「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「遠い記憶が」

2011年04月14日 | 思い出話

     

大東亜戦争が始まって9ヶ月を過ぎた昭和17年8月27日。
山口県を襲った周防灘台風によって、私達が住んでいた集落の瀬戸内海に面した堤防が決壊した。

吉川家歴代の藩主によって干拓された田んぼや畑は、一面の泥海と化し、農地近くに家を持っておられた23人の尊い命は奪われ、家屋や田畑は無惨に流失した。

不幸中の幸いで、海岸から離れていた我が家は家ごと飲み込まれることはなかった。但し、水に浸かった赤土の壁は70センチの高さで剥がれ落ちたまま長く放置された。6歳になった頃ようやく修理されるまで、塀ごまいと呼ばれる竹の骨組みが露出し、水害の恐怖がそのまま目に見える形で残されていた。

水害当時は生後7ヶ月だった私には恐怖の記憶など残ってはいないが、今思えば乳飲み子を抱えてどのように非難したのだろうと改めて思う。
生き延びさせてくれた両親に感謝を忘れてはいない。

戦争によって、日々物資の不足、食べ物の不足などで、水害の修理をする余裕もないまま敗戦を迎えたと聞いた記憶がある。
戦争と水害の二重苦。並大抵ではなかっただろう。

今回の東日本大震災という未曾有の災害は、原子力発電所の津波被害も重なって一層深刻になった。
69年前の戦争と水害という二重苦よりも遙かに深刻で
悲惨な状態だと思う。
しかし、日本人は立ち直ってきた。敗戦後の混乱や貧乏のどん底からも復興してきた。

『がんばろう日本!』を合い言葉に、今、国内はもとより、世界中が支援の手を差し伸べている。
もう一度立ち上がろう。手を携えて復興しよう。日本人の底力を見せつけよう。

遠い遠い昔の記憶がふと蘇り、今の日本と重なった。

 ( 写真 : 浜明神の横に建つ、風水害記念碑 )

コメント (6)
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