「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「叔母の白寿を祝う」

2011年08月14日 | つれづれ噺

  

明治32年生まれの父が亡くなって丸38年。今日が39回目となる祥月命日。
朝一番の事はじめは、お盆提灯に灯りをともし、仏前に心静かに合掌。

そして、明治41年生まれの母が、101歳でお浄土に旅立って2年9カ月になる。
何かにつけて今なお、ああもしてやれば、こうもしてやればよかったのに、との思いが胸に迫るお盆である。

そんな母は、4人兄妹の第2子で長女。すぐ下に4つ違いの妹がいる。
岩国の金さん銀さんと言われるほどよく似た、大の仲良し姉妹であった。
母の死の直前までたびたび一緒に病状を見守って頂いた叔母である。

その叔母が目出度く白寿を迎えられた。
今なお認知症などの兆候もなく、1人で生活をしている、とっても話のわかる、可愛い99歳である。私たち甥っ子が三人招待されたが、東京から福岡までの親戚、老若男女総勢28人という盛大な白寿お祝いパーティとなった。

もちろん主催は、現在岡山市在住の長男夫婦。
言うに及ばずいとこどうしなのだが、普段のお付き合いが少なく、最初はお互い少しだけ遠慮気味。実際にスタートしたら、ホスト役の彼が大いに盛り上げる。
とってもリラックスした祝賀ムードに引き込まれて、決して嫌いではないカラオケマイクを握った。

今は、足が悪くなって畑に出られなくなったが、それまでは、顔を出せば旬の野菜を持たせてもらっていた。土を耕し、草を相手に農作業で過ごす時間が、あの悠然とした人柄をはぐくみ、元気で長生きの原点だったのだろうか。

片方で彼岸の両親を追悼し、片方で此岸の元気な叔母の白寿を祝う。
なんとなくいいことをしたようなお盆気分に浸っている。
あいにく、晩夏の十五夜の月は雲間でひと休みしている。

コメント (6)
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