18「和宮様御留」 自分が参加したTV番組をもう一度見直してみようシリーズ第18回
放送日:1991年1月1日
出演: 斉藤 由貴(斎藤 由貴)、藤谷美紀、的場浩司、司 葉子、池内淳
監督:出目 昌伸
制作:総合プロデュースー
激動の幕末を舞台に、政治的陰謀から将軍の奥方に迎えられた貴族の娘の替え玉の物語。
今日、何年かぶりに知り合いの助監督から電話があり「先日、ぼっきさんが亡くなったそうです」という連絡があった。なんという悲しい偶然だろう。その「ぼっきさん」はこの番組のスケジューラーでした。私とともにチーフ助監督でしたが、この番組はかなり大変なので、二人で分担しようという事になり、彼がスケジュール、私が現場チーフという事にしました。仕事上の戦友といってもいい仲間でした。その彼が・・・・まだ、60代の半ばなのに・・・・・・
30年ぶりぐらいに見たこの作品。すごいです。よくやったと思います。京都の床山さん、結髪さん、衣装さん、持ち道具さん、美術部パートの底力がないと出来なかったでしょう。今思い返せば、京都のスタッフはすばらしかったと思います。現場には、所作指導の先生に来ていただきましたが、それでも皇室の方々の動き、発声の仕方など、ありとあらゆる課題をクリアする必要がありました。
この番組は、お正月の特別番組でした。当時大人気の斉藤由貴さんが主演の「和宮」です。私、この「皇女和宮」の事をよく知らず、たくさん本を読んで勉強しました。監督は、黒澤明監督の助監督を務めた、あの出目昌伸さんでした。とてもやさしい方でした。我々助監督部より、時代劇には詳しい事がよくありました。でもそれをけしてひけらかさない、紳士な方でした。例えば、和宮様輿入れの隊列とか、監督による指示の方が詳しくて正確で、準備中に圧倒された事もありました。演出部としては恥ずかしいことでした。ともかくキャリアが全く違っていました。だって我々若い助監督は、めったに時代劇をやりません。京都の撮影所の演出部の方々は、しょっちゅう時代劇をされるので、知っていて当たり前の事を、東京の助監督は知りません。それはしかたがありません。でも、知らないでは撮影すみませんから、我々演出部も一生懸命に勉強しました。そうやって、どんどん知識を増やしていく事が、おもしろくてたまりませんでした。
そういった調べ物などの準備で忙しく、バタバタしていました。その忙しいという口実の中で、またも後悔する事件がありました。その忙しさにかまけて、出演者によっては衣装合わせをする時間がありません。時代劇ですから決まり物です。ですから衣装合わせはしなくて、撮影当日ですませる出演者も何人か出ました。その中に、もとから俳優ではなく、別の「芸能」の世界で頑張っている方がいました。しかし、衣装合わせをやらなかった事で、撮影当日トラブルが起きてしまいました。詳しくは書けません。やはり、異業種の方をキャスティングする時には、ちゃんと監督と顔合わせしておくべきだという事を学びました。それは当たり前の事なんです。その当たり前の事を、TVの準備時間では間に合わないと言い訳して、省略してしまう事がよくあります。しょうがないよ・・・スケジュール合わないし・・・と。出目監督が、「衣装合わせしないと聞いて、いやな予感したんだよ」とつぶやかれた事をはっきりと覚えています。すみませんでした。私と「ぼっきさん」は、ただ段取りだけに走ったかもしれません。「決まり物だから」という単純な事ではないのです。「芸能」で生きている人達は、単にそれでだけではすまされない思いの人もいるのです。「映像」に出るという事は、大きなプレッシャーなわけです。この事件が起きた時、前述の「ぼっきさん」と二人で頭を抱え込みました。しかしなんとか、そのシーンは別の日に撮影するという事でやり過ごしましたが、結局その方は降板となりました。取り返しのつかない事をしてしまいました。その方は後日、御病気で亡くなられました。悔やんでも悔やみきれません・・・・
斉藤由貴さんの事はよく覚えています。彼女はものすごく忙しかったのでしょう、撮影の合間に、セットに用意してある自分のイスに腰掛けたまま、いつも眠っていました。池内淳子さんは、その側でじっと笑顔で待機されていました。大先輩がすぐ側にいらっしゃるのに、彼女は寝ていました。本当に睡眠時間がなかったんでしょう。「そろそろ、出番です」声をかけると、彼女はハッとして起きます。こんなんで芝居出来るのかなぁと私は不安でした。ところが、本番は完璧なのです。それを何事でもなかったかのようにやります。すごい人です。こういう人を天才女優だとその時思いました。
京都の東映撮影所の方々には、本当に助けられました。エキスト集め。輿入れの行列の仕切り。撮影所の方々の助けがなかったら、あんな時代劇を、東京のメンバーでは絶対に出来ません。我々、何にも知りませんから(笑) お世話になった方々には、今でも御挨拶します。最近では、佐々部清監督作品「わが道」でもお世話になりました。当時の方々は、もうみなさん偉くなられたり、退職されていたりします。でも、若い頃お世話になった思い出は、なかなか忘れられません。