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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「めぐる季節に」

2011年04月15日 | ニュース・世相

 
   新しい芽を吹き出すウバメガシ    来年の収穫に備えて、タネとなるレンコン

庭の木々が新芽を吹き、春の陽光に輝きを増す頃、田んぼでは収穫を終え、来年用のタネとなるレンコンが掘られている。
新たな季節に目を醒ますもの、役目を終えて静かに世代交代を待つもの。世の中様々である。

人が与えられた一生を過ごすには色んな制約がある。
生まれながらにして備わった能力や環境、また時代背景など様々なものが、人生のバックボーンとなる。それらに逆らうのも一つの生き方だが、素直に受け入れて生きていくのもまた人生である。
いずれにしてもベストを尽くそうと汗を流す生き方には、どこか深みがあって共感が持てる。

思いも掛けない自然の猛威、東日本大震災。いや、あれは予測されていた・・・というなら、何故防げなかったのか。防ぐ手だてをせずにおいて、予測出来たことだと言われてもね~。

結果論はともかく、今は敢然と立ち向かうしかない。
人生の限度を自ら知って、自分らしく生きるという知恵は、学問にも知性にも権勢にも財力にもほとんど関係がない。と、言われるのは曾野綾子さん。

みんながその気になって、自分の人生を精一杯生きること。
そこから再生日本の新しい姿が見えて来るのだろう。

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「遠い記憶が」

2011年04月14日 | 思い出話

     

大東亜戦争が始まって9ヶ月を過ぎた昭和17年8月27日。
山口県を襲った周防灘台風によって、私達が住んでいた集落の瀬戸内海に面した堤防が決壊した。

吉川家歴代の藩主によって干拓された田んぼや畑は、一面の泥海と化し、農地近くに家を持っておられた23人の尊い命は奪われ、家屋や田畑は無惨に流失した。

不幸中の幸いで、海岸から離れていた我が家は家ごと飲み込まれることはなかった。但し、水に浸かった赤土の壁は70センチの高さで剥がれ落ちたまま長く放置された。6歳になった頃ようやく修理されるまで、塀ごまいと呼ばれる竹の骨組みが露出し、水害の恐怖がそのまま目に見える形で残されていた。

水害当時は生後7ヶ月だった私には恐怖の記憶など残ってはいないが、今思えば乳飲み子を抱えてどのように非難したのだろうと改めて思う。
生き延びさせてくれた両親に感謝を忘れてはいない。

戦争によって、日々物資の不足、食べ物の不足などで、水害の修理をする余裕もないまま敗戦を迎えたと聞いた記憶がある。
戦争と水害の二重苦。並大抵ではなかっただろう。

今回の東日本大震災という未曾有の災害は、原子力発電所の津波被害も重なって一層深刻になった。
69年前の戦争と水害という二重苦よりも遙かに深刻で
悲惨な状態だと思う。
しかし、日本人は立ち直ってきた。敗戦後の混乱や貧乏のどん底からも復興してきた。

『がんばろう日本!』を合い言葉に、今、国内はもとより、世界中が支援の手を差し伸べている。
もう一度立ち上がろう。手を携えて復興しよう。日本人の底力を見せつけよう。

遠い遠い昔の記憶がふと蘇り、今の日本と重なった。

 ( 写真 : 浜明神の横に建つ、風水害記念碑 )

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「う~み~~」

2011年04月11日 | つれづれ噺

         

心配させた今年の寒アヤメも、遅ればせながら見事に咲き乱れてその時期を終えた。
代わって、五葉松の陰ではあるがイトスイセンが鮮やかに、幸せの黄色に甘い香りを載せる。
季節は確実に移り変わっている。

今年のお花見の締めくくりを・・・と思って昨日。
クルマで1時間。瀬戸内海に浮かぶ周防大島の千本桜を見てきた。
どこまでも続く桜並木。どこまでも続く青い穏やかな春の海。

  

    

全てを満喫し、さあ気持ちを切り替えて・・・と自分に気合いを入れるのに・・・。
どうしても今イチ乗れない。いわゆるシャンとせんのである。スッキリしない。
なんじゃろう、この不可解な気分。

一旦ふさぎ込んだ胸を、さくらや季節の変わり目で紛らわそうというところに無理があるのか。
女々しいと自分で思いながら尚かつやっぱりシャンとせん。

オーシャンブルーもプランターをひっくり返し植え替えた。先日植えたジャガイモもものの見事に芽を出した。中学校のミニ同窓会の声かけもした。
高校のタケノコクラス会の段取りも決めた。全て手を打って実施を待つだけ。
なのに、どうやっても心底湧き上がる何かが欠けている。 らしさがない。

気まぐれ春雨の合間を縫って、思いっきり畑を耕した。汗を流した。
ホンの少し気持ちが前に向いた。それでも今までとは何か違う。おかしい。
無理をせず、このままもうしばらくこの気持ちを引きずろう。
そのうち、タケノコのようにひと皮剥けたら真っ白い気持ちになれるだろう。 
坂本龍馬にならって、“ う~み~~”と笑ってみるか。

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「桜は咲いた」

2011年04月09日 | ニュース・世相

        

あの忌まわしい大震災から1ヶ月。
大津波に襲われた、福島県小名浜の桜も咲いたと映像が流された。
正直、ホッとした。あの被災地、あの泥にまみれた塩水をかぶった桜が咲いた。
それを目にした人は間違いなく笑顔を見せる。そこには一瞬安堵の気持ちが表れる。
日本人にとって桜とは、そういった元気を抱かせる気付け役を果たす花である。

                
     

涙も出ない茫然自失とした数日を経て、テレビや新聞で報じられる一つ一つに改めて流れる涙、痛恨の想い。やり場のない怒りと自然への畏怖。
そんな繰り返しの日々で、ただただ背中を丸め、何かを怖れ気持ちを抑えることに腐心した。でもそれは今日までで終わろうと心に決めた。

気持ちを浮き立たせる錦帯橋の桜は見事に咲いた。
被災した多くの人を勇気づけ、元気づけて支えていこうとする者が、いつまでもいつまでも下を向いていては、被災された人たちに勇気など分けてあげられる訳がないことに気付いた。

不謹慎だと非難を浴びるほどの馬鹿騒ぎをするのではない。
被災しなかった我々が、率先して元気を出して日本を盛り上げなくてどうする。
時節が来れば咲く花のように、必死に耐えながら一日も早く訪れる春を待つしかない。
出来るなら、みんなの手で春を早く呼び寄せたい。

そのためにも、冷静な元気を取り戻し、震災以前の普通の生活に戻ろう。 かなりの努力が要ることだろうが。

拙ブログの読者に満開の錦帯橋桜をお贈りする。ホンの少しでも元気を取り戻して戴く一助となれば幸いです。
あなたの元気で東日本の、日本全体の、そして世界の元気を取り戻そう。

 

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「今日から新学期」

2011年04月08日 | 家族・孫話

       
                     2011.4.8 今日から5年生と3年生
     

いよいよ今日から新学期。 5年生になった兄ちゃんと、3年生になったカー君。
満開のさくらに囲まれた学校から、元気よく我が家へ帰ってきた。早速記念写真を・・・。

背中に大きかったランドセルがいつしかフィットし、完全に自分の背中で背負っている兄ちゃん。逞しくなったものだ。
スポーツは万能。特にスキーは、短い期間で練習に次ぐ練習に耐え、そこそこの成績を残すに至った。これは大きな自信になっているようだ。
学校生活のあらゆる面に、その自信が影響しているかのように、ジジバカ丸出しのこの目には映る。魔の4年生と怖れられた1年間もなんとかやり過ごした。
さてこれから、小学校という集団生活の終盤に向けて、どんな成長を見せてくれるのか、そーっと見守ろう。

ランドセルがまだまだ不釣り合いに大きく感じさせる3年生になったカー君。
記念写真もちょっと面倒くさがる無精も見せる。
身体のつくりは兄弟とは思えないほど、兄ちゃんに比べると弱々しい。食も細い。
ところが、一旦ツボにはまるとその集中力は舌を巻くところがある。所詮ジジバカだが。

カー君はどちらかというとインドア派。だが、スキーに関しては異常なファイトを見せる。
3泊4日のスキー合宿も積極的に兄ちゃんを誘っていた。楽しい語録はいっぱい残す。
半分手を添えながら、しっかり見守ろう。

まだまだ老け込んでなどいられよう。彼らと付き合うためにもフットワークと頭の回転は錆び付かせないようにしたいものだ。
それでなくても、もう互角には渡り合えないのだろうから。
フレ~!フレ~~!!5年生。 ファイト!ファイト!!3年生。 応援団長健在なり・・・?

そして新たな転入生のお話を兄ちゃんがしてくれた。
4年生の女の子で、東京から通津小学校へ転校してきたという。詳しい事情は分からないが、この子にとってはまさに心機一転の新学期になる。心から応援したくなる。
がんばろう 転校生! がんばろう 日本!! 

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「桜、さまざま」

2011年04月07日 | 趣味・・エッセイ

         

今日は、同好会仲間が打ち揃って、枝垂れ桜見物と洒落込んだ。
普段は、真面目不真面目ないまぜに、お互い切磋琢磨する同好の士17人。
クルマ5台に分乗して、総延長177㎞を走る遠出の花見。

花見といってもお酒など一切なし。
ひたすら咲き乱れる桜を求める。古刹に足を踏み入れ無我の境地に浸る。ただただ感性を磨き、明日への知(血)となり肉となる活力を養う。・・・ということにしておこう。

最初に訪れた、山口県周南市鹿野にある、臨済宗南禅寺派の寺院「大本山南禅寺派別格地、鹿苑山漢陽寺」。静寂の中に凛とした威厳と、優しく包み込む穏やかなたたずまいに抱かれ、見事に手の入った庭園を堪能。
背戸の小さな洞穴からは、錦川上流から誘導した清らかな水流が滔々と音を立て本堂の周辺を流れる。寺を出たら農作物の灌漑用水として活用されるという。

次に訪れた本命の、樹齢400年を誇る枝垂れ桜の古木。残念!開花にはまだ間がある。
山口県中部の山間部に位置する鹿野町。今年の寒さは異常に長く、桜の開花をも遅らせることに相なった。花どころか固い固いツボミ。 但し、古木の周りには、今を盛りのうば桜が大勢見上げているように見えた。
1週間もすれば、見事な枝垂れ桜に会えそうである。

そうして一気に山間部から平野部へ。それも瀬戸の海に面した洒落たレストランでの昼食。ブライダルシステムを併設しているだけあって、食材はもちろん、容器も雰囲気も何となく高級感がただよう。
最後の目的の枝垂れ桜見物。これが光市内の小学校校庭に咲いている。
掛け値なしに、きれい!!お見事!!
やはり、入学式には桜が似合う。母親の絵羽織があればもっといい。

つつましやかではあるが、そんな素敵なお花見が出来た。
                   
レストラン対岸のコンビナートを望む   見事な校庭の枝垂れ桜

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「間もなく終わる春休み」

2011年04月06日 | 家族・孫話



  
   間もなく5年生と3年生     陶 晴賢の遺髪塚
  
    松巌院沿革と庭園記

春休みも間もなく終わる。 やれやれようやく終わる・・・。
特に大きな宿題もないこの休みは、お二人さんにとっても、預かるじいちゃんにとっても、割りと気楽に過ごせる。有り難い長期休暇である。

風邪による発熱などでせっかくの春休みを棒に振った前半。
体調も元通りになり、暖かさも増してきた後半は、近回りの史跡などを巡るじいちゃんに無理矢理付き合わせ、歩き回っている。
昨日は、真っ青な空の下、山の中腹にある「苔寺」と地元の人が呼ぶ松巌院へ行ってみた。静かに合掌。

出かけるときは「またあんなところ・・・??」と厭な顔をする。いつものパターン。
そうはいっても、小さなハヤが無数に躍る小川沿いを山に向かって歩き始めると、段々目に入る景色が変わってくるし、迷路のような小道がいっぱい出てくる。
段々興味が湧いてきて話は弾む。問いかけも多くなる。

お寺の沿革・庭園の由来などは写真をクリックして戴くと有り難い。
お二人さんを楽しませるにはほどよいコースであった。
8722歩は久しぶりの長丁場となった。左の膝がやや・・・ ・・・ ・・・。

じいちゃん達が取り組んでいる岩国検定に出てくる、古刹や記念碑・顕彰碑などを、出来るだけ多く実地に見聞する、というオベンキョウのお付き合いを彼らに強いているわけだ。少し話を聞かせると、まんざらでもなさそうな顔で聞いている。
ホンの短い春休み。終われば5年生と3年生。

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「ちょっとよそ見を・・・」

2011年04月05日 | 趣味・・エッセイ

        

毎日目を通す全国紙の毎日新聞。仲畑流万能川柳という蘭がある。
全国から寄せられる川柳が毎日17~18編載せられる。愛読のコーナーではある。
と言っても一番ではない。二番目か三番目ではあるが、必ず目を通している。

一番は?言わずと知れた「はがき随筆」コーナーだ。 山口ローカル面。
これに目を通すために、というか、ここに自作が載るかどうかの確認のために毎日新聞を購読していると言っても過言ではない。 もっともそればかりではないが・・・。

毎日全国から寄せられる川柳は、正直面白い。17文字によくもこれほどの想いを入れ込めるものだ、と舌を巻くことしばしば。
いつか一度は挑戦してみたいと思っていた。

川柳というものを知っているわけでもない。
ネットによると『季語や切れ字などの制約はなく、口語を用い、人生の機微や世相・風俗をこっけいに、また風刺的に描写するのが特色』とある。

まあはがき随筆が採用されない腹立ち紛れもあって、浮気というかよそ見というか、兎に角思い付きを17文字にして応募した。俳句も川柳も、17文字への初挑戦である。
ダメで元々、黙っていりゃ誰にもわかりっこない・・・といった程度の軽いノリ。

図らずも採用され掲載された。 わが人生何度目かの大まぐれ。
世の中こんなことがあるからやっぱり面白い。

正直な気持ち、これは自慢話にあらず。元々公に出来る範囲の日記ブログを標榜する「やぶにらみ」。忘備録としてここに記すだけである。 但し、嬉しさは隠さない。

      ( 写真: 万能川柳、4月2日分の切り抜き )

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「お花見は一人で」

2011年04月04日 | 季節の移ろい・出来事

        
                    通津美が浦公園 
      クリックしてね
    ぬくもりの海       部分的満開     木ままに咲く桜

朝晩の寒さは未だ厳しいが、日中の暖かさに誘われて春が目の前までやって来た。
隠れた桜の穴場、家から歩いて10分の「通津美が浦公園」。見事な春景色に包まれている。
ぬくもりを感じさせる春の海。軟らかな潮風を吸い込んで、思わず手を漬けてみたくなる。

「桜は守りをせな、手入れではあきまへんのや」とおっしゃるのは、京都嵯峨野、造園業・桜守り・庭師「佐野藤右衛門」さん。
洛西の桜畑、祇園の枝垂桜、鴨川の染井吉野、長岡京の暁天桜、二条の枝垂孫桜、常照皇寺の九重桜。これらをすべて蘇らせた驚異の植木職人さんでもある。

誰も知らない自分だけの桜をこそ、一人ひとりが見つけるべきだ。ともおっしゃる。
そのほうが樹もつぼみも花びらも葉桜も枯れ木も、すべていとおしくなるはずだ。 
だから「花見は一人で行きなさい」とおっしゃりたいのだそうな。
ウーン、桜は単に気持ちを浮き立たせるだけでなく、奥が深いようだ。

4月3日と言えば、子どもの頃は一家を上げてお重をひっさげ、山登りやお花見に興じたものだ。やはり桜は大勢で賑やかに春到来を喜びながら愛でるものと思い込んできたが、意外にこのような観賞の仕方もある。

特に、浮かれてばかりはいられないこの春は、こんな想いを秘めて桜を愛でてみたい。

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「命育む野生のドラマ」

2011年04月02日 | 趣味・・エッセイ

 
 朝日新聞「声」蘭  テーマ 「私の贅沢」
                            2011.3.30 掲載

窓の向こうに瀬戸内海が広がる。その見晴らしを半分さえぎるように小高い雑木林が横たわる。
その一角に初めて、アオサギが巣を架け、3羽のヒナを育てたのが一昨年の春。

昨年は4組のつがいがやってきて9羽のヒナを育てた。
 今年もまた2月下旬に大勢でやってきた。すでに数組のカップルが出来上がっている様子で、巣作りを始めている。


 地上10㍍の、ヒョロヒョロと伸びた木の最上部は、
風が吹けば右に左に大きく揺れて巣が落ちそうになる。雨や日照りを避けるすべもない。

「何故あんな危なっかしいところに巣を架けるのか」毎年ハラハラする。

彼らにとっては、すぐ近くに海があり餌は豊富。産卵・子育てには天敵を避ける高い木の上。子孫繁栄の条件が整っているのかもしれない。


 新しい命を育む野生の懸命な営みを眺めていると、こちらも元気が出てくる。窓の向こうに、とってもぜいたくな時間が流れる。

さて今年は何羽のヒナが元気な巣立ちを迎えるのだろう。

      
             日に映えるアオサギ ちょっと気高さも
               
 材料調達、まだ未完成の巣(逆光)                 すっかり出来上がった巣     

今からねぐらを探すカップル      (写真をクリックして見てね)

 
    

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