「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「お盆15日」

2011年08月15日 | 家族・孫話

     
   

お盆、8月15日。各地でしめやかに終戦記念日の慰霊行事が行われている。
我が家はと言えば、二人の孫に正座させ、一人を膝の上に、お線香をくゆらせ、思いっきりおりんを鳴らしてお仏壇に手を合わせる。
せめてもの先祖に思いをいたす恒例行事である。
今は幼い孫達に、今日が終戦記念日であることを正しく教える日も遠くないのだろう。

この日は孫三兄弟の次男坊、愛しのカー君のお誕生日である。満9歳になった。
しめやかなお盆行事をよそに、お祝いムードに包まれ、甲高い声ではしゃぐ姿に、仏壇の奥で両親は苦笑いしているに違いない。

お祝いのバーベキューを前にスイカ割り。
いつの間にか主役の座は一番おちびさんの悠雅くんが勤めている。肝心なカー君は、バースデーケーキのロウソクを吹き消すときの言葉を考えている様子。

可哀想に、三人兄弟の次男坊。上からは家来同様の扱いを受け、下は我が儘放題好きなことをする。ついつい叱られ役が次男に行く。何かにつけて割が合わない。同じく次男坊の私が守ってやらねば・・・と時々助け船を。
ロウソクの火を吹き消すのも、どうかすると三男坊がわれ先に消そうとする。
そうはさせじと、結局準備していた「アイサツ」も不発に終わったカー君。せめてもの抵抗が、今夜はじいちゃんちに一人でお泊まりとい我が儘。

ついさっき眠りにつく前に「何をいおうとしたん?」と聞くと、「もう忘れた」と笑った。
やれやれ、三人を同じように大事に扱おうと思えば骨が折れる。
物入りの上に神経遣わされて・・・。などと愚痴るな!
彼らのお陰で毎日笑顔を絶やさなく生きているんじゃないか・・・。

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「叔母の白寿を祝う」

2011年08月14日 | つれづれ噺

  

明治32年生まれの父が亡くなって丸38年。今日が39回目となる祥月命日。
朝一番の事はじめは、お盆提灯に灯りをともし、仏前に心静かに合掌。

そして、明治41年生まれの母が、101歳でお浄土に旅立って2年9カ月になる。
何かにつけて今なお、ああもしてやれば、こうもしてやればよかったのに、との思いが胸に迫るお盆である。

そんな母は、4人兄妹の第2子で長女。すぐ下に4つ違いの妹がいる。
岩国の金さん銀さんと言われるほどよく似た、大の仲良し姉妹であった。
母の死の直前までたびたび一緒に病状を見守って頂いた叔母である。

その叔母が目出度く白寿を迎えられた。
今なお認知症などの兆候もなく、1人で生活をしている、とっても話のわかる、可愛い99歳である。私たち甥っ子が三人招待されたが、東京から福岡までの親戚、老若男女総勢28人という盛大な白寿お祝いパーティとなった。

もちろん主催は、現在岡山市在住の長男夫婦。
言うに及ばずいとこどうしなのだが、普段のお付き合いが少なく、最初はお互い少しだけ遠慮気味。実際にスタートしたら、ホスト役の彼が大いに盛り上げる。
とってもリラックスした祝賀ムードに引き込まれて、決して嫌いではないカラオケマイクを握った。

今は、足が悪くなって畑に出られなくなったが、それまでは、顔を出せば旬の野菜を持たせてもらっていた。土を耕し、草を相手に農作業で過ごす時間が、あの悠然とした人柄をはぐくみ、元気で長生きの原点だったのだろうか。

片方で彼岸の両親を追悼し、片方で此岸の元気な叔母の白寿を祝う。
なんとなくいいことをしたようなお盆気分に浸っている。
あいにく、晩夏の十五夜の月は雲間でひと休みしている。

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「ちょっとおぼろな十三夜」

2011年08月12日 | 趣味・・エッセイ

      
            2011.8.12  21時15分撮影  ちょっとおぼろな十三夜

朝7時25分電話が鳴った。オッ! はがき随筆掲載か!!胸がときめく。
案の定、エッセイグループリーダーの声が笑っている「ゆっくり寝ている場合じゃないですよ、新聞を見てごらんなさい」「・・・ ・・・はい、すぐに・・・」
新聞を開いたところで再び電話「ついにやりましたね・・・」お祝いの言葉を頂いた。

はがき随筆月間賞が発表されていた。そこに見覚えのある名前が載っている。
オッオッオッ・・・小生の名前が。
毎日新聞「はがき随筆」252字に挑戦し始めて足かけ5年。長い道のりだった。

これまで佳作入選は何度かあった。が、月間賞は初めて。
自分の気持ちの中では、じくじたる想いも混じる今回の受賞である。
が、自分の事以上に喜んで頂けたリーダーの安堵の表情を思うとき、何もかも忘れて、結果を素直に喜びたい。
曲がりなりにも一つの関門の扉を開いたことで、今後も仲間と共に楽しみながら、少しでも感性を錆びさせないようアンテナを広げて行くとしよう。

そんな思いで見上げる夜空に、薄雲たなびく「ちょっとおぼろな十三夜の月」
今ひとつスッキリしない心の内を見透かされているのだろうか。そういえば前回7月13日、十三夜の月はものの見事に煌々と冴えわたっていたような・・・。
月は心の鏡とか・・・。次回は、紛れもなく煌々と冴える月と、自分自身で納得のいく結果を出せるよう今一度フンドシのヒモを締め直して・・・。

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「水先案内人」

2011年08月11日 | 趣味・・エッセイ

     
兄ちゃん・カー君  竹細工実習で工作を                  クリックしてね
 
       
      怖い物知らずの悠雅くん。 川遊び、気分はいっぱしの太公望               

 

『毎朝8時半、近くに住む小学5年と3年の孫兄弟がやって来る。
夏休みの宿題を中心に、日記や自由研究、作文のヒントなどを考えながら、午前中を私と過ごす。いわゆる「じいちゃん学校」への登校である。

机に向かうのはせいぜい40分程度。それでも集中力は途切れがちで、学習態度も決していいとは言えない。
無理もない。学校から解放され、この世で2番目に甘えられる私が先生なのだから。

そうは言っても、私としては共働きの娘夫婦から預かった責任もある。
「もう少ししゃんとせー」と大声を出そうと思うが、7割方は2人の言いなりになる。

お昼には一番甘えられるばあちゃんがパートから帰ってくる。昼ご飯を食べさせ、プールへ送り出す。そうして娘の家で夕飯の支度をしながら、彼らの帰りを待つ。
夕方には保育所から帰った2歳の三男坊が、ばあちゃんから離れない。

孫に振り回される毎日である。
それでも私たちは今、彼らが大きく成長していく過程の水先案内人をさせてもらっている。それは一つの贅沢であり、喜びである。そして何より、生きる活力、スタミナ源になっている。』

       2011.8.11 朝日新聞 声欄テーマ 「スタミナ源」 掲載

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「キシリトールって?」

2011年08月09日 | つれづれ噺

        

夏休み期間限定で、一応先生の真似ごとをしながら、孫兄弟に学習させている。
ときに彼らから、宿題やドリル以外の素朴な質問が飛んでくる。
「キシリトールガム」のキシリトールってなに? ときた。

予備知識がない。正直困った。さてどうしよう。こちらが学習する番だ。
そうだ、あれだ! 目下治療中の歯科医から頂いた参考資料を思い出した。
キシリトールっちゅうのはね、お砂糖と同じ甘みをつける甘味料の一つなんよ・・・と。

キシリトールは、白樺や樫の木などの原料から作られる天然素材の甘味料。糖アルコールと呼ばれる炭水化物の一種で、砂糖と同じくらいの甘さがある。
カロリーは砂糖よりちょっと少なめ。

一般的に虫歯を予防する効果があるといわれているが、実際に虫歯予防に必要な量は、1日5~10グラムと言われる。
イチゴなどのベリー類、ホウレンソウ・レタスなど身近な食べ物に含まれているが、わずかである。たとえば、イチゴだと、乾燥重量100グラム中に300ミリグラム程度しか含まれていない。

従って、食べ物からだけでは十分に取れない。そこで、キシリトールを使ったガムなどから取るのが良い・・・と言われている。
といっても、市販のガムも含有量は多くないので、本格的に虫歯予防に取り組むなら、歯科医などと相談しながら、それなりのガムなどを連続使用する方法はある。

・・・と、このような説明をしてはみるものの、自分がまだ租借出来ていない受け売りだから、説得力には欠けるな~。講釈師、見てきたような・・・。
ちなみに、キシリトールパウダー454グラムが1480円で通販にある。
通常使う上白糖と比べて、さーどっちを選ぶ・・・?大蔵大臣とご相談を・・・。 

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「連日の猛暑に秋が・・・」

2011年08月08日 | 季節の移ろい・出来事

            

ご難の夏休みも、ようやく半分が過ぎようとしている。
確かに昨年の酷暑・炎暑に比べるとずいぶんしのぎやすいこの夏ではあるが、ここ2・3日猛暑日(最高気温が35℃以上の日)が続く中で迎える立秋。
「暦の上では今日から秋よ」などと言われてもイマイチ、実感が湧いてこない。

アブラゼミも、鳴き疲れたものか、暑さに喉が渇いたのか、パソコンにに向かうわが部屋の灯り求めて、網戸に2・3度突進、そのうち硝子戸にぶつかって、撃墜死。
今朝がた、手足をきれいに星形に硬く閉じてベランダに仰向けに転がっていた。手厚く?、植え込みの根っこに転がしておいた。自分の命を全うしたセミは、次はアリさんたちのおなかを満たす役割を果たして、完全に土に還るのだ。
もうひとつの幅広のセミ(写真)は、2年越しにこの部屋の壁に虫ピンで飾られた、手作り標本である。もちろん、作ったのは孫の手!

「夕有風立秋」の掛け軸を見れば、風流人でなくても「ほー、夕方に吹く風には秋の気配が感じられる。今の季節にピッタリですな・・・」くらいの解釈はしたくなる。
ところが偏屈者の亭主は「な~に、これはね、『ユーアルフーリッシュ』と読むのだと答えたという・
さてこのユーアルフーリッシュとは一体なんのことでしょう・・・?

などと、それでなくとも暑い中、クイズなどやめておくれ・・・と言われそう。
まあいい、こんなおバカさんのような話でもして一つ笑えたら、猛暑日の続く中で、ホンの小さな小さな秋を感じることにはならないだろうか。
ちょっと無理のあるこじつけのような気がしないでもない。

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「8月6日、平和への祈り」

2011年08月06日 | ニュース・世相

     
                   広島、原爆慰霊碑に祈りを捧げる平和祈念式典
 
    遺族代表・子供代表による平和の鐘を打ち鳴らす。  平和を誓う作文朗読
     
      原爆ドームから、元安川・平和公園を望む。    写真はテレビ映像

1945年8月6日、午前8時15分。
広島市の最も殷賑を極めた中央部繁華街に、原子爆弾は投下された。
66年という歳月を経た今年も、原子爆弾の被害に遭われた方が多く亡くなられている。
この一年で新たに死去された被爆者は5785人を数え、原爆犠牲者は27万5230人となると言われている。

語るも涙、聴くも涙の、悲惨極まりない被爆体験の生の声。
広島も長崎も、そんな生の声が段々消えていく。
消えていく声と共に、この悲惨な現実を後世に伝える作業がおろそかになってはいけない。

どれほど叫んでも、如何に非人道的な殺戮兵器であることを知らしめても、そんな強力な兵器なら尚更必要だ・・・と持ち続ける核保有国、これから保有して行こうとする国家、核兵器の売却で国家の経済を立て直そうと躍起になっている国。それらを相手に、叫び続けるには声も枯れ、喉も痛くなりそうであるが、叫びを止めてはならない。

8時15分に打ち鳴らされる平和の鐘が、全世界の人々の耳に届き、人間らしい思いを取り戻す役割を果たしてほしいものである。
これほどの科学が発達した世の中で、核を持つ国が戦えば、双方が間違いなく破滅する。当然周辺国に甚大な被害が及ぶ。
こんなことも分らぬ世界の指導者たち。日本を含めて大した世の中じゃないよなーと嘆き節。
地球以外の星にもっと賢いリーダーがいたら、地球などひとたまりもなく征服されてしまいそうな話だ。

8月6日。この日を迎えるたびに、人間の愚かさ、浅はかさを思い知る。  

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「下町の百貨店」

2011年08月05日 | つれづれ噺

         

こんな片田舎でも百貨店が3店舗ある。いずれも品揃えは豊富。
どうかすると目移りするほどの大量商品が山積みされている。
一つの店舗は、元本物デパートの2・3・4階、3フロアを占領するほどの繁盛ぶり。

片田舎の百貨店。人呼んで「100円ショップ」「百均」として親しまれている。
何かの作業をする時、文房具や生活用品などが欲しいとき、先ずは品定めをしたくなるのがこの百貨店である。これまで何度助けられたことか。

この1週間ばかり、欲しいと思った品物をメモした用紙を握って乗り込んだ。
こちらの要望を満たす品々が出迎えてくれる。取り敢えずメモ通りカートに入れる。
それも一つだけでなく同じ物を二つ放り込む場合もある。
メモ以外に、お店で気付いた物、新たに便利そうに思えた物など取り込む。

レジの支払いが2940円。衝動買いも含めてつまり28点を購入したことになる。
剛気ななものだ。1個100円、税込みで105円。ついつい気軽に手が出てしまう。
持って帰って、しっかり活用しなければ・・・と思いながら、押入で出番を待っているものも少なくない。まあいいか、100円だから・・・と。

それにしてもこれは有り難いお店である。
特に昨今の節約ムード漂う景気低迷下では、益々繁盛の気配。
不景気に強く、こんな情勢下でも元気なのは「百円ショップとパチンコ屋」と思えるほどだ。

それでも、衝動買いや余分な買いだめに注意する必要がある。が、100円という気軽さについ財布の口がゆるむ。
これほど重宝する百均。この際少し格上げして「下町の百貨店」と呼んで上げたい。

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「夏の夜空の・・・」

2011年08月04日 | つれづれ噺

     

夏日が続くここ2・3日。朝顔はもとより、畑も庭の小さな植え込みもカラッカラ。
蚊取り線香の携帯ケースを首からぶら下げ、先ずは畑に水遣りを。
次いで、五葉の松、柊(ひいらぎ)などの植わる箱庭に水を遣る。

ひょいと見上げる西の空。暮れなずむ青さの中に、色鮮やかな月が照る。

ホースを投げ出し二階に駆け上がる。何はともあれベランダからカシャ・カシャ。
ものの見事な三日月が撮れた、シメシメ。
待てよ、三日月にしてはちょっと肉付きがいいなぁ。この時期夏バテで痩せていて、もっとスリムなはずなのに・・・。
食欲と口達者は衰えないあの人に?いやこの人に似たのかな、少しまろ味を帯びている。

某葬儀屋さんから頂いた好日暦をひもといた。
やっぱり・・・。三日月はおとといで、今夜は五日の月だった。
細くてあごがしゃくっていれば三日月と思い込むこの身勝手さ。そうはいいながら、ちょっとだけ太ってるな・・・と感じるあたり、まんざら捨てたものでもない。と思いつつ。

何かに付けて、違いが分かる男の味が出てきてもおかしくないお年頃、なのに・・・。
まだまだ、思い込みで判断していることは多いのだろう。
人を見る目?養って来たと思うけどな~。だけど思い違いや勘違いは終生ついてまわるものだ。己の未熟さを加味しながら、さらに目を見開くことにしよう。

それにしても、アップにした五日の月。優しい人の横顔に・・・ということにしておこう。

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「お墨付き一通」

2011年08月03日 | つれづれ噺

         
             一般的な脳の断面・側面図(ネット拝借)

格別な自覚症状などあるわけではないが、念のため、安心を買うために、「MRI」検査を受けたのが7月半ば。
このほど、検査結果が郵送されてきた。

『この検査の範囲では、異常ありません』。判定の蘭に記入されている。
ということは、何はともあれ頭部についてはお墨付きを頂いたことになる。有り難いことだ。

実は、検査に当たって少なからず心配はあった。
もしも、脳みそに隙間が出来ていたり、フカフカの比重の低い中身だったらどうしよう。
クモが巣を張るほどの空間があったらどうしよう・・・。あれこれ自分なりに悩んだ。
だが待てよ、その割りには頭が重い日がちょいちょいある。そうか、あの頭の重いのは、脳みその多さや比重などとは関係なかった。
兎にも角にも、すぐに大きな病院で再検査だの、要治療などの判定でなくてよかった。

時に手入れなどして大事に使えば、もうしばらくは使えそうな身体に見合う脳の働きであって欲しい。今治療中の歯科以外はどこといって悪いところはない。
と自分では思っている。そう言えば、性格や人柄はどうなんだろう。
こちらも自分では特に異常を感じる自覚症状なし。と思いたいが、これは医師が判定するのではなく、世間一般の人の判定にゆだねるしかない。この判定は微妙なのだ。
太鼓判を押してくれる人もいないわけではない。しかし「要検査」とか「要治療」などの判定を出す人も少なくないだろう。

性格や根性の善し悪しを判定する「MRI」のような器械はないのだろうか。
もしあったらどうだろう。積極的に受けてみるか。いいや、「オレこそは大丈夫!」と大見得を切るに違いない。そこにこそ大きな落とし穴があるというのに・・・。 

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