「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「老を敬う」

2008年09月15日 | 家族・孫話
今日は敬老の日。我が家の100才は残念ながら介護病棟のベッド生活。お祝いの言葉も贈り物も、頭の中では理解してくれているだろうと思ってはいるが、直接母の口から言葉として意志が伝わってこないもどかしさはある。それでも、ぬくもりのある手を足をさすり、耳元で色々話しをして上げることが出来る現在に、感謝をしている。そして欲望は果てしなく続く。来年の敬老の日も、お祝いをさせてくれよ…と。

今の母にそれをおねだりすることが、本当に母のためになるのか。こちらの勝手な希望を押しつける結果になってはいないか。など、複雑な思いはある。そして最後には兎に角、熟し切った木の実が自然に枝から離れるように、ありったけの命を燃やし尽くして欲しい、と願うしかない。

世界全体の高齢化が進む中で、今や日本は最高の長寿国。年金問題・高齢者医療制度など問題はあるものの、そこそこ豊かに暮らせているから長生きも出来ているという実感をぬぐえない。思うに、現在の世の中で、65才以上を高齢者として扱う制度が感覚的に少しずれている気がしないでもない。

いずれにしても、自分自身高齢者の仲間に入ったことは事実である。問題はここからの生き方であろう。上を見ればきりがない、下を見たって始まらない。今の自分に何が出来るのかを問いかける日々でありたい。責めて気持ちの中では青春のかけらを大事に持ち続けていたい。
誰に言ってもらわなくてもいい。いい人生だった…と自分で思える生き方をしてみたい。難しいなーこの年になって。いやこの年だからこそ考えないとね。母の年齢までには34年もある人生ど真ん中。言うなれば駆け出し、ヒヨッコなのだ。

外出時の三種の神器、免許証入れ・名刺入れ・小銭入れ。かれこれ15年近く使っている。とっくに賞味期限切れなのだろうが、純粋な皮革製品で買うときは気張った。やはりいいものは長持ちするし持ち続けて飽きが来ない。新しければいいってもんじゃないことを言いたい。但し、素材が問題ではある。

      ( 写真:遠い現役時代から使い続けている、私流「三種の神器」)

コメント (7)
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