今を盛りと咲くアジサイ(隅田の花火)
アジサイの向こうに咲くテッポウユリ 見事な純白、テッポウユリ
昨日今日 秋くるからに 日ぐらしの
声打ちそふる 滝の白浪 細川 幽斎
このところ心配されるほどの大雨に降られた。
それ以来、肌布団が離せなくなるほどの涼しさを運んできた。
実に有り難い、何となく元気が出てきそうな秋の気配だ。このままスンナリ秋にはなってくれないだろうが、あごを出した真夏との別れの近さを実感出来るのが嬉しい。
何日か続いた大雨を、梅雨の逆戻りと勘違いしたわけでもなかろうが、今、我が家のアジサイが誇らしげに花開いている。「隅田の花火」である。
本番の梅雨時期に咲くほど見事な花火模様ではないが、間違いなく薄~い紫を混ぜた清楚に白い花を付けている。その向こうに時季を得たテッポウユリが華やかに咲く。アジサイとユリのコラボレーションとでも言うのだろうか。
口の悪い連中に言わせると「主に似てちょっと狂っているのでは・・・」と言うに違いない。
でも、この時季にテッポウユリとアジサイの純白の競演に出会えるのは嬉しい。
そんな今日、また一つ耳学問で得をした。扇子の使い方についてのお粗末。暑いとき、バッグから取り出した扇子で涼をとる。
その扇子の開き方に、奥ゆかしさがあるやなしや、というお話し。
出来るだけ多くの風を起こそうと、扇子を180度いっぱいに開くのは邪道。
つまり、完全に開かずに、数折り残して、つまり120~140度に開いて使うのが、みやびた奥ゆかしさだと聞かされた。
水も、容器イッパイに入れれば次はこぼれるしかない。もう少し入るだけの余裕を持たせる程度に満たしておくところが、大和おのこ・やまとなでしこの心意気である。
いくら暑くても、扇子を敗れんばかりに開いて涼を求めるのはセンスに欠ける。
センスあるお方が扇子についておっしゃったのだから、信じよう。一理ある。