田太一脚本でした。38年も前のドラマですが、全く色あせません。すばらしいです。

17後「ノサップ岬の女 北の港町殺人事件 青梅-根室-留萌、おんな捜査行」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第17回(後半)

2020年06月16日 | こらむ
17後「ノサップ岬の女 北の港町殺人事件 青梅-根室-留萌、おんな捜査行」
自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第17回(後半)

放送日:1989年10月7日 土曜ワイド劇場 
出演:浅野ゆう子、永島敏行、古村比呂、牟田悌三、名古屋章
監督:池広一夫
制作:東映
ノサップ岬の女 北の港町殺人事件!青梅-根室-留萌、おんな捜査行
妻子ある作家を愛した料理旅館の女将の悲劇を描く。

池広監督にめちゃ怒られました。いえ、ちゃんと調べていたんですよ。満潮・干潮・大潮・小潮の時間は。海岸線で撮影していたら、どんどん潮が満ちてくるのです。やばいやばい、俳優さんの足下まで波が迫ってくる。しかたなく、その立ち位置をずらして撮影を再開しますが、またもや波が接近して・・・・とうとう、池広監督から雷が落ちて、助監督はちゃんとしらべていたのかぁ!基本中の基本だぞ!!はい。すみません。ちゃんと調べていたのですが・・・と言うのも言い訳になって・・・・海って怖いです。いきなり波が来るんですよ。
3つ目は、大事件でした。根室の撮影が終了して、留萌まで大移動です。移動時間7時間ぐらいかかりそうでした。北海道を右端から左端まで、車移動ですから大騒ぎです。撮影部の車は、ハイエース。スタッフはロケバス。浅野ゆう子さんは乗用車でと、3班に分かれて移動を開始しました。撮影部は先についたら、留萌の夕焼けを撮影してホテル入りというスケジュールでした。8月の暑い北海道でした。出発すると、監督はバスの運転席のすぐ後ろに陣取って、頭にハチマキしながら、さあコンテ割るぞと宣言して台本を広げました。私は、バスの真ん中に座りました。数時間たって、どこかの川沿いをバスは走っていました。たぶん富良野の近くでした。私はだんだん眠くなってウトウトしていました。その時です、悲鳴のようなクラクションの音で目が覚めました。なんというか「パンパンパーン」というクラクション。私はふと目を上げると、なんとバスのフロントいっぱいに、センターラインオーバーして対向車が突っ込んで来るのが見えました! あーっと声をあげて、私は前のイスを握りしめました。直後にバスはガッシャァーン!と大きな音をたて、左側に傾いていきました。私は心の中で、左側は川だったと瞬間に思いました。バスはガタガタガタと左側に落ちていき、横転しました。助かったのは、横転したところが、川でなく河原になっていた事でした。横転した車内で、私は「監督は!」と叫びました。すると監督はバスの入り口のステップに落ちていました。立ち上がった監督の目には、ずり落ちたハチマキかかぶっていました。監督も何が何だかわからず「どうした・・・・」
少しこっけいなお姿でした。笑い事ではありません。幸い怪我もなく無事だった私は、窓から脱出し道路に戻ると、突っ込んできた対向車は完全に向きが逆になっていました。道路上は大騒ぎですが、私にはほとんど音を感じませんでした。すると突然、大破している車のドアが開き、一人の男が血だらけになって出てきて、路肩の方に座り込みました。私は、ふと自分はチーフ助監督だ、しっかりしなくてはという気持ちになり、その血だらけの男に「大丈夫ですか?」と声をかけました。男は「俺はぶつかってねぇ、俺はぶつかってねぇ」とつぶやきました。たぶん居眠りなんです。あとで聞いたら海水浴帰りだったそうです。助手席の人は亡くなったそうです。道路上は大渋滞になり、パトカー、救急車が続々と到着してきました。警察官が私に近寄ってきました。私もスタッフを代表して、いろいろ説明したような記憶があります。パトカーの無線では「東京の土曜ワイドの撮影スタッフの乗ったマイクロバスと・・・・」と、まるでドラマの撮影をしてるかのようなやりとりをしています。参考になりました(笑)
監督も無事で、メークさんと衣装さんが、少しむち打ちぐらいですみました。どうやってその日留萌に到着したか覚えていません。浅野ゆう子さんを乗せていなくて、本当によかったです。撮影部のハイエースは、無事に留萌に着いて見事な夕陽の撮影をしたそうです。本編のラストカットに使われています。いやー、びっくりした大事故でしたが、幸運もありましたね。しかし、ここには書けない事実もあり(笑)なかなか記憶に残る北海道ロケでした。

17前半「ノサップ岬の女 北の港町殺人事件 青梅-根室-留萌、おんな捜査行」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第17回(前半)

2020年06月15日 | こらむ
17前半「ノサップ岬の女 北の港町殺人事件 青梅-根室-留萌、おんな捜査行」
自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第17回(前半)

放送日:1989年10月7日 土曜ワイド劇場 
出演:浅野ゆう子、永島敏行、古村比呂、牟田悌三、名古屋章
監督:池広一夫
制作:東映
ノサップ岬の女 北の港町殺人事件!青梅-根室-留萌、おんな捜査行
妻子ある作家を愛した料理旅館の女将の悲劇を描く。

私にとって激動の1989年です。この年、「その男、凶暴につき」を撮影した直後の番組です。有名な池広一夫監督です。監督は見るからに映画人という風貌で、貫禄がありました。主演の浅野ゆう子さんともコミュニケーションよく、スタッフも監督のお知り合いが多く(大映出身の方々)とても雰囲気のいい組でした。チーフ助監督として、私も自信をつけていた頃で、頑張ろうという気持ちいっぱいでした。そしてまた、北海道ロケがありました。根室(ノサップ岬)から留萌まで、北海道横断ロケです。撮影するには、事前の下見(ロケハン)があります。ですから、この番組で2回北海道へ行ったのです。ロケハンと本番。どんどん北海道が好きになっていきました。しかし、この3年後、映画「いつかギラギラする日」深作欣二監督作品で、えらいしんどい撮影が待っているなんて、予想もしていませんでした。その話はまた別の機会に。浅野ゆう子さんは、美しかった。永島敏行さんは難しい役だったけど、すごく頑張っていた。牟田悌三さん、名古屋章さんはいい味があって、このような方々が日本映画を支えていたんだと思います。
撮影の思い出の中で、3つ大きな思い出があります。その一つですが、ロケハンで留萌に着いた時の事でした。監督も私も、初めての留萌です。監督は「さて、どこから攻めよう」とロケハンの段取りの話を始めました。そして、「まず全体を見よう。留萌の町全体を見渡せるような場所に連れて行ってくれ」と製作部に指示を出しました。心の中で私も大賛成でした。基本、全体だよな。それが基本だよ。と思いました。高台に着いて、留萌の町全体を見回しながら、地元の案内の方に、説明を受けました。番組の中でも、その高台から撮影したショットが使われています。映画の基本を忠実に守っておられる、池広監督はさすがだと思いました。生意気ですが、撮影とは「何か」を熟知されている監督だと思いました。私も、これは勉強になったなぁと感じました。
ところがです、実は直前に撮影した「その男、凶暴につき」で、こういった映画作りを否定しながら撮影しているスタッフの一人だったのです。「その男、凶暴につき」では、編集でカットされ、撮り直しした部分があるのですが、それはファーストシーンで、浮浪者が駅そばの公園の片隅にある水道で、水を飲んでいるというシーンです。映画はそこから始まりますが、当初違っていました。幻のカットになりましたが、東京タワーをメインとする東京の大夜景から始まり、カメラパーンすると、山手線の駅が見える。ホームには会社帰りのサラリーマンがいくつか、さらにカメラがパーンすると、駅のそばにあるなんでもない公園。そこの水飲み場にズームで寄っていくと、浮浪者が水道で水を飲んでいる。これがファーストシーンでした。すばらしいカットだと思います。大都会から浮浪者までワンカットで見せる。スタッフは自画自賛していました。私もすばらしいカットだと思いました。しかし、1週間後、北野監督は、このシーンを取り直ししたいと言ってきました。我々スタッフは驚き。なぜ・・・・。北野監督の説明は「最初から浮浪者の口のアップでいきたい」という事で、スタッフは愕然としました。それは、何故に浮浪者から?「だって・・・」「だって?」「恥ずかしぃ」「恥ずかしい?」「よくあるよね、そんな感じ・・・説明だよね」といったような会話でした。なるほどね。よくあるね。それは説明か・・・でも、全体の引きからだんだん細部に入っていくのは、映画作りの基本中の基本です。映画監督初心者のあなた、ちょっと冒険しすぎてませんか?(笑) 映画作りのノウハウを無視しようとする北野監督と、映画作りの基本を守る池広監督。この二人に連続して私はつきました。どちらが正しく、間違っているという事はないと思いますが、いろいろ考えさせられました。自分自身が映画監督になった時、私はどうするか、高台に行くか、局所にこだわるか・・・もし映画監督になる事が出来たらの話ですが・・・・(汗)

話がそれました。こんな感じで、留萌の高台に立った時の事をいろいろ思い出します。全体の引きから入っていくのは、映画作りのセオリーです。池広一夫監督も先輩から学び、私達も池広監督から学んで、そうやって映画作りの伝統というかノウハウが引き継がれていく。そう思っていました。映画作りには基本が大事という事も、強く思っていました。こうやて「ノサップ岬の女」の撮影が進んでいったのですが、その後、池広監督にめちゃ怒られ、ロケバスが大変な事になるという大事件がありました。<続く>













16「親分の後妻は聖女」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第16回 火曜スーパーワイド

2020年06月12日 | こらむ
16「親分の後妻は聖女」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第16回
火曜スーパーワイド
放送日:1989年3月21日
出演:田中邦衛、黒木瞳、橘ゆかり、畠田理恵、山下規介、峰岸徹、室田日出男
監督:和泉 聖治
制作:松竹芸能

この番組は、先輩助監督原田昌樹さんに誘われたように記憶しています。原田さんがチーフで、私は久しぶりにセカンドをやったと思います。原田さんに誘われれば断れなかったと思います(笑) 今、見直すとかなりテンポもよくおもしろい。さすが、和泉聖治監督です。何回もクスクス笑って見ました。田中邦衛さんと、何回目の仕事でしょうか。こうやって冷静に自分の仕事を見直すと、もう5回~6回は主役の番組で一緒してます。びっくりです。
私は、あんまりヤクザ物に興味がありませんでした(なにせ、スタートが熊井啓監督ですから(笑))。でも今回この作品をやった事で、次の仕事に役に立った事がありました。次の仕事が、「その男、凶暴につき」のキャスティングです。なぜそれをやったのかは、別の機会に記録するとして、北野映画の第一作目「その男、凶暴につき」はヤクザがいっぱい出るんです(^^ゞ 若いチンピラのオーディションする事になり、私はこの「親分の後妻は聖女」に出ていた若者2人、小沢一義・寺島進、そして「ドクター・クマヒゲ」に出ていた、川上泳を、オーディションに呼んだのです。で、その3人は見事出演が決まりました。もし、この作品で出会わなければ、私は北野映画に呼んではいなかったでしょう。人生は巡り会いですね。彼らのその後の活躍は、自分自身の努力でしかありません。私は、この後、助監督とキャスティングを平行してやって生きていく訳ですが、この時はキャスティングをやるなんてみじんも思っていませんでした。ただ、助監督として現場にいた事で、実際に俳優さんにお会いして、その雰囲気や力量、クセなどを自分の目で見ていた事は、その後私の宝となって、自分自身を助けてくれました。今となっては、助監督をやっていて本当によかったと思っています。





15「ドクター・クマヒゲ 男女やさしさ物語」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第15回

2020年06月11日 | こらむ
15「ドクター・クマヒゲ 男女やさしさ物語」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第15回
火曜スーパーワイド
放送日:1989年3月14日
出演:滝田栄・渡辺正行・伊藤かずえ・松本典子・野々村真・鹿沼えり
監督:山本厚
制作:総合プロデュース

1989年バブルの真っ最中、私もバブルでした。最悪のバブル。36才になるこの年、私は4本もの2時間ドラマをやっています。1本の2時間ドラマで、準備1ヶ月半、撮影2週間。ほぼ2ヶ月拘束です。4番組ですから、これで8ヶ月は仕事しています。番組と番組の間に一月の休みを入れると、まるまる1年です。こんな事普通考えられません。サードの頃は、仕事が来るまで、バイトでつないでいたのに・・・・この「ドクター・クマヒゲ」を見て気がつきましたが、次週の番組「親分の後妻は聖女」も私が参加した番組でした。連続放送です。私は、超売れっ子だったんですね(笑)
そして、この年の8月に、私が初めてキャスティングした映画「その男、凶暴につき」が公開されています。キャスティングに大きく舵を切り始めた年でした。全くそのつもりはなかったんですが・・・・そして、家族の入院。そのために都心から、所沢への引っ越し、子供は小学校へ入学。そしてすぐ親戚がいる狭山へ引っ越し。子供は、すぐ転校・・・・・個人生活は、とんでもない事になりました。しかし、仕事は順調に来るのです。バブルだったんですね。
この番組は、楽しかった思い出がいくつかあります。主に新宿歌舞伎町がメインロケセットでした。私の学生時代のアルバイト先が主に新宿だったので、自分の庭で撮影していた感じで、とても精神的に楽でした。そして、北海道・ニセコでのロケーションもあり、ロケ現場のスキー場でスキーをして遊んだ記憶があります(笑) 当時は、スキーが流行っていましたね。
スタッフも、前年に朝ドラ「おさと」と一緒だったメインカメラマンなど、たくさんいて、気心がしれていて、とてもやりやすかった。「おさと」の頃、スタジオで苦労していた私を見ていて、カメラマンはあいつ変わったADと思っていたようです。好印象を持ったという意味ですよ(笑)
今、この番組を見ると、物語的には甘いところがたくさんあるのですが、すべてが懐かしく、トラブルの思い出もありません。この後、ドクター・クマヒゲ2と3と続きましたが、私はこの1本だけでした。なぜ、やらなかったのか記憶がありませんが、たぶん家族の入院・退院とバタバタしたんでしょう。肉体的にも、知識・技術的にも、怖いもの知らずで、自信満々の時期でした。そんな時期が一生のうち1回はあってもよいでしょう(^^ゞ





「ムチャな弁護士大活躍 悩みいろいろ!?女のワキ毛抜き事件から実子誘拐事件まで」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第14回

2020年06月08日 | こらむ
「ムチャな弁護士大活躍 悩みいろいろ!?女のワキ毛抜き事件から実子誘拐事件まで」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第14回
火曜スーパーワイド
放送日:1989年1月24日 火曜スーパーワイド劇場
出演:渡辺 徹、伊東四朗、萩原流行、風祭ゆき、黒木香
監督:前田 陽一
制作:

ムチャな弁護士大活躍 悩みいろいろ!?女のワキ毛抜き事件から実子誘拐事件まで
弁護士で貧乏劇団の団員・論平(渡辺徹)は、公演資金の借用のために慰謝料の請求の仕事を受けるが、先方の顧問弁護士・速水(萩原流行)に突っぱねられた上に、逆に告訴される立場に追い込まれてしまう…。

前田陽一監督に付くという事は、とても楽しみであり、緊張がありました。というのは、当時「映画村」という素人映画好きが集まったムーブメントがあって、学生時代から、私はその中心メンバーでした。その「映画村」に前田陽一監督もゲストで参加していただいた事があったのです。その頃は、私はもう助監督として働いていたので、なかなか「映画村」に出席出来ない頃でした。いつかは現場で御一緒出来ると思っていましたが、こういう形で実現するなんてという思いでした。
映画村で一番御世話になっていたのが、同じ松竹の山根成之監督でした。結局、山根監督とは現場で一緒に仕事する機会はありませんでした。そういったいきさつもあり、前田陽一監督に迷惑はかけられないという不安がありました。しかし、前田監督も私も、心の中では「TV」ではなく「映画」で一緒に出来たらよかったねという感情があったと思います。チーフ助監督として、私も自信もついてきた頃でしたので、いずれ自分も映画監督になるぞという気持ちがありました。赤坂の居酒屋で、一度だけ監督と2人で飲んだ事があります。何の話をしたかどうか、もう覚えていません。前田監督もシャイで、なかなか距離をつめようとはなさらず、私も、いくら「映画村」のお付き合いがあったとはいえ、監督と助監督としての立場はわきまえなければならない。そう思っていました。もう少し、フランクにすればよかったかなぁと今は後悔しています.
番組の内容もかなりはちゃめちゃでした。素人演劇集団の中に、渡辺徹さんが所属していて、劇団の問題を解決すれば、次の公演は主役に抜擢させるという約束で、大活躍するというストーリーです。渡辺徹さんとは「太陽にほえろ」で一緒だったので、2回目でした。でも、だからといって親しくなれるわけでもなく(笑) そんな事より、このドラマ上の素人劇団が、あの有名な「夢の遊眠舎」のメンバーでした。この番組の中で、法律を説明するためのコントをしたりして、大活躍するのですが、当時、私はあまり演劇に興味がなく、誰も知りませんでした(笑) 

ただ撮影中に、忘れられない大事件が起こりました。それは出演者の一人、萩原流行さんを怒らせてしまった事です。確か、三鷹のホテルのどこか1フロワーを借り切って撮影していた時のことでした。萩原流行さんには、1Fのロビーのソファーに座って、待機をお願いしていました。撮影する部屋の中は狭くて、チーフの私も入れず、セカンドに進行をまかせていました。部屋の中の撮影の最後のカットが始まりました。次のシーンは廊下で、萩原さんの出番です。セカンドの助監督から合図があり、私はロビーに萩原さんを呼びに降りて行きました。萩原さんを上げて、すぐ撮影という段取りのつもりでした。ロビーで待っている萩原さんに、「そろそろお願いします」と伝え、一緒にエレベーターに乗り込み、撮影現場の階に着きました。すると、予想外にも、部屋の撮影がまだ続いていてカメラは廊下に出ていませんでした。
「ちょっと段取りが変わったようで、すみません、ちょっとお待ちください」と萩原さんに伝えました。すると、萩原さんのかなり怒った顔が、私の目の前にありました。下でずっと気持ちを作っていて、さあ芝居をするぞという気持ちでエレベーターに乗ったのです。ところが、私が気安く「ちょっとお待ちください」とか言ったものだから、役者の気持ちを理解していないバカ野郎と思われたのです。私は「もうすぐ出番ですので、上で少しお待ち願います」と、ちゃんと説明して呼べばよかったのに、生意気にも「では、お願いします」ぐらいしか言わなかったのです。
私は助監督としての「仕事」に慣れすぎて、油断していました。ああ、俳優さんは待っている時から、気持ちの整理をしていて、声がかかればスタートなんだなぁ、と教えてもらいました。この事件から、俳優さんの呼びに関しては、かなりデリケートになりました。これも萩原さんに怒られなければ、未だにわからなかった事かもしれません。ありがとうございました。前田陽一監督も、山根成之監督も、萩原流行さんも、・・・思い出がある人から先に亡くなってしまう・・・・




番外編3 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ 手元にビデオがなくて、もう見られないシリーズ(泣)

2020年06月04日 | こらむ
番外編3 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ
手元にビデオがなくて、もう見られないシリーズ(泣)

朝の連続ドラマでは、我々スタッフは自宅へ帰る暇ありませんでした。当時、バブルのまっただ中で、世間はタクシーチケットが大流行。そのチケットをもらって帰宅してよいのですが、朝また出勤するのが大変です。ですから、渋谷ビデオスタジオのそばのカプセルホテルに、月・火と泊まっていました。家族も放りっぱなしで働きました。家庭をかえりみる余裕もありませんでした。それが数年後、家族の大病という大きなしっぺ返しとして戻ってきました。しかし、当時はそんな事考えもせず、スタジオ内を必死で動き回って、「本番、5秒前」を叫び続けていました。もう、慣れ慣れです(笑)
ADさんで感心したのは、慣れている人は、セット図面を見て、リハーサル室の床に、テープでバミリ出来るという事です。テープで実寸大のセットの大きさを作りました。そこで、リハーサルするんです。ですから、セットのバミリは非常に重要でした。私は、そんなに得意ではなかったので、セカンドのADさんに御願いしていました。ADさんといえど優秀な人もいました。
スタジオドラマの経験を積んでいくと、ひとつわかった事があります。撮影の時間が足りなくなると、なんとか工夫して、スケジュールをこなしていかなくてはなりません。そういった場合、奥の手があるのです。それは、芝居をしている俳優さんを動かさないという事です。立ちっぱなしか、座りっぱなしにするのです。そうすれば、カメラは俳優さんを追いかけなくてもいいのです。カメラは動かずにすむし、簡単に撮影が進みます。俳優さんが動くと、カメラはそれをフォローして動かざるを得ません。そうすると、どうしても失敗します。マイクが入っただの、美術的な何かがバレただのといって、NGがでます。そうするとやり直しです。そういった難しい(面倒な)撮影は、経験のある2カメ、3カメさんがやるようにしますが、どうしても両サイドの1カメ、4カメさんがやらざるを得ない時があります。両サイドは若手が担当するのです。その若手カメラマンが、俳優さんをうまくフォローして成功すると、他のカメラマン達がニコニコしてました。インカム通して「やるじゃん」とか仲間うちで話していました。そうやって、若手が育っていくのです。
ですから、撮影が押したら、出演者を動かさない事なんです。その典型的な例が、よくある茶の間の食事シーンです。なんだか俳優さんが動かないなぁと感じたら、撮影が押しているのです。もしくは、1日の分量が多くて大変な日という事が予想されます。もう、こんな事ばかり考えてドラマを見てしまうので、楽しめなくなります。ですから、私はNHKの朝ドラが、なかなか楽しめません。職業病ですね(笑)
半年ぐらい撮影したでしょうか、長かったけど、いろんな事を学習しました。自信もつきました。しばらくして、同じ会社から、次の連続ドラマをやらないかとオファーが来ました。次は、スケジューラーでやらせてくださいと私は御願いしました。もう、スタジオ4カメ撮影のスケジュール作れます。若くて、体力ありました。なんでもどんどん吸収していました。映画監督になる事は、もう横において、次のミッションをクリアする事に喜びを感じていたのかもしれません。


「日本ジャンバルジャン物語 愛無情」
放送日: 1988年7月4日~9月30日
出演:榎木孝明、原日出子、岡本信人、久保菜穂子、大橋吾郎、岡本信人、野口ふみえ、小坂一也、浅利香津代、内田朝雄、井上昭文、立花理佐、高沢順子、石橋保、
監督:花堂 純次、福田 真治、松生 秀二、小野 俊和
制作:泉放送制作、THK

弁護士を目指していた男が、好きな女性のために犯罪を犯し投獄される。明治末期の静岡県牧の原台地。貧しくも弁護士になる希望に燃える士郎は、恋人・雪子の父の手術費用のために、茶問屋川徹の倉庫に忍び込み一袋の茶袋に手をかけてしまう。やむにやまれぬ事情からの些細な罪だったが、この事件が士郎や雪子の人生を大きく狂わせはじめ…。『レ・ミゼラブル』を下敷きにした日本版ジャンバルジャン物語。

次のミッションがこの連ドラでした。スタッフはほとんど一緒でした。半年やると、もう仲間意識がみんなに芽生えていました。私は、チーフAD(スケジューラー)として現場にいました。ADさんと呼ばれる事に違和感は持ちつつ、でも助監督と同じような気持ちで仕事していました。ある日、撮影の初日が終わりましたが、全然撮影スケジュールを消化出来ません。2日目の夕方近くになると、ブースの中には重苦しい雰囲気が漂ってきました。このままでは3日で撮り切れないという雰囲気です。でも4日目はスタジオがありません。どうしても、3日で撮影しなければなりません。私も思い悩んで、TDさんに(現場の総責任者みたいな方・スイッチングする人でした)このままじゃ、撮り切れないので、切れるシーンは(なくてもなんとかストーリーはつながって理解できる)、カットしましょうよ。そうでないと、終わりません。決断してくださいよ、と提案しました。すると、TDさんが不思議そうな顔をして私を見るのです。君は何を言っているの?みたいな・・・・フィルムの現場なら、チーフ助監督は撮影を完遂させるために、いろんな提案を監督、プロデューサーにします。私は、そんなつもりで発言していました。
後日、TDさんは「吉川は、やっぱどこか違うADさんだったよね。普通ADは何も言わないよ」と言うのです。ADさんは、どうやら上からの指示を常に待っていて、降りてきた指示によって動くという事がわかって来ました。だから、私はとんでもない事をしていたのです。ADが発言するなんて・・・・(笑) だいぶ盛って書いているかもしれませんが(笑)その時のTDさんにとって、変わったADだと思われていたようです。でも、これはすごい褒め言葉だと思って、私はありがたく記憶しております。こうやって、無事にほぼ1年に渡る朝ドラの撮影は終わりました。私はフィルムもスタジオドラマも、両方出来るスーパー助監督になっていました(笑) そんな人、当時たくさんはいなかったと思います(笑)もう、これで家族を飢えさせないですむという自信を持つ事が出来ました。得る事も多かったのですが、家族の健康を顧みないというマイナスもあったのです。

番外編2 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ 手元にビデオがなくて、もう見られないシリーズ(泣)

2020年06月03日 | こらむ
番外編2 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ
手元にビデオがなくて、もう見られないシリーズ(泣)

世の中はバブル絶頂時代。チーフ助監督になったばかりでしたが、そう簡単には仕事は来ませんでした。フィルム時代が終わって、ビデオ撮影が当たり前になってきました。フィルム出身の私は、ビデオ撮影のワンカメであれば、問題なく自信もあったのですが、スタジオの4カメラ撮影は、やった事がありませんでした。「本番5秒前・・・」とか言って撮影を進行させる、あれです。あれをやるべきか、このままでは、仕事がなくなる。なんとかしなければいけないと、少し焦っていました。ここで、ビデオなんて出来ないとフィルムのプライドをぶつけるか、こだわりなくビデオの世界になじんでいくか、なんとなく自分の生き方を、選択させられる時代になっていたように思います。結局私は、意外とこだわりなく4カメのスタジオドラマに入っていけました。プライドなかったんですかねぇ(笑)プライドというより、生きていかなければ、食っていかなければという気持ちが強かったかもしれません。子供が4才ぐらいでした。食べさせなければなりません。なぜかちょうど偶然に、スタジオ連続ドラマをやらないかと声がかかったのです。バブルの時代で、ビデオの助監督(AD)が足りなかったのでしょう。私は、チーフ助監督でスケジュール組みますが、スタジオドラマはやった事がないので、フロアーチーフぐらいだった出来ると思いますと返事しました。若かったです。怖いもの知らずでした。やったことないのに、いきなりフロアーチーフです。フィルムでいえば、セカンドクラスの仕事だと思っていました。あの「本番、5秒前・・・」って言う役割です。やった事ないのに(笑) こうやって飛び込んだのが、民放の朝の連続ドラマです。月~金の10時から10時25分まで。週5回放送ですから、撮影の分量はかなりのものになります。月・火・水撮影、木が休み、金がリハーサル、土・日は撮影準備というハードスケジュールです。なんとかなるだろう、ポジティブに考えていました。若かった(笑)バカだった(笑) 手元にはビデオが残っていないのでもう、見返す事もなく・・・でも、私としては自分の人生の中で大きく舵を切った番組でした。その舞台は今はもうない、渋谷ビデオスタジオでした。NHKの目の前にありました。

「おさと」  
放送日:1987/10/05~1988/04/01
主な出演 沖直美(沖  直未)、芦屋雁之助、速水 亮、内藤武敏、清水善三、丹阿弥谷津子、長門裕之、早崎文司、長谷川哲夫、清水めぐみ、誠 直也、奈良富士子、
主な演出 山本 和夫、中村 金太、福田誠
局系列 NNN
制作会社 ITP、YTV

文楽人形細工師の娘として生まれ、後に鯛みその老舗を支える女・おさと(沖直美)の人生を描く。一部資料では放送回数全127回と記載されている。

こういった連ドラでは、主演の方が本当に大変です。膨大な台詞の量になります。
月曜日 9時開始~終了25時
火曜日 10時開始~終了26時30分
水曜日 10時開始~終了27時
このようなスケジュール感だったと思います。主演クラスの俳優さんは、寝る暇も台詞を覚える時間もありません。たぶん、土曜日、日曜日の2日で全部(5日分)覚えていたんだと思います。主演の「おさと」役、沖直美さんは、本当に頑張っていました。忘れられないのは、撮影の後半戦に入った頃、長門裕之さんが亡霊となって現れたシーンで、気持ちがこもりすぎて、監督の「カット」の声がかかると同時に、沖さんが失神してしまいました。彼女にただならぬ気合いが入っているのが、そばにいて私はよくわかっていました。その彼女が私の横で、バタンと大きな音をたてて倒れてしまったのです。スタジオ中騒然となりました。すぐ回復されて、大事にいたらなくてよかったです。俳優さんが失神された場面に遭遇したのは、これまで3回もあります。それぐらい、精神が集中する仕事なんですよね。
スタジオドラマでは、助監督は、ADさんと呼ばれます。フイルム育ちの助監督は、ADと呼ばれる事をいやがる人もいます。その気持ちよくわかります。でも私は、職場が変われば仕方がないことで、割り切っていました。逆にプライドを持って、私を逆にADと呼んでくれと思っていました。そして、自らわざと「ADの吉川です」名乗っていました。心の中で、そこらへんのADとは、ちょっと違ったADですよ。そう思わせてやると!と闘志を燃やしていました。<続く>